2014/09/25 - 2014/10/19
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eimeiさん
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昨年11月に帰国したが、次男が9月下旬に結婚することになり、旅の再開が4月初旬から9月下旬に変更になった。往復チケットの復路の分がフイになったが、父親不在の結婚式はありえないので、仕方ない。
その間、時間があるので、韓国、マレーシア・タイ、フィリピン、北海道にバックパッカーとして旅をした。
今年は、もうすぐ10月なので、バイクの整備をブタペストのレットバロンにしてもらい、東欧の小旅行をして、ブタペストへ戻ってくる。それまでに、バイクをエジプトへ送る良い方法が見つからなければ、バイクをレッドバロンに預け、エジプトへ飛行機で飛び、バックパッカーとして東アフリカを旅する予定でいる。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 徒歩 バイク
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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東欧の小旅行の大きな目的は、プラハで展示会が開かれているミュシャの連作絵画「スラヴ叙事詩」及び再度の訪問となるアウシュビッツ(特に、ビルケイナウ収容所)です。
コースとしては、ブタペスト→ブラチスラバ→ブルノ→プラハ→クラフク→(ワルシャワ→クラフク)→ブタペストの予定。天候によっては逆コースになるかもしれない。小さくて分かり難いが、紫のコース。 -
9月25日、早朝に家を出て、昼前に関空へ到着。
ヨーロッパまでLCCが飛んでいないので、スカイスキャナーで一番安いエアーチャイナの関空から北京経由でウィーンへ行く航空券を57,000円で1ヶ月前に取っておいた。 -
今回、荷物はこれだけあり、総重量40Kg。手荷物は、23Kgを2個まで無料なので、タイヤと段ボール箱を手荷物として預けた。旅行鞄は、機内持込みサイズなので、ショルダーバックと共に機内へ持ち込んだ。
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北京空港での乗り継ぎ時間が9時間もあるので、日本から持参したカップヌードルが夜食。中国の空港内にはカップラーメンも売っているし、熱湯がでる器機も設置してある。おかげで、中国元に両替しなくて済んだ。
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9月26日早朝、ウィーン空港に到着。乗客の多数が中国人であったが、旅慣れた富裕層のためか、マナーも良かった。
空港で荷物を受け取り、ネットをして、出ようとしたら、係員に止められ、段ボールを開ける羽目になった。係員に止められていたのは、有色人種で大きな荷物を持っている人ばかりであった。
リムジンバスでウィーン西駅へ行き、列車でブタペスト東駅に着いた。 -
昨年、駅前は工事中であったが、整備され、綺麗になっていた。
ブタペスト東駅から定宿のアンダンテホステルまで荷物を引きながら2キロほど歩いた。折りたたみ滑車はボロボロになってしまった。
歩いている途中に、ゴミ箱をあさっている人々をよく見かけた。1年前にはほとんど見かけなかったが。貧富の差がさらに広がってきているように感じる。 -
9月27日、レッドバロンへドラムとバスを使って行こうと、ドラムの駅へ歩いて行く途中にオペラ劇場の前を通ったら、今日はハンガリーのオペラ130周年らしい。
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ドラムとバスは、共に25%ほど値上げになっていた。貧しい人々には、ますます暮らすのが大変になってきている。
レッドバロンで、今西さんには会えなかったが、日本語のできるスタッフにタイヤなどを渡し、整備を依頼した。30日の午前中に、整備済みのバイクを受け取りに行く予定。
帰りに、乗り継ぎの近くにある公園に寄ってみた。教会が風景に溶け込んでいる。 -
池の反対側から撮ってみた。
もう紅葉が始まっている。
ブタペストの人々は、コートをはおって冬服を着ている人もいるし、Tシャツ一枚の人もいる。 -
今日は、土曜日なので家族連れもよく見かけた。子供は1人か2人がほとんど。日本と同様、教育などを考えると子供2人が限界のようだ。
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9月28日、今日は、休養日で天気も良いので、ホステルから鎖橋まで歩いて行った。
途中にあった公園の観覧車。当然、乗らず。 -
やっと鎖橋に到着。日曜日のせいか、人出が多い。
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鎖橋を渡り、いつもの場所でパチリ。5年前にあった落書きが綺麗に消されている。
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橋から降り、ドラムを入れ、パチリ。
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橋の反対側を歩いて、ドナウ川の下流方面をパチリ。天気がよいので写真映えがする。
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ホステルへの帰りがてら、聖イシュトヴァーン大聖堂へ向かった。
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徐々にビルの間から見えてくる。ヨルダンのペトラ遺跡のようだが、比較するのがヤボ!
