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(表紙写真)・・・朝日を受けてバラ色に輝くバラの神殿(エル・カズネ)<br /><br /><br />ペトラ遺跡観光<br /><br /> 4日目。昨夜も熟睡して5時半に起床。白みがかった空は今日も快晴だ。旅が始まってから雨の気配もなく、連日雲一つない青空が続いている。窓を開けると、ひんやりとして肌寒い。今朝になってよく見ると、このホテルはかなりの高台に立地している。もう少し明るくなったところで、窓外の景色を撮ってみよう。<br /><br /><br />ペトラ観光は足がものいう<br />今日の予定はもちろん、今度の旅のハイライト、ペトラ遺跡観光である。この遺跡観光では往復10kmも歩くということで、かなりの強行軍になりそうだ。長い距離を歩くらしいとは他の人の旅行記で分かっていたが、まさか10kmも歩くとは想定外のことである。最初の500mは馬に乗って行けるとのこと(この分はツアー代金に含まれている)。<br /><br /><br />また、希望であればシーク(断崖の中にできた裂け目)の入口からその出口まで(2km)は馬車を利用できるし、帰路にはレストラン前からバラの神殿まで(2km)ラクダに乗ることができるという。というわけで、ペトラ観光には脚力が問われるのだ。このペトラ観光が終わると、今宵の宿泊地首都アンマンへ240kmを移動する。今日も強行軍になりそうだ。気合を入れてかかろう。<br /><br /><br />冷え込む朝の気温<br />ホテルを8時出発というので、身支度を整え早目の朝食を済ませておこう。いつものバイキング料理でお腹を満たすと、部屋に戻って窓外の風景写真を撮る。窓を開けてテラスに出ると、少々肌寒い。気温10℃台になっているのではないだろうか? ここはごつごつの岩山が取り囲む山間部なので冷え込みがきついのだろう。このホテルはかなり高い位置にあるようで、眼下には今にもペトラ遺跡が現れそうな入り組んだ岩石山が取り囲んでいる。あのワディ・ラム砂漠で見られた岩山の延長のようだ。地形的にそれと連なっているのかもしれない。この高台にありながら、プールまで備えている。 <br /><br /><br />高い入場料<br /> 8時に出発したバスは10分ほどでペトラ遺跡入口に到着。広い駐車場を抜け、ビジターセンターで入場券を購入すると、いよいよこれから世界遺産ペトラ遺跡の観光が始まる。入場料大人1日券21ヨルダン・ディナール(約3500円)とかなりの高額である。世界から観光客が集い寄るこの地は、国のドル箱的存在なのかもしれない。どの国も世界遺産になっている有名遺跡や寺院などは入場料が高い。<br /><br /><br />ペトラ遺跡のこと<br />首都アンマンから南に262kmの地点、ハイウェーを南に車で3時間半走った所にこのペトラ遺跡はある。その中心は峻険な岩山に囲まれた中にあり、数千年前の古代にこれほどの都市を造ったのかと思うと、当時のナバテア人の優れた知恵、建築技術、灌漑システムなどには、ほとほと驚嘆してしまう。<br /><br /><br />このナバテア人が歴史に登場するのは紀元前4世紀。もともと遊牧民の彼らは人口の増加にともないエドムに定住するようになり、その後ペトラを占拠する。この地は通商上の要地にあり、隊商都市として栄えることになる。砂漠の土地にありながら、彼らは灌漑・貯水システムを持って農業を営み、当時の人口は2万5千人以上にもなったという。<br /><br /><br />しかし、紀元頃になると、ローマをはじめとする諸外国から度重なる攻撃を受けて次第に衰え、紀元106年にはローマ帝国に支配されてしまう。その後3世紀ごろには、イェラシュやパルミアなど北方の都市の繁栄に伴って交易路が変わり、次第に衰退してしまう。またこの頃、数度にわたって大地震が起こり、紀元350年になるとペトラは滅びてしまう。<br /><br /><br />その後の記録は、12世紀の十字軍時代に交易拠点として要塞が築かれていること、13世紀にはベドウィンの小さな村になっていたことなどだけで、それから先は歴史記録が途絶え、1812年の発見(英国系スイス人の探検家ヨハン・ルートヴィヒ・ブルックハルトによる)まで、ペトラは歴史から完全に姿を消してしまう。