2014/06/19 - 2014/06/19
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traveldogさん
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日本橋小網町を出た行徳船は、日本橋川から隅田川を横切り、小名木川、新川と進んで、江戸川を遡り、ここ行徳新河岸に着岸しました。約13キロメートルの船旅です。そこで船から降りた人たちは、行徳街道、成田街道を行き、成田山を目指しました。江戸時代のことです。今ではすっかり水運は衰え、鉄道がそれに代わり、東京メトロの東西線が走っています。
その日、かつての行徳の繁栄の跡を辿るべく、行徳新河岸の常夜灯を訪ねました。行徳の街中にある南行徳、行徳、妙典の三駅のうち、最も北にある妙典で下車し、寺町通り周辺にある寺院を参拝し、江戸川土手を行き、川岸に造られた常夜灯公園に着きました。そこに文化9年に日本橋の成田講中によって寄贈された常夜灯が残っています。
帰路は、行徳街道に出て、うどんや笹屋跡、加藤家住宅、旧浅子神輿店舗等を見つつ、行徳駅へと辿りました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
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東西線妙典駅を降りて、寺町通りを行くと、伝統的な民家と新築の住宅とが入りまじり、古い行徳の街が新しい波に洗われている様子がよくわかります。
コンビニの向こうに伝統的な民家が見えます。 -
寺町通りという名前に行徳に寺が多いことを思わせます。この通りのまわりには寺院と神社が多く、かつての行徳の繁栄を偲ばせます。
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寺町通りをふり返ると大型スーパーのイオンが見えましした。
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寺町通りの徳願寺という寺院に着きました。山門、本堂、鐘楼、経蔵などがある大きな寺院です。
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常運寺から見た徳願寺の景観です。なんでもここに、明治4年に印旛県庁が設置されたり、明治6年に行徳小学校が置かれたりと歴史のある寺院です。
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寺町通りにある常運寺本堂です。
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常運寺の入り口にあるミラーでちょっと悪戯撮影です。寺町通りが写りました。
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徳願寺の山門が見えましたが、門が閉まっていて入れません。
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徳願寺の山門が門の向こうに見えました。入口はどこか探してみます。
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隅田川に架かる永代橋が文化4年に富岡八幡宮の祭礼の賑わいで落ち、多くの死者が出ました。それを供養する碑です。徳願寺入口にあります。碑に「薦文化四丁卯年八月十九日永代橋溺死精霊頓悟覚道之也」とありました。元禄11年に建てられた橋が100年を経過して落ちたのです。
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境内に会館入口から入れました。徳願寺の山門です。阿吽の仁王像が置かれています。
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右側の阿(あ)形に口を開いた像です。
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左側の吽(うん)形に口を結んだ像です。
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鐘楼
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本堂
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経蔵
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この道路は、常運寺と徳願寺の横を流れる内匠堀という用水路だったそう。鎌ヶ谷市道野辺を水源とし、市川市を通り浦安に抜ける12キロメートルの水路でした。このおかげでこの一帯は豊かな土地でした。
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寺町通りから少し入った所にある豊受神社です。少し戻りました。
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寺町通りを行き、行徳街道にぶつかりました。
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行徳街道に出ると右手に神明(豊受)神社がありました。先ほどの豊受神社とは別の神社です。入ると境内に力石がありました。
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江戸時代から明治にかけて、祭礼のときに力自慢の若者が持ち上げた力石です。真ん中55貫、左38貫の大石です。
真ん中の石には、持ち上げに成功した者の名前が彫られていました。対岸江戸川区の東一之江村や西浮田(西宇喜田)村の名前もありで、祭礼には腕に自信のある若者たちが方々から集まってきたのです。 -
神明豊受神社のとなりにある自性院には、勝海舟自筆の碑がありました。
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本堂右側にある秋本家の墓地にある板碑が勝海舟自筆の碑です。
案内によると
わが友の消へしと聞くぞ、
我この方心いたむるひとつなりたり 勝安芳誌
とあるとのこと。碑に伊助熊谷氏の文字がありました。
友とは、以下のHPによると幕末明治の商人熊谷伊助のこと。
http://www.city.ichikawa.lg.jp/gyo01/1111000032.html -
勝海舟自筆の碑がある秋本家の墓地です。本堂向って右側にあります。
