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国宝犬山城登城<br /><br />木曽川沿いの高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山城である。別名、白帝城は木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちなんで荻生徂徠が命名したと伝えられる。<br /><br />前身となる砦を織田信長の叔父である信康が改修して築いたものを石川貞清(光吉)が改修し現在のような形となった。この際の建築用材は金山城の建物の一切を解体移築したという「金山越」の伝承がある。江戸時代には尾張藩の付家老が入城し、成瀬正成以来、成瀬氏9代が明治まで城主として居城とした。現存する天守が建てられた年代については天文期説、慶長期説などがあるが、現在のような姿となったのは成瀬正成が改修した1617年(元和3年)ごろである。2004年まで、城主であった成瀬家が個人所有する文化財であったが、現在は財団法人に譲渡されている。<br />

32年ぶり2度目、桜満開の犬山城登城

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2014/04/06 - 2014/04/06

360位(同エリア1339件中)

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22

吉備津彦

吉備津彦さん

国宝犬山城登城

木曽川沿いの高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山城である。別名、白帝城は木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちなんで荻生徂徠が命名したと伝えられる。

前身となる砦を織田信長の叔父である信康が改修して築いたものを石川貞清(光吉)が改修し現在のような形となった。この際の建築用材は金山城の建物の一切を解体移築したという「金山越」の伝承がある。江戸時代には尾張藩の付家老が入城し、成瀬正成以来、成瀬氏9代が明治まで城主として居城とした。現存する天守が建てられた年代については天文期説、慶長期説などがあるが、現在のような姿となったのは成瀬正成が改修した1617年(元和3年)ごろである。2004年まで、城主であった成瀬家が個人所有する文化財であったが、現在は財団法人に譲渡されている。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
一人旅
交通手段
自家用車

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この旅行記へのコメント (1)

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  • わんぱく大将さん 2014/07/21 01:13:50
    犬山城
    吉備津彦さん

    犬山城、遠くから見たことはありますが、いまだに訪れていない。きれいなお城ですよね。せっかくチケット買われたのに。。。

    バルセロナでの日本の祭り、見ていただいたようで。 大将

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