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仙台出張で訪問した先の近くに、瑞鳳殿(ずいほうでん)があった。<br /><br />戦国武将で、仙台藩祖の伊達政宗公の霊屋(おたまや)であり、2代目、3代目の霊廟と共に、桃山様式の豪華絢爛の廟建築が見られる。<br /><br />(国宝であったが、戦災で焼失し昭和に再建された。平成の改修で甦った。)<br /><br />歩いてすぐであったため、昼休みを利用して、散策してきた。<br /><br />古い大木の杉並木の中、仙台藩62万石の歴史を感じることが出来、また下っては、仙台のシンボル・広瀬川もじっくり見ることができ、いい散歩となった。

仙台 瑞鳳殿

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2014/10/17 - 2014/10/17

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Wind99

Wind99さん

仙台出張で訪問した先の近くに、瑞鳳殿(ずいほうでん)があった。

戦国武将で、仙台藩祖の伊達政宗公の霊屋(おたまや)であり、2代目、3代目の霊廟と共に、桃山様式の豪華絢爛の廟建築が見られる。

(国宝であったが、戦災で焼失し昭和に再建された。平成の改修で甦った。)

歩いてすぐであったため、昼休みを利用して、散策してきた。

古い大木の杉並木の中、仙台藩62万石の歴史を感じることが出来、また下っては、仙台のシンボル・広瀬川もじっくり見ることができ、いい散歩となった。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
  • 早朝、東北新幹線で移動する。JR仙台駅西口のバス停乗り場。<br /><br />2階通路から1Fに乗り場に降りる。<br />

    早朝、東北新幹線で移動する。JR仙台駅西口のバス停乗り場。

    2階通路から1Fに乗り場に降りる。

  • 駅周辺は工事中が目立つ。<br /><br />調べると仙台は、地下鉄南北線が唯一であったが、来年に東西線が開通する。<br /><br />その乗り換えようの工事だとわかった。

    駅周辺は工事中が目立つ。

    調べると仙台は、地下鉄南北線が唯一であったが、来年に東西線が開通する。

    その乗り換えようの工事だとわかった。

  • 訪問先へは市バス700番になるが、乗客の列に並ぶ人の多さが凄くて諦めた。<br /><br />もう1つのるーぷる仙台という、バスを選択した。<br /><br />これは市内の観光スポットを、ぐるっと一周する一方向だけのループバスだ。<br /><br />このバス停は、写真のような姿ので、解りやすく探すのが簡単で助かる。

    訪問先へは市バス700番になるが、乗客の列に並ぶ人の多さが凄くて諦めた。

    もう1つのるーぷる仙台という、バスを選択した。

    これは市内の観光スポットを、ぐるっと一周する一方向だけのループバスだ。

    このバス停は、写真のような姿ので、解りやすく探すのが簡単で助かる。

  • 一番前に座れたので、運転席を撮ってみた。<br /><br />木目調の内装と、運転帽がシックだ。

    一番前に座れたので、運転席を撮ってみた。

    木目調の内装と、運転帽がシックだ。

  • バスは、青葉通りを進む。

    バスは、青葉通りを進む。

  • 昼休みに、近くの瑞鳳殿に散策する。<br /><br />しばらく登り坂だ。写真左に、無料ロッカーがあった。

    昼休みに、近くの瑞鳳殿に散策する。

    しばらく登り坂だ。写真左に、無料ロッカーがあった。

  • 坂の途中に「鹿児島県人七士の墓」がった。<br /><br />明治十年の西南戦争に敗れ、投降した西郷軍は全国に投獄されたが、宮城県には305人が投獄され、開墾や港湾工事に大きな力を果たしたという。<br /><br />この内、仙台で病死した者がこの地に葬られた。