<br /><br /><br />初めての乗馬体験<br />その古代遺跡をこれから探検ロマンしようというわけである。ガイド氏がまとめて入場券をゲットすると、歩きにくい石畳の道をゲートに向かって進む。門をくぐると、すぐ左手が馬の発着所になっており、そこで順次乗馬する。段差が設けて乗降しやすいようになっているので、女性でもノープロブレムだ。この馬で行ける距離はシーク(断崖の間にできた狭路)の入口までの500mで、その料金はツアー代金に含まれている。また、帰路も同じ馬で戻ることができる。帰路の乗馬の折に、チップ3ドルを御者に渡してほしいとのこと。<br /><br /><br />順番がきたので、デイバッグを首に掛け、よっこらさと乗馬する。ラクダ乗りの経験はあるのだが、乗馬は初めてである。私の馬は若い青年御者で、手綱を持ち彼に引かれて出発である。ラクダのように大きく揺さぶられないので、乗り心地はいたって良い。ゲートからはゆるやかな下り道になっており、石ころだらけの砂利道がシーク入口まで続いている。この悪路を歩くのは大変だ。馬君に感謝である。<br /><br /><br /> 御者の青年は英語が話せるので途中、いろいろ会話しながら進んで行く。<br /> 「英語はどこで覚えたの?」<br /> 「英語学校に行ったんだ。」<br /> 「仕事は毎日忙しいの?」<br /> 「そんなに忙しくはないよ。」<br /> 「この仕事、始めてからどのくらいになるの?」<br /> 「2年になるよ。」<br /> 「兄弟は何人いるの?」<br /> 「8人だよ。」<br /> 「何番目なの?」<br /> 「上から5番目さ。」<br /> 「お父さんも働いているの?」<br /> 「今は引退して家にいるよ。もう年だからね。」<br /><br /> 私が質問すると、相手も必ず同じ質問を私に返してくるので、こちらもそれに応答する。こんなやり取りを交わしながらカッポカッポと進んで行くと、間もなくシーク入口に到着である。ここまで500mの距離、これが帰路も乗れるので往復1km分は歩かずにすむのでありがたい。ここでも降り場の台が設けてあるので楽に下りられる。<br /><br /><br />2kmのシーク<br /> ここから少し砂利道を下ると、その向こうには巨岩の断崖の間に細いトンネルのようなシークの入口が見える。ここから先はその出口まで2kmの狭路が続いているのである。下る途中、鮮やかな民族衣装を身にまとい、短剣を腰に付けた男性が姿を見せる。おや?と思って見ると、遺跡内をパトロールする警備官だという。そのカッコイイ姿は、たちまち皆の記念写真の標的となる。愛想の良い彼は、気軽に撮影に応じてくれる。<br /><br /><br /> シークの入口手前には、往時の貯水池があり、ここから生活用水が次の写真に見る水路で運ばれたのだろう。その説明を受けた後、ガイド氏に案内され、いよいよ出発である。ここから馬車(自己負担)に乗れるのだが、一行の誰も利用する者はいない。ここを馬車で素通りしては、ペトラ観光の意味はなくなってしまう。それは遺跡の重要部分をなしているからである。これがあってこそ、ペトラといえるものなのだ。やはりこの区間だけは、無理してでも徒歩でその様子や雰囲気をじっくりと観賞すべきだろう。ペトラ遺跡の一大特徴でもあるのだから・・・。<br /><br /><br /> 狭い入口を通り抜けると、眼前にそびえる断崖の高い壁が両側に迫ってくる。この断崖の高さは60〜90mもある高さだそうで、これが約2km先まで途切れることなく続いている。シークはきわめて緩やかな下り坂になっており、道はきれいに整地されていてデコボコ面はなく、歩きやすい。最大道幅は約10m、最小幅は約5mぐらいである。<br /><br /><br />ローマン・タイル<br /> この道は地道なのだが、その所々にロマー支配時代の石畳(ローマン・タイル)がそのまま残っている。かなり大きな石畳なのだが、その一部には当時の往き来した馬車のわだちの跡が残っている。こんな痕跡を見ながらロマンにひたれるのも、徒歩ならではのものだろう。このローマン・タイルは、途中数箇所に残っていて鈍い輝きを見せている。これらの石は近郊から運ばれたらしい。