2014/09/23 - 2014/09/23
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ANZdrifterさん
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別旅行記の「高崎に滞在して・・・・・往訪」の6連泊の一日、榛名神社を訪れました。
高崎駅西口の2番バス乗り場から、毎時30分発の群馬バス・高崎―榛名湖線で70分、1100円で榛名神社に到着します。途中で一の鳥居を通り過ぎます。
到着場所は神社の参道で、何々坊、云々坊という看板が続いていて、社家通りと書いてありました。写真で紹介します。
表紙写真は御姿岩と本殿。ご神体は御姿岩の洞窟の中だそうです。
社伝によれば、創建は第31代・用明天皇(585〜587年)の時代とされている。明治元年以後、主祭神は火の神「火産霊神・ほむすびのかみ」と土の神「埴山毘売神・はにやまひめのかみ」とされ、水分神、大山祇神、大物主神ほかを合わせ祀っている。鎮火、開運、五穀豊穣などのほか、雨乞いの神社でもあります。
延喜式内社ですが、南北朝のころから上野寛永寺に属していて、明治の神仏分離により元の榛名神社に復したという。
社殿の多くが重要文化財の指定をうけている。とくに表紙写真の本社は後ろの御姿岩と接続していて、神体は御姿岩の洞窟に祀られているという。
修験者の霊場でもあり、古くから榛名講が関東の榛名信仰の参拝者を集めてきた。
榛名講は雹(ひょう)よけ、嵐よけの神とされた榛名神社に参拝する講で、昔の村単位につくられ、東京の狛江では大正期まではほとんどの農家が講に入っていたという。講では穀物か金を集めて、数名が代参する費用とした。代参者は榛名山の宿坊に泊まって詣で、帰ったらお札をくばり、翌年の代参人を籤で決めたという。(狛江市HP教育委員会)
地質学では榛名山は活火山で、気象庁によれば550年ころに二度の大噴火があり、ふもとの各地では火山灰に覆われた王の館や、水田、住居址などのほか、近年には鎧をつけた人骨が発掘されている。
私は、古代のヤマト王権、吉備王権と並んで、120mをこえる巨大古墳を10基も作っていた毛野王権が この噴火によって衰退して、ヤマトに併呑されたと考えております。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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バス停から神社方向を見たところ。
この通りは社家通り。 -
バス停近くの社家の建物。
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これも以前は宿坊。
実際に宿坊をやっているのは ごく少ないという。 -
そば屋の前に社家通りの表示があった
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それでも 何々坊という看板が復元されている。
この」道を登ります。 -
宿坊について の説明。
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いよいよ神域です。
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上の写真の鳥居をくぐると 随神門です。1847年建立の八脚門です。
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三重塔。 メモするのを忘れた。
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三重塔。
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榛名神社は水源神でもあり、その水源井戸がこれ。
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神幸殿 これも重要文化財。1859年の建立。
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神幸殿を見下ろしました。
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境内は石段ばかりです。
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双竜門は石段の上で、こんな巨岩のところにあります。
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双竜門。入母屋造り。銅板葺き四脚門。1855年の建立で重要文化財。
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たしか、双竜門の彫刻だったと思います。
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神楽殿の下部。神楽殿は1859年の建立で 重要文化財。
神楽殿の写真は探索中です -
国祖社と額殿。拝殿に向かって左にある。
国祖社は元は勝軍地蔵と阿弥陀仏を安置していた本地堂で、享保年間(1716-1735)の建築。連続する額殿は1814年の建築。これも重要文化財。 -
拝殿。入母屋造りで本殿との間は幣殿でつながっており、一連の複合社殿。
1806年の棟札がある。華やかな彩色と見事な彫刻が施されている。
もちろん国指定の重要文化財。 -
拝殿の彫刻。
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春日造りの本殿(本社)は御姿岩にはまり込んでいる。
御姿岩の首が切れているが次の写真を参照。 -
御姿岩。
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紅葉にはすこし早い季節でした。
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