2014/01/22 - 2014/01/22
123位(同エリア337件中)
さんたくさん
松阪城跡を目指します。
日本100名城 スタンプラリー28城目です。
今回は松阪城の天守閣跡までです。
松阪城の石垣は本当に素晴らしいです。100名城ふさわしいものと思います。
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今回は近鉄青山町からです。
8時25分発の近鉄大阪線でまず伊勢中川を目指します。 -
私の乗った車両にはお客さんも少なく快適です。
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伊勢中川に8時58分に到着。
ここで近鉄山田線に乗り換え急行で松阪に向かいます。 -
松阪には定刻どおり9時11分に着きました。
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松阪駅に降りるのは初めてですが、予想していたより大きな駅でした。JR東海と近鉄が乗り入れており共同で使用しているようです。
キヨスクの横に「駅弁のあら竹」があります。
ここでは松阪牛の入った駅弁とかが売られています。
もちろん赤福餅もあります。 -
松阪駅の外観です。
昭和っぽい感じがします。 -
観光地の駅のすぐ近くには観光案内所がよくあります。
ここで観光地図をいただきます。
もちろん下調べもしていますが、こういった所でもらうものは重宝します。旅行の記念にもなりますしw -
御厨神社です。
蒲生氏郷が1584年に遷社し松阪城の鬼門よけとして信仰されました。
また本居宣長は「古事記伝」を奉納しています。 -
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阪内川沿いに歩きます。
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旧参宮道です。
伊勢神宮への参拝道で旧伊勢街道のことです。
この通り沿いに「松阪商人の館」「三井家発祥の地」があります。 -
松阪商人の館です。
豪商・小津清左衛門邸が公開されています。
小津家は紙業、木綿業などで財をなし松阪の豪商の中でも筆頭格にあげられるほど成功しました。 -
200円で見学できますが今回はスルーします。
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三井家発祥の地。
三井財閥の創始者・三井高利が1622年にこの地に生れました。
1673年に越後屋(後の三越)を江戸に開店させます。
「店頭販売」「現金掛け値なし」の商法により成功します。
昔、社会の教科書で見た気がしますw -
残念ながらこの石板があるくらいで門を眺めるくらいしかできません。
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「ロマンとソロバンの町」ですか・・・うまいこと言いますね。
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魚町通。
昔ながらの街並みが保存されています。 -
江戸木綿問屋・旧長谷川邸です。
長谷川家も江戸店持ちの豪商です。内部は非公開です。 -
小泉見庵邸。
本居宣長の家の向かいにあります。宣長とその母は、代々医者である小泉家のこの家を見て、医者になってもやっていけると考えたらしいです。
宣長の父親は商人でしたが、本好きの宣長は商売には向いていないと思ったようです。
見庵は宣長の友人でもありました。 -
本居宣長宅跡です。
宣長が12歳から72歳まで暮し、この地で「古事記伝」などが著されました。 -
ここにあった居宅は「鈴庵」と呼ばれていましたが、明治42年に松阪公園に移築されています。後で見学に行く予定です。
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宣長旧宅跡に残る宣長の長男春庭の居宅です。
後で行く本居宣長記念館には宣長とともに春庭の業績も数多く展示されていました。 -
松阪城が見えてきました。
立派な石垣でテンションが上がります。 -
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人と比べていただくと石垣の大きさがわかると思います。
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この石垣。本当にほれぼれします。
蒲生氏郷は「穴太衆(あのうしゅう)」呼ばれる近江の石工集団を呼び寄せてこの石垣を作らせました。この野面積の石の積み上げ方や石垣の美しい曲線がたまりません。 -
松阪城入口です。
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途中にあった「松阪城古今地図」。
大規模なお城だったと思われます。 -
あまりの立派さにシャッター押しまくってました。
蒲生氏郷が1588年に築城した松阪城。期待が膨らみます。
松阪城跡は平成23年に国指定史跡にもなっています。 -
表門跡です。
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城跡内にある歴史民俗資料館です。
明治43年に図書館として建てられたもので、左右対称で現在建物自体が有形文化財となっています。
入館料100円。入館します。 -
当時の看板など展示されています。
資料館の中ではビデオで蒲生氏郷や松阪のことが15分ほどで紹介されていて分りやすいものでした。
氏郷は信長の人質となりましたが、その才能を認められ信長の娘冬姫と結婚します。長篠の戦いなどで武勲をあげ信長にとっても欠かせない武将となりました。
信長の死後は秀吉に仕え12万石を与えられ、松阪城築城、商人の誘致、楽市楽座などで松阪を栄えさせた名君となります。 -
2階には機織りの道具などが陳列してあります。
松阪木綿の資料などがあります。 -
松阪城跡散策に戻ります。
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この日は風も強く足がすくみます。
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この二の丸跡に梶井基次郎文学碑があります。
基次郎が松阪にあった姉の家で療養していた時の経験がいかされた「城のある町にて」の一節が書かれています。
ここに1794年に紀州藩陣屋が建てられましたが、明治10年に焼失しました。 -
月見櫓跡です。
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月見櫓跡から松阪市を眺めます。
平山城なんで絶景というわけではないですw -
太鼓櫓跡です。
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氏郷は1590年に若松城に60万石で移り、松阪城は服部氏、古田氏によって治められます。しかし松阪は1619年には紀州藩の藩領となり、それ以降は城代がおかれるにとどまります。そのため天守、櫓などは放置されていました。
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本丸跡。
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かなり広いです。
ここに連結式3重5階の天守がそびえていました。しかし1644年の台風で天守や櫓は倒壊したといわれています。 -
さらに登って行きます。
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天守閣跡。
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ここに天守台があったんですね。
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