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大聖堂の全体像。当然、中には入らず。
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大聖堂の入口近くにかけてあった幕。「迫害されている人々にキャンドルを!」
多分、シリア、イラクの近辺の避難民を指していると思われるが、歴史から考えると、何か腑に落ちない。 -
昨年、見かけなかったレンタル自転車が何カ所もあった。
2時間5ユーロ程度で借りることができる。 -
9月30日午前、レッドバロンへバイクを受け取り、帰り道にブタペスト市内をドライブ。
ドナウ川沿いの教会近くで休憩。 -
1年ぶりに丘へバイクで行き、ブタペストの街を見た。天気が良いので特に美しい。
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10月1日朝、曇りのブタペストのアンダンテホステルを発ち、スロバキアの首都ブラチスラバへ向かった。昼頃、ブラチスラバ近くになったら、雨がパラパラし始め、探すのに少し手間取ったが、無事、予約したユースホステル(1泊10ユーロ)に到着。夕方には、雨が本降りになってしまった。
久しぶりに200キロも走ったので疲れた。 -
ホステル近くの風景。ブラチスラバはドラムが縦横無尽に走っているので、慣れないと運転しづらい上、一方通行ばかり。人口が少ないせいか、地下鉄はない。
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散歩がてらブラチスラバの街を歩いていると、共産主義時代のモニュメントを発見。東欧では、共産主義時代のものは、ほとんど壊された中で貴重な存在。
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散歩の帰りに、激安スーパーLiDLに寄り、買い物。明日の朝食など、地元の人にも人気があり、レジも相当込んでいる。EU圏全般に出店している。
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明日の朝食など、これだけ買物しても、3.5ユーロ。
明日は、雨の可能性も高いので、このユースホステルにもう1泊し、歩いて観光地へ行ってみる予定。 -
10月2日、昼前からブラチスラバ観光へ歩いて出かけた。まず、一番有名なブラチスラバ城へ向かった。丘の上に見えるのが、ブラチスラバ城。
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ブラチスラバ城は入場料が必要なので、ドナウ川沿いから眺めるだけ。天気が回復し、美しい。
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ブラチスラバ城と道路を挟んで反対側にある聖マルティン教会。これもなかなか美しい。
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さらに少し歩いたとこにあるミハエル門。
この近辺は、観光地なので、日本人の団体観光客も多く見かけたが、年配の人ばかり。 -
ドナウ川に架かる橋を渡って、対岸から見たブラチスラバ城と聖マルティン教会。
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橋を渡ったところにある展望タワー。
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昇るとこんな風景が見えるらしいが、入場料6.5ユーロと聞き、退散。
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橋の下には落書きも多いが、このような壁画もあった。なかなかの出来栄え。
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橋を渡ったとこにあるショッピングモール。ブランドショップが並んでいるが、そんなに売れていないようだ。スロバキア人は、堅実そうな人が多いので、衝動買いをしないのではないかな。ハンガリーより貧富の差が小さいように感じる。
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ショッピングモール近くの公園に寄ったら、紅葉している木も多かった。
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帰りに橋を渡りながら、ドナウ川を上る船を撮ってみた。流れがそこそこあるので、歩く程度の速さで上流に荷物を運んでいる。
明日は、150Kmほど離れたチェコのブルノへ移動する予定。ユースホステルを2泊14ユーロで予約したが、どんなホステルになるのやら。 -
10月3日、9時頃、ブラチスラバを出発し、慎重に運転し、ブルノのホステルに12時頃に迷わず到着。GPS様々。2泊で14ユーロのホステルなので心配していたが、普通のホステルだった。ただ、中心街まで2〜3Km離れているが、バイクがあるので問題ない。
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チェックインが午後2時からなので、荷物を預け、バイクで中心街へ行って、両替・観光をしてきた。
