2014/06/15 - 2014/06/15
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junemayさん
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個人旅行は何度も経験済みですが、海外の一人旅は久々。友人からフランスのトゥールーズから1時間位の距離にあるロット川のクルーズに誘われたのをきっかけに、その前後にイタリア、スペインを旅しようと計画したのが今回のたび。どこを歩くかは余り深く考えないで、大雑把な計画と宿泊先だけを決めていざ出陣です。スーツケースをなるべく持たなくて良いよう、駅近の安いホテルにこだわりました。ガイドブックも必要な分だけコピーして、途中で捨てられるよう準備。衣類も最低限に抑えたつもりでしたが、旅行中毎日快晴に恵まれたため、結果的には無駄な衣類が随分と出ました。昼はともかく、夜一人でレストランに入る勇気がないため、簡易クッカーを購入。スーパーで購入した食料で自炊もしました。好きな場所に好きなだけいたいという希望が叶った1ヶ月のたびとなりました。
日程表
6月3日(火) 羽田→フランクフルト→ベネチア
6月4日(水) ベネチア
6月5日(木) ベネチア
6月6日(金) ベネチア→フレンツェ
6月7日(土) フィレンツェ→シエナ→サンジミニャーノ→フィレンツェ
6月8日(日) フィレンツェ
6月9日(月) フィレンツェ
6月10日(火) フィレンツェ→ルッカ→ピサ→ラスペチア
6月11日(水) ラスペチア→チンクエテッレ→ラスペチア→ポルトベーネレ→ラスペチア
6月12日(木) ラスペチア→サンレモ
6月13日(金) サンレモ→ベンティミッリヤ→サンレモ
6月14日(土) サンレモ→ニース→トゥールーズ
6月15日(日) トゥールーズ→アルビ→コルドシュルシエル→アルビ近郊
6月16日(月) アルビ近郊→カオール→船旅開始(Le Lot)
6月17日(火) 船中泊(Le Lot)
6月18日(水) 船中泊(Le Lot)
6月19日(木) 船中泊(Le Lot)
6月20日(金) 船中泊(Le Lot)
6月21日(土) ラロックデザルクス→フィジャック→ロカマドール
6月22日(日) ロカマドール→フィジャック→カオール
6月23日(月) カオール→トゥールーズ→フィゲレス
6月24日(火) フィゲレス→カダケス→フィゲレス
6月25日(水) フィゲレス→ファルサ→プボル→ジローナ→フィゲレス
6月26日(木) フィゲレス→バルセロナ
6月27日(金) バルセロナ
6月28日(土) バルセロナ→モンセラ→バルセロナ
6月29日(日) バルセロナ
6月30日(月) バルセロナ→フランクフルト→
7月1日(火) →羽田
フランス ル・ロット川クルーズツアーのメンバーは、日本人5人に、フランス人のEric、Jappy、Patricia それに週末参加のEricの友人達数名。今日はツアー2日目。何台かの車に分乗し、アルビとコルド・シュル・シエルを廻る予定です。お天気は晴天、イタリアよりやや気温が低く、まさに快適なお散歩日和です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- その他
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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これだよ!これ!こういうパンが食べたかったんだ!と思わず叫んでしまったホテル・アリゼの朝食のバケットとクロワッサンです。
いやあ〜実に美味しかったです。 -
朝食後ホテルをチェックアウト。今晩はEricの友人の別荘に泊まることになっているので、まず食料の買出しに近くのスーパーへ。
取れたての梨がおいしそうでした。 -
トマトの種類の多さにもびっくり。奥左に見える筋の入ったトマトは日本では見かけませんね。
買い物をして、レジでお金を払おうとしたら、レジ係りの若い女性が日本語で話しかけてきました。1年間青森に留学していたそうです。滑らかな日本語でビックリしました。 -
トゥールーズからアルビに向けて出発です。雲は多いけれど、雨の心配はなさそうです。車はパステル高速Autoroute du Pastelをひた走ります。快適快適。
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のどかな田園風景が続きます。まさにフランスの田舎という景色ですね。
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1時間ほどでアルビに到着。目の前にアルビのシンボル サント・セシル大聖堂La cathédrale Sainte-Cécileが現れました。現在では単に、アルビ大聖堂と呼ばれることが多いようです。
2010年、アルビに残る、レンガ造りの都市建造物群、大聖堂、ベルビ宮殿およびタルヌ川にかかる橋は世界遺産に登録されました。 -
カステルヴィエル通りを進むと、町の城壁と交差するところに出ました。城壁の上は道路になっています。壁は北西方向に伸び、その先はタルヌ川沿いに北東方面に向かっています。どうやら、この辺りから旧市街に入るようです。
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小さな広場の名前はシャトー広場。目の前に大聖堂の鐘楼が顔を出しています。鐘楼の高さは78m。小高い丘の上に建つその姿にぐんぐん引き込まれていきます。
