2014/07/06 - 2014/07/06
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morino296さん
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下町の夏の風物詩・入谷朝顔市を見に出掛けました。
朝顔まつりは、毎年7月6日~8日の3日間開催され、入谷鬼子母神を中心として言問通りに120軒の朝顔業者と100軒の露店が並び、毎年約40万人の人出で賑わうそうです。
この日は、梅雨の晴れ間の初日、しかも日曜日とあって混雑していました。
朝顔市を楽しんだ後は、谷根千から白山まで街歩きをしましたが、また新たな発見もあり充実した1日となりました。
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鶯谷駅
駅構内にも、朝顔が飾られています。
10時半に友人S君と待ち合わせ。
朝顔市に行くのには、少し時間が遅すぎるかも?
(朝顔市は朝5時から23時まで開催)
入谷朝顔市の最寄駅は、地下鉄日比谷線の入谷駅かJRの鶯谷駅。 -
鶯谷駅 南口改札前のディスプレイ
狐のお面もあります。
入谷は、朝顔市だけでなく、年の瀬に行われる狐の行列でも知られていますね。 -
鶯谷駅南口
北口もありますが、入谷へはこちらが近いです。 -
鶯谷駅南口の跨線橋
この跨線橋を渡り右手に進むと言問通りの朝顔市会場です。(徒歩3分ほど) -
言問通りの入谷朝顔市会場
道路の両側に店が並んでいます。
こちらから見て、右側に朝顔のお店、左側は食べ物などの露店が並びます。
朝顔市会場になっている言問通りは11時から車の通行止めとなります。 -
入谷朝顔市
右側の歩道には、朝顔のお店がずらりと並びます。
人が多くて、なかなか歩けません。 -
入谷朝顔市
朝顔は、ヒルガオ科の一年草で、原産地は西南中国からヒマラヤにかけての暖かい山麓地帯と言われ、日本へは、奈良時代に遣唐使によって牽牛子(けんごし)という下剤として伝来、その後、和名で「阿佐加保」となったもの。
鑑賞用として栽培されるようになったのは江戸時代になってから。 -
入谷朝顔市
牽牛子の花ということで別名を牽牛花(けんぎゅうか)と言うことから、七夕の牽牛・淑女にちなみ、七夕の前後の3日間に朝顔市を開催するようになったそうです。 -
入谷朝顔市
江戸時代中期以降、花の色や変わり咲き朝顔の改良が進み花を観賞するようになり、文化・文政時代に第1期流行期を迎えたそうです。 -
入谷朝顔市
入谷が朝顔で有名になったのは明治になってから。
土質が朝顔造りに適し、十数件の植木屋が軒を連ねて朝顔造りを始めたそうです。
当時流行した朝顔は、「変わり咲き」で、桔梗や牡丹の花のように咲いたり、二重に咲いたりして、最盛期には千種類もの朝顔があったそうです。
その後、植木屋が減り、大正2年に最後の植木屋が廃業したのを機に、朝顔は姿を消してしまったそうです。
それから35年を経た昭和23年、地元有志が江戸情緒豊かな夏の風物詩、入谷の朝顔市を復活させ、今に続いています。 -
入谷朝顔市
朝顔組合で価格が決められているようです。
1鉢2〜3千円、宅配便での配送(900円)も可能です。
朝顔を長持ちさせるポイントは、
1日2回ほど、日中、葉が垂れ下がった時に水をやり、9月上旬頃までは、花がしぼんだ時点で摘み取って種子をつけないようすることだそうです。
(種子は9月中旬頃に咲いた花で採る。) -
入谷朝顔市 宿根朝顔
普通の朝顔と違い、種はできないが、根っこがあれば毎年咲くそうです。 -
入谷朝顔市 団十郎
団十郎という朝顔は、海老茶色の花とせみ葉が特長。
2代目市川團十郎が演目「暫(しばらく)」で用いた装束の色にちなんで付けられたもので、江戸時代には「団十郎茶」色として一世を風靡したそうです。(解説より) -
入谷朝顔市 曜白朝顔
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入谷朝顔市 ルコウ咲
花先だけが咲くかわいい花。 -
