2011/01/09 - 2011/01/09
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ペコちゃんさん
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毎年、仲間と出かける恒例の七福神めぐり・・・今回は15名で「深川七福神めぐり」に出かけました。
七福神めぐりの後は、久し振りに大相撲の観戦。
初場所・初日なので、行こうということになりましたが、この日は天覧相撲です。
やはり、本物の土俵は、テレビ観戦とは迫力が違いますね。
2014年3月の大阪場所で鶴竜が優勝して横綱に昇進したので、3年前の写真ですがブログを書いてみました。
興味のある方は、覗いてみて下さい。
写真は、深川不動堂です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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冬晴れの朝、10時過ぎに門前仲町駅に到着し、七福神めぐりをスタートする前に「深川不動堂(不動尊)」を参拝しました。
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永代通りに面した門前の参道は “ 人情深川ご利益通り ” と言われ、毎月1・15・28日に縁日が開かれて賑わいます。
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深川不動堂は、成田山・新勝寺の東京別院です。
江戸時代の中期には、江戸庶民の中に成田山の不動信仰が広く浸透し、1703年に第一回目の「出開帳」(秘仏特別公開)が、富岡八幡宮の別当寺である永代寺で行われ、本尊の不動明王像が成田山から運ばれました。
これが深川不動堂の始まりです。富岡八幡宮 寺・神社・教会
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関東大震災や東京大空襲により、不動堂の堂宇も焼失しましたが、本尊の不動明王像は、僧侶達の必死の努力により焼失を免れることが出来ました。
その後、写真右側の旧本堂が昭和25年に、その奥にある内仏殿が平成14年に完成し、左側の本堂もやっと出来ました。
開創310年記念事業として建立された本堂の外壁は「真言梵字壁」・・・日本のお寺では、他に類のない外観と外壁。 -
本堂に入ると、ご本尊の真下を通る「祈りの回廊」があり、約1万体のクリスタル五輪塔が奉安されています。
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高さ20cmのクリスタル五輪塔の下部には、不動明王が安置されています。
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深川不動堂の参拝を終えて、富岡八幡宮から「深川七福神めぐり」を開始しました。
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①富岡八幡宮(恵比寿神)
横浜市金沢区にある富岡八幡宮の直系分社で、「深川八幡」とも言われます。富岡八幡宮 寺・神社・教会
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昔は砂州であったこの地が1624年に干拓され、永代島に八幡宮を建立したことが始まりです。
その後、神社の周囲には門前町が形成され、商業が発展していきました。
現在の門前仲町は賑やかな街ですが、古くからも栄えていたんですね。 -
神社の建物は、関東大震災や東京大空襲で損壊・焼失しましたが、昭和31年に現在の社殿が造営されました。
この神社では、毎月、第3を除く各日曜日に骨董市が開かれます。
平成6年に始まり、下町の骨董市として親しまれています。
今日は第2日曜なので、いろんなお店が出て、境内は大混雑・・・ -
恵比寿様は本殿裏にある恵比寿社に祀られています。
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富岡八幡宮は、江戸勧進相撲(大相撲興行)の発祥の地で、境内で本場所も開催されました。
現在も、新横綱の奉納土俵入りなどの式典が執り行われるほか、横綱力士碑やこの「大関力士碑」など、相撲にまつわる数々の石碑が建っています。
平成24年に横綱昇進した日馬富士も、横綱力士碑に名を刻み、奉納土俵入りも披露しましたが、今度は鶴竜の番です。
この日は、大相撲初場所の初日なので、七福神めぐりの後、数名の仲間と両国に行くことにしており、偶然とはいえ、この神社に来たことに、大相撲との不思議な縁を感じました。富岡八幡宮 寺・神社・教会
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大鳥居を入って左側にある「伊能忠敬の銅像」。
江戸時代の測量家である伊能忠敬(1745~1818)は、当時、深川界隈に居住し、測量に出かける際は、安全祈願のため富岡八幡宮に必ず参拝に来ていたことから、この銅像が平成13年に建立されました。富岡八幡宮 寺・神社・教会
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②冬木弁天堂(弁財天)
もともとは材木商・冬木家の邸内にあった祠(ほこら)で、本尊の弁財天は、琵琶湖・竹生島弁財天の分霊を日本橋茅場町の邸内に祀り、1705年にここに移したそうです。冬木弁天堂 寺・神社・教会