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鐘楼の前へと誘う道の両側には、古いレンガ造りの民家が立ち並んでいます。木骨とレンガで出来たこれらの建物は、1階より2階のほうがやや出っ張っているのが特徴です。
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アルビ大聖堂の鐘楼の前に出ました。このような教会を見るのは初めてです。
教会と言うより要塞の一部のような風情です。
大聖堂の起源は4世紀頃と言われていますが、666年火事で焼失。その後920年に音楽の守護聖人聖セシルに捧げられた聖堂が出来、13世紀には石造りのロマネスク様式の建物に取って代わります。
現在のレンガ造りの建物は、1287年から1480年、約200年かけて完成しました。 -
何の飾りもない、レンガの壁が続く建物の南側に、一箇所だけとってつけたような装飾のある入口がありました。こんなところに入口がある教会も初めてです。しかも長い階段をのぼっていく必要があるということは、床がかなり高い位置にあるということを示していますね。
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見上げると、細長い窓がつづいていましたが、地上からはかなり高さがあります。レンガ壁と入口のゴシック様式の、悪く言えばごてごてした門が全くマッチしていないと言う印象を受けたのは、おそらく私だけではないと思います。
このような外観になった背景には、カタリ派の存在があります。11世紀、この世に存在するものは全て悪とし、禁欲生活を信条とするカタリ派は、アルビを中心に徐々に勢力を拡大し始め、後にローマ教皇庁と対立するようになります。12世紀にはローマ教皇庁より異端宣言がなされ、カタリ派を一掃する十字軍が結成されます。そしてお定まりの大虐殺が行われ、カタリ派は敗北。アルビは1229年にフランス王国の一部となります。
現在の大聖堂は、この惨事の後建築されたため、ローマ教皇庁の威信と権威を示す必要性があったということと、まだ不穏な動きが残る中で反乱軍に対抗する要塞としての役割が不可欠だったのが理由とされています。 -
南の入口は、1392年にドミニク・ド・フローレンスによって加えられました。
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中に入ってまず驚くのが、深い青とベージュの抽象模様が支配する世界だったということです。ヴォールト形式の天井に描かれたフレスコ画は、イタリアから画家を招聘して描かせたもので、フランス最大で最も古いイタリア・ルネッサンス絵画と言われています。
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そして広さ!
3廊式の構造に見えますが、実はアーチの内部は一つ一つ異なった礼拝堂になっていて、その間仕切りの壁が教会を支える構造になっています。大聖堂の奥行きは114m、幅35m、高さ40mで、レンガ造りとしては世界最大です。 -
天井画は新旧聖書を題材にしたものだそうです。
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両側に続く礼拝堂の横壁は、一つ一つ異なっていますが、ここでは赤、緑、金を主とした色彩で覆われています。よく見ると、これらは全て、いわゆるだまし絵です!
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これも礼拝堂の一つです。両側のフレスコ画はイタリア・ルネッサンス期の影響が強いように見えます。
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中央で横たわっているのがこの大聖堂が捧げられている聖セシルです。彼女は音楽の守護聖人なので、毎年、ここでは11月にコンサートが開かれるそうです。
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教会の最も西側、パイプオルガンの下にある、左右の巨大なフレスコ画「最後の審判」は、1474年〜1484年の作とされています。元々は1枚につながった絵でしたが、18世紀になってから奥の礼拝堂に通じる扉を作ったため、中央部分は破壊されて現存しません。
天国も地獄も、誰も知らない世界ですので、リアリティを追求することは出来ません。あくまでも画家の想像力の範囲内なのですが、地獄の生々しさと比べると、天国は喜怒哀楽が少ない分、あまり楽しい場所には思えないなといつも思ってしまいます。 -
この教会で使われている特徴的な深い青色は、「フランスの青」または「ブルーロア」(王の青)と呼ばれ、原料はラピスラズリ銅酸化物だそうです。
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礼拝堂のフレスコ画は、よくよくみると、屋根瓦のような半円形の一つ一つに色々な顔や王冠、箱、花などが描かれていて、結構楽しませてくれます。
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階段を上って、宝物館を見てみましょう。この辺りは解説がないと、全くわかりませんね。
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宝物館にあった、1345年に作られた祭壇画です。左右には上段にマリア様の生涯、下段にキリストの生涯が描かれています。これが元々は主祭壇にあったのかなあ??