入谷朝顔市 矢車咲
花の中心から矢車のように白い線が入っています。
1鉢に4色の花が植えられているようです。 -
入谷朝顔市
ずらっと並んだ朝顔の鉢。
これが全部売れるのでしょうか? -
入谷朝顔市
揃いの法被姿の売り子さんたちも決まっています。
(屋根を覆うブルーシートの色で、写真が青っぽく写っています。) -
入谷朝顔市
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入谷朝顔市
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入谷朝顔市 マジックオーシャン
綺麗な水色が目を引きます。
昼に咲く朝顔だそうですが、「昼顔」とも違うようです。
朝顔と昼顔の違いがよく分かりません。 -
入谷朝顔市
江戸時代には千種類ほどもあったそうですが、現在もいろいろ種類があるのですね。 -
入谷朝顔市
ブルーシートで覆われた店側から日が当たる言問通りをバックに撮っているので逆光のような感じになっています。 -
真源寺 入谷鬼子母神
江戸三大鬼子母神の一つとして知られ、「恐れ入谷の鬼子母神」ともいわれます。
満治2年(1659)、静岡県沼津の光長寺の第20世・日融上人が建立、開基。
鬼子母神像は、光長寺の開基である彫刻の名手・日法聖人が彫られ、日蓮聖人が開眼せられたものと伝わります。
「恐れ入谷の鬼子母神」と言われる由来は、「江戸時代、大名家の奥女中が腰に腫れ物ができ医者に見放されてしまったが、入谷鬼子母神に21日間の願をかけお参りをしたところ、満願の日の帰りに、橋でつまづいて欄干に腰を打ち付けてしまったことで、腫れ物の口が破れて膿が出て全治した」という話を狂歌師が聞き付け、その御利益に恐れ入ったと言うことで「恐れ入谷の鬼子母神」と洒落言葉で言ったのが当時の流行になったものだそうです。 -
真源寺 入谷鬼子母神
朝顔のお守りが飛ぶように売れていました。
ここ入谷の鬼子母神は、江戸三大鬼子母神の一つとして知られます
鬼子母神は法華経の陀羅尼品と言うお経に出てくる仏教の神。
元は、人の子をさらっては食べていた夜叉でしたが、お釈迦様の戒めにより、悪行をやめ、仏教に帰依し、苦しい修行の末、法華経の守護神となり、母親と子供を護る神として信仰されるようになったそうです。 -
真源寺 入谷鬼子母神
境内にも朝顔が並んでいます。 -
入谷朝顔市
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入谷朝顔市
ここで花が咲いているよりも、蕾が多い方が長持ちするのでしょうか。 -
入谷朝顔市
ちょっと変わった形の花。
萎れかけかな? -
入谷朝顔市
11時になり、言問通りは車両通行止め。
歩道に押し込められていた人たちが道いっぱいに広がります。 -
入谷朝顔市
こちらの朝顔を売るお姉さん、耳にぶら下げているアクセサリーにも朝顔が使われています。 -
入谷朝顔市
幼い子供たちもお手伝い?
この朝顔市に参加している業者さんは、江戸川区や千葉県が多いそうです。 -
入谷朝顔市
やはり、これから咲き始める鉢が多いようですね。 -
入谷朝顔市
朝顔市会場はまだまだ賑わっています。 -
入谷朝顔市
車両通行止めとして交通整理をするDJポリス。 -
入谷朝顔発祥之地碑、入谷乾山窯元之碑
入谷は古くから農閑期を利用して土器製造の盛んなところで、享保年間(1716〜1735)名陶工といわれた尾形乾山(尾形光琳の弟)が鬼子母神の前あたりに窯を築いたそうです。 -
入谷朝顔市 11:20頃
横断歩道橋の上から見た言問通りの様子。
そろそろ失礼して、街歩きへ。 -
小野照崎神社 (台東区下谷2−13−14)
祭神は、平安初期の儒学者・歌人の小野篁(たかむら)公。
下野国の任に就き、足利学校を創立、遣唐副使にも重任。
学問・芸能の神徳があるとのこと。
本殿は、関東大震災、太平洋戦争の大空襲にも免れたそうです。 -
小野照崎神社 境内の庚申塚
日本三大庚申塚の一つとして、11基の塔が祀られています。