チェコ第二の街だけあり、落着いた雰囲気の街です。スロバキアはユーロだったが、チェコスロバキアが分離して以来、チェコはコルナという通貨のまま。経済的にはユーロを導入できるはずだが、まだ、自国通貨を守りとおしている。
また、ブルノの郊外にサーキット場があり、チェコグランプリのレースが開催されることでも有名。
ブルノの一番の中心街。 -
両替所近くの聖ペテロ聖パウロ大聖堂。余りに高いので、フレームに入りきらない。
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少し離れたところから見た聖ペテロ聖パウロ大聖堂。
明日は、西の丘の上にあるシュピルベルグ城へバイクで行く予定。 -
10月4日、普通のホステルだと思っていたら、夜になると1階のクラブが開店し、深夜まですごい音楽。震動がベッドまで伝わってくる。寝不足気味の中、午前中、プラハのユースホステルの予約し、10月26日のブタペスト→カイロのエアチケットを3万円ほどでネットでとった。10月26日まで東ヨーロッパ滞在が決定した。
昼頃、天気は良くないが、ブルノの西の丘の上にあるシュピルベルグ城へバイクで行った。 -
城の中には、博物館があり、少し値段が高かったが、入ってみた。お城として使われなくなってからは、監獄として利用されていた。当然、ナチスも監獄として利用した。ほとんどが撮影禁止。
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シュピルベルグ城から見たブルノの南側の街並。
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シュピルベルグ城から見たブルノの北側の街並。
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帰りに、ショッピング兼遅い昼食を取りにショッピングセンターTESCOへ寄った。50ユーロ両替もした。
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フードコートの中華の店で、久しぶりにご飯を食べた。周りの店は閑散としているのに、中華の店「パンダ」だけは、長蛇の列。それにしても、中国人のたくましさには、尊敬の念さえ抱く。
明日、200Kmほど北西にあるプラハへ移動する予定。 -
10月5日、ブルノのユースホステルを8時半に出発し、昼過ぎにプラハのユースホステルに着いた。
2泊で20ユーロで、朝食付き。 -
早速、荷物を預かってもらい、プラハ市 国立美術館へバイクで直行。
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プラハへ来た目的は、アルフォンス・ミュシャ(1860年〜1939年)の20枚に渡る大作集「スラヴ叙事詩」を見るためです。
入場料180コルナ(7ユーロ)払い、入場したら。
日曜日というのに混んでいないし、観光客らしき人もあまり見かけない。 -
反対側の通路も、余りの大きさと多さに呆然!
写真はフラッシュを使わなければOK。 -
全部は紹介できないので、入口から近いほうから抜粋して紹介。
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上の方ははしごに登って描いたのかな。多い少ないはあるが、宗教色がどの絵にも入っている。
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中央下をアップ。目線、表情まで細かく描かれている。
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屏風のように立体感を出しているが、スケールがでかい。
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西スラヴ民族(主に、チェコ人、スロバキア人、ポーランド人)が弾圧された時代も描かれている。
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ミュシャはグラフィックデザイナーとして日本でも有名だが、その絵はお金を得るための手段だったように思われる。
本当に描きたかった絵は、人生の半分をつぎ込んだ「スラヴ叙事詩」だと思われる。ピカソの「ゲルニカ」を超えるのは、今のとこ「スラヴ叙事詩」しかないと個人的には思っている。 -
左下をアップ。目線、すねた表情まで細かく描かれている。
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神話や歴史、スラヴの国々とその民族、あらゆるスラヴ的な題材に溢れていて、ゲルマン、ラテンと並ぶもうひとつのヨーロッパの大きなグループの存在を示す絵。
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スラブ民族の歴史・文化を絵に残さなければいけないという使命感と同時に、ミュシャの執念を感じずにはおれない。解説書などいらない、圧倒的な臨場感で伝わってくる。
「スラヴ叙事詩」は、スバキアの小さな村のお城で展示されていたが、プラハ市 国立美術館での展示は、2014年末までとなっている。来年以降の展示場所は未定。 -
最後に、ミュシャのグラフィックデザイナーとしての作品の1つをインターネットから紹介。どこかで見たことがあると思います。
少しはミュシャワールドを堪能してもらえたかな?
