2013/12/31 - 2014/01/01
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大晦日と2014年の新年をテヘラン(Tehran)で過ごしました。イランのお正月は1月1日ではなく、「ノールーズ(nowruz)」と言われ、日本の春分の日と同じです。
イランの首都テヘランでは大気汚染が深刻化していて、首都の移転が検討されています。大気汚染の酷い日は政府が学校の休校や屋外での活動を制限していて、市民の生活にも支障が出ています。人口が首都に集中し、直下型地震発生の懸念も移転の必要性の理由の一つに挙げられています。
テヘランの冬の風物詩ともなっている大気汚染、光化学スモッグですが、到着時(2013年12月25日)と比べてそれほど酷くなくて助かりました。実質2日程度過ごしてみただけですが、頭痛や吐き気を感じそうになりました。大気汚染は北京より深刻かもしれないと思いました。
それはさておきテヘランの街歩きで気づいたことや素顔のテヘランを少しご紹介します。(何でも発信するのは憚られますので少しです。)
- 旅行の満足度
- 2.5
- 観光
- 2.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 1.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エミレーツ航空 イラン航空
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シーラーズ国際空港です。
ところで、2000年以降、イランで1,000人近くの搭乗客が約16の航空機事故で亡くなっています(直近の事故は2014年8月10日、セパハン航空5915便がテヘランのメヘラーバード国際空港を離陸直後に墜落して約50人亡くなっています。公式発表していない貨物機等が撃墜されて墜落されている事故などもあります。)
欧米諸国がイランに圧力をかけるため経済制裁を課し、イランでは航空機の部品交換が難しいです。
1974年にイラン航空のテヘラン−羽田間の路線のサービスが世界でも45機しか製造されなかったボーイング747-SPで開始されましたが、経済制裁が原因で、2011年11月1日以降、イラン航空の成田−テヘラン便は運休し、イランと日本間の途中着地無しの直行便は姿を消しました。
現在、イラン航空の特定の機種は、安全管理体制の問題が原因で、欧州連合が練り上げたブラックリストに掲載されています。新しいイランの大統領ハサン・ローハニは交渉できる立場にいます。2013年11月に1979年にイランで起こったイスラム革命後途絶えていたイランとアメリカ間の直行便を再開することを提案しましたが、その後はあまり進展していないようです。
ローハニ大統領に替わったので今回のイラン旅行を決断しましたが、まだあまり改善しておらず、イラン旅行はもう少し待ったほうがいいかもしれませんね。
スーパー・インフレで、この1年間で飛行機代、入場料などは15倍から20倍に跳ね上がっています。生活必需品すら値上げで買うのが難しいらしく、政府の配給もありますが、庶民の生活は大変厳しいです。 -
Iran Asseman Airlines“IRC3787”にてシーラーズ国際空港 (Shiraz Shahid Dastghaib Int'l) からテヘランのメヘラーバード国際空港に向かう際の搭乗券。
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IRC3787便は定刻の15時45分にシーラーズ発でテヘランに17時15分に着くようで、ほっとしました。遅れないのはミラクルです。
イランとアメリカの関係改善によって短期間で解決可能になる問題があります。例えばイランの航空産業の切迫した問題を改善できます。多くのフライトがちょっとした事故が原因でキャンセルになったり遅れたりしています。いくらかの遅延は欧州のいくつかの国によるイランの航空機への給油拒否が原因です。さらに交換用の部品の取り換えや同じ資材との取り替えは未だに解決していない死活問題です。どれも人権蹂躙と同じだと思います。 -
Iran Asseman Airlinesの機体はFokker 100(フォッカー100)でした。オランダの航空機メーカーであったフォッカーが開発した小型双発ジェット旅客機で、座席数は名前のとおり100席です。
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1時間30分のフライトで嬉しい機内食。
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テヘランの上空は相変わらずスモッグ。雪が降っていないだけマシですが。北京やニューデリーより大気汚染は酷いと思います。核兵器開発疑惑による欧米の経済制裁や公共交通機関の整備の遅れで大気汚染の悪化は年々進み、呼吸器疾患などで年間4,000人以上が亡くなっています。
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空気が汚れていて、息苦しいほどなのが一番辛い。
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テヘランで泊まった「Parsian Kowsar Hotel」のロビーです。落ち着いた調度品に心が和みました。
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テヘランで泊まった「Parsian Kowsar Hotel」のお部屋です。全97室のこじんまりした4つ星ホテルです。
Address : Tehran Parsian Kowsar Hotel
No 8 Shahid Malaee Ave, Vali E Asr St, Tehran, Iran
Opposite the Post Office
Zip Code : 1415673768
Email : info@booking.ir
Contact : 00982188998635-6
Fax : 00982188263697 -
バスタブもシャワーも使いやすく、最後の1泊に相応しいホテルでした。
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大晦日(2013年12月31日)の夕食はホテルでいただきました。
イラン滞在中何度も「キャバーブ」(ペルシャ語で「ケバブ」)を食べましたが、イラン異国情緒の味、滴る肉汁、美味しい「キャバーブ」を忘れまいと最後の夕食でも注文しました。
イランでは自宅のご飯が一番という人が一般的で、外食はほとんどしないそうです。
そういう人たちにとって外食とは「ごちそうを食べること」で、メニューはワンパターンで大抵は「キャバーブ」なのです。 -
ホテルのテレビで東宝の1950年代の『ゴジラ』を観ました。
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イランでは憲法で民間放送を禁止しているため、イラン国内の放送は全てイラン・イスラム共和国放送(IRIB)の製作によるものしかありません。9日間の旅行中、どんな音楽でもいいから聴きたいと思っても、堅苦しい討論番組やコーラン朗詠ばかりでした。
だから、『ゴジラ』を観てうるっときて、娯楽に飢えている自分に気づきました。 -
