2014/03/18 - 2014/03/18
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さんたくさん
青春18きっぷを使って北陸へ一泊旅行に行ってきました。
今回の主な訪問先は次の通りです。
1日目 ① 金沢城 ② 兼六園
2日目 ① 七尾城 ② 高岡大仏 ③高岡城 ④瑞龍寺
1日目は雨風に悩まされ成巽閣、尾山神社には行けなかったのは心残りです。
2日目は一転して天気も良くほぼ予定していた所は行けました。
では100名城の金沢城の旅行記よろしくお願いします。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
-
JR奈良駅から区間快速で京都へ向かいます。
6:46発で7:42に到着です。
最寄駅を始発に乗っても連絡の関係で、金沢到着が同じ時間となるので少し遅めの出発です。 -
京都を7:52に出発し、近江塩津には9:34に到着しました。
琵琶湖の東側を米原経由でやってきました。
湖西線を使って琵琶湖西側の方が距離も時間も短いのですが、京都で30分以上の連絡待ちがあったので、このルートを選択しました。
琵琶湖の東西どちらからでも近江塩津からは同じ9:37発の敦賀行きの電車に乗れます。 -
敦賀に9:50に到着しました。
金沢や温泉に向かうと思われる旅行客の姿も多く駅も混雑していました。 -
敦賀を9:53に出発します。
なんとか座れました。
ここから約2時間30分電車ですので座れてよかったです。
ただリュックを膝の上に乗せて座りっぱなしも結構疲れましたがw
雨が降ったりやんだりで天気が少し心配です -
定刻通り12:24に金沢駅に到着しました。
いつも通り観光案内所に行って地図やパンフレットを頂きます。
金沢駅東口広場のガラスのドーム「もてなしドーム」です。
金沢を訪れる人に差し出す雨傘をイメージしたものです。
今日のように天気の悪い日にはぴったりですw -
金沢駅から兼六園下までバスで20分弱位でした。
料金は200円でした。
バス停は金沢城や兼六園を結構通り過ぎた所にあります。
一緒にバスを降りたおじさんが「もっと近くに降ろしてくれたらいいのに」とぶつぶつ文句を言ってましたが、私も同感です(笑)
まずは金沢城に行きます。 -
金沢城に到着です。
右が金沢城、左の道路をはさんで兼六園があります。 -
前田利家公之像です。
利家は「槍の又左」と呼ばれる武将で、豊臣政権の五大老のひとりです。
もちろん加賀藩の礎を築いた人でもあります。
もしも彼が家康よりも長く生きたとしたら徳川幕府は成立しなかったかもしれません。 -
お堀通り(白鳥路)にはたくさんの銅像があります。
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金沢の三文豪の銅像です。
左から室生犀星、泉鏡花、徳田秋声です。 -
大手門(尾坂門)から入城します。
寂しい感じの入り口ですが、ここが城の正面だったと考えられています。 -
大手門の石垣は巨大な割石を使った打ち込みハギの石垣です。
巨石は「鏡石」と呼ばれ、一般的に城の正面によく用いられました。
金沢城で最大の石もこの中に組み込まれており、尾坂門が大手門だった一つの証拠と考えられています。
それにしても立派な石垣と、大手堀に感服しました。 -
キリシタン大名・高山右近の指導により西丁口(現在の黒門口)にあった大手(城の正面)を尾坂口に移したと伝えられています。
大きな櫓台石垣が残っていますが、櫓などは無く、屋根つきの門が設けられていました。 -
ただただ広い新丸広場です。
新丸広場には藩の重臣の屋敷が建てられていましたが、家臣の数も増え手狭になってきました。
そこで屋敷は城外に移し、この地で武具の修理・製造を行っていましたが火災により焼失した跡地です。 -
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二の丸北面石垣です。
石垣の上には菱櫓が見えます。 -
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新丸広場の湿生園です。
江戸時代後期の古絵図などを基に、護岸は往時の新丸南堀の外郭が再現されています。 -
2010年に再建された三の丸正門の河北門(かほくもん)です。
石川門、橋爪門とともに金沢城三御門と呼ばれています。
この門は河北門の一の門です。
一の門は三の丸に入るための最初の門で、幅4.7m、高さ7.4mの総欅造りです。 -
高さ12.3m、幅26.9m、奥行き8.2mの河北門の二の門です。
この二の門櫓部分である2階の内部が公開されています。 -
河北門の二の門を三の丸から見ています。
両側の石垣は、石を隙間なく積み上げる切込みハギです。
石は一個1トンから1.8トンの石が620個使もわれています。
右の階段から2階櫓内部を無料で見学できます。 -
河北門の二の門の櫓の中です。
靴を脱いで見学します。
木の香りがしてとてもきれいな所です。
河北門の再建の説明がパネルで展示されています。 -
門上部の2階櫓は長さ11.8m、重量4.5トンの欅材の梁が支えています。
