2014/07/20 - 2014/07/23
29位(同エリア321件中)
KmPさん
遼寧省撫順市、瀋陽市。終戦まで満州国と呼ばれた中国の東北部を旅して、日本軍(関東軍)による戦争の歴史を学ぶ。
2014/7/19 長春(新京)→瀋陽(奉天)
2014/7/20 瀋陽→撫順→瀋陽
2014/7/20 AM:撫順戦犯管理所旧址、
2014/7/20 PM:平頂山惨案記念館
2014/7/21 張氏帥府博物館、故宮
2014/7/22 九・一八歴史博物館
2014/7/22 瀋陽→東京
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2014/7/19 瀋陽北駅
長春から新幹線で移動。303km/hの速度で走る。その間はトンネルもカーブもない。右も左も地平線までトウモロコシ畑。
瀋陽北駅に到着。空気が汚いので曇ってるみたい。高層ビルが多い。地下鉄があり、今夜のホテルまで移動。
7/19 終わり -
2014/7/20 撫順市へ出発
瀋陽駅から「雷峰号」というバスが出ていて、撫順南駅とを往復している(バス停は地球の歩き方参照)。11クワイ。90分かかるので座ったほうがいい。 -
撫順南駅バスターミナル
撫順南駅の向かって左(西)を歩き、少し南に行くと駅前のバスターミナルがある。雷峰号のバス駅とは違う場所なので注意。そこから「戦犯管理所」へ計10分足らずで着く。橋を越えたら、そろそろ降りるタイミングである。 -
撫順の刑務所
戦犯管理所の隣は現役で本物の刑務所。自分は最初間違えてここに到着してしまう。「あれっ?やけにマジな普通の刑務所だな(当たり前)。」
バスで来た道を150mくらい戻る。 -
撫順戦犯管理所旧址
ここでは溥儀をはじめ、戦後に満州国の要人、日本軍人(将官クラス)が、ソ連から中国共産党に引き渡され。共産党教育を受けた場所である。 -
廊下
これを見ると牢獄って感じ。 -
講堂
ここで共産党の教育を行ったのだろうか。毛沢東の「矛盾論」の本なども展示されてる。 -
運動場
戦犯管理所といっても、労働3時間、教育3時間、運動音楽3時間で、食事しっかり与えられ、パン焼き釜もある。映画ラストエンペラーでは溥儀が中の運動場で太極拳をやってる。(この地では撮影してない) -
修学旅行?
なんと、共産党教育の一環として社会見学のための旅行まで戦犯者にさせている。 -
医務室
病気になれば、ここで入院することができた。溥儀も体調を崩し1っカ月ほど入院した。 -
溥儀の様子
溥儀は収容所内では医務係りの担当で、収容者の血圧を測ったりしてた。 -
中庭の農園
ここで溥儀が農作業をした写真がある。 -
日本人将校
周恩来首相のはからいで、どんな重罪をはたらいた将校でも死刑・無期刑でなく全員が有期刑で日本に帰国となる。
皮肉なもので、下っぱはソ連に囚われたまま厳しいシベリア抑留が続く方もいた。 -
移動タクシー
次は平頂山事件跡地に向かう。 -
撫順炭鉱
タクシーのおっちゃんが平頂山に行く途中、眺めがいいからここで写真撮れと言う。空気が汚くて全体が見渡せない。ここは、露天掘りの炭鉱。満州時代は最盛期で、ここでの仕事はいい稼ぎになった。 -
平頂山惨案記念館
パスポートを見せて無料で観れる。
建物は2つ。手前の建物は博物館、奥に進んで階段を下がった建物内が遺骨発掘現場。 -
虐殺された村民
平頂山事件とは1932年、この集落が抗日ゲリラと通じていたため日本の撫順守備隊が平頂山集落の住民3千人(数は中国説)を掃討し、遺体をダイナマイトで埋没させた現場である。
合掌。
それにしても、ここも節電か何だか知らないが室内が暗い。 -
虐殺の再現
住民を一か所に集めて機関銃で掃討した。それでも生き残った者は銃剣で刺したとされる。
日本人研究者によると死者数800人。いくつにせよ虐殺だな。 -
記念館
正門から近い建物が博物館になっている。建物の入口は何の標識もなく、入れるのか入れないのか分からないくらい。 -
発掘された遺品
村人の遺品の懐中時計 -
旧撫順ヤマトホテル
駅周辺を散策する。旧撫順ヤマトホテルに行ってみる。丘の上なので一苦労。着いて落胆、けっこうすたれてる。 -
雷峰号バス駅
瀋陽へ帰るために、雷峰号バスに乗る。バスの駅(写真)があって、ここをくぐって手荷物検査をしないとバスに乗れない。
7/20 終わり -
2014/7/21 張氏帥府博物館
地下鉄を使い、中街駅で降りて徒歩で向かう。
張作霖は多妻であり、息子も学良以外に複数いて軍人になっている。張作霖は奉天を支配した東北地方最大の軍閥で、海軍まであり立派なものである。晩年、張学良はハワイで妻と暮らし、NHKの取材にも応じている。 -
張作霖爆殺の写真
関東軍の一部軍人らが独断で実行した、張作霖の爆殺。実行した者が軍内の発言力を増す時代。 -
故宮博物院
中街駅は故宮博物院もある。この辺は満州時代よりずっと昔からある中国の街並みである。
強い雨が降ってきたのでホテルに戻る。 -
中山広場
