
1992/08/13 - 1992/08/13
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ツリカケ君さん
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本格的に廃線跡が趣味となった頃の記録です。
久々に実家に戻った際に、たまたま写真を見つけたので
アップしてみました。
当時中学2年、友人との泊り旅行中に立ち寄った場所です。
自分の趣味(性癖)を押しつけ、結構無理くり廃線探しを組み込んだ・・・
と記憶してます。
体力的にも時間的にも歩くのはシンドイので、上田駅から
レンタサイクルを利用し線路跡を追いました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル
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-
上田交通の真田・傍陽(そえひ)線は昭和47年に廃止されました。
小学生の頃持っていた私鉄電車の本に、上田交通は今の別所線のほかに
いくつも路線があり網の目のように走っていた、と記事があり、いつか
見に行きたいと思ってました。
ただし、当時はネットもなく、廃線跡雑誌も皆無の状況。
でも事前情報は少しでも欲しい・・・ということで古本屋を何軒もめぐり、
当時の記事が載っている雑誌をひたすら探しました。
目星は廃線年月の翌月あたり!
ようやく入手したのが、写真の雑誌です。
まぁ、大変というよりは楽しんでましたが(笑)。 -
真田・傍陽線の起点は上田駅。ここから北方面に伸びている路線でした。
上田駅は、今では新幹線も開通し、当時より賑わっているように感じます。
真田・傍陽線の上田駅跡は、当時東急ホテルの建物が立っていました。
(写真は無しです・・・今みたいにデジカメがあれば撮ってたかな。
フィルム代も現像代も掛かったので、撮影枚数も節約する時代でしたね。)
路線は上田駅を出ると、信越本線沿い(長野方面)に少し並行して走ってました。
写真は、上田駅側を写したものです。
当時はなんとレールが残っていました。
当時でも廃線後20年経過。よく残ってましたね。
*今この敷地は新幹線の高架橋が立っている場所です。 -
上の写真を反対方向に見た写真です。
ここから信越線を離れ、進路を北にとります。 -
少し進むと上田城址があります。ここは、かの有名な真田親子の居城。
真田親子はこの上田城を拠点に、この地で徳川秀忠の大軍を押し留め、
秀忠は関ヶ原の合戦に大遅刻。家康にお説教の憂き目にあいます。
ただし当時はそんな興味はなく上田城は素通りでした。(もったいない…)
話を戻して線路跡ですが、なんとその上田城のお堀に線路が引かれていました。
少し先に見えるのが北大手駅跡。ホーム跡は今も健在です。 -
雑誌に載ってた同一地点です。
-
お堀を過ぎると、線路跡は住宅街に埋もれてしまいます。
所々に痕跡はありますが、見つけるのなかなか困難でした。
写真は橋台の跡です。
廃線跡のなかで橋台は結構残ってます。
残っていても実害がないのと、撤去費用が掛かる等が要因ですかね・・・。 -
住宅街を抜け郊外まで来ると、路線跡もまだまだ発見できます。
写真は神科(かみしな)駅跡。ホームが健在でした。
今この辺りは、上田菅平ICの敷地となっているようです。 -
続いて発見できたのは、樋ノ沢(ひのさわ)駅跡。
こちらもホームが残っていました。
ネット(GOOGLE MAP等)を検索すると、今現在も現存しているようですね。
いまや、廃線跡探しも家で出来る世の中?? -
樋ノ沢駅を出ると、路線は伊勢山をトンネルで抜け、直後に神川を
鉄橋で渡っていました。
写真は伊勢山駅跡よりトンネル坑口を見たものです。
ここは結構有名で、トンネル内の環境を利用してキノコ栽培を
行っているとか。
今でこそ、各地で廃トンネルを活用した設備が増えてきましたが、
ここは廃線後40年は経っているので、その走りではないでしょうか。 -
神川を渡ると、殿城口駅がありました。
道路右の建物は実は当時の駅舎です。