最古のものは正保2年(1647)の作であり、青面金剛の塔は大阪四天王寺と同じ聖徳太子作と伝わります。 -
子規庵 都指定史跡 (台東区根岸2−5−11)
子規庵の建物は、旧前田侯の下屋敷の御家人用二軒長屋といわれています。
子規は、明治27年からこの地に住み、明治35年(1902)9月に没しました。
現在の建物は、昭和25年に弟子たちの努力で再建されたもので、昭和27年に都の文化史蹟に指定されています。 -
子規庵の玄関
12時から13時までは、お昼休みだそうです。 -
徳川慶喜墓 (台東区谷中7−2 寛永寺墓地内)
慶応2年(1866)第15代将軍職を継ぎましたが、翌年、大政奉還し、慶応4年に鳥羽伏見の戦いを起こし敗れ、江戸城を明け渡し。
駿府に隠棲し、明治31年に明治天皇に謁見。明治35年に公爵を受爵。
徳川慶喜家の創設を許され、貴族院議員にも就任。大正2年(1913)に77歳で没す。 -
瑞輪寺 江戸十大祖師 飯匙(しゃもじ)祖師 (台東区谷中4−2−5)
文永11年(1274)、日蓮聖人が佐渡配流を赦免され鎌倉へ向かう途中、武蔵国粂川の辺りに関善右衛門の妻が難産に苦しみ救いを請うと、聖人がその家にあった飯匙に本尊をしたため産婦に抱かせると、たちどころに安産して母子ともにつつがなし。
一家一門が入信、聖人の像を刻んで谷中(現、東日暮里)に善性寺を建立しその像を安置。
後に、谷中の感応寺(現、天王寺)に移し、以来、安産救護の御利益あらたかく庶民の信仰を集めていたが、元禄11年(1698)、感応寺改宗の折に、尊像をこの瑞輪寺に勧進したものだそうです。(解説より) -
瑞輪寺 江戸十大祖師 飯匙祖師
本堂の火灯窓に飯匙が飾られています。 -
西光寺 (台東区谷中6−2−20)
入口左側には、「足腰病平癒韋駄天安置」と大きな石碑が立てられており、俗に、韋駄天寺と呼ばれているそうです。 -
西光寺 境内に並ぶ巨大な韋駄天、十一面観音像など
解説によれば、この韋駄天像と十一面観音像は、太閤秀吉の朝鮮入国に同行した藤堂高虎が朝鮮から勧進し安置したものだそうです。
これだけ大きな石仏をどうやって運んできたのでしょうか。
韋駄天は、四天王南方増長天の八将の一つで、走力に優れ、速やかに邪神を削除するので仏法の守護神とされ、古代より足腰病平癒に効験ありとされているそうです。 -
瑞輪寺 (台東区谷中4−2−5)
日新上人が身延山の江戸宿寺として天正19年(1591)開山。
元禄年中には、不受不施派の弾圧により、天台宗へと改宗させられた感應寺(現、天王寺)から、江戸十祖師の一つである安産飯匙の祖師を移しています。
その後、慶安2年(1649)当地へ移転。
江戸期には、身延山久遠寺末触頭で、善立寺、宗延寺と並び日蓮宗(旧法華宗)江戸三大触頭の一つに連なる名刹だそうです。 -
瑞輪寺 本堂
境内には、神田上水を築いた大久保主水(もんと)の墓(都旧跡)があります。
大久保主水、名は忠行。三河武士で徳川家康に仕えていたが一向一揆で足を負傷し戦に加われず、餅菓子を作る特技を生かし、以後、家康に菓子を献じたそうです。
天正18年(1590)、家康が江戸の町づくりを始め、用水事業を命ぜられた忠行が武蔵野最大の湧水地である井の頭池、善福寺池から江戸城まで引水に成功。
これが神田上水といわれ江戸の水道の始まり、我が国の水道の先駆けとなりました。
この功績により、家康から主水という名を賜り、「水は濁らざるを尊し」として、
「もんと」と読んだそうです。以来、子孫は主水と称し、幕府用達の菓子司を勤めたそうです。(解説より) -
躰仙院 谷中鬼子母神 (台東区谷中4−1−7)
この辺りは、日蓮宗の寺が軒を並べています。
さすがに寺町の谷中、ざっと調べただけでも70以上の寺があるようです。 -
躰仙院 谷中鬼子母神
山門を入ると、何故か、蜂が飛び交います。
よく見ると、お堂に蜂の巣箱が置かれていました。
谷中でも、養蜂が行われているとは、驚きでした。 -
日本美術院
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延寿寺 (台東区谷中1−7−36)