<br /><br /><br />裂け目から見上げる青空は印象的<br /> 歩きながら、この高くそびえる断崖の裂け目から見上げるペトラの澄んだ青空はなんとも印象的である。いま、憧れのペトラに立っているんだという実感と感動がじわ〜っとわいてくる。この珍しくも長〜い断崖の裂け目は、太古の時代の地殻変動と先述したように数度の大地震によって生じたものらしい。<br /><br /><br />断崖の裂け目から眺める青空は鮮烈な印象を与える<br /><br />ヨルダンの国鳥<br /> 歩いていると、ふと歩を止めてガイド氏が断崖の上にとまっている小鳥を指差して見せる。その先をよく見ると、スズメほどのピンク色をした小鳥が見える。これはヨルダンの国鳥だそうである。帰国後、調べてみると、「サバクマシコ」という名前でフィンチ類(Finch 主に種子を食べる鳴禽類の総称)の1種らしいということが分かる。<br /><br /><br />壁面に彫られた用水路<br />このシークで驚かされるのは、用水路の施設である。断崖の下部側面を大きく削り、その下部に溝を掘り込んで水路を造っていることである。これをシーク全体に掘り込み、出口の先に送っているのである。用具のない当時のこと、その施工は想像以上の大工事だったに違いない。すごい知恵を持っているものだ。<br /><br /><br /> この狭路は高い岸壁に挟まれているだけに、さすがによく響く。向こうから馬車が走って来ると、ポッカポッカと軽快なひづめの音がシーク一帯に響き渡る。その昔もこのように馬車や馬が走っていたのだろう。恐らくラクダも羊も通っていたに違いない。往時に思いを馳せる材料には事欠かない。<br /><br /><br />壁面に残るレリーフ<br /> また断崖の壁面の至るところに、神々の像や祭祀のための偶像が掘り込まれており、それらが数千年を経た今でも、さほど風化もせずに残っている。ナバテア人の信仰の跡がうかがえる。このペトラ遺跡群はシーク内だけではなく、この近郊一帯に当時の墳墓や祭祀のための建物など数百箇所が広く点在しているらしい。だが、われわれが見るのは、このシーク沿いと、それを抜けた先の主だった遺跡群だけである。周辺の遺跡まで巡るとすれば、ゆうに2〜3日の滞在が必要なのかもしれない。<br /><br /><br />演出効果満点<br /> 壁面に残された神々のレリーフなどの説明を受けながら、止まっては進みするので思ったより疲れない。この2kmのシークも、知らぬ間に通り過ぎてしまうといった感じである。かなり歩き進んだところで、突然、ガイド氏が歩を止め、みんなに2列縦隊になるように指示する。そして目をつむり、前の人の肩に手を置いてそろそろ歩きをするようにとのこと。いよいよシークの終着点に来たのだなという予感がする。ガイド氏はペトラ遺跡のメインイベントをいかに効果的に演出するかに懸命である。 <br /><br /><br />みんな言われるままに目を閉じ、そろりそろりと歩を進めて行く。「まだ目を開けてはだめですよ。」と何度も繰り返しながら一歩一歩進んで行く。そして最後に、「イチニノサンで目を開けます。」と言いながら、ついに「イチニノサン!」と号令がかかる。目を開けた瞬間、断崖の細い裂け目の向こうにバラの神殿の一部が朝日に燦然と輝くのが見える。このペトラ遺跡のシンボル的存在となっている神殿である。みんな一斉に、「お〜〜!」と思わず感嘆の声をあげる。感動の瞬間をより高めようとする、なんとも小憎らしい演出である。これがペトラ遺跡観光のクライマックスの瞬間である。<br /><br /><br />この細い裂け目の向こうに忽然と神殿が現れる。感動の瞬間。<br /><br />この神殿が訪れる者に劇的な感動を与えるのは、視界をさえぎる手前の細くなった狭路から一気に前面が開け、その途端、目前の大岸壁に立ちふさがるようにそそり立つ巨大神殿が現れるからであろう。この狭路を通り抜けるまでは何も見えないところに、その神秘性が感じられ、いたく人々の心を惹きつけるのだろう。これは古代も今も変わらない人間の情感なのかもしれない。<br /><br />(この続きはこちらへ・・・⇒  http://yasy7.web.fc2.com/middle-5.htm)<br /> <br />

