2014/02/28 - 2014/03/06
36位(同エリア109件中)
白い雲さん
ギリシャの観光地で最も有名なのはアクロポリスの丘だと思っていました。間違いではありませんが、それ以外にも惹かれるところとしてメテオラの修道院群を挙げなければならなくなりました。特に修道院は、東ヨーロッパに多いようなので、岩峰の頂に造られた修道院から、その目的や宗教活動について正しく理解する必要があると思うようになったのです。今回の旅では、メテオラ以外にもオシオス・ルカスの修道院も訪ねたので、以前よりは、少し修道院の在り方を正しく理解したのでないかと思っています。
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メテオラの修道院群を見物するには、アテネから北方370kmほどにあるカランバカが拠点になります。
到着したのは午後の8時にもなっていたし、相当強い雨が降っていたので、ガイドがメテオラの岩峰が見えるのですという説明を聞いただけでした。
ところが、翌朝、ホテルの窓からは、雨雲の切れ間から岩峰が見え期待が高まりました。 -
岩峰の上には、なにやら建物らしきものも見えて、おそらく修道院だろうと、これからの見物に心が先走ってしまいました。
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岩峰の下、カランバカの街に教会もあって、ギリシャ正教について目で確かめられそうな気になりました。
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この日は、見物に行くと日曜日だったので、既にミサが始まっていました。信仰心とは別の興味で中に入った者は、邪魔以外の何物でも無いので、少しだけミサの雰囲気を味わわせてもらって、外へ出ました。
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ギリシャの人たちは、日常生活の中にイコンを祀った写真のような小さなお堂を道ばたに建て、お祈りの場所にしているようでしだ。道路沿いではたくさんのお堂を見かけたが、中には交通事故で亡くなった人を弔う為のお堂もあるということでした。
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カランバカの街からカストラキ村を抜けると最初の修道院がアギオス・ニコラオス修道院があります。現存する一番標高の低い位置に造られていますが、それでも、道路から見ると、よくもまあ! あんなところに造ったものだという気にさせられます。
現在は、道路から坂道が設けられていて、歩いて行けるようになっていました。1527年に造られた何階からなり立つ建物ですが、2階が中心のようでした。16世紀に描かれた「聖アルテミエのイコン」があります。 -
写真の中では、アギオス・ニコラオス修道院の右手上方にメガロ・メテオロン修道院が見えます。
メガロ・メテオロン修道院の右の谷を挟んでさらに右に、ヴァルラーム修道院が写っています。 -
アギオス・ニコラオス修道院の北側というより上にメガロ・メテオロン修道院がありました。表紙に貼り付けた写真が駐車場からの全景です。
駐車場からは、谷底まで降りて、改めて修道院の建物めがけて石段を登っていくようになっています。
到着した午前9時過ぎは、昨夜からの雨の影響で、塔の部分がかすんでいました。 -
見学を終えて帰路に就く時間帯には、霞も晴れて塔がくっきりと見えました。
石段が設けられていなかった時代には、この垂直の岸壁をはしごや手製のリフトなどで、人も荷物もあげたり下ろしたりしたというのです。 -
塔に開いた開口部は、リフトなどから荷物を取り入れるためのようです。
左側のやや大きめの開口部の下に古い木製の梯子ががまだ残っています。 -
修道院の入口から、石段を見下ろすと相当な高さで高所恐怖症の人には眺めるのをおすすめしません。
入口から中ヘは、肌を多く露出した服装や、女性のズボン姿も入場できません。ズボン姿の女性は、入口に備えられている大きな布を腰に巻き付けるようにしなければなりません。 -
塔の内部には、リフトの操作を行う部屋がありました。手前の手すりの陰に巻き上げ機が設置されていました。
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修道士たちの日常生活は、「祈りと労働」と聞きました。修道士は、自分たちの日常生活を維持するために必要な作業は、なんでも手分けして行ったのです。そのための道具がぎっしりと保管されていました。
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自給自足の生活のためには、蓄える必要があったのでしょう。樽などの容器が数多くありました。
ガイドの説明に、ギリシャでは僧侶は公務員であるという話を聞きまた。日本人の感覚では、極めて奇異に聞こえましたが、身分の保障と生活に支障が無い状況を作り、神の教えに没頭するのであれば、日本の宗教のように個人の家で行う宗教的な行事にもお布施などの心配をしたり、葬儀に葬祭業者が絡んできて何百万円もの費用になることを考えれば、公務員の僧侶を歓迎しなければならないような気にもなりました。修道士や修道女は公務員ではないとも聞きました。 -