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河北門の二の門からの眺めです。
写真の真ん中右に見える茶色の出窓の所はニラミ櫓台です。
河北門の一の門の並びにあり監視用の櫓だったと思われます。 -
次に重要文化財に指定されている石川門に行きます。
石川門は搦手(裏口)門ですが、今日ではこちらから入城する方が一般的だと思われます。
写真の石川門の二の門は櫓門です。 -
石川門の石垣です。
正面に「切込みハギ」の石垣があります。
左側にほんの少し写っているのが「打ち込みハギ」の石垣です。
同じ場所で違う技法を使った珍しい石垣です。 -
さすがに重厚な門です。
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石川門の一の門は高麗門です。
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続櫓と二層二階建ての石川櫓です。
この石川櫓は金沢城のシンボル的な櫓です。 -
石川門から入城するとすぐに総合案内所があります。
こちらでパンフレットなどを頂くことができます。
また、100名城のスタンプもここで押すことができます。 -
菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓が見えます。
それにしてもここも広いです。
ここは三の丸広場で、高知番所、物頭番所が置かれていました。
これらはともに宿直して城の警備にあたっていた所です。 -
橋爪門続櫓です。
橋爪門を見下ろす橋爪門続櫓は三の丸から二の丸に向かう人を関する重要な役割を持っていました。
石垣は打ち込みハギの技法が使われています。 -
二の丸で最も高い菱櫓です。
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石落としも持つ千鳥破風の外観が美しい菱櫓です。
石落としは文字通り敵に石を落とすためのものです。
また石垣、堀と櫓の光景も素晴らしいです。 -
二の丸北面石垣は打ち込みハギの中でも最も完成されたものです。
打ち込みハギは形や大きさをそろえた割石を積む技法です。 -
同じく二の丸北面石垣です。
苔むした石垣、水をたたえたお堀ということなしです。 -
四十間長屋跡です。
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お堀沿いに歩いていると突き当たりに金沢城・兼六園管理事務所がありました。
外に少しパンフレットが置いてありました。 -
裏口門跡です。
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切手門です。
当時は場内にあったものがここに移設され現存している貴重な門です。 -
切手門を入ると旧第六旅団司令部だった建物があります。
明治31年に建てられた木造平屋建てです。 -
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数寄屋石垣です。
石の表面を長方形に仕上げた切り込みハギで、石に刻印があるのが分かります。
刻印は石を切り出す時の作業分担などを示すためにつけられとも言われています。
この石垣は創建時に積まれたものです。 -
刻印がはっきりわかります。
これだけ刻印が分かりやすい所は初めてでした。 -
数寄屋石垣です。
1808年に改修されたもので長方形の石が積まれ、表面が綺麗に整えられています。
このあたりには側室たちの住まいがあった所です。
苔むした石垣の雰囲気もいいです。 -
二の丸案内所です。
ここで菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓の入場券を購入します。
兼六園との共通券で500円でした。
風がとんでもなく強く傘のほねが折れてしまいました。
雨も降ったりやんだりで観光にはかなり悪いコンディションでした。
傘をさしても横風でかなり濡れますし、カメラのレンズにも水滴がつくのを防ぐのも難しいです。
傘をさしたり合羽を着たりと時間もかかりますし・・・ -
入場券替わりのパンフレットを持って、雨風から逃げるように入場しました。
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靴を脱いで見学します。
木の香りがいいです。 -
中ではパネル展示などがあり金沢城の歴史などが学べるようになっています。
菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓の古写真です。
今のものと変わらず忠実に再現されているのが分かります。また馬に乗っている人もいて歴史を感じます。 -
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五十間長屋です。
菱櫓と橋爪門続櫓を結ぶ二層の多聞櫓で長さは98mほどもあります。
普段は倉庫として使われていましたが、非常時は戦闘のための砦となります。 -
復元された階段はかなりの急こう配です。
お城の階段は勾配のきついものが多いです。 -
