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ついに始まった地元・兵庫県が舞台の大河ドラマ「軍師官兵衛」。東京では視聴率はイマイチのようですが、地元では結構盛り上がっています。<br />今年の初詣も兼ねて、官兵衛飛躍の拠点となった姫路を旅しました。

兵庫県・姫路市・2014冬★「軍師官兵衛」ゆかりのスポットを巡る

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2014/01/03 - 2014/01/03

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ころっつ

ころっつさん

ついに始まった地元・兵庫県が舞台の大河ドラマ「軍師官兵衛」。東京では視聴率はイマイチのようですが、地元では結構盛り上がっています。
今年の初詣も兼ねて、官兵衛飛躍の拠点となった姫路を旅しました。

旅行の満足度
3.5
交通手段
自家用車

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  • 毎年初詣は地元の氏神様に行きますが、今年はもうひとつということで、姫路市にある広峰神社に向かいました。<br />広峰神社は、姫路市街地の北部に位置し、姫路のまちなみを見下ろす標高300メートルあまりの広峰山頂に位置する神社です。神社入口の山頂近くまで自動車道も通じています。

    毎年初詣は地元の氏神様に行きますが、今年はもうひとつということで、姫路市にある広峰神社に向かいました。
    広峰神社は、姫路市街地の北部に位置し、姫路のまちなみを見下ろす標高300メートルあまりの広峰山頂に位置する神社です。神社入口の山頂近くまで自動車道も通じています。

  • 駐車場から歩いて10分ほどで、広峰神社の石碑が建つ、山門下の石段に到着。

    駐車場から歩いて10分ほどで、広峰神社の石碑が建つ、山門下の石段に到着。

  • 天平年間に創建されたと伝わる広峰神社は、京都の祇園社の元社だという説もあり、拝殿は国の重要文化財にも指定されています。

    天平年間に創建されたと伝わる広峰神社は、京都の祇園社の元社だという説もあり、拝殿は国の重要文化財にも指定されています。

  • 拝殿の中には、木馬と江戸時代に使われていたという神輿が置かれていました。

    拝殿の中には、木馬と江戸時代に使われていたという神輿が置かれていました。

  • 広峰神社は姫路城主であった黒田官兵衛の祖父・重隆が人柄を神職に見込まれ、黒田家の先祖伝来の目薬を神社の御札に付けて売ったところ、飛ぶように売れたとの話があり、関係が深いとされています。<br />ただし、黒田家との親交はあったようですが、目薬を売って財を成したという話は物語の域を出ず、真実かどうかは不明のようです。

    広峰神社は姫路城主であった黒田官兵衛の祖父・重隆が人柄を神職に見込まれ、黒田家の先祖伝来の目薬を神社の御札に付けて売ったところ、飛ぶように売れたとの話があり、関係が深いとされています。
    ただし、黒田家との親交はあったようですが、目薬を売って財を成したという話は物語の域を出ず、真実かどうかは不明のようです。

  • 神社の境内にある黒田家三代を描いた看板。姫路は黒田官兵衛を主人公とした大河ドラマの誘致に熱心に努めていたので、まちじゅうが大河ドラマモードです。

    神社の境内にある黒田家三代を描いた看板。姫路は黒田官兵衛を主人公とした大河ドラマの誘致に熱心に努めていたので、まちじゅうが大河ドラマモードです。

  • 山門から駐車場に戻る途中、旧参道沿いには御師(おし)の屋敷が残っています。<br />御師とは広峰神社の神官のことで、山上の神社近くには、かつて御師たちの屋敷街が築かれていました。

    山門から駐車場に戻る途中、旧参道沿いには御師(おし)の屋敷が残っています。
    御師とは広峰神社の神官のことで、山上の神社近くには、かつて御師たちの屋敷街が築かれていました。

  • 御師の屋敷は、現在住まれているのは1軒だけだそうです。<br />その他は道沿いの土塀を残すだけで、屋敷自体は残っていませんが、当時の繁栄を伝える面影を残す光景です。

    御師の屋敷は、現在住まれているのは1軒だけだそうです。
    その他は道沿いの土塀を残すだけで、屋敷自体は残っていませんが、当時の繁栄を伝える面影を残す光景です。

