![松阪城跡旅行記の後半です。<br />写真を見返してみても石垣ばっかり撮ってるとあきれますw<br />まぁそれだけ素晴らしいものだったということですね。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/85/76/650x_10857601.jpg?updated_at=1392003011)
2014/01/22 - 2014/01/22
128位(同エリア337件中)
さんたくさん
松阪城跡旅行記の後半です。
写真を見返してみても石垣ばっかり撮ってるとあきれますw
まぁそれだけ素晴らしいものだったということですね。
- 旅行の満足度
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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天守跡から本丸をぐるっと回って行きます。
ここは敵見櫓跡です。
櫓を建て敵を警戒していたんでしょうか。 -
石垣の上を歩いて行く感じで一周します。
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敵見櫓跡から見た本丸跡全景です。
こんな感じで石垣が本丸跡を覆っています。 -
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赤い実が綺麗ですが、これって南天でしょうか?
帰ってから調べたら南天の木は縁起のいいものらしく鬼門に植えるといいらしいです。そういえば最初に行った松阪城の鬼門よけとして信仰された御厨神社もこの方角です。 -
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松阪開府之碑です。
「松阪」の地名は縁起のいい「松」の字と大阪の「阪」の字をとって蒲生氏郷によって名づけられたらしいです。先ほど訪れた歴史民族資料館のビデオで教わりました。当時は「松坂」でしたが1889年に「松阪」になりました。
ここは金の間跡です。 -
天守跡よりも高い所にある「きたい丸跡」です。
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きたい丸跡は梅林になっています。
梅の季節になると素晴らしい光景が見られるのでしょう。 -
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そして展望台みたいなところに到着です。
5〜6人の方が天守跡を見た後、梅林の入り口で引き返されました。梅が全くの枯れ木なので何も無いと思われたのでしょう。梅林を突き抜けないとここまでこれませんし・・・もったいないことです。 -
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石垣の上からです。
かなり高いですが何メートル位あるのでしょうか? -
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たったかい〜
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こういった感じの上を歩きます。
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石垣の上ですが結構幅は狭いです。
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石垣の上を行けるところまで行こうと思っていましたが結構、風も強いです。
なのでへたれな私は途中で断念しました。怖かった・・・ -
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石垣に穴が開いています。
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向こう側も見えますが排水溝かなんかでしょうか?
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中御門跡です。
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史跡本居宣長舊宅です。
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門をくぐると案内板があります。
本居宣長記念館と特別史跡本居宣長旧宅「鈴屋」が見れます。 -
門のすぐ横に「くつろぎ処 桜松閣」があります。
この建物自体が有形登録文化財です。
会館日は土日祝祭日と書いてありました。今日は平日ですから休みということでしょう。 -
山室山神社。魚町旧宅跡。
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裏門跡を見下ろします。
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隠居丸跡です。
井戸があったようです。 -
米蔵跡です。
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右手に見えるのが本居宣長旧宅「鈴屋」です。
看板の指示通りまずは本居宣長記念館に向かいます。 -
向こうに見える石垣は立派です。
でも戸はいただけない気がw -
本居宣長記念館です。
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本居宣長記念館の1階です。
本居宣長の像が迎えてくれます。
ソファなども用意されていてしばし休憩しました。
ここで入館料400円を支払います。これで記念館と旧宅「鈴屋」を見学できます。また、この受付で100名城のスタンプを押しました。
資料は2階に展示されていますが、撮影禁止のようですので写真はとっていません。ここは宣長やその息子春庭の自筆の資料などがたくさん展示されていて非常に興味をそそられました。かなり長い時間を過ごしました。 -
本居宣長記念館を出て「鈴屋」に向かいます。
埋門跡です。 -
本居宣長旧宅「鈴屋」です。
宣長が12歳から72歳まで住んでいました。もとは魚町にあったものを保存展示のためここに移築されました。
