2014/08/20 - 2014/08/22
117位(同エリア325件中)
みなみんさん
日本に18(富岡製糸場入れて)しかない世界遺産ですが、その中で最も渋いと思われる「石見銀山遺跡とその文化的景観」を訪ねてきました。石見銀山柵内は昔の鉱山跡である間歩が点在し、昔の街並みもそっくり残っています。また温泉津温泉は小ぢんまりとした温泉街、鞆ヶ浦と沖泊の銀の積み出し港は何もない漁港然としているなど、京都や奈良と比べると恐ろしく素朴な、渋い世界遺産です。しかしながら、その歴史的背景を学んでから行かれると中世の大航海時代の終着点(ポルトガル人やスペイン人からすると最終目的地)がここだと強く感じることができるでしょう。フランシスコ・ザビエルも石見の銀を目当てに遥々インドのゴアから布教名目で日本にやって来たはずです。そんな世界に鳴り響いた石見の銀も江戸時代に入ってピークを付けた後は鳴かず飛ばず、明治に入って大資本が採掘を手掛けてもすぐに撤退と、何とも不思議な歴史を刻んでいます。そんな渋すぎる世界遺産石見銀山の見どころを巡って来ました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今回の旅行も三世代家族旅行となりましたので、大阪の両親と合流し伊丹空港発の小さいプロペラ機(Saab340)で出雲縁結び空港まで。定員30名強の小さい飛行機は初めて乗りましたが、ジェット機とは違った空を舞っている感がいいです。出雲空港までは1時間であっという間、小さい出雲空港でしたのでレンタカーの借り出しもスムーズでお宿の温泉津温泉まで暫しのドライブです。
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二泊する温泉津温泉も世界遺産の構成要素の一つです。薬師湯と元湯の二つの外湯があり、特に薬師湯はその建物の外観が見どころとなっています。本当でしたら薬師湯に入るところなんですが、泊まったお宿「輝雲荘」さんの内湯は薬師湯と同じ源泉から湯を引いているということで、お宿の温泉で満足してしまい薬師湯さんには入らず。夜はライトアップもされていてお隣の旧館(現在はカフェです。)がご立派。
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輝雲荘さんの内湯。薄めの茶褐色のお湯で結構熱め。温泉津温泉唯一という露天風呂からは温泉街の屋根が見えます。
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朝は5時から営業されてます。地元の方が入浴されに来てました。温泉津温泉の街並みは谷筋沿いに道が一本、京都の鰻の寝床風建物が密集しております。
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薬師湯と元湯は斜向かい、元湯のお湯はかなり熱いらしいです。
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温泉街の坂を下って海へお散歩。歴史的建造物が並んでおりますが、やはり人が住んでおられるので生活感のある街です。観光地という程の賑わいはありませんが、実にしっとりとした潤いのある街並です。
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途中にある龍御前神社。土曜日の夜はこの神社の祠で石見神楽が見れるようです。
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小さいスーパーの前を通ると海です。温泉津湾はかなり入り組んだ湾のようで全く波のない港となっております。
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港のすぐそばにある祠。岩を刳り貫いてつくってあります。中は結構広い空間です。
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薬師湯旧館。立派な洋館ですが、なぜ外湯の建物がこんなに立派なものなのか。昔の温泉津温泉はそれほど栄えていたのでしょうか。
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さて、朝食後石見銀山のある大森に向かいます。温泉津からですと本当に近いです。平日だったためか、朝が早かったためなのか、大森の銀山公園にある駐車場はガラ空きでした。銀山遺跡と大森の街並みがすぐ近くの駐車場に車を停め、まずは龍源寺間歩まで。両親+ガキ1名の3人はベロタクシーに乗って坂を登って行きましたが、後から聞くとベロタクシーのおにいさんが大汗をかきながら坂を漕ぎ登るのを見ていると気の毒で・・・ということでかなり恐縮してました。まぁ、お仕事なんだから、と思うのですが。
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川沿いの遊歩道は夏でも涼しく、適度に見どころがあるので飽きません。
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お寺が散在しています。なぜこんな山の中にお寺があるのか、と不思議ですが昔はここに何万人もの人が暮らしていたんです。
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何箇所か間歩(坑道跡)があります。こんな狭い入口で人間がどうやって入っていたのだろうかと不思議な光景です。
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龍源寺間歩です。間歩番号500番。現在一般的に入れる唯一の坑道跡です。銀山公園の観光案内所でご当地ワオンカードを勧められましたが、ワオンでの支払いで100円割引になるようです。
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間歩内部はかなり大きくて大人でも普通に歩いてゆけます。途中手掘りの跡もあり、よくこんな狭いところで作業できていたなと感心します。
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間歩はほぼ真っ直ぐに伸びてゆきますが、途中にはたくさんの枝分かれしたとても狭いトンネルがあります。大人だとしゃがんで歩いても狭いくらいのもので、銀の鉱脈に沿って掘り進んだものらしいです。
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これらの枝分かれトンネルはかなり奥まで伸びている模様で、入れないようにしてあります。子供なら入っていけそうです。