明日は、天気が良ければ、プラハの街を散策したい。 -
10月6日朝、明日の宿(ブロツワフのホステル)の予約をしたりして、昼前に観光へ歩いて出かけた。
まずは、国立博物館。 -
次に、坂を下って、ヴァーツラフ広場。広場というより遊歩道になっており、白いバラが美しい。
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さらに下って、旧市街日広場。
昨日の美術館と違い、すごい人人人。絵にかいたような観光地。 -
ビルダビァ川に架かるカレル橋が有名で、ここから望むプラハ城の風景は美しいが、天気が今一。
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カレル橋の様子。これまた人人人。
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振りかえっても人また人。6年前に比べ観光客が増えた。発展途上国中心に豊かになった人が増えたせいかもしれない。
橋を渡った丘の上にあるプラハ城は6年前に行ったので、橋の途中で引き返した。 -
ビルダビァ川沿いに歩いたとこから、カレル橋とプラハ城を望む。
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プラハの街で見つけた面白いことを紹介。
まずは、ICEPUB。お酒も氷のジョッキで飲むらしい。マスコットのしろくまが可愛い。 -
おじさん二人の大道芸人(静止系)。二人でボソボソ話をしているし、体がゴソゴソ動いていた。真面目にやれ!
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交差点で演じていた大道芸人。演じ終わって、チップをもらいに車を回っていたが、もらえたのかな?
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セルフタイマーを使った自分撮りの道具。日本ではあまり見かけないが、韓国人がよくやっていた。ネットで調べたら、「セルカ棒」と言うらしい。名前の由来は、「セルフ」+「カメラ」=「セルカ」で、考案したのは、韓国人。
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帰りに、LiDLと同様にEU内でチェーン展開しているBILLAに寄って、お買い物。
明日は、200Kmほど北東にあるポーランドのブロツワフへ移動し、1泊、その後、クラクフへ移動します。 -
10月7日、朝食が8時からなので、9時前に出発したいと準備したら、ガーミンのナビの調子がおかしいので、操作していたら、出発が9時半になってしまった。コースは最短の山越えコースを選んだ。
チェコの山間部の美しい建物の所で記念撮影。 -
高度が上るに従って、紅葉も美しくなってきたので、そこでも記念撮影。
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快調に山岳道路を走り、ポーランドとの国境にさしかかっても看板しかない。EUはいいな!
ポーランドも山岳道路を快調に走っていたところ、下りのカーブでオーバーランし、転倒。道路より下で転倒したので、自分ひとりで引き起せない。「HELP ME!」と叫んだら、車が1台止まってくれ、2人の男の人が手伝って、引き揚げ、起こしてくれた。英語で、お礼しか言えない自分が情けない。
被害は、太もものかすり傷、ズボンの破れ、バイクの一部の破損。修理、調整したら普通に走れた。 -
転倒と後処理で2時間ほどかかり、ナビも調子がおかしくなってしまった。山を下ったところのマックのWiFiで、タブレットをナビとして設定した。近くのTESCOで両替と買物をし、ブロツワフへ向かった。しかし、今度は強烈な横風にあおられるはめに。
結局、ブロツワフの街に着いたのが、4時半過ぎ。近代的な部分と昔ながらの部分がミックスされ、なかなかよいではないか! -
ブロツワフのホステルに着き、5時頃チェックイン。予定では2時に着くはずだったが。
奥に入ったところに、入口と駐車場がある。1泊朝食付きで、9ユーロ。
今日は何をやってもダメ。ついてない1日であった。疲れた。
明日は、クラクフへ移動予定。無理せず、慎重な運転をしなくっちゃ! -
10月8日、朝から雨が降っていた。昼後まで待っていたが、止まなかったので、ブロツワフのシナモンホステルにもう一泊決定。昨日の転倒のことがあるので、無理は禁物。
延泊も決定したので、ホステルの人の勧めもあり、ブロツワフの街を散策してみた。「地球の歩き方」にもこの街は載っていないが、美しい街でヨーロッパからの観光客も多い。
午後3時頃から雲が切れ始め、日差しが照ってきたので、夕方の写真をアップ。
旧市街地の観光スポット。 -
同じく、旧市街地の観光スポット。もっと天気が良ければもっと艶やかだろうに。
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街の北にあるOdra川の中州にある教会。微かな夕日に照らされた教会が美しい。晴れていれば、夕日に照らされた教会がもっと美しいだろうに。