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現在の弁天堂は、昭和28年に再建されました。
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1760年、当時の有名な仏師・津田丹治は裸の弁財天像を造り、冬木弁天堂に奉納しましたが、関東大震災で焼失した後、同様の裸の弁天像を本尊として祀り、12年に一度の巳年にお衣替えの儀式を続けているそうです。
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③真行寺(福禄寿)
1616年に創立された浄土宗のお寺です。
旧本堂は、関東大震災と東京大空襲により焼失し、昭和42年に再建されました。 -
深川七福神の福禄寿は、右の六角堂に安置されています。
手前の石像を見ても分かるとおり、福禄寿は背丈が低く、頭がきわめて長く、白髪童顔の姿をし、年齢数千年と言われます。
福(幸福)と禄(財)と寿(長命)の3つの福徳を授ける福神なので、あやかりたいものです。 -
④円珠院(大黒天)
円珠院は日蓮宗で、もとは浄心寺の塔頭のひとつでした。
創建の年は不明ですが、開基の円珠院は氷見重直の娘で、のち永井讃岐守直允の後室となり、1730年に没した後、自ら開いた円珠院に葬られました。円珠院 寺・神社・教会
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円珠院の大黒天は、江戸時代から「深川の大黒さん」として有名でした。
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⑤龍光院(毘沙門天)
龍光院は浄土宗・雲光院の塔頭寺院で、1611年に馬喰町で創立しましたが、大火で焼失し、1682年に当地に移転しました。 -
その際に鬼門除けとして、境内東北角に三尺ほどの石造の毘沙門天が安置され、その後、毘沙門堂が建立されましたが、戦災で焼失。
現在の毘沙門天は楠の木の像で、昭和49年に浄土宗開宗800年を記念して造立されました。 -
12時を過ぎたので「深川めし」の昼食にしようと店を探しましたが、何せ15名の団体なので、予約なしで入れる所は、なかなかありません。
やっと、一軒ありました。ヤレヤレ!
深川めしは、気の短い江戸っ子の漁師が、手軽に食べるために考案した炊き込みご飯・・・アサリを長葱や油揚げなどと一緒に味付けし、その煮汁を加えてご飯を炊き、炊き上がったら具を混ぜるのが本来の作り方です。
昔はアサリではなく、江戸の深川近辺で大量にとれたバカガイ(アオヤギ)で作ったそうですが、アサリを使うようになったのは明治の頃からです。 -
お腹が一杯になった所で、七福神めぐりの途中にある「清澄庭園」に立ち寄りました。
江戸・元禄の時代には、紀伊國屋文左衛門の屋敷があったと伝えられています。
明治11年、荒廃していた邸地を三菱財閥創業者の岩崎弥太郎が買い取り、三菱社員の慰安と賓客接待のために整備し、その後も庭園の泉水に隅田川の水を引き込むなど手を加え、明治24年に回遊式築山林泉庭園として完成しました。
関東大震災では、近隣住民の避難場所となり、多くの人命が救われたそうで、現在は東京都が管理しています。清澄庭園 公園・植物園
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庭園の中央には大きな池が広がり、この池を囲むように配置された樹木も素晴らしい。
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園内に配置された石は、岩崎家が三菱の汽船で全国から取り寄せました。
また、川と海に近い清澄庭園は鳥たちの楽園で、メジロやセキレイ、アジサシなど、季節ごとに種類の異なる野鳥がやって来ます。 -
寒牡丹が綺麗に咲いていました。
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大正記念館の前で、記念撮影。
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⑥深川稲荷神社(布袋尊)
深川稲荷神社は1630年の開創で、現在は神主さんがいないため、町会が管理しています。 -
神社横にある布袋様の石像。
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⑦深川神明宮(寿老神)
大阪・摂津の深川八郎右衛門がこの周辺を開拓し、その鎮守の宮として1596年に伊勢皇大神宮の御分霊を祀って創建しました。 -
1596年に徳川家康がこの地を巡視した際に、深川八郎右衛門を呼びよせ、地名を尋ねると「まだ住む人も少なく、地名もない」と応えたので、家康公は八郎右衛門の姓「深川」を地名とするよう命じ、深川発祥の地となった訳です。
境内の寿老神社には寿老神を祀っており、七福神めぐりの参詣で賑わっています。 -
寿老神は白髪長寿の老人の姿をしており、人に延命長寿の福徳を授ける福神として信仰されてきました。
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無事、七福神めぐりが終わり、流れ解散の後、5人で両国国技館まで歩いて行くと、両国駅から国技館までの沿道には大勢の人が・・・皆さん、場所入りする関取を見ようと待ち構えています。
その中を国技館に向かいましたが、正面ゲートからは入れないので、今日は天覧相撲だな、と直感しました。 -
両国国技館の完成は昭和59年ですが、その前は蔵前国技館(昭和29年~59年)、それ以前は関東大震災や東京大空襲などで建物が焼失し、いろんな苦労の中で大相撲興行が続けられてきました。
