2014/01/23 - 2014/01/23
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ちびのぱぱさん
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新山口駅からレンタカーに乗って、萩の城下町にやってきました。
萩の街はとても静かで、どこか透き通っております。
近代日本を作ったこの街が、江戸時代の美しい町並みを変わらずに残している。
歴史って、面白いです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー JRローカル
-
新山口駅で借りたワゴンR。
とても快適です。
ずっと鉄道の旅を続けていたので、ほんらい運転嫌いなのですが、旅の視点が変わって心がはずみます。
なにより、歩かなくてよい。 -
午前に秋吉台を見てから、一気に萩の海辺にやってきました。(表紙の写真も)
白砂青松の、美しい海が広がっています。
萩の海が、これほど美しいとは思いませんでした。
寄せる波は透きとおり、向こうに萩城詰丸のあった143mの指月山がどっしりと腰を下ろす。 -
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萩の城下町は、とてもユニークな景色を作り上げています。
橋本川と松本川という二つの川に守られた中州に、武家屋敷と町人屋敷が住み分けられた旧市街地が広がり、要するに自然の要害にできた街といえます。
さらに、海に突き出た河口部を城域として手前に運河が掘られ、これが城をいっそう近づきがたいものとしています。
この運河手前あたりを堀内地区と言いまして、かつての上級武士たちの屋敷が集まっていました。
この地区には鍵曲(かいまがり)という、敵を惑わす鍵状の路地もあり、一見行き止まりかと思わせて、実は其の先がまだある、というものだそうです。 -
区割りも大きく、歩こうとすると結構大変です。
現に、あまり人が歩いていない。 -
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石塀の向こうにミカンが生っているのが見えました。
背伸びして中をのぞき込むと、 -
学校の先生のような男性が、ミカンの木をいじっておりました。
挨拶をすると、これは夏みかんだと教えてくださいました。
萩は、夏みかん生産の発祥地なのだそうです。
明治に入って、廃藩置県、武士の俸禄廃止といった激流は、この明治維新の立役者である萩においても、情け容赦なく士族を追い詰めたようです。
武士たることに最後までこだわった前原一誠は、萩に戻って明治9年に萩の乱を起こしました。
ちょうど萩の乱の頃、夏みかんの経済栽培も行われるようになったのだそうです。
時代の波に逆らおうとした人々と、時代の波に必死にしがみついた人々が、交錯したというわけです。
敷地で、ミカンの栽培ができるということは、そうとうのお家柄なのだろうか。
実は、この方の先祖は上士の出ではなく、なぜこの場所に移ったか、その経緯は不明、なのだそうです。
「夏みかんは、ふつう12月には収穫して蔵で寝かせて甘くするのです。うちには、そんな立派なものはありませんから、こうして5月まで木につけておき、それから出荷します。」
「では、完熟、ということですね。」
「一応、わたしのミカンを指名して購入してくださる方がいらっしゃいます。」
謙遜しておられましたが、つまり高級果物、ですね。
木につけたまま世話をするのは、結構手間のかかることのようです。
気がつけば、ほかにも塀の上から夏みかんの覗くお宅が散見されます。
春には、夏みかんの香りが地域に立ちこめるのだとか。
そんな季節に旅をできたらよいのに。 -
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堀内地区を歩きます
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萩の城趾にやってきました。
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城趾には、毛利輝元公の銅像がありました。
今の大河ドラマでも、たびたび登場しております。
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若い頃は、織田信長と覇権を争って戦い、関ヶ原の戦では西軍の将となり、日本の歴史を大いに盛り上げました。
これからも、目が離せない方です。 -
ここは、お城の前にある厚狭毛利家の屋敷門。
厚狭に所領を持っていた毛利元秋(輝元の叔父さん)の系統で、ここはその萩屋敷。
広大な敷地を有していたそうです。
私事ですが、後ほどこの厚狭で、大惨事に見舞われました。 -
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こんどは、町屋の方にやってきました。
浜崎あたりには、昔のままの商家などが立ち並んでおります。
車を停めるところがないので、どうしようかと思案していると、目の前のおうちから覗いたご主人が、
「そこの電柱の脇に置いていいから。」
と親切に言ってくださいました。 -
旧山村家住宅。
内部を拝見すると、所狭しとひな人形が飾られていました。 -
ひな人形は、集めたのではなく、集まったのだそうです。
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自分のうちの蔵にも眠っているのでお願いします的に、最近では萩を観光で訪れた方たちからも、全国的に集まってくるのだそうです。
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結構貴重なものもあります。
「3月3日になったら、しまうのですか?」
「えっ?」
「いや、その、娘がどうのと言いますから、そうなのかな?とか思いまして。」
「ずっと、飾りっぱなしです。」
なるほど、そういう心配は、もうしないんですね。 -
浜崎本丁筋
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さて、萩を後にして、温泉にでも浸かろうか知らん。