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中州との間に架けられた橋の両側には、これ以上は無理というほど鍵がかけられていた。
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ポーランドの若者(男女共)がよく煙草を吸っている姿を目にしたので、値段を調べてみた。国産で400円弱、外国ブランドで450円以上する。ひょっとすると闇で安く買えるのかもしれない。
明日は、1日遅れて、クラクフへ移動予定。 -
10月9日、朝8時半にブロツワフのホステルを出発し、順調に1時半頃クラクフのホステルに着いた。
2泊で15ユーロほど。クラクフは25度もあり、暑いぐらい。 -
ホテルに荷物を預け、バイクで旧市街地へ行ってきた。完全に観光地そのもの。
クラクフの旧市街地は、第二次世界大戦で焼けなかったので、昔のまま残っている。ワルシャワなどは、再建された街です。 -
オブジェもあり、よい雰囲気。
静止系の大道芸人も何人か立っていた。 -
川の方へ移動し、夕日に照らされた教会を取りに行った。
橋の上で写真を撮ってもらうことを若者にお願いしたら、日本語が返ってきたので、ビックリ。大学で少し日本語を習ったようだ。
明日は、アウシュビッツ収容所跡へ日帰りで行く予定。 -
10月10日朝、6年前にも訪れたアウシュビッツのビルケイナウ収容所跡へバイクで向かった。
アウシュビッツは、アウシュビッツ収容所とそれが処理能力が限界になったので、南に3Kmほど離れた場所にビルケイナウ収容所が作られ、その二つを合わせてアウシュビッツと呼ばれ、負の世界遺産になっている。ちなみに、もう一つの負の世界遺産は広島の原爆ドーム。
まずは、入口前の引込線上で、記念撮影。 -
収容所の敷地内へ入ったとこから見た引込線。朝早いのですいている。
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一直線に引込線路沿いを歩き、先端から見た、入口方向。6年前には、花や蠟燭が供えてあったが、今はない。
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引込線路の先端の先には、碑が新しく作られていた。
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その横には、ガス室跡が保管されている。証拠隠滅のため、爆破された跡。ドイツが敗戦後、冬にここを訪れた連合軍は、凍りついた膨大な遺体に呆然としたという。ブルトーザーで遺体を集め、この敷地内に、埋めた。今も何万もの遺体が埋まっている。
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建物も復元されたものが並んでいる。
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建物内は、三段に板が敷いてあるだけのベッド。
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他には、穴の空いただけのトイレ。
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だだっ広い敷地内の真ん中に貨車も残されている。
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高校生ぐらいの年齢の若者がツアーで多くやってきている。ドイツからは当たり前として、イスラエルからも何組も来ていた。
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6年前と大きく違うのは、少し離れたとこに大駐車場ができていたこと。もっと鄙びたとこだったのに。
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アウシュビッツ収容所の方は、ビルケイナウ収容所以上に混んでいた。
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それ以上驚いたのは、駐車料がとられるのは我慢できても、入場料を10ユーロもとるのには驚いた。6年前は、無料だったのに。仕方なく、退散。
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クラクフの街へ帰ってきて、昨日行ってないとこへ行ってみた。
川沿いで上へ上がるだけのバルーンをやっていた。乗船の値段は知らない。 -
気温も25度近くあり、暑いぐらい。のんびりしている。
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川沿いをうまく公園・遊歩道・自転車道にしている。日本も見習わなければ。
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木陰でイチャついているカップルを盗撮。昼間から人前でイチャイチャするな!(うらまやしいではないか!)
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新婚さんに遭遇。Congratulations!