ペトラ遺跡観光

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2006/03/19 - 2006/03/20

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yasyas

yasyasさん

(表紙写真)・・・朝日を受けてバラ色に輝くバラの神殿(エル・カズネ)


ペトラ遺跡観光

4日目。昨夜も熟睡して5時半に起床。白みがかった空は今日も快晴だ。旅が始まってから雨の気配もなく、連日雲一つない青空が続いている。窓を開けると、ひんやりとして肌寒い。今朝になってよく見ると、このホテルはかなりの高台に立地している。もう少し明るくなったところで、窓外の景色を撮ってみよう。


ペトラ観光は足がものいう
今日の予定はもちろん、今度の旅のハイライト、ペトラ遺跡観光である。この遺跡観光では往復10kmも歩くということで、かなりの強行軍になりそうだ。長い距離を歩くらしいとは他の人の旅行記で分かっていたが、まさか10kmも歩くとは想定外のことである。最初の500mは馬に乗って行けるとのこと(この分はツアー代金に含まれている)。


また、希望であればシーク(断崖の中にできた裂け目)の入口からその出口まで(2km)は馬車を利用できるし、帰路にはレストラン前からバラの神殿まで(2km)ラクダに乗ることができるという。というわけで、ペトラ観光には脚力が問われるのだ。このペトラ観光が終わると、今宵の宿泊地首都アンマンへ240kmを移動する。今日も強行軍になりそうだ。気合を入れてかかろう。


冷え込む朝の気温
ホテルを8時出発というので、身支度を整え早目の朝食を済ませておこう。いつものバイキング料理でお腹を満たすと、部屋に戻って窓外の風景写真を撮る。窓を開けてテラスに出ると、少々肌寒い。気温10℃台になっているのではないだろうか? ここはごつごつの岩山が取り囲む山間部なので冷え込みがきついのだろう。このホテルはかなり高い位置にあるようで、眼下には今にもペトラ遺跡が現れそうな入り組んだ岩石山が取り囲んでいる。あのワディ・ラム砂漠で見られた岩山の延長のようだ。地形的にそれと連なっているのかもしれない。この高台にありながら、プールまで備えている。


高い入場料
8時に出発したバスは10分ほどでペトラ遺跡入口に到着。広い駐車場を抜け、ビジターセンターで入場券を購入すると、いよいよこれから世界遺産ペトラ遺跡の観光が始まる。入場料大人1日券21ヨルダン・ディナール(約3500円)とかなりの高額である。世界から観光客が集い寄るこの地は、国のドル箱的存在なのかもしれない。どの国も世界遺産になっている有名遺跡や寺院などは入場料が高い。


ペトラ遺跡のこと
首都アンマンから南に262kmの地点、ハイウェーを南に車で3時間半走った所にこのペトラ遺跡はある。その中心は峻険な岩山に囲まれた中にあり、数千年前の古代にこれほどの都市を造ったのかと思うと、当時のナバテア人の優れた知恵、建築技術、灌漑システムなどには、ほとほと驚嘆してしまう。


このナバテア人が歴史に登場するのは紀元前4世紀。もともと遊牧民の彼らは人口の増加にともないエドムに定住するようになり、その後ペトラを占拠する。この地は通商上の要地にあり、隊商都市として栄えることになる。砂漠の土地にありながら、彼らは灌漑・貯水システムを持って農業を営み、当時の人口は2万5千人以上にもなったという。


しかし、紀元頃になると、ローマをはじめとする諸外国から度重なる攻撃を受けて次第に衰え、紀元106年にはローマ帝国に支配されてしまう。その後3世紀ごろには、イェラシュやパルミアなど北方の都市の繁栄に伴って交易路が変わり、次第に衰退してしまう。またこの頃、数度にわたって大地震が起こり、紀元350年になるとペトラは滅びてしまう。


その後の記録は、12世紀の十字軍時代に交易拠点として要塞が築かれていること、13世紀にはベドウィンの小さな村になっていたことなどだけで、それから先は歴史記録が途絶え、1812年の発見(英国系スイス人の探検家ヨハン・ルートヴィヒ・ブルックハルトによる)まで、ペトラは歴史から完全に姿を消してしまう。


初めての乗馬体験
その古代遺跡をこれから探検ロマンしようというわけである。ガイド氏がまとめて入場券をゲットすると、歩きにくい石畳の道をゲートに向かって進む。門をくぐると、すぐ左手が馬の発着所になっており、そこで順次乗馬する。段差が設けて乗降しやすいようになっているので、女性でもノープロブレムだ。この馬で行ける距離はシーク(断崖の間にできた狭路)の入口までの500mで、その料金はツアー代金に含まれている。また、帰路も同じ馬で戻ることができる。帰路の乗馬の折に、チップ3ドルを御者に渡してほしいとのこと。