寺巡りをする外国人のカップルが休憩中でした。
延寿寺は明暦2年(1656)に開創された日蓮宗の寺院。 -
延寿寺 境内にある日荷堂
健脚の神様・日荷上人が祀られるお堂。
宝暦5年(1755)、久遠寺から日荷像を勧請し、安永元年(1772)に日荷堂を建立。現在のお堂は明治44年(1911)再建。
「足腰病守護日荷上人安置」との札が下がっています。
出家する前は、今の横浜市六浦あたりに住む裕福な商人だったそうです。
ある夜、六浦妙法(日荷を授かる前の法名)の夢枕に仁王尊が現れ、「われは称名寺の仁王だが、改宗して身延山の守護神になりたいとのお告げがあり、早速、称名寺に「仁王をいただきたい」とかけ合ったが聞き入れられず、そこで、和尚が好きな囲碁で仁王像を賭けた勝負を挑みました。
なんとか妙法が勝ち、約束どおり仁王像を貰おうとするも、和尚は「あれは冗談」と取り合いません。
さらには、「あんな大きい仁王を担ぎ出せる訳がない」とも。 -
延寿寺 境内にある日荷堂の天井絵
ある夜のこと、妙法は、密かに山門から仁王尊二体を担ぎ出し、それらを背負うこと三日三晩、横浜から身延山まで歩き通し、奉納に成功したそうです。
ことの次第を聞いた身延山の住僧はたいそう驚き、その怪力無双と篤い信仰心に感激した住僧が「日荷」の尊称を授けたそうです。
「日」は日蓮聖人から、「荷」の文字には「荷物」の他にも、「任務」や「責任」といった意味もあり、妙法の健脚に相応しい名前として考えたものでした。
(お堂の前の解説より) -
延寿寺 境内にある日荷堂の絵馬(台東区文化財)
日荷堂には、履物の絵馬が75点、文字額が8点残されており、種類・点数が豊富で、保存状態が良好なものは極めて貴重で、平成8年に台東区有形民俗文化財に指定されたそうです。 -
谷中の巨大なヒマラヤ杉
谷中4丁目と1丁目の境にあって、入り組んだ路地が三叉路になっているところにヒマラヤ杉の巨木があります。
巨木に抱かれるように、みかどパンと看板のある小さなパン屋さん。
(三叉路にあるから「みかど」なのでしょうか?)
近くに貼ってあったポスターには、
「美しい日本の歴史的風土100選」に選ばれた”谷中のシンボル”ヒマラヤ杉と暮らしと文化、街並みを活かしましょうと書かれてありました。
平成24年3月、この一画の土地の売却され、谷中のシンボルとして住民から愛されてきた大木が伐り取られ、一帯の風情ある地区も更地になる可能性があると懸念されています。売却後どうなっているのか分かりませんが、この街並みや文化を継承して欲しいものですね。 -
妙行寺 (台東区谷中1−7−37)
巨大なヒマラヤスギと道を挟んで隣に妙行寺がある。
山門をくぐると、左手に小さな石仏が並びます(写真は省略)。 -
妙行寺 境内で見かけたニャンコ
近づくと、すっと逃げてしまいました。 -
新内稽古所 (台東区谷中1−6−11)
こちらの前を通ったら、三味線の音が聞こえたので近づいてみると新内節・岡本派の稽古場でした。
新内節(しんないぶし)、耳慣れない言葉なので調べてみると、
浄瑠璃の一流派。初期には歌舞伎の伴奏音楽として用いられたこともあるが、早く素浄瑠璃に変化し、さらに「流し」と呼ばれる独特の形式を生むにいたったそうです。
吉原を中心に街頭を一枚一挺で流す新内節は、その情緒纏綿たる語り口、遊女の心情をきめこまかに描いた曲の内容から、江戸情緒を代表する庶民的な音楽として知られたそうです。
曲目には、義太夫節から借りた段物、遊里の情景や心中を描いた端物、滑稽を中心とするチャリ物があり、新内として特に有名なのは端物だそうです。
(新内節 岡本派のHPより) -
玉林寺 (台東区谷中1−7−15)
説明も出来ないような細い路地を進んでいくとこの寺に辿り着きました。
天正19年(1591)に創建された曹洞宗の寺。
本堂の裏側には、幹回り5.63m、樹高9.5mのシイノキ(スダジイ)があり、平成3年〜5年にかけて、大規模な外科的手術を行い樹勢が回復しているそうです。(都指定天然記念物、見学は要予約だとか)
、 -
玉林寺 境内に立つ横綱・千代の富士の銅像
なぜ、千代の富士の銅像があるのか?