バイクをホステル前の歩道に駐輪していたら、大の大人が「腹が空いているので、何か下さい」と近づいてきた。スニッカーズしか持ってなかったので、それをあげた。そしたら「お金を少しください」と言ってきたので、拒否した。すんなり引き下がり、「サンキュー」と言って去って行った。近くには、1千万円もするポルシェが歩道駐車されている。東欧全般(発展途上国全般)に言えるが、時流にうまく乗れた者とそうでない者の格差は日本の比ではない。
明朝、クラクフを出発し、安全運転で、休憩をとりながら、夕方、ブタペストへ着く予定。二度と転倒しないぞ! -
10月10日早朝、朝食と一緒に昼食用サンドイッチを作り、クラクフのホステルを8時頃出発した。最短コースを選んだので、霧に悩まされながら、山間部へ入っていく。
山間の地道を400Km弱走り、夕方までに、ブタペストへ到着できるか自信が持てないが、最悪、途中のペンションに泊まればよい。
ポーランドとスバキアの国境。EUなのでフリーパス。 -
途中の山間部の村。なかなか風情がある。
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こんな一般道を400Kmも走る。日本の一級国道並み。ただし、街以外の制限速度は80〜100Km。
今日は天気もまずまずで紅葉も美しいので、スロバキアやハンガリーのライダーが何台もツーリングに来ていて、手で挨拶をしただけでも総数30台以上。バイクは右側通行だと、空いている左手で挨拶できるので楽だ。 -
山間部にはスキー場もあり、ペンションもたくさんある。天気が今一歩なので、紅葉の美しいが引き立たない。
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スバキアとハンガリーの国境。EUなのでここもフリーパス。
休憩を何回もとり、ブタペストのアンダンテホステルに午後4時過ぎに無事着くことができた。クタクタで、60歳を超えてから、毎年毎年、体力の衰えの早さを感じる。
ヤマハVMAXで日本からみえた静岡の渡辺さんもアンダンテホステルに宿泊されていたので、再会でき、いろいろ話ができた。 -
10月11日の夜、バイクでブタペストの夜景を撮りに行った。
鎖橋の隣の橋から撮ったドナウ川と鎖橋。遊覧船も多く出ている。 -
バイクで山を登り、上から見たドナウ川と鎖橋。何度見ても、素晴らしい。函館の夜景といい勝負だ。
今後、10月26日のカイロ行き飛行機まで、ハンガリー及びスバキアの東部のツーリングへ出かける予定。 -
10月16日、再び、ブタペストから小小旅行へ出かけ、ブタペストから100kmほど北東にあるエゲルという町に滞在している。
エゲル郊外の温泉へ入りに、バイクで行った。
おや、ここはトルコのパムッカレか? -
よく見ると、人工的に造ったものに、温泉を流しているだけだった。現在、二つめを作っている最中で、全部で三つ造るようだ。リゾートホテルの目玉にしたいようだ。しかし、一つ目はなかなか雰囲気を出している。日本には多くの温泉があるが、湯量が豊富な温泉地の一つが、目玉として大規模に造ったらどうだろうか。
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10月18日、宿がエゲルの郊外にあるので、中心街へ初めて行ってみた。小さな町だが、観光客も多く見かけた。町の中心の広場から、エゲル城がよく見える。
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エゲル城へ入場(有料)し、城の城壁からエゲルの街を見てみた。ハンガリー第3の古都といわれるのも納得。
気温が高いので、ミツバチが多く飛んでおり、左腕を刺されてしまった。その際、ショルダーバックを落としてしまい、中に入れてあったタブレットのガラスにヒビが入り、タッチしても反応しなくなってしまった。
宿へ帰り、妻に予備のタブレットを航空便で送ってもらうように連絡した。 -
10月19日、5泊もしたエゲルから200Kmほど走り、スロバキアのスピシュ城に寄り、午後2時ごろレヴォチャの宿に着いた。スピシュ城は廃墟しか残っていないので入場(有料)せず、外から見ただけだが、周りの風景とマッチして美しい。NHK-BSの自転車旅の番組でスピシュ城を紹介していたので、一度行ってみたかった。
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スピシュ城(世界遺産)は、モンゴル帝国の攻撃から守るために造られた城で、今泊まっているレヴォチャの町はモンゴル帝国の攻撃を受けた。日本の鎌倉時代に、東は日本、西は東欧まで広げようとしたモンゴル帝国は凄いの一言。その当時の一番早い移動手段は馬だったのに。
すぐ近くより、離れたとこから見た方が、スピシュ城は美しい。 -
レヴォチャの町は、スピシュ城から西に20Kmほどのとこにある小さな町。城壁の外側の道をバイクで一周するのに5分もかかりません。町の中心にある市庁舎と教会。
明日の夜から天気が崩れてくるので、明日、ブタペストへ戻る予定。 -
10月20日朝、レヴォチャのホステルをバイクで出発。途中のスバキアの名もない町の教会。朝靄をバックに美しい。
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スバキア東部の東西方向の高速道路は、建設途中で、一部開通している。地形が日本そっくりなので、橋を架けたり、トンネルを掘ったりで大変な工事。南北方向の高速道路は、まだ着工されていない。
夕方、無事、ブタペストのアンダンテホステルに到着。
これにて東欧小旅行終了。
26日の飛行機でカイロに飛び、バックパッカーとして、「じじいの一人旅(エジプト編)」を始める予定。
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