瀋陽駅から延びる中山通り。瀋陽駅前は満州時代に日本主導で造られた街並みである。中山広場には今は立派な毛沢東像がある。夜、学生たちがローラースケートやバトミントンして遊んでた。 -
旧奉天ヤマトホテル
は中山広場にある。今も高級ホテルとして使われている。オシャレなビアガーデンになっていて、客のランボルギーニやポルシェが横づけされてた。
中国では共産党幹部の息子が美女を複数連れてフェラーリで事故死する事件があるなど、金持ってるやつはすさまじい。
7/21 終わり -
2014/7/22 瀋陽北駅
瀋陽北駅から出ている325路バスに乗って九・一八歴史博物館に行ける。 -
九・一八歴史博物館
1931年の満州事変の発端となった柳条湖事件が起きた場所を博物館にした。写真とは違う場所に関東軍が建てた記念碑が横たわっている。 -
博物館
中国ではこういう表現で歴史を伝えているんだね。 -
博物館内
反満抗日の者の生首。これが有力抗日指導者の軍人だったりすると、桐箱に入れて関東軍はパレードした。
日本刀で切るが、よほど腕の立つ者でないと、顎に当たってしまったりして死刑人が飛び跳ねたり、うまく首をはねるなんて出来ない。勢い余って首を切ったあと自分の脚まで切って怪我してしまうとか。刃もこぼれる。わらを切るギロチンみたいので切ることあった。
残酷なようだが、もともと昔から中国では盗人などの罪人はこうやって処刑していたので一般的な処刑方法。
中国では体のすべてが揃わないと成仏できないとされ、仲間が必死で首を取り返しにきた。 -
博物館内
拷問風景。焼印などもある。 -
博物館内
拷問に使った器具。筒状のかごの内側は針が立っている。
プロレスの金網デスマッチとは比べものにならん。 -
博物館内
右は岸信介。満州国商工大臣。新興財閥の日産を満州に誘致した。 -
博物館内
終戦でソ連軍に降伏した関東軍の様子。
祖父(大正11生)の3年に及ぶ過酷なシベリア抑留が始まるのだ。
祖父は母兄弟にもあまり戦争のことは語らずに、筆者が興味を持つ前に亡くなったので、抑留経験のある方の話を載せよう。
那須戦争博物館館長 栗林白岳さん
終戦時16歳、満州少年義勇隊、満州には米軍の空襲は僅か3回しかなく重慶からB29が来た。終戦時は玉音放送を聞くことなく、ソ連から敗走して8/25武装解除、190人の部隊が半分になってしまった。敗走を続けていたので敗戦の知らせは疑いの余地はなかった。ソ連T34戦車は沼地でも木にワイヤーを巻いてウインチで巻き上げてどんどん進んできた。公主嶺には関東軍戦車部隊がいたが歯が立たなかった。武装解除後は、ハルビンの保安隊跡地が捕虜収容施設になり、ビール工場の蒸留設備、住友金属工場の設備を木箱につめて鉄道で送った。終戦年の11月にシベリアへ送られ、クラスノヤススクなど点々として森林伐採の強制労働。作った鉄道に積み込んだ。住居は地下一階分だけ掘られた場所に天窓のある屋根があるだけ、地面はアンペラを敷いて寝た。冬は極寒の寒さ、風呂に入れることもない。夏は蚊とアブに悩まされた。沼地ではヒルがたかった。ふすわを割った黒く固いパンと野菜がわずかに浮く岩塩スープ、漬物だけ。パンは定規で計り皆で均等に分けた。井戸水は一度沸かしたのものでコップで1日二杯。冬は飲み水が凍ってしまって大変だった。ヘビやカエルは見つけたら奪い合いだった。栄養失調で亡くなった仲間の衣服は靴下まで貰い、死体は裸になってしまった。近くの収容所に三波春夫がいて歌を聴いたことがある。吉田正もいた。部隊は全く違うがドイツのヒトラーユーゲント捕虜もいて、話を交すこともあった。強制励労働は日本下士官のもとで部隊ごとに行い、ソ連兵はマンドリン銃を持ち監視された。切った木を輸送するのが一苦労だった。馬やトラクターを使った。馬には蹄にすべり止めをつけて、地面に水を撒くと凍って滑らせて運んだエピソードもある。昭和26年ナホトカから舞鶴へ福音。満州丸、高砂丸などに乗った。船の中で食べた筍のうまさは忘れられない。 -
金融中心
瀋陽北駅から地下鉄で隣の金融中心駅。銭の形のビルがあるので写真を撮った。 -
イスラム街
瀋陽のイスラム街へは、市政府広場から徒歩で行ける。夕食はここで串焼きを食べる。
羊さんかわいそー、うまし。 -
2014/7/23 瀋陽駅バスターミナル
バスターミナルは瀋陽駅向かって左(南西)に200mほど。ここから瀋陽空港行のリムジンバスが1hおきに出ている。 -
空港へ
瀋陽空港までのリムジンバスチケットは前日に買っておいたほうが無難。カウンターは日本語が通じる。 -
瀋陽桃仙国際空港
右が国内線、左が国際線なのでとても分かりやすい新しい空港。
北京経由の中国国際空港(AirChina)で帰国。
7/23 わし(KmP)の9泊10日の満州一人旅は終了
最後に、わし(KmP)流の博物館の観方を紹介して終わろう。まず、出口まで急いで行く。博物館の全体感をつかみ、出口側から入口側へ歩く。博物館は時系列に説明されているので、出口から入口へは時間をさかのぼることになる。
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