傍にある説明には次のように書かれていました。
相撲界唯一の国民栄誉賞を受賞、史上有数、昭和最後の大横綱 千代の富士の業績を讃え、顕彰するため、雄姿を留める立像を建立。
平成23年1月 玉林寺第20代住職
ひょっとして、住職が相撲の大ファンなのかも?、 -
せんべい大黒屋 (台東区谷中1−3−4)
玉林寺から言問通りを少し歩くと交差点の角にあります。
手焼き煎餅のいい香りがします。
堪らず、S君がお土産にお買い上げ。 -
染物洗張 丁子屋 (文京区根津2−32−8)
根津の藍染大通り近くにある染め物・洗張店「丁子屋」は、明治28年(1895)創業。
築118年の店舗を今年建て替えされたそうです。
藍染め大通りの名の由来は、この前を流れる川で藍染の反物を洗い流したことから。 -
Coffee & Beer Bon Fire
へび道の入り口にあるお店。
写真を撮る人につられて、どんなお店かもよく分からずに写真だけ撮ってしまいました。 -
へび道
へび道はもともと藍染川という川でした。
大正10年に暗渠化されて、地下を通るように流路変更が行われました。
このへび道は現在の文京区と台東区の区界にもなっています。 -
団子坂 菊見せんべい総本店 (文京区千駄木3−37−16)
こちらのせんべいやさんも美味しそう。 -
朝顔市の帰り道ですが、次は「ほおずき市」
駒込大観音で行われるとか。
ちょっと覗いてみることに。
団子坂上から少し行った所になります。 -
団子坂上に建つ文京区立森鴎外記念館 (文京区千駄木1−23−4)
森鴎外が誕生して150年目の2012年、「文京区立本郷図書館鴎外記念室」が新たに「文京区立森鴎外記念館」として生まれ変わりました。
文京区千駄木は、鴎外がその半生を過ごした地で、記念館が建つ場所は、鴎外の旧居「観潮楼」の跡地です。
鴎外は明治25年(1892)から、亡くなる大正11年(1922)までここで過ごしました。 -
文京区立森鴎外記念館のエントランス
観潮楼は、鴎外が30歳(明治25年)から、60歳で亡くなる(大正11年)まで、家族とともに住んだ家。
家の2階からは遠く海が見えたと言われ、鴎外により観潮楼と名づけられたそうです。 (森鴎外記念館のHPより) -
旧安田楠雄邸庭園 (文京区千駄木5−20−18)
平成10年、東京都の名勝として指定を受けています。
大正8年(1919)に「豊島園」の創設者である実業家・藤田好三郎氏によってつくられた近代和風のお屋敷。
大正12年(1923)には、旧安田財閥の創始者・安田善次郎氏の娘婿である善四郎氏が買い取り、平成8年まで安田家の人々が住み続けたましたが、その後、多くの方に親しんで欲しいという意志を受け、財団法人日本ナショナルトラストに寄贈され、平成19年から一般公開を開始しました。
なお、一般公開日は、毎週水・土曜日の10:30〜16:00(入館は15:00まで) -
旧安田楠雄邸庭園で行われる新内節の夕べポスター
7月12日(土)に新内節の夕べが行われるそうです。
この日、谷中・新内節 稽古場で耳にした三味線の音は、この夕べで演奏する稽古をされていたのかも知れませんね。 -
光源寺 (文京区向丘2−38−22)
浄土宗の寺、天正17年(11589)に神田に創建され、慶安元年(1648)に現在地に移転。
毎年7月9日、10日には「四万六千日」の縁日「ほうずき千成市」が開かれます。 -
光源寺の大観音
境内には元禄10年(1697)造立の約5mの十一面観音像がありましたが、東京大空襲で焼失。
平成5年に6m余の像が再建されました。 -
栄松院 (文京区向丘2−35−7)
大観音通りを進むとあります。
門前の解説によると、江戸初期の浄瑠璃太夫・薩摩浄雲の墓や歌舞伎役者・初代松本幸四郎(延宝2年(1674)〜享保15年(1730))の墓があるそうです。 -
高林寺 (文京区向丘2−37−5)
曹洞宗の寺。
元禄4年(1691)、5代将軍徳川綱吉の命により、将軍家の祈願寺として創建。
元々は神田川沿いにあり、境内の湧き水は『御茶の水』の名前の由来となりました。