民家に改装していたようです。
(駅舎を改造した家に住む・・・ちょっと良いかも) -
雑誌より。
鉄橋の先に殿城口駅が写ってます。 -
さらに進むと本原駅跡。
路線はここで真田方面と傍陽方面に分岐していました。
この付近の敷地はすでに道路に転用されていました。 -
雑誌より。
当時の本原駅です。上の写真とほぼ同一地点。 -
途中は道路に吸収され痕跡無しのため、一気に進んで終点の真田駅跡。
当時は駅舎が現存。駅舎内には色々な設備も残っていました。(と記憶してます) -
真田駅から一旦本原駅に戻り、今度は傍陽線跡を追います。
写真は本原駅〜横尾駅の間。
線路跡は農道とて活用されていました。 -
雑誌より。
上記写真と同一地点。
ここを見つけたときは感動しました。 -
こちらも途中駅は痕跡がほぼなく、一気に終点の傍陽駅へ。
ここも当時は駅舎が現存。しかも代替バスの停留所兼待合所になっていました。
この旅行記を作りながら、こんな感じで青春時代初期を過ごしていたんだなと、
今改めて思いました。
手探りなことが多く、余計な時間も結構掛かったとは思いますが、
発見の感動や、今も印象深く残る記憶など、やはり探検(旅行も)はいいな、と。
反面、若干偏った青春を送ってしまったかな??とも思いました。
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この旅行記へのコメント (9)
-
- BTSさん 2015/11/02 09:37:40
- 真田傍陽線が懐かしい〜
- ツリカケ君さまへ
初めまして〜
この度はご覧いただきありがとうございます。
ニックネームの「ツリカケ」は、昔の電車『吊り掛けモーター』から
ネイミングをしたのでしょうか?
さて、真田傍陽線の廃線跡を追いかける旅を懐かしい想いで拝見させて
いただきました。
小生は上田市出身で幼い頃に真田傍陽線に乗りました。(横浜在住です)
父方の実家は、丸子線の上田東駅と真田傍陽線の川原柳駅の中間地点で
母方の実家は神科駅の近くでした。
以前は上田市と小県郡(ちいさがた)に跨いで約50kmの線路を有していました。
別所線、真田傍陽線(通称:北東線)、丸子線、西丸子線(通称:依田窪線)と
青木線が走っていました。
1930年代に青木線が廃止し、その後はモータリゼーションの波を受け1960年代に
西丸子線、丸子線、真田傍陽線が廃止になりました。
社名は上田温泉電軌(通称:上田温電)と丸子鉄道が合併し「上田丸子電鉄」
となり、その後は「上田交通」となり今は上田交通の子会社「上田電鉄」と
社名が変わりました。
先月、実家に帰省した際にたまたま真田駅前を通りました。
今は駅舎は取り壊されホーム跡だけが残っています。
ツリカケ君さんの廃線やレトロ感に興味を持ちました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
BTS
- ツリカケ君さん からの返信 2015/11/03 19:44:27
- RE: 真田傍陽線が懐かしい〜
- BTS様
こんばんわ。
掲示板書き込みありがとうございます。
ニックネーム“ツリカケ”の由来、大正解です。
BTSさんは実際に乗車した経験があるのですね、うらやまし限りです。
最初に真田傍陽線の廃線跡を探検してから約20年、GoogleMapで同じ場所を辿ってみましたが、だいぶ風景も様変わりしていました。
ただ、当時も今もですが、沿線の人口や街並みを見ていると、神科駅くらいまでは廃止しなくてもよかったのでは?と、つい思ってしまう廃線跡の旅でした。
マニアックな旅行記ばかりですが、是非またご訪問ください。
ツリカケ
-
- ateruiさん 2014/12/15 23:12:19
- いやあすばらしいです
- 感動しました
ありがとうございます
enn8801
- ツリカケ君さん からの返信 2014/12/16 21:41:05
- RE: いやあすばらしいです
- enn8801様
こんばんわ。
訪問&投票ありがとうございました。
日本各地に乗り物の旅行されてるのですね。
メインページの背景写真はいすみ鉄道の車両でしょうか?