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かなり古い年代だと思われるピエタもありました。折角のお宝も、説明してくれないと、ただのガラクタに見えてしまいます。
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下に戻って内陣後部に入ります。内陣の仕切りは、炎が燃え盛っているような模様が連続していますが、ゴシック末期の火焔式あるいはフランボワイアン・モチーフと呼ばれています。これは14世紀後半〜16世紀のフランスでよく見られた装飾様式です。
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最も東側の後陣前部までやってきました。天井から延びる曲線のなんと美しいこと・・・
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何枚かあるステンドグラスのうち、ようやくまともに撮れた1枚です。
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繊細なフランボワイアン・モチーフの傑作がそこにはありました。クワイアの仕切りに木製の聖人の彫像が並んでいます。
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この部屋は、ルネッサンスの雰囲気が漂う赤と金の装飾が施されていました。
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こちらは、キリストの生涯からとったフレスコ画が壁一面に描かれていました。イタリアの町々で見た沢山のフレスコ画が脳裏をよぎりました。
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クワイア内部は残念ながら工事中でした。1545年から1585年にかけて作られた後期ゴシック様式のクワイアで、本当なら上下段に分かれた120の木製の椅子が左右に並んでいる部分だったのですが・・・
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1周して、外に出て参りました。無骨な外見と比べて、内部は繊細、豪華かつ色彩豊かな世界でしたね。また一つ、世界にここにしかないものを見た気持ちになりました。大満足です。
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入るときより出たときのほうが、このフランボワイアン装飾に親近感を持つことが出来ました。でも、やはりこの建物には似合わないですよねえ。
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後陣の外側も工事中。要塞の全貌を見ることは叶いませんでした。大きな建物になると、どこも修理していない時期の方が珍しいのかもしれません。
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大聖堂を取り巻くサント・セシル広場を道なりに進むと、すぐにベルビ宮殿 Palace of Berbie(現ロートレック美術館)が見えてきます。大聖堂同様、こちらも窓の少ない、要塞タイプです。
元々は城砦として築かれたベルビ宮殿でしたが、時が経つにつれ、絶大な権力を誇るアルビ司教の館となっていきました。 -
前方のとんがり屋根は城壁の一部です。カルカッソンヌの城壁にも同じようなとんがり屋根がいくつもあったのを思い出しました。カルカッソンヌはここから100kmくらい南に位置していますが、文化圏としては共通するものがあるのかもしれません。
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北東側から見たアルビ大聖堂です。横にくっついている建物がさっき行った宝物館かな?