順番がきたので、デイバッグを首に掛け、よっこらさと乗馬する。ラクダ乗りの経験はあるのだが、乗馬は初めてである。私の馬は若い青年御者で、手綱を持ち彼に引かれて出発である。ラクダのように大きく揺さぶられないので、乗り心地はいたって良い。ゲートからはゆるやかな下り道になっており、石ころだらけの砂利道がシーク入口まで続いている。この悪路を歩くのは大変だ。馬君に感謝である。


御者の青年は英語が話せるので途中、いろいろ会話しながら進んで行く。
「英語はどこで覚えたの?」
「英語学校に行ったんだ。」
「仕事は毎日忙しいの?」
「そんなに忙しくはないよ。」
「この仕事、始めてからどのくらいになるの?」
「2年になるよ。」
「兄弟は何人いるの?」
「8人だよ。」
「何番目なの?」
「上から5番目さ。」
「お父さんも働いているの?」
「今は引退して家にいるよ。もう年だからね。」

私が質問すると、相手も必ず同じ質問を私に返してくるので、こちらもそれに応答する。こんなやり取りを交わしながらカッポカッポと進んで行くと、間もなくシーク入口に到着である。ここまで500mの距離、これが帰路も乗れるので往復1km分は歩かずにすむのでありがたい。ここでも降り場の台が設けてあるので楽に下りられる。


2kmのシーク
ここから少し砂利道を下ると、その向こうには巨岩の断崖の間に細いトンネルのようなシークの入口が見える。ここから先はその出口まで2kmの狭路が続いているのである。下る途中、鮮やかな民族衣装を身にまとい、短剣を腰に付けた男性が姿を見せる。おや?と思って見ると、遺跡内をパトロールする警備官だという。そのカッコイイ姿は、たちまち皆の記念写真の標的となる。愛想の良い彼は、気軽に撮影に応じてくれる。


シークの入口手前には、往時の貯水池があり、ここから生活用水が次の写真に見る水路で運ばれたのだろう。その説明を受けた後、ガイド氏に案内され、いよいよ出発である。ここから馬車(自己負担)に乗れるのだが、一行の誰も利用する者はいない。ここを馬車で素通りしては、ペトラ観光の意味はなくなってしまう。それは遺跡の重要部分をなしているからである。これがあってこそ、ペトラといえるものなのだ。やはりこの区間だけは、無理してでも徒歩でその様子や雰囲気をじっくりと観賞すべきだろう。ペトラ遺跡の一大特徴でもあるのだから・・・。


狭い入口を通り抜けると、眼前にそびえる断崖の高い壁が両側に迫ってくる。この断崖の高さは60〜90mもある高さだそうで、これが約2km先まで途切れることなく続いている。シークはきわめて緩やかな下り坂になっており、道はきれいに整地されていてデコボコ面はなく、歩きやすい。最大道幅は約10m、最小幅は約5mぐらいである。


ローマン・タイル
この道は地道なのだが、その所々にロマー支配時代の石畳(ローマン・タイル)がそのまま残っている。かなり大きな石畳なのだが、その一部には当時の往き来した馬車のわだちの跡が残っている。こんな痕跡を見ながらロマンにひたれるのも、徒歩ならではのものだろう。このローマン・タイルは、途中数箇所に残っていて鈍い輝きを見せている。これらの石は近郊から運ばれたらしい。


裂け目から見上げる青空は印象的
歩きながら、この高くそびえる断崖の裂け目から見上げるペトラの澄んだ青空はなんとも印象的である。いま、憧れのペトラに立っているんだという実感と感動がじわ〜っとわいてくる。この珍しくも長〜い断崖の裂け目は、太古の時代の地殻変動と先述したように数度の大地震によって生じたものらしい。


断崖の裂け目から眺める青空は鮮烈な印象を与える

ヨルダンの国鳥
歩いていると、ふと歩を止めてガイド氏が断崖の上にとまっている小鳥を指差して見せる。その先をよく見ると、スズメほどのピンク色をした小鳥が見える。これはヨルダンの国鳥だそうである。帰国後、調べてみると、「サバクマシコ」という名前でフィンチ類(Finch 主に種子を食べる鳴禽類の総称)の1種らしいということが分かる。