「鈴屋」というのは2階の書斎に柱掛鈴をかけて勉強の合間にならしていたからそう呼ばれました。本居宣長は鈴が好きだったようです。 -
2階の宣長の書斎「鈴屋」です。2階は見学できないので外からみることしかできません。
この掛け軸を宣長は先生である国学者・賀茂真淵の命日にかけて先生を偲びました。真淵とは1度しか会ったことはなく手紙で指導を受けていました。この一度だけの出会いは「松阪の夜」と呼ばれています。 -
「鈴屋」に入ります。
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入ってすぐ左は店の間です。
医者であった宣長はここで診察をしたり薬の調合をしたようです。
記念館には宣長の薬袋なんかも展示されていました。 -
「中の間」「奥中の間」です。
「中の間」は客人の待合室にも使われていました。 -
奥の間から店の間などを見ます。
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「階段の間」です。
左に見える階段から2階の「鈴屋」にあがれます。しかし今は昇らないようにと注意書きがあります。
この階段はかなり急でした。
2階は宣長が53歳の時に屋根裏部屋を改築した4畳半の部屋です。ここで「古事記伝」などが完成しました。 -
奥の間にある宣長の掛け軸です。
この奥の間で弟子に授業を行いました。 -
背をかがめないと通り抜けられないくらいの格子戸です。
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格子戸を抜けると台所です。
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中庭だったと思います。
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鈴屋を出て二の丸跡に向かいます。
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二の丸跡にある紫藤です。
樹齢三百数十年らしいです。 -
二の丸跡には売店もあります。
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裏門跡です。
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裏門跡からの眺めです。
ここからすぐに御城番屋敷にいけます。 -
裏門跡と搦手門(からめてもん)跡を結ぶ石畳の両側にあった武家屋敷が御城番屋敷です。
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松阪は1619年に紀州藩の領藩とり松阪城代役所などがおかれました。御城番屋敷は松阪城の警護をする紀州藩士の住居として1863年に建てられたものです。
現在も昔の面影を残しておりタイムスリップしたかのような感覚を味わえます。 -
松阪市は御城番屋敷13戸のうち1戸を借り受け公開しています。
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無料で見学できます。
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近世の長屋武家屋敷の中では最大規模のものであり重要文化財に指定されています。
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御城番屋敷をあとにします。
他の屋敷は建築当時の住人の直系の子孫の方々が維持管理されています。 -
旧三重県立工業学校製図室です。
明治41年に建設され、赤褐色色で塗られた木骨が美しいです。
ヨーロッパ風です。 -
松阪工業高校を一周し松阪神社へ。
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手水舎です。
ここで身を清めます。 -
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松阪神社です。
立派な神社です。お参りしていきます。 -
松阪神社のすぐ横に本居宣長神社参道があります。
もちろん行ってみます。 -
現在は本居宣長ノ宮と言われています。
学問の神様みたいです。 -
本居宣長ノ宮本殿の中です。
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自然生料理 本居庵です。
本居宣長ノ宮を出てすぐの所にあります。
現在1時35分です。このお店は全く予備知識がありませんが、お腹もすいてきたのでここで昼食にします。 -
本居宣長にちなんででしょう。
各テーブルに鈴が置いてあります。 -
自然生鍋和膳1,400円です。
じねんじょう鍋、麦飯、とろろ汁、むかご、一口豆腐、刺身こんにゃく、つけもの、柿でした。
鍋は優しい味で、とろろ汁もだしが好みに合って美味しかったです。
寒い日でしたので鍋で体も温まりました。満足しました。 -
お腹もいっぱいになったので松阪城を石垣沿いに一周しようと歩きだします。
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グラウンドがあって行き止まりでした。
仕方ないので引き返します。 -
石垣を眺めながら松阪城の周りを廻って行きます。
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この算木積もすばらしいです。
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この後、再び松阪城の中を散策しました。
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松阪駅前の驛鈴(えきれい)です。
松阪のシンボルですね。 -
お土産を買って上本町行き15時12分発の急行に乗って帰りました。
およそ6時間ほどの松阪散策でした。
長々とした旅行記に付き合っていただき本当にありがとうございました。
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