    坂の途中に「鹿児島県人七士の墓」がった。

    明治十年の西南戦争に敗れ、投降した西郷軍は全国に投獄されたが、宮城県には305人が投獄され、開墾や港湾工事に大きな力を果たしたという。

    この内、仙台で病死した者がこの地に葬られた。

  • その先の左手に、瑞鳳寺があった。<br /><br />伊達藩藩祖、二代、三代のご位牌安置所と書いてあり、入ってみた。

    その先の左手に、瑞鳳寺があった。

    伊達藩藩祖、二代、三代のご位牌安置所と書いてあり、入ってみた。

  • 通路の真ん中に大きな木があった。

    通路の真ん中に大きな木があった。

  • 梵鐘

    梵鐘

  • 本堂

    本堂

  • 花塚<br /><br />花の供養碑。<br /><br />裏面の詩は、『荒城の月』の作詞者としても知られる土井晩翠。

    花塚

    花の供養碑。

    裏面の詩は、『荒城の月』の作詞者としても知られる土井晩翠。

  • 冠木門<br /><br />三代藩主伊達綱宗の側室「椙原お品」邸にあったものを移築。通称は高尾門。

    冠木門

    三代藩主伊達綱宗の側室「椙原お品」邸にあったものを移築。通称は高尾門。

  • さらに登り道が続く。この先が瑞鳳殿。

    さらに登り道が続く。この先が瑞鳳殿。

  • このMAPで、散策ルートがわかる。

    このMAPで、散策ルートがわかる。

  • 左側が入り口で、右は出口だ。<br /><br />杉並木が歴史を感じさせる。

    左側が入り口で、右は出口だ。

    杉並木が歴史を感じさせる。

  • 石造文化財の手水所跡。<br /><br />現在、泉は枯れているそうだ。

    石造文化財の手水所跡。

    現在、泉は枯れているそうだ。

  • 観覧券売場から入ると、すぐ手水があった。<br /><br />飲料水と書いてある。

    観覧券売場から入ると、すぐ手水があった。

    飲料水と書いてある。

  • 手水の先の涅槃門の脇の門を入る。

    手水の先の涅槃門の脇の門を入る。

  • 涅槃門を抜けると段差の高い、昔のままの登り坂だ。

    涅槃門を抜けると段差の高い、昔のままの登り坂だ。

  • 瑞鳳殿に到着。<br /><br />伊達政宗公を祀る霊廟。<br /><br />70歳で亡くなり、翌年ここに埋葬された。

    瑞鳳殿に到着。

    伊達政宗公を祀る霊廟。

    70歳で亡くなり、翌年ここに埋葬された。

  • 国宝であったが、戦災で全焼し、戦後復元され現在の姿となった。

    国宝であったが、戦災で全焼し、戦後復元され現在の姿となった。

  • 瑞鳳殿の脇にある、殉死した家臣・陪臣の宝篋印塔。

    瑞鳳殿の脇にある、殉死した家臣・陪臣の宝篋印塔。

  • すぐ脇に、瑞鳳殿資料館があった。<br /><br />霊屋の再建に先立って各遺跡の発掘調査が行われ、各墓室からは三藩主の完全な遺骨とともに、武具、文具類等数多くの副葬品が発見され、それを展示してある。<br /><br />伊達政宗復元立像は意外に小さく、159.4cmであった。(当時の平均身長)

    すぐ脇に、瑞鳳殿資料館があった。

    霊屋の再建に先立って各遺跡の発掘調査が行われ、各墓室からは三藩主の完全な遺骨とともに、武具、文具類等数多くの副葬品が発見され、それを展示してある。

    伊達政宗復元立像は意外に小さく、159.4cmであった。(当時の平均身長)

  • 瑞鳳殿遠景。<br /><br />豪華で派手な建築だ。

    瑞鳳殿遠景。

    豪華で派手な建築だ。

  • 満海上人供養碑<br /><br />伊達政宗の墓所造営中に、湯殿山修験者の墓が発見された記録にあり、供養碑が建てられたが、その後荒廃した。<br /><br />市民の再建を望む声により、平成元年に再建された。

    満海上人供養碑

    伊達政宗の墓所造営中に、湯殿山修験者の墓が発見された記録にあり、供養碑が建てられたが、その後荒廃した。

    市民の再建を望む声により、平成元年に再建された。

  • 戊辰戦争 弔魂碑<br /><br />戊辰戦争で亡くなった仙台藩士1,260人の慰霊碑。<br /><br />高さ6.74m。

    戊辰戦争 弔魂碑

    戊辰戦争で亡くなった仙台藩士1,260人の慰霊碑。

    高さ6.74m。

  • 少し歩いて広い道に出た。<br /><br />左手に2代目、3代目の仙台藩主の墓所があった。

    少し歩いて広い道に出た。

    左手に2代目、3代目の仙台藩主の墓所があった。

  • 立ち並ぶ板碑(いたび)<br /><br />主に供養塔として使われる石碑の一種だそうだ。

    立ち並ぶ板碑(いたび)

    主に供養塔として使われる石碑の一種だそうだ。

  • 感仙殿(二代忠宗廟)

    感仙殿(二代忠宗廟)