  • 広峰神社の次に向かったのは、同じく姫路市内にある書写山圓教寺です。夢前川沿いの麓からロープウェイで登るのですが、こちらも大河ドラマモード…車体には姫路市の官兵衛キャラ「かんべいくん」が描かれています。

    広峰神社の次に向かったのは、同じく姫路市内にある書写山圓教寺です。夢前川沿いの麓からロープウェイで登るのですが、こちらも大河ドラマモード…車体には姫路市の官兵衛キャラ「かんべいくん」が描かれています。

  • ロープウェイの山上駅から歩いて本坊まで30分弱の道のりです。<br />拝観料を払って歩いて行くのですが、通常の倍の「特別拝観料」を支払うと、バスに乗って本坊まで行けるという近代的なシステムもあります。私はもちろん歩きで、本坊までの道のりの半分くらいのところにある仁王門をくぐって行きます。

    ロープウェイの山上駅から歩いて本坊まで30分弱の道のりです。
    拝観料を払って歩いて行くのですが、通常の倍の「特別拝観料」を支払うと、バスに乗って本坊まで行けるという近代的なシステムもあります。私はもちろん歩きで、本坊までの道のりの半分くらいのところにある仁王門をくぐって行きます。

  • 山上のススキ。

    山上のススキ。

  • 参道を歩いてきます。登り道が続きますが、それほど傾斜は急ではありません。

    参道を歩いてきます。登り道が続きますが、それほど傾斜は急ではありません。

  • ここ圓教寺は、平安時代に性空上人によって開かれた天台宗の寺院。西国33番札所の第27番にも数えられ、朱印帳を持って訪れる人が多くいます。

    ここ圓教寺は、平安時代に性空上人によって開かれた天台宗の寺院。西国33番札所の第27番にも数えられ、朱印帳を持って訪れる人が多くいます。

  • 本坊ではじめに目に入ってくるのは、清水寺のような舞台造りの摩尼殿。岩山の中腹に建てられています。

    本坊ではじめに目に入ってくるのは、清水寺のような舞台造りの摩尼殿。岩山の中腹に建てられています。

  • 摩尼殿の舞台上。正月なのでお参りする人が多く、順番待ちに。<br />ここを参って、引き返す人も多くいるようです。

    摩尼殿の舞台上。正月なのでお参りする人が多く、順番待ちに。
    ここを参って、引き返す人も多くいるようです。

  • 摩尼殿から、奥に10分ほど歩いて行くと大講堂があります。<br />圓教寺の本堂に当たる建物で、お経の講義や論議が行われる学問と修行の場とのことです。室町中期の建物で、国の重要文化財にも指定されています。<br /><br />

    摩尼殿から、奥に10分ほど歩いて行くと大講堂があります。
    圓教寺の本堂に当たる建物で、お経の講義や論議が行われる学問と修行の場とのことです。室町中期の建物で、国の重要文化財にも指定されています。

  • 大講堂に隣接した場所には、姫路藩主を務めた徳川譜代大名・本多家の廟所が残っています。老朽化のため、建物は随分傷んでいますが、荘厳な雰囲気があります。

    大講堂に隣接した場所には、姫路藩主を務めた徳川譜代大名・本多家の廟所が残っています。老朽化のため、建物は随分傷んでいますが、荘厳な雰囲気があります。

  • 大講堂に隣接してある「食堂」も重要文化財。修行僧が寝食をする建物で、平安時代後期に建てられたものの、長らくの間、未完成のままであったようです。2階建てとなっており、内部に入って見学ができます。

    大講堂に隣接してある「食堂」も重要文化財。修行僧が寝食をする建物で、平安時代後期に建てられたものの、長らくの間、未完成のままであったようです。2階建てとなっており、内部に入って見学ができます。

