2014/09/26 - 2014/09/26
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paopaojijiさん
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東京メトロ茅場町を降り、徒歩2分のところにある立ち食い風のおいしい蕎麦屋さん「たかね]があります。そこで天せいろ600円と注文、10割蕎麦でゆでたての蕎麦、揚げたてのかき揚げを頂きました。CPの非常に高いお店で昼時は満杯です。まずは大満足です。
その隣には日本橋日枝神社摂社がビルの間を入ったその奥にあります。天正18年(1590)の創建で、寛永年間に永田町の山王日枝神社の祭礼の際、神輿の休息所である御旅所が設けられて境外摂社となったそうで、明治10年(1877年)、それまでは御旅所山王宮という名称でしたが、無格社日枝神社と改称し、大正4年(1915年)、山王日枝神社が官幣大社に昇格した際に摂社日枝神社と改称したそうです。
現在の社殿は関東大震災後の昭和3年(1928年)の造営。境内には摂社の明徳稲荷神社があり、境内は周囲をビルに囲まれてはいるが、あわただしい街の中で安らぎを感じさせてくれます。
日本橋方面行くと右手に近代的な東京証券取引所の立派な建物がありその先に鎧橋があります。その下を日本橋クルーズの船が通って行きました。東京日本橋の橋のたもとにある「日本橋船着場」から発着する"東京湾クルージング"の「日本橋クルーズ」45分で大人1500円、子供800円とお手ごろ価格です。
しかも食べ物・飲み物も持ち込みOK、生ガイド付きの優雅なクルージングが楽しめます。
橋を渡ってさらに進むと小網神社 (強運厄除神)があります。
文正元年(西暦1466年)、庵の周辺で悪疫が流行し、人々は困り果てていました。そんななか、網師の翁が海上で網にかかった稲穂を持って庵を訪れ、数日間をこの庵で過ごしました。ある夜、庵の開基・恵心僧都が当時の庵主の夢枕にたち、網師の翁を稲荷大神と崇めれば、村の悪疫は消滅することを告げます。 夜が明け、網師翁の姿は庵にはありませんでしたが、庵主は恵心僧都の託宣を村人たちに告げ、翁を小網稲荷大明神と称え、神社を創建して日夜祈願をつづけました。すると間もなく村の悪疫は鎮まり、村人たちは歓喜したといわれています。
領主・太田持資公(道灌)も、この御神徳を聞き、折に触れて、当神社を詣でました。そして土地を寄附し、小網山稲荷院万福寿寺と名づけたと伝えられています。慶長年間(西暦1596〜1615年)には、これらにちなみ周辺地域が小網町と名づけられ、当神社を氏神と崇めました。
明治維新後の神仏分離令によって社寺は分離、小網稲荷神社として明治6年7月5日、村社に指定されました。現社殿・神楽殿は、大正期の明治神宮造営の工匠長・内藤駒三郎宮大工一門により、昭和4年に造営されました。その後の戦禍を免れ、現在は日本橋地区に残されている唯一の木造檜造りの神社建築となっています。特に、向拝に施された「昇り龍」と「降り龍」の彫刻は見事なもので、「強運厄除の龍」として拝されています。戦後の宗教法人化に伴い、名称は「小網神社」となりました。社殿・神楽 殿などは現在、中央区の文化財に登録されています。
昼時にぷらっと散歩するには良いコースです。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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