  • ここでは、どれも目の前に霊廟建築を見ることが出来る。

    ここでは、どれも目の前に霊廟建築を見ることが出来る。

  • 感仙殿の隣に善応殿(三代綱宗廟)があった。

    感仙殿の隣に善応殿(三代綱宗廟)があった。

  • 善応殿から、感仙殿を望む。

    善応殿から、感仙殿を望む。

  • 妙雲界廟(右側)<br /><br />感仙殿の右手に、9代周宗の墓、11代斉義の墓、11代斉義の妻・芝姫(あつひめ)の墓があった。

    妙雲界廟(右側)

    感仙殿の右手に、9代周宗の墓、11代斉義の墓、11代斉義の妻・芝姫(あつひめ)の墓があった。

  • 妙雲界廟(左側)

    妙雲界廟(左側)

  • 見所を見て、坂を下る。途中左手に大きな石碑があった。<br /><br />西討戦死之碑<br /><br />西南戦争で戦士した旧仙台藩士で編成された政府軍の149名を慰霊する碑。

    見所を見て、坂を下る。途中左手に大きな石碑があった。

    西討戦死之碑

    西南戦争で戦士した旧仙台藩士で編成された政府軍の149名を慰霊する碑。

  • この辺り一帯は経ケ峯歴史公園であり、散策路が整備されているが、現在は、整備中で入れない。

    この辺り一帯は経ケ峯歴史公園であり、散策路が整備されているが、現在は、整備中で入れない。

  • 下り坂を左折し、少し山中に分け入ると、御子様御廟の案内板があった。

    下り坂を左折し、少し山中に分け入ると、御子様御廟の案内板があった。

  • 参道入口には、五代藩主吉村公以後歴代藩主公子公女の墓所である御子様御廟が置かれていた。<br /><br />かなりの数のお墓と石灯籠が建てられていた。

    参道入口には、五代藩主吉村公以後歴代藩主公子公女の墓所である御子様御廟が置かれていた。

    かなりの数のお墓と石灯籠が建てられていた。

  • 坂を下りきり、大きく蛇行している広瀬川の霊屋橋を渡る。

    坂を下りきり、大きく蛇行している広瀬川の霊屋橋を渡る。

  • 川の上流に沿って歩いてみる。<br /><br />広瀬川段丘と呼ばれるところらしい。<br /><br />この辺りは高級官僚の武家屋敷があったそうだ。

    川の上流に沿って歩いてみる。

    広瀬川段丘と呼ばれるところらしい。

    この辺りは高級官僚の武家屋敷があったそうだ。

  • 道の反対側は仙台高等裁判所内に、「原田甲斐邸跡」の案内板が立っていた。<br /><br />詳しくないが、名前は聞いたことがある。<br /><br />伊達家のお家騒動の中心人物だそうだ。<br /><br />そして福島へ移動し、午後の仕事を終え、そしてまた基点の仙台駅へ戻った。

    道の反対側は仙台高等裁判所内に、「原田甲斐邸跡」の案内板が立っていた。

    詳しくないが、名前は聞いたことがある。

    伊達家のお家騒動の中心人物だそうだ。

    そして福島へ移動し、午後の仕事を終え、そしてまた基点の仙台駅へ戻った。

  • 17時過ぎ仙台駅へ到着。新幹線乗り場の3階の、牛たん通り/すし通りに行く。<br /><br />折角なので、1時間位名物の牛タンを味わおうと3往復しチェックした。<br /><br />どの店も看板メニューを写真付きで大きく掲載していて、おいしそうであるが、たいそうな定食ばかりであった。酒飲みには、定食のどんぶりご飯は遠慮したい。

    17時過ぎ仙台駅へ到着。新幹線乗り場の3階の、牛たん通り/すし通りに行く。

    折角なので、1時間位名物の牛タンを味わおうと3往復しチェックした。

    どの店も看板メニューを写真付きで大きく掲載していて、おいしそうであるが、たいそうな定食ばかりであった。酒飲みには、定食のどんぶりご飯は遠慮したい。

  • どうせ新幹線でも飲むので、飲兵衛用に牛タン+アラカルト的なメニューが望ましかったが・・・。<br /><br />牛タン通りでの外食を諦め、牛タン駅弁と焼酎を買って新幹線で頂くこととした。

    どうせ新幹線でも飲むので、飲兵衛用に牛タン+アラカルト的なメニューが望ましかったが・・・。

    牛タン通りでの外食を諦め、牛タン駅弁と焼酎を買って新幹線で頂くこととした。

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