事前におこなった綿密な調査によれば、長門の湯本温泉というのが、浮上して参りました。
ネットで見つけた温泉施設の画像の、「ど」の付くような昭和調の外観にしびれました。
毒々しいまでのネオンが、川沿いに光り輝いている。
妻にも見せると、
「いいねえ、ここ行こ。」
ということに。
それから新山口駅に戻ろうと思います。 -
ところが、意外に見つけるのに手こずりましたね。
長門湯本温泉のあのネオンは、どこにあるのかと、その辺の人に尋ねると、
「ああ、そこの道をまあっつぐ行って、線路も渡って行くのよ。」
だという。
車一台分の狭い通りを半信半疑で進むと、それは確かにありました。
このたどり着き方が堪らない。 -
残念ながら、まだネオンの灯る時間ではなく毒々しさに欠けます。
ポストのように紅い欄干が縁取る狭い橋を渡って、町営温泉の広い駐車場に車を駐めました。
車外に出ると、山間の澄んだ空気が肺を冷やしてくれます。
川の方に降りてみました。 -
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大正時代の、この湯治場の賑わいを想像してみます。
近くには、JR美弥線の湯本温泉駅があるので、湯治客はそこから米や味噌の入った荷物を背負ってやってきたのでしょう。
地元の人は、ここで洗濯と世間話に花を咲かせたと言いますが、湯治客もここに来て洗濯をしながら、地元の人と情報交換をしたのかなあ。 -
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町営温泉に入ってみよう。
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なにやら、由緒ありげ。
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古い病院の受付のような窓口には、押し出しの良い女将さんが座っておりました。
おそるおそる
「入浴させてください。」
と、声を掛けると、
「あんた、病気の方どうよ。」
と、大きな声でいきなり尋ねられました。
「うへえっ!」
と、びっくり仰天したら、ちょうど後から入ってきたおばあさんをめざとく見つけて、その人に声を掛けたのだとわかり、赤面す。 -
料金はうれしい大人一人200円。
地元の人は、シーズンごとに手形を購入して入っているらしい。 -
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男風呂は浴槽が二つに分かれていて、多くの人は左にいます。
右手には、ご老人が二人。
「コッチの方が、熱いのですか?」
と、意味不明の質問をすると、
「どっちもおんなじ。ぬるいから30分くらい浸かってないとあったまらんよ。」
では、なぜ二つに分かれているのか?
「さあ、むかしっからこうだね。なに? 北海道から来た? そりゃま、遠くからごくろうさん。北海道は寒いんだろうね。どうやって生きてるの?」
「寒さは、なんとか慣れますけど、雪の多さにやられます。」
「雪?こっちも先週降ったけど、もうどっか消えちゃったね。それにしても、寒いところからよう来なさった。」
どうも、雪よりも寒さの方に関心がおありのようです。
ご老人たちとおしゃべりしていたので、いつのまにか体の芯まで温まりました。
やわらかくて良いお湯です。 -
窓口の女将さんの話では、むかしは男湯の浴槽だけで、左右が男女に分かれていたのだそうです。
その後、狭いから広くしてくれ、ということになって新たに女湯を増設してこうなったのだとか。
「それ、いつよ。」
いつの間にか、地元のおとうさんが後ろにいて、問いかけてきました。
「もう、40年くらいになるよ。」
「そりゃ知らんかったな。」
後は、地元の話になっちゃったので、ちょうど上がってきた妻と一緒に外に出ました。 -
その少し奥に、「新しい」共同浴場があるのだそう。
-
「新しい」方にもお客さんがたくさん来ていました。
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ちょっと、湯治してみたいな。
-
新山口の駅で車を返し、17時35分発下関行き普通列車に乗りました。
夕暮れ迫る山陽本線の車窓をぼんやり眺めていると、どうも下腹部に鈍い痛みが。
寄せては引く波のような、この痛み。
どうも、腹を下したようです。
どうしようか……。
途中で降りてしまうと、この後40分は列車がない。
「ふんぎり」がつかないでいるうちに、とうとう限界がやってきました。
「ちょっと、おなかがいたい。」
「えっ、まずいでしょ。」
「お、おりる。」
ちょうど、そのとき近づいた駅で飛び降りました。
駅舎に向かう階段を上るときが最大のピンチでした。
「もうだめだ。」
階段を登るときに何度かそう思いました。
ようやく駅のトイレに駆け込んだときの安堵感は、言いようがありません。 -
さて、この駅ですが「厚狭」という駅でした。
ぶらりと、時間つぶしに駅前に出ると、銅像が建っています。 -
この方、平賀清恒といい、三年寝太郎のモデルになったのだそうです。
武田氏との戦に敗れて、この地の大内氏のもとに落ち延びていましたが、干ばつに苦しむ農民のために3年3ヶ月熟考を重ねたあげくに名案を思いついた。
佐渡の金山に行って無償で300足のワラジを貸し出し、半年後に回収し、帰ってきてワラジに付いた砂金を洗い落として、灌漑設備の資金にしたのだそうな。
「へえ、そんな話があったんだ。」
この鈍行の旅も、明日が最終日になってしまった。
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この旅行記へのコメント (1)
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- わんぱく大将さん 2014/03/17 01:56:15
- おっとっと
- ちびのぱぱさん
おっとと、なにで腹を下された? あのおばさんの“病気の方はどうよ?”ってあれは予感だったのでしょうか?
萩の街は自転車で周りましたかね。あんなに大きかったかな? 兎に角京都、奈良より歴史を感じた所でしたね。
大将
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