橋爪門は二の丸御殿の正門で、平成27年の春に完成予定です。
橋爪門は一の門はできていますが、今、二の門が復元されています。
当日も橋爪門続櫓に資材が運び込まれていました。 -
出し(出窓)の石落としです。
出窓形式で床は開くようになっていて、石を落とすようになっていました。
石垣を昇ってくる敵から防衛するためです。 -
野面積みの石垣が素晴らしいです。
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二の丸から三十間長屋のある本丸附段へ渡る極楽橋です。
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1858年に建てられた2層2階建ての三十間長屋です。
重要文化財に指定されています。 -
鉄門(くろがねもん)石垣です。
本丸への入り口となるここにも切り込みハギが用いられています。
石の表面を多角形に加工したデザインの石垣です。
鉄門は渡櫓ののった重厚な門で鉄板を張った扉がつけられ、本丸の防御にあたっていました。 -
戌亥(いぬい)櫓跡です。
本丸の北西角、戌亥の方角にあったことから戌亥櫓と呼ばれていました。
戌亥櫓は西と北に出窓のついた二層の櫓でした。 -
戌亥櫓から二の丸が見渡せます。
工事している所は現在復元中の橋爪門二の門です。
ちょうど下の絵と同じアングルです。 -
上の工事をしている所が完成すると、この絵のようになります。
平成27年に完成予定です。 -
このトンネルがすごく気になりましたが、柵もあり行けそうにありません。
後で分かったのですが、実はこれ陸軍が作ったトンネルだったみたいです。
トンネルの反対側は石垣です。 -
本丸跡です。
1583年の賤ヶ岳合戦後、前田利家が入場し1586年ごろに天守閣を建築したと云われています。
天守閣は1602年に焼失し、その後、三総櫓が建てられました。
1631年の寛永の大火までは、本丸に御殿が置かれ金沢城の中心でしたが、大火後は二の丸に移りました。
今は森になっていますが、気持ちのいい場所です。 -
本丸跡の大木です。
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本丸園地を進んでいくと東の丸跡です。
これも今は森があるだけです。 -
更に進んでいくと丑寅(うしとら)櫓跡に到着です。
ここは本丸の東北角、丑寅の方角であったため、丑寅櫓と呼ばれていました。
物見や本丸の防備を担っていました。 -
丑寅櫓からは兼六園の方が見はらせます。
写真は兼六園の茶店通り(江戸町通り)です。 -
戌亥(いぬい)櫓石垣です。
打ち込みハギの積み方をしていますが、石の隙間に平らな石を嵌めこみ、切り込みハギのように見せています。
長い年月の間に石が抜け落ちている部分もあります。 -
1848年に建て替えられた武具倉庫の鶴丸倉庫です。
金沢城には藩政期の建造物は少ししか残っていないので、貴重なものです。
国の重要文化財に指定されています。 -
鶴丸倉庫は明治以降には陸軍の被服庫として使われていた時期もありました。
石板を張った外壁など櫓などとはデザインが変えられています。 -
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レンガ造りのトンネルが見えてきました。
この石垣も非常に素晴らしい野面積みです。 -
レンガ造りのトンネルです。
金沢城は明治以降、旧陸軍の所管となり軍事施設がもうけられていました。
このトンネルは爆弾庫が造られた明治から大正期に造られたと考えられています。
石垣を一部壊してトンネルを作ったのでしょう。 -
残念ながらこのトンネルは立ち入り禁止でした。
通り抜けできるようですし、入れないのは残念です。 -
東の丸北面石垣は非常に迫力のある石垣で、雨の中でも見惚れてしまいました。
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三の丸から二の丸への橋爪橋と橋爪門の一の門です。
古写真を基に忠実に再現されたものです。
橋爪門の二の門などは現在復元中ですので、今はここを通ることはできません。 -
橋爪門から橋爪門続櫓を見上げます。
橋爪門続櫓は先ほど内部を見学しました。
出窓の石落としもありますし、二の丸は鉄壁の防備だったのが分かります
。 -
石落としと堀で二の丸を固めていたのでしょう。
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そろそろ石川門から金沢城をあとにします。
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雨も風もとてつもなく強くなってきました。
合羽を着て傘をさしてもずぶ濡れです。 -
金沢城を出て兼六園に向かうタイミングで、この天気です。
本当にすごい雨でしたので、とりあえず目についたお店に入りました。
この続きは次回に書かせて頂きたいと思います。
長々とした旅行記になってしまいましたが、読んでくださって本当にありがとうございました。
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