早目に到着したので、国技館の屋上テラスに行くと、建設中のスカイツリーが目の前に・・・ -
これが2011年初場所の星取表・・・優勝は一人横綱の白鵬で14勝1敗。
殊勲賞:稀勢の里、敢闘賞:隠岐の海、技能賞:琴奨菊でした。 -
幕内取組の前に、恒例の協会挨拶。
大麻事件や朝青龍の暴行・引退事件、琴光喜などの野球賭博事件など、不祥事に揺れた昨年までの反省・お詫びと新たな決意を述べる、放駒理事長。
土俵に並んだ役力士の中には、この後、横綱になった日馬富士(平成24年・九州場所)と鶴竜(平成26年・夏場所)がいますが、引退した大関も・・・ -
挨拶の後は、幕内土俵入り。
東方からは、人気力士の高見盛や・・・ -
大関の魁皇・琴欧州や関脇の稀勢の里の顔が見えます。
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西方からは、大関の把瑠都や・・・
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日馬富士・琴奨菊(関脇)・鶴竜(小結)など、この時の役力士が揃っています。
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白鵬の土俵入り。
平成19年・夏場所に横綱に昇進した白鳳は、朝青龍が引退した後、一人横綱の重責に耐えながら、優勝を重ねています。 -
太刀持ちは安美錦、露払いは旭天鵬。
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不知火型の土俵入り。
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ヨイショ!
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迫力のある土俵入りでした。
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初場所・初日なので、優勝旗返還や年間各賞の表彰が続きます。
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幕内取組が始まり、高見盛には大きな声援が送られます。
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懸賞も、永谷園をはじめ何本も・・・
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残念ながら、あっけなく寄り倒されました。
高見盛は平成12年に新入幕を果たし、その後、幕下まで陥落しましたが、2年後に再入幕してから10年間幕内で活躍し、人気はトップクラス・・・実力もあり、三賞を5回受賞しました。
最後は十両で1年ほど頑張りましたが、昨年の初場所で負け越し、引退を決意。 -
中入り後、「両陛下入場」の場内放送があり、お二人揃って貴賓席に着席されました。
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放駒理事長は、お二人の退席まで貴賓席に同席し、解説係を務めます。
大相撲界の不祥事が相次いだ平成20年から2年間は、招待を自粛していたそうです。
不祥事により、当時の理事長が相次いで引責辞任したため、2010年8月から11代理事長に就任した放駒親方も、緊張気味。 -
稀勢の里。
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琴欧州(引退)。
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把瑠都(引退)。
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魁皇(引退)。
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今日は初日とあって、「満員御礼」。
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結びの一番は、通常は立行司が「この相撲一番にて本日の打止」と言いますが、天覧相撲では「打止」とは言わず「結び」と言います。
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白鵬の相手は鶴竜で、この時は小結。
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さすが、横綱相撲で白鵬の勝ち!
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弓取り式は、千代の花(三段目)。
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これを見ないと、相撲は終わりません。
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ヨイショ!
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弓取式も終わり、お二人は退席されました。
新春早々、両陛下のお元気な姿を見ることが出来て、今年は良い一年になると思いながら国技館を後にしました。
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