伽藍が整い、学寮もあり、土塀をめぐらした江戸時代の名刹でしたが、関東大震災と第二次大戦で焼失し、現在の本堂は昭和51年の再建。
墓地内には、幕末期の蘭学者緒方洪庵の墓や明治・大正期の歌人岡麓の墓があります。 -
常徳寺 本堂 (文京区本駒込3−7−16)
寛永7年(1630)開山、浄土宗の寺。
江戸時代の古地図には、大きく「身代わり地蔵」、小さく「常徳寺」と印されており、地蔵霊場として栄えていたことが伺えるそうです。 -
常徳寺 地蔵堂
地蔵像は、太平洋戦争の際、大きすぎて運び出すことができずに焼。
平成12年(2000)の開創370年にあたり、身代り地蔵尊の復興を発願し、檀信徒の協力を得て平成14年11月に完成。
身丈104cm、尾州檜寄木造り、福島県会津・常勝寺の通称「雨降り地蔵尊」の姿を参考に彫り上げてたものだそうです。 -
常徳寺 境内の蓮の花
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養源寺 (文京区千駄木5−38−3)
臨済宗の寺。
徳川二代将軍より本郷湯島に土地3千坪を拝領。
稲葉丹後守越智正勝(春日局の長男)を開基とし、元和2年(1616)創建。
明暦3年(1657)の大火により類焼し、現在の駒込千駄木に移りました。
墓所には、著名人が多数眠ります。
稲葉正勝は、徳川幕府老職で、相模小田原藩8万5千石の大名。母である春日局と共に人生の大半を三代将軍徳川家光のために尽くし抜いた忠義者で、大奥の創設者。 -
徳源禅院 (文京区本駒込3−7−14)
臨済宗の寺。
寛永7年(1630)、勅徳賜無礙浄光禅師大和尚が開山となり、湯島に創建。
天和2年(1682)当地へ移転。 -
徳源禅院の境内
手入れの行き届いた庭が広がります。 -
徳源禅院 日限地蔵尊
寺伝によると寛政5年(1793)に、近くの「動坂」に建立されたもので、昭和60年(1985)にここに移されたそうです。
願いごとを日を限って祈願すれば、満願の日に先立ち霊験あらたかなることより「日限地蔵」といわれてきたそうです。 -
白山神社 (文京区白山5−31−26)
紫陽花で知られる白山神社ですが、紫陽花は終わっていました。
天暦年間(947〜957)に加賀一宮白山神社を現在の本郷一丁目の地に勧請したと伝えられ、後に元和年間(1615〜1624)に2代将軍秀忠の命で、巣鴨原(現在の小石川植物園内)に移ったが、その後、5代将軍職につく前の綱吉の屋敷の造営のため、明暦元年(1655)現在地に再度移り、この縁で綱吉と生母桂昌院の厚い帰依を受けたそうです。
地名白山は当社の在るところから、また小石川は、白山神社本社のある加賀国石川郡(石川県)より名づけられているそうです。 -
白山神社 本殿
祭神は、菊理姫命(くくりひめのみこと)、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冊命(いざなみのみこと)。
縁結び・商談成立・商売繁盛・受験・家内安全の御利益があるそうです。
16:00頃、この日の散策を終え、帰りは都営地下鉄三田線白山駅から乗車し、打ち上げに向かいました。
最後までお付き合いいただき有難うございました。
(おしまい)
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この旅行記へのコメント (6)
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- るなさん 2014/07/19 22:38:17
- 日本の夏の風物詩
- こんばんは。
morino296さん♪
昼過ぎ、南仏から帰国しました。
暑い暑いつきさすようなフランスの太陽でした。
旅先からはなかなか旅行記が拝見出来ないので、家のことさっさと片付けてやっとこPCを開いて4トラにやってきたら、morino296さんの旅行記も日本の夏がいっぱいでした♪
夏祭りに朝顔市、はたまた門外不出の白菜!!