ホテルのロビー。個性的なインテリアとオリエンタルなハンドメイドカーペットも素敵です。
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2014年1月1日(水)、ホテルの朝食会場。
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ヨーロッパのホテルと同じようなビュッフェ(BUFFET)。飲み物もいろいろで、お正月気分になりました。
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2014年1月1日(水)の朝食は大満足でした。滞在中、人参ジャムが気に入って、お土産に瓶詰の人参ジャムを買いました。
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朝食後、テヘランの町を肌で感じるため、朝の散歩に出かけました。
見ていてわかるほど、圧倒的にプジョーやサイパが多いです。プジョーが多いので、経済制裁とか言いながら、フランスはちゃっかりイランにいろんな物を輸入していると思いました。実際、シャーの時代にキーシュ島にパリからコンコルドが定期的に飛んで着て、美食の数々、お洒落な洋服、何でもイランで手に入っていたそうです。プジョーはイランで生産しているのかもしれません。それぐらい多かったです。 -
テヘランの町なみ。華やかさはないです。色は制限されていると思いますし、お天気は大気汚染で常に曇り、この日は雪で曇天でした。
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イランではイラン・イラク戦争の戦死者を殉教者として称えているので、国中に顔写真や似顔絵のバナーがあり、建物に名前と一緒に描かれています。
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テヘラン中心部は映画館が非常に多いです。
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イラン・イラク戦争の殉教者でも活躍した方は建物の壁面に大きく描かれています。
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テヘランなど大都市を除いてイランにはほとんどスーパーマーケットはありません。バザールで買い物をするのが一般的です。生鮮食品、お菓子、日用品などをまとめて買えるスーパーマーケットをテヘランで発見でき、紅茶を買いました。
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朝はマイナス5℃で、雪が降りました。北部には雪に囲まれた山岳地帯があるのでテヘランでは冬は雪が降り、大雪になることも珍しくないです。
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テヘラン(首都圏)では再開発も進んでいて、更地になっているところがあちこちに見られました。細い建物が斜めに傾いているようにも見えました。
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タクシーとバスは黄色。
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イランの蜂蜜は美味しいです。お土産に買いました。
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ポストは黄色。
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黄色い車は全部タクシー。テヘランでは市内中心部に乗用車は入れないよう制限されていて、黄色いタクシーか緑色のタクシーとバスのみ。車の色も指定されていて、自由はありません。
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テヘランのショッピングセンター。
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パーティードレスも売っています。人前で肌を見せない女性たちもホームパーティーでは結婚式さながらに着飾り、親族の前では大胆に肌を見せるのです。
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Parsian Kowsar Hotelの玄関です。
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スーパーで買ったイランの紅茶(ティーバッグ)。期待していなかったので、帰国後にその美味しさに驚きました。
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一旦、ホテルに戻ったのは10時40分ぐらい。お掃除が始まっていました。
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テヘランのバザールの入口です。巨大な迷路の始まりです。地元の人でも入ったら出てこれる自信はないそうです。
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市場の外でチェスに興じる男性たち。
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女性のブラジャーなども大っぴらに売っていました。髪やお尻を隠さなければならないお国柄なのに大胆ですね。しかも原色ばかり…。ベージュの商品がほとんどありません。
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“真っ黒黒子”とでも呼びたいような、全身真っ黒なオバQルックの女性たち。後姿をそっと撮影しました。
1980年代前半に放映された『おしん』がイランでは大人気。待ちを歩いていると、笑顔で走り寄って来て、「日本人でしょ。私『おしん』が大好き。あなたは?」と話しかけられることもしばしば。「30年以上前に放映されたドラマだけど…。」とお伝えするも、握手を求められたり、「日本人に会えて感激。」なんて言われます。こちらもスカーフ、サングラスで腰まで隠れる上着を着ているのにどうして日本人とすぐわかるのか不思議。 -
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バザールの一角にあるモスク。
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買い物をされているお二人の女性。全身真っ黒なオバQルックの女性が多く、布地なのか人間なのか気づかないほどでした。
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バザールの中で考えられないほどの大量の布や絨毯を運ぶ人に何度もすれ違いました。
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この方は生地屋さんの社長で、以前埼玉県で住んでいたこともあり、流暢な日本語を話されました。
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ジャージー素材の生地見本を見せていただきました。