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日蓮宗妙応寺です。
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臨済宗長松禅寺ですが、門の下に竹の柵があったので入るのを遠慮です。さらに寺町通りを江戸川の方に行きました。
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江戸川岸に出ました。防波堤が続いていて、江戸の情緒はありませんでした。
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しばらく土手沿いにいくと公園らしきところが見えてきました。ここが常夜灯公園のようです。
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対岸には江戸川区の旗がはためいています。
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常夜灯公園の案内発見です。常夜灯はどこかと探しました。
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目的の常夜灯に着きました。これが文化9年に日本橋の成田講中により寄進された常夜灯です。日本橋から行徳までの船旅安全を祈願して贈られたそうです。
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正面に日本橋、横に永代常夜燈、上の方に成田山の文字が彫られています。
基台の部分には寄進者の商人らしき名前が彫られていました。
文化9年3月吉日建立です。
蔵屋舗とあり
搥屋源助
嶌屋平七
三木屋清五郎
伊勢屋藤七
・・・・
高嶋屋又七
和泉屋儀右エ門
等の名ありです。時代劇の世界に入った気分です。 -
土手下から見上げるとこんなです。さぞ船上からは目立ったことでしょう。
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常夜燈が江戸川を見守るかのように立っています。
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行徳新河岸から行徳街道にでたところに、うどん屋笹屋の跡がありました。なんでも源頼朝が食したという言い伝えのあるうどん屋です。江戸時代には船着き場から近いため随分繁盛したようです。
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江戸名所図会に描かれた行徳河岸です。常夜燈や笹屋が描かれていて、往時の繁栄を偲ばせます。
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登録無形文化財の加藤家です。笹屋跡の向い側にありました。
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バス停行徳4丁目とうどん屋笹屋跡です。
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行徳は神輿づくりが盛んだったとか。この家は浅子神輿店です。室町末期からの老舗ですって。
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行徳街道は時折道が曲がりくねり、こんなとこが旧街道の趣たっぷりです。
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いいですね。この道の曲がり具合の美しいこと。やはり道は直線よりカーブしている方がよいです。
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しばらく行くとまた神輿店です。後藤神輿の看板がかかり、二階の袋戸に桃太郎の彫り物がありました。かつての盛況ぶりを思わせますが、今では戸を閉めてひっそりとしていました。
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少し街道から脇に入った所に徳蔵寺という寺がありました。
安政大地震を記した常夜燈がありました。 -
不動堂の右にある常夜灯に安政大地震のことが記されています。
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常夜燈の基壇の文字です。
其先所献之不易也
安政乙卯十月二日
天哉値於大地震動
為無分崩且為追孝
畏敬以補乎斯基焉 -
常夜燈の全身です。
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行徳街道に戻り歩くと、伊勢宿という名のバス停がありました。
歩いてみると行徳の地名には、本塩、下新宿、伊勢宿、湊があり、製塩、水運、成田道で栄えた行徳らしい地名が多くありました。 -
行徳街道沿いにあった豊受神社に参拝しました。これで豊受という神社は三つ目です。豊受大神は食物の神様とか、伊勢神宮の外宮の神様で天照大神の食を掌る神様です。何でこうもたくさんあるのでしょうか。謎です。
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本殿から参道を見ると猫が食事中でした。どうも町民から愛されている猫のようです。
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ついに行徳駅に出る通りに出ました。
何の気なしに駅と反対の川の方を見ると神社らしき建物の屋根が見えて、気になり行ってみたところ、水神社という航海安全を司る神社がありました。このあたり、貨物専用の行徳河岸があった場所です。 -
水神社と土手です。
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行徳駅に向かう左側に押切稲荷がありました。ちょっと寄ってみます。
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お稲荷さんなので、狛犬でなく狐です。右の狐は母親でしょうか、前足の下に子ぎつねが隠れています。
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行徳駅前の並木道です。この先に本日終点の行徳駅があります。今や市民の足は鉄道ですが、江戸時代(明治)までは水運が重要な交通手段だったということを思い知ったプチ散歩でした。
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