1997/04/08 - 1997/04/28
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ANZdrifterさん
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ずいぶんと むかしのお話ですが、4トラには旅行記が少ない国なので写真を選んで紹介します。文中の最近の事項は在日大使館のHPなどからの引用です。
古い写真を日本電気硝子(株)の「低反射ガラス」で押さえて接写しました。
訪問は1996年と97年の二度で、合計50日余り滞在したので、アスマラ、ケレンの高原都市と海岸のマッサワの3都市や近隣の村の写真を紹介します。
1991年に独立した新しい国です。場所は紅海に面していて、サウジアラビアの向かい側で、西隣がスーダンで、東隣がジブチ。南はエチオピアです。
国際空港は首都のアスマラに一つだけでしたが、今は紅海側のマッサワにもできました。現在の航空便は日本から乗り換え一回で、フランクフルト経由のルフトハンザが週4便、またはドバイ経由の航空会社が週2便ありますが、私の訪問時はエチオピアのアジスアベバから、おんぼろのエリトリア航空でとびました。
地形的には首都アスマラがある標高2000mくらいの高原地帯と、紅海に面した沿岸低地に分けられます。紅海近くは年間降雨量が200?以下ですが、首都では500?くらいと、紅海から離れると多くなり、エチオピア国境付近は900?くらいです。
地質的にはアフリカ大地溝帯と、その西側の先カンブリア紀の高地ですが、地溝帯が紅海に出る部分がアファー三角帯で、マイナス116mという低地があります。この低地帯に住む部族は野蛮だそうで、イタリアの調査隊が全員失跡したとも聞きました。
国民の風貌はアラブ的ですが、高原地帯ではキリスト教コプト派が多く、ほかにカソリック、イスラムなど。コプト派の地下教会が各所にあり、洞窟から讃美歌が響いておりました。
歴史を見ると、13世紀から続いたアフリカ最古の独立国のエチオピア帝国に併呑されていた期間が長く、1960年代になって民族独立戦線がエチオピアの反政府革命軍と共闘して、ハイレセラシエ皇帝を廃位してエリトリアの独立を果たしました。
独立戦争ではロシアが反政府軍を援助し、アメリカが皇帝側を援助していましたが、皇帝が退陣するとロシアはエチオピアを援助してエリトリアの独立を妨げ、必然的にアメリカがエリトリアの民族戦線を援助したので、両軍が同じ戦車・武器で戦ったこともあったそうです。当時は「30年間の独立戦争」と言っていました。
一時期、ソ連の半衛星国でしたが、現在も一党独裁で、国際的には検閲国家ワースト10のトップで、報道自由度ランキング最下位だそうです。
なお、ラシャイダ族は、エリトリアで唯一のテント住まいの遊牧民で、サウジアラビアのベドウィンに起源をもっているといわれます。ラシャイダとは難民という意味だそうです。宗教はイスラムのスンニ派で、人口は8万人くらいの少数民族です。
訪問した時は子供たちがフレンドリーでしたが、少女は顔には重くて長いマスクをつけて、目以外を隠していました。成人女性は美しい幾何学模様の衣服で、マスクを着けていましたが、写真を撮るのは憚かられました。
- 交通手段
- 高速・路線バス レンタカー ヒッチハイク 徒歩
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首都のアスマラです。
大統領府など政府の主な機能がここに集中している。 -
「アスマラはアフリカで最も美しい都市とも言われ、標高2350m、年平均気温は17℃で、快適な気候。イタリア植民地時代は第二のローマとして開発され、現在も1920~30年代のアールデコ建築が多数残っている」 そうですが、建物の写真が見つかりません。
これは住宅街です。 -
ハマシェン ホテル。ここに泊まりました。
今でもあります。 -
人口12万人のケレンの町です。アスマラ北西90?、標高1390m。
植民地時代の建築遺産が多く、美しい公共建築物やロマネスク様式のカソリック教会がある。 -
マッサワ:国際的港湾都市。軍事・経済の要衝であり、古くから奪い合いの戦場になることが多かった。独立戦争の当時も激戦地で、町の多くが破壊された。
写真はダラックホテル。暑くて夜は眠れなかった。
有名な水道はイタリアが建設したもので、高原地帯から重力だけで流下し、ポンプ・モーターなしで約100年も稼働して戸別配水されている。 -
戦勝記念公園。
中央の戦車が捕獲した敵の戦車第一号。 -
田舎には小さい町があります。
これは バレンツ(Balentu) という田舎町。 -
国道わきで 大きなサボテンの実を売っていた。
安いけれど上品な甘さです。
アスマラのマーケットでは山積みになって売られていた。 -
郊外に出ると 戦争の跡が各所にあった。
特に戦車が目立った。
最近では「戦車の墓場」という記念公園があるらしい。 -
この戦車は砂に埋もれていました。
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壊れた戦車が緑の中に散らばっている。
道を少しでも外れると「地雷があるからやめてくれ」と言われました。
地雷も、鉱山も同じ Mine なので、私は 鉱山があるのかと誤解していました。 -
ケレンの郊外にはバオバブの樹が多かった。標高は1400mくらいのはず。
葉が刈り込まれているのは家畜のえさにするらしい。
バオバブの実は口に入れると シュワーという感じのラムネ菓子そっくりの味です。」 -
ケレン近くのバオバブの巨木
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ケレン郊外のバオバブの巨木の洞に祀られたキリスト像。
バオバブ教会と呼ばれていた。 -
高原地帯の農民の子供たちはどこへ行っても元気でした。
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高原地帯の 飲料水の状況です。
川原の砂地に穴を掘って 空き缶でくみ出していました。
運搬はロバです。 -
水を運ぶロバ。
ロバはいつでも 悲しそうな眼をしている。 -
子供に手綱をひかれて ラクダも水を運んでいました。
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ラクダが薪を運んでいましたが、飼い主がどこにいるのか判らなかった。」
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高原地帯でも 緑は谷沿いだけに広がっている。
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このような巣をつくる小鳥がいます。タンザニアにもたくさんいました。
ブラブラしますが落ちたのを見たことはありません。 -
アフリカといえばこれ。 ジャカランダ です。
町に近づくと 青い霧がかかっているような感じです。 -
アフリカの高原地帯で 地下水位が浅いところには この植物がみられる。
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もちろん多肉植物が多い。
左奥にはウチワサボテンの 黄色い花と若い実が見える。 -
海岸地帯を西北に、スーダン国境を目指します。
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スーダン国境近くの村です。
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当時の国境は緊張状態で カメラを向けると撃たれると、ガイドが怖がるので
自動車のサイドミラーで国境を撮りました。
よくわからないけれど 遠くの家の先だそうです。
イスラムの指導者が「次のクリスマスはアスマラで」と演説したそうです。
イスラムとクリスマスがどうして・・・・なんて聞けないような雰囲気でした。 -
ラシャイダ族の子供たちです。
遠くにテントがありますが、左奥のテントはサウジアラビアのベドウィン風に
縞模様がありました。
人懐っこい子供たちでしたがポケットにキャンディがなかったのが残念。 -
エリトリアで唯一、テントで生活している純遊牧民です。
ベドウィンのテントにくらべると粗末で 小規模です。 -
ラシャイダの少女。
鼻から下の覆いには銀糸の刺繍があるので ずいぶん重いそうです。 -
ラシャイダ族の女性は幾何学模様の衣服で有名ですが、衣服を寫そうとしましたが、うまくゆきませんでした。
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男性のベストも幾何学模様でした。
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