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ありとあらゆる素材、色の生地を扱っていらっしゃいました。
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買い物が終わったら店員さんとお客さんが握手して帰るシーンを何度も見ました。
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バザールの人気レストランに入ったので、まず座るところを確保するのが大変でした。
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バザール内のレストランで食べた鶏肉ご飯。ご飯は「チェロウ(白いご飯」で、黄色いサフランライスと「ゼレシュク(赤いザクロの実」が混じっています。
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テヘランのバザールでドライフルーツやナッツ類に心惹かれました。イチジクを1kg買いました。もっと買いたかったですが、スーツケースの重さを気にして諦めました。
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味見をさせていただいて、いちじくを1kg買いました。
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テヘランの地下鉄。今回は利用しませんでした。
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この方は立派に描かれていますが、イラン・イラク戦争で最も活躍した殉教者だそうで、学校で名前も教えられているそうです。
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テヘラン郊外のエマーム・ホメイニー空港に到着しました。
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出発まで4時間近くあり、時間を潰すのに困りました。まずミントティーを注文しました。
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イチゴのアイスクリームを買って食べました。
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空港の売店で売られていたピスタチオの入ったギャズ。
イスファハンに滞在しているとき、ピスタチオがたくさん入ったギャズを買いました。ギャズはペルシャの伝統的なヌガーの名前で、イスファハンのギャズがイランでは最も有名で、イランの農園では大量のピスタチオを生産しています。
ピスタチオの配合率が高いほどお値段も高くなります。 -
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エミレーツの機内で充実したエンターテイメントを楽しみました。
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イラン滞在中、全く聴くことができなかった洋楽や邦楽に飛びついて、むさぼり聴きました。
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2014年1月1日(水)21時20分テヘラン発ドバイ行きのEK978便に乗っていた日本人は私たちのみ。猛吹雪の中、相当傷んだ滑走路をガリガリと離陸しました。前が全く見えないほど、雪が打ち付けているのを座席モニターで確認しました。
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どの国のどのあたりの上空を飛行するのか真剣にチェックしました。
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ホテルでも機上でもメッカの方向を確認するのが習慣になりました。
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2014年1月2日(木)3時ドバイ発関空行きのEK316便はオーバーブッキングで、11月にチケット購入時点で満席で、割増料金を払ってチケットを確保したので、無条件にビジネスクラスに変更となりました。眠ろうと思えば、男性客室乗務員がマットレスを持って飛んできてくださり、感激しました。
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シャンパンをいただきました。
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EK316便です。
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どの国の上空を飛行するのかは常に最大の関心事です。
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定刻どおりドバイを3時に離陸しました。
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ドバイ〜大阪間の軽食としていただいたカプチーノケーキ。コーヒー味のケーキにキャラメルで和えたオレンジピールがトッピングされていて、バニラソースとダークチョコが添えられて、とても美味しかったです。
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ドバイ〜大阪間の軽食として選択した車海老のスイートチリソース添え。
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ドバイ→大阪便の朝食です。フルーツ、パン、コーヒー、フレーバーヨーグルト。
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イングリッシュトマト、新鮮なきのこを使った付け合わせ、ポテトのレシュティを添えたアスパラガスのクリーミーオムレツ。
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大晦日にシーラーズのホテルで7枚のペルセポリスの絵葉書を書き上げ、元日にテヘランで投函しました。予想よりとても速く、10日要して、2014年1月11日(土)に自分宛ての絵葉書を受け取りました。消印は「1392年第10月11日」で、イスラム化前のペルシャ帝国のゾロアスター教に由来するペルシャ暦によるものです。イランでは1年は春分の日、通常は3月21日に始まります。
イランの郵便事情は悪く、おそらく厳しい検閲があります。「ロンリー プラネット イラン」の読者の実際の経験によると、届くのに大変時間がかかり、時には2か月以上かかるとのことです。私は絵葉書の1枚1枚にイランを称賛するおべっかを書きましたが、もっと遅れて到着するものと思っていました。4年前にシリアで書いた絵葉書はボロボロになって1ヶ月後に届いたようでしたが、今回は綺麗な状態で超特急で日本に届きました。
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