  • 摩尼殿に戻る途中にある瑞光院。内部は公開されていませんが、両側に土壁があり、奥に山門がある重厚さを感じます。

    摩尼殿に戻る途中にある瑞光院。内部は公開されていませんが、両側に土壁があり、奥に山門がある重厚さを感じます。

  • 売店で売っていた力餅。できたてで温かく、餅の伸びが良く、その名のとおり力が湧いてきそうなお餅でした。

    売店で売っていた力餅。できたてで温かく、餅の伸びが良く、その名のとおり力が湧いてきそうなお餅でした。

  • こちらは後日に行った「大河ドラマ館」。大改修中の姫路城前の広場に建てられたもので、行ったのはオープン前の内覧会です。

    こちらは後日に行った「大河ドラマ館」。大改修中の姫路城前の広場に建てられたもので、行ったのはオープン前の内覧会です。

  • 内部の多くは撮影禁止となっています。黒田官兵衛の人物像よりも、大河ドラマの撮影や俳優陣の紹介が中心となっており、歴史よりもドラマ好きの人たちのための展示物が多くありました。<br />写真撮影可能な場所にあったのは、官兵衛が過ごす部屋のセットを再現したものです。

    内部の多くは撮影禁止となっています。黒田官兵衛の人物像よりも、大河ドラマの撮影や俳優陣の紹介が中心となっており、歴史よりもドラマ好きの人たちのための展示物が多くありました。
    写真撮影可能な場所にあったのは、官兵衛が過ごす部屋のセットを再現したものです。

  • もう1箇所、撮影が可能となっていたのは官兵衛が幽閉されていた有岡城の土牢を再現したものです。1年間も幽閉されていたので、その後官兵衛は歩行に支障を来すほど、膝が悪くなりました。

    もう1箇所、撮影が可能となっていたのは官兵衛が幽閉されていた有岡城の土牢を再現したものです。1年間も幽閉されていたので、その後官兵衛は歩行に支障を来すほど、膝が悪くなりました。

  • 姫路の北部にある宍粟市山崎にある「篠の丸城址」。秀吉による播磨平定後、その国内に1万石を拝領した官兵衛が居城した山崎の城ではないかと伝わっています。登山道をのぼっていくと山頂に城郭が残っていますが、時間がないのでパスしました。

    姫路の北部にある宍粟市山崎にある「篠の丸城址」。秀吉による播磨平定後、その国内に1万石を拝領した官兵衛が居城した山崎の城ではないかと伝わっています。登山道をのぼっていくと山頂に城郭が残っていますが、時間がないのでパスしました。

  • 登るのは断念したので、遠くから山頂の本丸跡に建つ砦を撮りました。

    登るのは断念したので、遠くから山頂の本丸跡に建つ砦を撮りました。

  • 姫路市夢前町にある国史跡・置塩城跡。<br />播磨守護として活躍した赤松氏が居城した山城です。官兵衛を輩出する黒田氏も実は赤松氏の傍流であるとの説もあります。

    姫路市夢前町にある国史跡・置塩城跡。
    播磨守護として活躍した赤松氏が居城した山城です。官兵衛を輩出する黒田氏も実は赤松氏の傍流であるとの説もあります。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • 天星さん 2014/02/24 12:29:12
    姫路と豊前
    お久しぶりですね

    出身地の地元、姫路ではいろいろと
    大河ドラマにあやかって、試行錯誤され
    盛り上がっているようですね。
    山の上のお寺は、立派な建造物で
    重厚感ありました〜

    黒田官兵衛が最終的には豊前、小倉〜中津の城主となるわけですが
    その地域の方もグッズや官兵衛に因んだ料理、おみやげなど
    大河ドラマの恩恵に肖ろうとしています(笑)

    ゆかりの地にたくさんの官兵衛効果があるといいですね!

    ころっつ

    ころっつさん からの返信 2014/03/02 18:17:44
    RE: 姫路と豊前
    天星さん、こんにちは。ご無沙汰しています。
    最近は週末にしか4トラにアクセスができない状態が続いております…。

    姫路(兵庫県)もそうですが、確かに北九州地方も盛り上がっているかもしれませんね。視聴率がイマイチのようですが、大河ドラマはなんだかんだといっても経済効果が大きいのでしょうね。

    姫路市も他のゆかりの地と一緒に何年も前から黒田官兵衛を大河の主人公にという働きかけをNHKにしていたようです。
    でも放送が終わった後は、ブームが去ったようにさみしい状態になるかもしれませんね〜。

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