マニアックな旅行記が多いですが、また是非ご訪問ください。
ツリカケ
- ateruiさん からの返信 2014/12/16 22:17:48
- RE: RE: いやあすばらしいです
- ツリカケさん こんばんは
そうかもいれないです
表紙は小湊か旧茨城交通かどちらかとおもいます
車両そのものにくわしくないもので
ありがとうございます
自分はいいなあと思ったら
撮る感じで対象が何かは意識してないんですよん
鉄道は確かに多いですね
行き当たりばったりの旅が好きです
enn8801
-
- 横浜臨海公園さん 2014/08/10 16:18:21
- 上田駅
- ツリカケ君さま、こんにちは。
上田交通真田傍陽線廃線跡の旅行記を拝見させて頂きました。
実は、小生、昭和39年(1964年)夏に真田線に乗車しております。
旅行記にも記述がありました様に、当時の上田駅は、初代上田東急インの場に在り、駅全体に覆いがかかっており、やたらと暑かった記憶がございます。
上田交通は、路線に拠り電圧が異なるなどして、車輌の交流が無いに等しく、廃止になり他線への移動も無かった点で特長がありました。
最後に写っている車輌は、元々、鶴見臨港鐵道が浅野造船所に発注製造したもので、昭和18年(1943年)に政府買収で運輸通信省所有となった後、戦後になり各私鉄に払下げられた内の1両です。
横浜臨海公園
- ツリカケ君さん からの返信 2014/08/10 21:20:40
- RE: 上田駅
- こんばんわ。
以前のコメントにあった横須賀線のクモハ42の乗車経験同様、
羨ましい限りです。
あまり詳しくはないですが、確か別々の会社線が合併し上田交通の
路線網が出来たんですよね。
言われてみれば、旧丸子線の上田東を始め、各線の上田駅の場所が
見事にバラバラですね。
今残っているローカル私鉄は車両統一が進んでしまい、魅力が
少なくなってしまいました。鶴見臨港線タイプは最近まで銚子電鉄に
残っていましたが、この車両も乗れずじまいでした・・・。
ツリカケ
-
- ぶうちゃんさん 2014/08/10 15:43:39
- こんにちは
- こんにちは。
その土地の以前の姿や史跡、上手くいえませんがそういう歴史後を見る中で特に鉄道、廃線跡はすごく魅力を感じます。私の場合福知山線の廃線跡が比較的近所にあるので何度か行ったことがあります。実家の近所にも基地の引込み線が多くありそんな跡を見て以前は列車が走っていたのだろうなあ〜と見えない過去の風景を想像したりするのが好きです。自分は一寸変な趣味があるのかと思っていた時期も有りましたがそれこそネットの発達で全国の廃線を行脚している人々を知り驚いたものでした。本文中に書かれていますが今では家で廃線をたどることの出来る時代になりました。
でも実際にこの目で見てみたいという欲求はありますね。
またよろしくお願いします。
- ツリカケ君さん からの返信 2014/08/10 21:39:43
- RE: こんにちは
- ぶうちゃん様 こんばんわ。
廃線跡探検はすっかりメジャーになりましたね。
しかし、逆にマナーの問題や危険な場所への侵入など、
なかなかやりづらい世の中にもなってしまいました。
当時は情報が少ない時代でしたので、跡を見失うと地元の(年配の)方に
聞くしかありませんでした。
まあ、よっぽど好奇な人間に見えたのか、大抵の方は丁寧に
教えてもらえましたが、時折廃線探しを理解してもらえず
『電車なんか、もう何十年も前に無くなってっぞ、どっか向かうなら
バス乗れ』なんて言われたり、当時の思い出を話してくれたり・・・
懐かしい思い出です。
廃線跡の魅力は“発見”なので、情報は氾濫している現在ではありますが、
現地へ赴き何かを見つけたいものです。
ツリカケ
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