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手掘りの跡です。
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イチオシ
夏休み期間中でしたが、間歩内部は我々のみ。一人だと怖いくらいです。
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イチオシ
狭い枝分かれ坑道もライトアップされています。しかし狭い。
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かなり坑道内を歩いて、身体が冷えきったところで坑道跡は柵がされて行き止まりになっています。この先もまだまだ続いているようです。
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坑道はほぼ直角に左に曲がって観光用にするために掘られた出口へと進むトンネルを進んでゆきます。龍源寺間歩は一つの尾根をトンネルで抜けるような構造になっていて、一つ手前の谷に出てくる構造になっていました。
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地質学的な説明板。やはり仙ノ山の上層部に優良な鉱脈があって、これらの鉱脈は江戸時代初期の頃までに掘り尽くされ、それ以降は永久鉱床という地中深くの鉱脈を掘っていたそうですが、明治期になると出水対策で採算に乗らなくなってしまったようです。
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間歩出口に置いてある、普通の石と鉱石。右側の黒っぽい石が銀鉱石で、持ってみると重さが全然違います。やはり、銀や銅を含んでいるために普通の石英質メインの石よりも重いようです。
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銀鉱石を粉々に砕くために用いた石盤です。大久保長安登場以前は戦国時代に神谷寿貞が朝鮮半島よりもたらした灰吹法により、銀鉱石を粉々に砕いて溶融し鉛と混ぜて銀と鉛のアマルガム(合金)にしていました。(銀は鉛とくっつきやすいという性質を利用します。)銀鉛合金はもう一度高温にして、融点の低い鉛を取り除くことによって純度の高い銀を精錬してゆきます。徳川時代になってからの大久保長安は水銀アマルガム法を導入したようで、この時代から銀の生産はピークを迎えています。水銀は鉛よりも金銀と結合しやすくて、精錬時も簡単に蒸発させることができるため非常に効率のよい精錬方法ですが、精錬をしている人にとってはとても有害な作業です。(現代では理科で習った電気分解による精錬をしているようです。)
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鉱山の神様、佐毘売山神社です。龍源寺間歩出口から少しだけ歩いたところの右側に急な石段があります。
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神社のあたりには、昔の石垣があります。その昔の鉱山が現役だった頃には、こんな山の中ですが、多くの人が住んでいたとのことです。今では全く見る影もなし。
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とても立派な神社です。今では無人の神社となっており全く寂しい雰囲気です。
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山を降りてゆくと、まだまだ間歩があります。福神山間歩です。
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新切間歩は川の向こう側にあります。
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清水山精錬所跡。明治期になり全く寂れていた石見銀山は同和鉱業の前身である藤田組に買い取られ銅をメインに営業しようとしたらしいですが、やはり採掘量が足らずこんな立派な製錬所まで作っておきながら1年余りで撤退したとのことです。
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棚田状になっていますが、建物等は一切なしで石垣だけです。
藤田組は台北の瑞芳近辺の鉱区を手中にしており、有望な鉱区に人を貼り付けるのが効率の良い経営ですから、効率の悪い鉱山は後回しになってしまうんでしょう。 -
山から降りると次は街並みの見学です。やはり古い街並みがそのまま残っていますね。
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イチオシ
石州瓦の黄色い屋根が続いています。
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両親と奥さんは街並み見学を続けるとのことですが、やはり地質学に興味のあるおっさん一名は別行動を取ります。大森の谷筋から見上げる要害山にある山吹城跡を遠く望みます。夏の暑い日だったので、さすがにあの山の上の城跡までは行けません。
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向うは本谷地区の鉱区跡です。江戸時代になってから(大久保長安以降)開発され、膨大な量の銀を産出した谷です。銀山公園から車で10分弱、大久保間歩、釜屋間歩を擁する本谷に移動します。
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本谷下の駐車場は最近整備されたばかりのようで、トイレも完備。この日は車は1台も停まっていなかった、ということは全くの一人ぼっちでお散歩です。
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駐車場から歩いて最初は林道ですが、林道を登り切ると金生坑跡です。この間歩は大久保間歩の水抜き(排水)用に作られた穴とのことで、間歩から小川が流れてきています。とてもじゃないですが近寄って中を覗くことは不可能。
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金生坑跡から山道に入って5分ほども急登するとどこからか冷気が漂ってきます。真夏の昼間なんですが、とても心地よい空気です。さらに登ると水蒸気が流れてきて、よく見るとそれが大久保間歩の入口でした。入口は龍源寺間歩よりもさらに大きく、
