2014/09/13 - 2014/09/14
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crambon1948さん
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愛宕山の西北、平安時代から畑作が行われていた嵯峨越畑集落の棚田と蕎麦を訪ねた。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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越畑へ向かう最短距離のコース上にある景勝地を通るため、出発は6時前。昨年の台風18号による災害を受けた渡月橋周辺は復旧していた。
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橋を渡り、北へ向かう。
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山陰線の踏切を渡り・・
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清凉寺を右折すると
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嵯峨豆腐森嘉が。40年ほど前、掌に載せた豆腐に醤油をかけて貰い、店先で立ち食いをしたこともあった。
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ここを左折し・・・
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更に北上。
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化野を過ぎ・・・
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鳥居本を左折、府道50号線へ。
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道路は完全舗装。
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六丁峠を越え・・・
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高度を下げる。
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一つ目の隧道。
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二つ目のトンネルを潜ると・・・
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おっとろしいカーブが。
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山陰線の保津峡駅は橋上だ。
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府道を逸れて
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駅へ。
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駅前広場で朝食。サンドイッチは奥さんと半分コ。
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鳥すきの美味しい店もある柚子の里。
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清和天皇は都から山野を跋渉し、この地に着いた。晩年ハンセン病を患っていたので御陵を水尾にした。(地元の人の話)
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尚も
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進むと
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樒原の棚田が。
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コスモスが秋風に揺れる。
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越畑の棚田から地蔵山を望む。山向こうの芦見から水を引くことで、田圃での稲作が可能になった、と言う。
またこの越畑水路は、明治18年に着工した琵琶湖疏水より前に共用されていて、疏水工事の主任技師、田辺朔郎が建設の参考にしたとも。(地元生まれの人による) -
地元生まれの人によると、越畑の地名由来は地蔵山や愛宕山の「腰」にあたり、用水に恵まれない土地柄で平安時代から畑作が盛んだったところからきたと言う。
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フレンドパーク「まつばら」で蕎麦を。風味、味とも申し分ない。
ホームページ
http://business4.plala.or.jp/k-fp/ -
そばプリン。洋風の「そばがき」って感じ。とても美味。
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帰路は京都縦貫道から。
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桂川。
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初めて経験する
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ロータリー交差点。(ラウンドアバウト)
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