故旧で見ましたが、やはり現地でも激混みでしたよ。
ってことは今台北に行っても、白菜ちゃんは見られないのですな???
朝顔市かぁ〜谷根千って言葉、実はつい最近まで知らなかったんですよ^^;
一昨年だったか、このエリアを歩いてみて初めて知ったと言う私です(苦笑)
古きよき”江戸”って感じがしていいエリアですよね。
今年は冷夏との噂ですが(私には嬉しい)、morino296さんの旅行記で夏真っ盛りを感じました!
るな
- morino296さん からの返信 2014/07/20 00:12:35
- RE: 日本の夏の風物詩
- るなさん
お帰りなさい。
帰国早々、訪問いただき有難うございます。
イタリアに続いて、フランスでしたか、凄いですね。
この夏は冷夏との予報でしたが、修正があり「平年並み」だとか。
北海道などは、暑さが続いているようですね。
朝顔市は、梅雨の晴れ間に行けましたので良かったですが暑かったです。
谷根千は、いろいろ楽しめますね。
故宮の白菜は、凄い人気でビックリしました。
7月7日までの展示でしたので、もうお里帰りしていると思いますよ。
るなさんも、暑さに負けないよう気を付けて下さい。
morino296
-
- ゆうこママさん 2014/07/12 08:20:04
- 朝顔
- おはようございます。
ずいぶんご無沙汰してしまいました。
しばらくサボっていた間に、素晴らしい旅行記がいっぱいで、どこから拝見したらよいものか・・・
でも、まずは、朝顔にひかれてこちらから。
やはり夏といえば朝顔ですね。
やわらかな花の風合いは、きびしい暑さを忘れさせてくれます。
それから、
最古の青面金剛、興味あります。
- morino296さん からの返信 2014/07/12 09:21:01
- RE: 朝顔
- ゆうこママさん
おはようございます。
いつも有難うございます。
台風一過、蒸し暑い週末となりましたね。
朝顔市も、晴れの日曜日で賑わっていました。
朝顔は、子供が小さい頃に、庭で育てた記憶はありますが、
それ以外は馴染みの少ない花でした。
調べてみると、いろいろ歴史があってびっくりしました。
小野照崎神社の庚申塚、日本人が好きな三大の一つだそうですが、
詳しいことは分かりませんでした。
また、ちょっと調べてみたいと思います。
暑さに負けないよう、気を付けて下さい。
morino296
-
- jyugonさん 2014/07/10 12:00:11
- 懐かしい夏の風景
- morino296さん こんにちは〜 ご無沙汰しております。
お知らせメールの中に引き寄せられるタイトルを見つけお邪魔しました。
随分丁寧に詳しく書いてはるなぁと読み進めたら296さんの旅記で、納得^^;
朝顔市、この場所からはそう遠くない高校に通っておりまして朝顔市はいつも期末テストの期間中だったことを思い出します。
朝顔の種類も増え、桔梗咲きなど変種も増えましたね。
谷根千の様子も変わらないようで、やはり少しずつ変って行くのかもしれません。
建て替えは致し方なしですが、風情が無くなってしまったようにも…
京都の町屋がそうであるように住んでいればそうも言ってられないのですが〜
歩けばこその寺院巡り、相変わらずの健脚ぶりが想像できます^^;
懐かしい風景をたっぷり拝見出来て嬉しかったです。
台風、勢力が落ちてきたとはいえどうぞお気を付け下さいますようにm(__)m
今日から鉾建てが始まりました。
周りは祇園祭一色に〜
jyugon
- morino296さん からの返信 2014/07/10 21:00:42
- RE: 懐かしい夏の風景
- jyugonさん
ご覧いただき有難うございます。
入谷は、青春時代の思い出が詰まった町でしたか。
朝顔市は、初めて行きましたが、朝早くから賑わっているのですね。
登校時に、朝顔市をご覧になっていたわけですね。
谷根千も昔とは、随分変わったのでしょうね。
でも、お寺が多いのは変わっていないかも知れませんね。
祇園祭、今年から山鉾巡行が変わるそうですね。
また、行ってみたいと思っています。
台風は、明日の明け方がピークでしょうか。
そちらは、大丈夫でしたか?
morino296
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