2014/09/19 - 2014/09/21
500位(同エリア3746件中)
asuwaさん
- asuwaさんTOP
- 旅行記206冊
- クチコミ21件
- Q&A回答83件
- 126,044アクセス
- フォロワー18人
9月の弘法市の21日に合わせて申し込んであった「亰の夏の観光バス」
と翌日の「弘法市」に行きました。
1日目 (金) 自宅〜安達くみひも館〜北野天満宮〜松尾大社〜ホテル泊
2日目 (土) ホテル〜東本願寺〜渉成園枳殻邸〜亰の花街島原の文化と
御屋敷めぐり観光バス乗車(角屋、輪違屋、峰玉亭、拾翆亭、)
〜 ホテル泊
3日目(日) ホテル〜東寺の弘法市〜自宅
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ホテルを8時にチェックアウトして荷物を車のトランク
に入れて車を出さずに徒歩で京都烏丸口の定期観光バス
出発口を確認して東本願寺に行く。 -
東本願寺は「真宗本廟」と言い真宗大谷派の本山です。
-
1602年(慶長7)年に本願寺の12代教如が徳川家康
から寺地の寄進を受けて建立されました。 -
宗祖・親鸞聖人の木造(御御影)を安置する御影堂(
現在修復中)は世界最大級の木造建築です。 -
御影堂と本堂は現在修復中で15年末には終了すると
工事看板に書いて有りました。 -
阿弥陀堂でお参りした後、名勝「渉成園」枳殻邸
(きこくてい)に行く。 -
本願寺の飛び地・境内地で宜如上人(せんにょしょうにん)
が東本願寺を成立させ退隠して自らの隠居所をここに定め
渉成園と名付けました。 -
庭園維持金として一人500円。
尚 私の宗派はお東ですと伝えましたら綺麗に製本
された庭園の小冊子を2冊下さいました。 -
枳殻
-
ハゼ
-
周囲には枳殻を生け垣として植えた事から枳殻邸とも
称されるようになりました。
枳殻の実、と鋭い棘。 -
枳殻
-
庭園案内図
-
枳殻の説明書
-
高石垣
西門を入って正面に見えます。
長い石橋、基礎石、石臼、山石、や瓦などで組み合わせて
築かれています。 全国のお寺からです。 -
臨地亭、 主室は8畳2間
適酔軒 縁側が池中に張り出しています。 -
傍花閣
左右側面に山廊と呼ばれる階段が有ります。 -
傍花閣
-
傍花閣
-
棒葉
-
回悼廊(かいとうろう)
檜皮葺の屋根を持つ橋で中央の唐破風屋根には掛釘
が設けられ、かっては夜半の来客の祈り、金燈籠を
吊って火を灯しました。 -
同じ
-
中央部
-
縮遠亭 茶室です
-
ツバキの木と少し違うようです。
-
印月池
印月池を中心とした約10,000坪の書院式回遊庭園
には風雅な建物を配置、桜、楓等の木が有ります。 -
印月池
建物はすべて明治以降に再興されたとの事ですが
庭園は、ほぼ当初の状態です。 -
印月池
庭園内は渉成園十三景と称される樹石と建物が配置されて
います。 -
印月池
-
萩
-
渉成園には9時50分頃までいて駅の観光バス発着口
に向かいました。
一人 9,000円 -
10時30分発、4時30分迄、
今日はバスが2台出ていて私達のバスには総勢31人でした。
胸にこのシールを張り出発。 -
初めに島原住吉神社にお参り。
-
-
島原は江戸時代以来、公許の花街として発展してきました。
官命によって六条三筋町から現在の朱雀野(しゅしゃかの)
の地に移されこの移転騒動が、九州で起きた島原の乱を思
わせた事から「島原」と呼ばれてきたが、正式地名は「西新屋敷」
です。 -
-
明治以降の島原は次第に寂れて、現在は今の料亭にあたる
揚屋の「角屋」(すみや)と大夫や芸妓を派遣する置屋の
「輪違屋」それに島原入口の「大門」これら3か所がわずかに
往時の名残をとどめていました。 -
輪違屋の前の道路
-
玄関前に有った立て看板。
一般公開は10年ぶり。 -
玄関の屋根の上に輪違屋のマーク入り外灯
-
-
手水鉢
-
灯りを取り入れる天窓。
-
近藤勇の書
-
庭
-
-
島原大門
-
-
角屋
-
通りの風景
-
-
角屋は島原開設当初から連綿と家督を維持しずけ
江戸時代の饗宴と、もてなしの文化の場である揚屋唯一の
遺構として昭和27年に国の重要文化財に指定されました。 -
玄関
-
-
揚屋とは(客を出迎え、2階に客を上げる事から呼ばれた)
置屋から太夫や芸妓を呼んで歌舞音曲の遊宴を行ったところで
あるが、現在の料理屋、料亭にあたる。 -
-
-
大きい座敷に広い庭と大きい台所(約50畳)有り。
-
台所
-
-
-
小さい刀用
-
刀箪笥
-
2階の座敷「傘の間」
ふすまには道中傘の紙が貼りこんである。 -
-
-
-
松の間から見た庭風景
-
松の間
-
イチオシ
松の間からは臥龍松の庭が広がります。
-
-
天井も襖も網代で仕上がっています。
8本の丸太で屋根を支えています。 -
-
-
昼1時過ぎに9年ぶりの公開となる北区の「峰玉亭」へ。
-
入口
-
入った玄関
-
正面はこの様です。
-
3万5000坪の広大な「しょうざん庭園」内に
1962年から3年かけて建設された平屋で数寄屋
造りの迎賓館です。 -
-
ナンテンの床柱、ケヤキの一枚板の床板、廊下はトチノ木、
1万本に一本しか無いと言われています。 -
円山応挙が描いた襖絵も。
-
円山応挙作
-
竹が使われています。
-
ナンテンの床柱を使った床の間とケヤキの1枚板の床板。
-
天井等に多くの、幾種類もの竹が使われています。
-
沢山、竹材が使われています。
全国からよりすぐりの材を集めて贅を尽くしています。 -
トイレの床も欅の1枚板。
-
床は焼き物が使われています。
-
屋根を受けている1本の木、 説明は?
ここにも竹材がふんだんに使われています。 -
この建物、峰玉亭で昼食。
-
昼食後苑内を散策してバスへ。
-
綺麗に手入れがして有る庭園。
-
苔も素晴らしい。
-
-
広大で見事に手入れがされていてる庭園。
-
-
園内に有り。
-
-
-
茶室
-
-
庭、建物、庭石、池、植木、全てに感心しました。
-
市内を南下して京都御苑に向かい、苑内の「拾翆亭」に。
-
京都御苑
-
パンフレット
-
天皇に次ぐ公家の最高位・五摂家の一つ、九条家の別荘です
-
-
二階の座敷から東側を見ると勾玉池を中心とした庭園は
見事で木が生い茂っていて今は百日紅の花が咲いていました。 -
-
約200年前に再建された公家屋敷は、茶会、歌会、
等の社交や風流を楽しむ場として使われた。 -
-
-
勾玉池から建物を撮りました。
-
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
115