壁面に彫られた用水路
このシークで驚かされるのは、用水路の施設である。断崖の下部側面を大きく削り、その下部に溝を掘り込んで水路を造っていることである。これをシーク全体に掘り込み、出口の先に送っているのである。用具のない当時のこと、その施工は想像以上の大工事だったに違いない。すごい知恵を持っているものだ。


この狭路は高い岸壁に挟まれているだけに、さすがによく響く。向こうから馬車が走って来ると、ポッカポッカと軽快なひづめの音がシーク一帯に響き渡る。その昔もこのように馬車や馬が走っていたのだろう。恐らくラクダも羊も通っていたに違いない。往時に思いを馳せる材料には事欠かない。


壁面に残るレリーフ
また断崖の壁面の至るところに、神々の像や祭祀のための偶像が掘り込まれており、それらが数千年を経た今でも、さほど風化もせずに残っている。ナバテア人の信仰の跡がうかがえる。このペトラ遺跡群はシーク内だけではなく、この近郊一帯に当時の墳墓や祭祀のための建物など数百箇所が広く点在しているらしい。だが、われわれが見るのは、このシーク沿いと、それを抜けた先の主だった遺跡群だけである。周辺の遺跡まで巡るとすれば、ゆうに2〜3日の滞在が必要なのかもしれない。


演出効果満点
壁面に残された神々のレリーフなどの説明を受けながら、止まっては進みするので思ったより疲れない。この2kmのシークも、知らぬ間に通り過ぎてしまうといった感じである。かなり歩き進んだところで、突然、ガイド氏が歩を止め、みんなに2列縦隊になるように指示する。そして目をつむり、前の人の肩に手を置いてそろそろ歩きをするようにとのこと。いよいよシークの終着点に来たのだなという予感がする。ガイド氏はペトラ遺跡のメインイベントをいかに効果的に演出するかに懸命である。 


みんな言われるままに目を閉じ、そろりそろりと歩を進めて行く。「まだ目を開けてはだめですよ。」と何度も繰り返しながら一歩一歩進んで行く。そして最後に、「イチニノサンで目を開けます。」と言いながら、ついに「イチニノサン!」と号令がかかる。目を開けた瞬間、断崖の細い裂け目の向こうにバラの神殿の一部が朝日に燦然と輝くのが見える。このペトラ遺跡のシンボル的存在となっている神殿である。みんな一斉に、「お〜〜!」と思わず感嘆の声をあげる。感動の瞬間をより高めようとする、なんとも小憎らしい演出である。これがペトラ遺跡観光のクライマックスの瞬間である。


この細い裂け目の向こうに忽然と神殿が現れる。感動の瞬間。

この神殿が訪れる者に劇的な感動を与えるのは、視界をさえぎる手前の細くなった狭路から一気に前面が開け、その途端、目前の大岸壁に立ちふさがるようにそそり立つ巨大神殿が現れるからであろう。この狭路を通り抜けるまでは何も見えないところに、その神秘性が感じられ、いたく人々の心を惹きつけるのだろう。これは古代も今も変わらない人間の情感なのかもしれない。

(この続きはこちらへ・・・⇒  http://yasy7.web.fc2.com/middle-5.htm

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
社員・団体旅行
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • ホテルの窓外のテラスから眺めたペトラの風景

    ホテルの窓外のテラスから眺めたペトラの風景

  • ゲートからシーク入口まで500m続く砂利道(馬上より撮影)<br />

    ゲートからシーク入口まで500m続く砂利道(馬上より撮影)

  • 正面向こうの穴がシーク入口<br />

    正面向こうの穴がシーク入口

  • 高い断崖の裂け目

    高い断崖の裂け目

  • そびえ立つ断崖

    そびえ立つ断崖

  • 圧倒する断崖<br />

    圧倒する断崖

  • 見上げる断崖の彼方に青空空間が見える

    見上げる断崖の彼方に青空空間が見える

  • ローマン・タイルの石畳。右側は用水路

    ローマン・タイルの石畳。右側は用水路

  • 断崖の裂け目から眺める青空は鮮烈な印象を与える<br />

    断崖の裂け目から眺める青空は鮮烈な印象を与える

  • この細い裂け目の向こうに忽然と神殿が現れる。感動の瞬間。<br />

    この細い裂け目の向こうに忽然と神殿が現れる。感動の瞬間。

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