ギリシャ正教でも、ワインは聖なる行事に欠くことができないそうです。
写真のように大きなワイン樽も備えていました。 -
洞窟の中には、髑髏が無数に祀られていました。ここでの修道生活をした修道士のものなのでしょう。
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メガロ・メテオロン修道院は、7haの岩峰の上に造られています。標高613mで現存する修道院の中では最も高い位置にあり、最も大規模です。
ガイドが、3人の修道士が生活していると言ったように記憶しています。 -
メガロ・メテオロン修道院から谷を隔ててヴァルラーム修道院があります。最初はヴァルラームによって14世紀に開かれ、1517〜18年にテオフォニスとアポソラデス兄弟が修道院を開いたという歴史があります。
建物は、3人の司教を祀る教会、居間、台所(現在は博物館)などがあります。
ガイドの説明のウロ覚えの中に24人の修道士が生活しているということが残っています。 -
ルサヌー修道院は、小さな岩峰の全部を利用して造られています。
1529年に兄弟の修道士、イオアサフとマクシムスによって建立されています。4階建ての美しい建物です。
現在は、16名の修道女が生活しているということでした。 -
アギア・トリアダ゙修道院は、1438年に修道士デメトリエによって開かれました。現在の建物は、1476年に建てられたものだそうです。
1925年に階段が造られるまで、梯子や巻き上げ機が使われていたそうです。 -
カランバカの街から見える唯一の修道院がアギオス・ステファノス修道院です。
歴史は、1192年に始まったとされています。1350年には1つの部屋ガ造られています。その後、1545年に増築されています。現在の教会は、1798年に造られています。1943年には戦災に会うという歴史も持っています。聖ハラランビエの不腐体が祀られているそうです。
現在、29人の修道女が生活しているということでした。 -
メテオラ観光のビューポイントからです。
ここからは、6つの修道院が全て見えます。
写真の左下がカランバカの街になります。
写真の左方向にアギオス・ステファノス修道院が近く見えます。
この風景から右に目を移すと、一番高いところがメガロ・メテオロン修道院で、そこから岩山を左に下ったところにアギオス・ニコラオス修道院が見えます。さらにヴァルラーム修道院やルサヌー修道院、アギア・トリアダ修道院も一望できる場所です。 -
カランバカから南に250km程離れたところにオシオス・ルカスの修道院があります。
オシオス・ルカス修道院は、デルフィ近郊のヘリコン山麓にあるギリシャ正教の修道院です。 -
修道士ルカスは、953年に亡くなっています。彼の生前の予言が的中し、人々の間に尊崇の念が高まり、聖人に与えられる称号「オシオス」が付けられることになったようです。
961〜966年に、オシオス・ルカスをしのんでハギア・バルバラ聖堂が、建設されました。
さらに1048年には、ルカスの墓があった場所に中央聖堂が造られています。 -
修道院の建物は、小ぶりながら大理石などの石材で造られ、しっかりと管理が行き届いているという印象を持ちました。
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中央聖堂には、モザイク画が1000年の時間経過を感じさせない状態で残されています。
1cmほどのチップを貼り付けて、描かれているとの説明を聞きましたが、継ぎ目などは分からないほどの見事さです。金色の背景に聖人たちの姿が描かれて、聖人の存在感をより高めているのだそうです。 -
東面のモザイク画には、「磔刑」、「全能者ハリストス」、「復活」が見られます。南北面には、「トマスの不信」、キリストが足を洗う「洗足」(写真)が描かれています。
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1593年地震で崩落したドームが再建されたときには、「全能者ハリストス」と天使がフレスコ画の手法で描かれたというが、高い位置にあるのでモザイク画との区別は素人にはできませんでした。
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祭壇は、以外と質素な造りで、ギリシャ正教独特のイコンで飾られているが、これより中には観光客は入れないようになっています。
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この日は、日曜日でしたので午後7時30分から規模の大きなミサが行われるとのことでした。その準備のためでしょう、修道士が静かに、ランプにオリーブオイルを継ぎ足していました。何か神に仕える修道士の一部分を見たようでした。
蛇足: 博物館も小さいながらありました。イコンも沢山販売されていましたが、値段は安易に土産にという程度ではありませんでした。
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