冷気が吹付けてきます。大久保間歩は奥でどこかに通じているので空気が流れてくるのでしょう。 -
残念ながらこの大久保間歩は土日限定ツアーでのみ入れまして、この日はガッチリ鍵が掛かっていました。中を覗くと馬に乗って入れるとは思えませんが、とても大きい坑口です。坑口の前に立っていると吹きすさぶ冷気で寒いくらいです。石見銀山を代表する間歩です。次回来る時はツアーに参加して中に入ってみようと思います。
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さらに山道を数分登ると釜屋間歩です。岩壁に縦の割れ目があるだけ。
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これが釜屋間歩の内部ですが、こんなところから鉱石を担いで運んでいたとはにわかには信じられません。
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イチオシ
釜屋間歩の右手に不思議な構造物があります。岩を掘って作った階段です。
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この構造物、未だに不明な事が多いのですが、現地の案内板では祭祀施設とのことで最上部には祭壇があったとのこと。人が住めるほど広くもないですし、まぁ何のための階段か、は分かりません。
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さらに数分登りますと本間歩です。この間歩も坑口が異常に小さいです。この辺りは岩場になっており鉄の階段が設置されております。
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本間歩の向かい側には岩場あって、その岩がピンクがかって見えます。何らかの鉱物資源か? やや赤いということは辰砂(水銀化合物)なんでしょうか。崩落防止のためか鉄のロープでグルグル巻になっています。
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そしてさらに登ると突然平坦地になります。これが石銀地区なのか、人が住めるくらいの広さは十分です。銀の山を放浪しているともう集合時刻、スタコラ山を下ります。まるでトレイルラン。
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さて、世界遺産石見銀山は山だけではありません。銀鉱石の積み出し港であった地も二箇所登録されています。まず訪れたのは仁摩にある鞆ケ浦。琴が浜という鳴き砂で有名な砂浜のすぐ横にあるリアス式海岸(現在の社会科ではリアス海岸と教えるらしい。)で、陸地が入り組んでおり水深もかなり深いということでいわゆる良港です。トンネルを抜けるといきなり鞆ヶ浦の港です。
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ですが、今では完全な鄙びた漁港となっており世界遺産らしさはどこにもないです。でも、これがいいんです、こんなところにお土産屋さんなんかがあったら興ざめも甚だしい。
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昔からある船の係留装置、鼻ぐり岩。結構あちこちにあって、今では漁船が係留されています。ここの岩ももろくて加工がしやすいようです。
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岩盤が波の浸食によって奇景をつくっています。いわゆる洞門です。
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堤防からはコンクリート製の橋を渡って対岸の小島に渡れます。島の上には神社があってその裏手からは琴ヶ浜を一望できる岩場になっています。でも気をつけないと海に落ちてしまいそうになるので要注意です。
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堤防側から見るとこんな小さな島なんですが、神社があります。
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かなり入り組んだ地形です。ここは戦国時代には銀の積み出し港兼水軍の根城となっていたところですが、実際に来てみるとよく理解できる地形です。
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次に戦国時代後半から銀の積み出し港となった温泉津温泉にほど近い沖泊にも行ってみました。温泉津温泉から少し海岸方面に向かうと小さいトンネルがあり、抜けると入江が見えます。坂を下ると沖泊の集落です。ここも極めて鄙びた漁港然としていますが世界遺産です。そんな素振りは全くないところが潔いです。
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沖泊は民家が数軒あるだけの寒村です。鞆ヶ浦と言い、ここと言いこれが世界遺産になってしまうのですから、さすがイコモスも良い仕事してます。最近の構造物なのでしょうか、水汲み施設がありました。昔は北前船もここで水を汲んでいたのでしょう。
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沖泊もやはりかなり入り組んだ入江になっています。
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沖泊の外海側にある櫛島にも行ってみました。今ではキャンプ場になっていますが、沖泊の湾としての姿は沖泊集落よりもこちらの方が実感あります。夏にはおもしろく遊べそうなところです。
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昔はこういうところで荷物の積み下ろしをしていたのでしょうか。
結局、石見銀山と二つの積み出し港、それから温泉津温泉と世界遺産をグルッと巡って楽しんだ二日間でした。このまま帰るのはもったいないので、玉造温泉にもう一泊して帰りました。
両親も満足していただけたようで、何とか親孝行にはなったようです。
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