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ベルビ宮殿は1905年に県の所有となり、現在はこの地で生まれたロートレックの美術館になっています。
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レンガ造りの建物が並んでいます。アルビは赤い町といわれる所以です。
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美術館に入る前に腹ごしらえ。タンポラリテ(つかの間)というレストランに入りました。同名の道沿いにあります。メニューの表紙にも、やはりロートレックを欠かすことは出来ません。
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ランチは軽く、チキンサラダで済ませました。昨日から、肉と生野菜という組み合わせばかり食べているような気がします。
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食後、滑らかな曲線が美しい、レンガ造りの家並みの中のロートレック美術館を見学しました。
本名アンリ・マリー・レイモン・ド・トゥルーズ−ロートレック−モンファ。ものすごく長い名前ですね。トゥールーズ並びにロートレック伯爵家およびモンファ子爵家の血を引く、アルビの名家に生まれたロートレックは、13歳と14歳のときにそれぞれ右と左の大腿骨を骨折。胴体は正常なものの、足の発育が止まり、身長が137cmまでしか伸びませんでした。
体が不自由となったロートレックは父親に疎まれ、18歳のときにパリに出て、次第にダンスホールや酒場などに入り浸るようになります。
美術館の内部は撮影禁止でしたので、紹介はできませんが、おなじみのムーランルージュやディヴァン・ジャポネなどの絵画や版画、ポスター等を年代ごとに見ることが出来ました。パリの風俗画以外には、馬を描いた絵画が多くあったのが印象的でした。短い時間でしたが、彼の心の内側を垣間見たような気分になりました。 -
ロートレックはその後酒におぼれ、梅毒にもかかり、1901年、アルコール依存症と梅毒の合併症でわずか36歳の生涯を閉じました。
彼の死後、母親のアデール伯爵夫人は作品をアルビ市に寄贈。かつてアルビの司教館として使われていた建物が彼の素晴らしい作品の数々の展示場となりました。
彼の生い立ちに関する資料が豊富で、彼が日本にただならぬ関心を寄せていたこともわかって、随分と時間をかけて廻ってしまいました。ロートレックについて余り興味がない人でも十分に楽しめること請け合いです。 -
司教館の窓から外を見ると、なんと美しいフランス庭園が見えました。
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庭園の向こうにはタルヌ川Le Tarun。そして、その向こうには絵のような景色が広がっていました。中央の尖塔は、マドレーヌ教会Église de la Madeleineです。
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場所ははっきりと覚えていませんが、美術館内部の天井です。
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ロートレック美術館を出て、庭園の方に歩いていきます。美術館は有料ですが、庭園は誰でも無料で入ることが出来ます。
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少し雲が多くなってきました。先ほど美術館の2階の窓から眺めた風景が目の前にありました。
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なんと美しく刈られた庭園でしょう。まさにフランス式の隙のない美の追求です。
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こちらは庭園側から見たベルビ宮殿です。窓が少ない為に、どうしても殺風景に写ってしまいますね。
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タルヌ川にかかる二つの橋が見えました。手前が旧橋ポン・ヴューpont-vieux、なんと1035年に作られた本当の古い橋です。通行税を取ることにより、町と商業の発展に10世紀もの間貢献してきました。そして、その先にあるのが新橋ポン・ヌフ。作られたのは鉄道が開通した1868年のことです。この橋にはもう一つの名称があります。それは、1944年8月22日橋。第二次大戦中、ドイツ軍とレジスタンスが激しく戦った場所でもあるからです。
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川岸にはボート乗り場、散策している人達が見えますね。
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川沿いにあった古い彫像は、かなり痛んでいました。この辺りからの風景は素晴らしいの一言。願わくは、対岸からベルビ宮殿と大聖堂を見てみたかったなあ。
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ベルビ宮殿のほぼ全景がようやく見えました。先ほど、庭園を見下ろした窓はどの辺りでしょう?
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今日はもう一箇所廻る予定なので、これにてアルビは終了。ポン・ヴューもポン・ヌフも渡らずじまいなのがちと残念です。
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2010年に世界遺産に登録となったのを記念するプレートです。面白いのは、右隅に日本語の表記があること。5ヶ国語で書かれたプレートを見るのは初めて。左側はフランス語、真ん中に英語とドイツ語、右側にはスペイン語と日本語で登録された経緯が書かれています。
(前略)・・・これらが、司教に関連する数々の建造物と共存し、中世を通じて司教の精神的で世俗的な権威を体現してきた威風ある都市を物語っています。
建築的創造の力が、単なる素材としてのレンガを超越して、世界でも稀な美しさと造形美を生み出しています。
この世界遺産登録によって、この司教都市が、人類全体のために保存する必要のある顕著な普遍的価値を有すると言うことが認められました。
ということだそうです。 -
再びカステルヴィエル通りを通って駐車場へ戻ります。
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この家も、2階部分が木骨造りで、前に飛び出している建築様式ですね。アルビ周辺では石が採掘できないため、レンガが多く使われてきたようです。
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アルビ最後の写真は、町で見かけただまし絵。フランス人って本当にだまし絵が好きですね。ナポレオン帽を被っている人物がいるけれど、一体どういうストーリーなのでしょう?
アルビで結構時間をとられ、この後のスケジュールが押せ押せになりました。続きは、イタリア、フランス、スペイン勝手気ままな町歩きのたび その41 コルド・シュル・シエル(1)で。
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