2013/02/10 - 2013/02/15
5580位(同エリア51749件中)
小原庄助さん
乗り物が好きで最近は特に船と鉄道が気に入っています。そんな時に憧れの豪華寝台列車に乗ってきました。
8ヶ月も前にも前に予約して長い間旅行前のワクワクヲ楽しめました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- タイ国際航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- タビックスジャパン
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真冬の二月、旅行会社へ行っている友人が提案してくれて60歳以上のシニアばかり8人でセントレアまではジャンボタクシーをチャーターしてスーツケースも楽に運べました。多治見〜往復24.000円です。バンコクで列車に乗車するのでタイ航空を選びましたがビジネスクラスでも食事もサービスもあまりよくなくてガッカリしました。
バンコク着21:40、同行の足の良くない老人2人が車椅子で別コースで入国したまま合流できなくてなぜか30分以上待っていたら出会えたのですがシャングリラホテルへついたのは24時ごろ、折角よいホテルを選んだのに荷物を解くまもなく翌熟睡しました。 -
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朝はホテル一階のチャオプラヤ川に面したバルコニーで食事してとても美味しくさわやかでした。そのバルコニーに桟橋があり例の爆音がする小船をチャーターしてバンコク名所めぐり、水上は渋滞が無くてありがたい。 -
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16時にバンコク駅へ着いて乗車手続き、3カ国にわたる国際列車だから結構手続きに時間がかかる。17時に待望のオリエンタルEXPに乗車、うれしかった。18:15からのディナーだからゆっくり見学する時間もなく荷物の整理や着替えに忙しかった。17:50出発予定がすでに15分遅れで発車。このときから遅れる癖がついていた。豪華なディナーでした。
翌朝は6:30頃日本軍が作った有名な木造の鉄道橋を渡るというので早起きして展望車へ行って観ている間にベッドはきれいに収納してありました。7:30に写真の朝ごはん、これは3日間ずっと同じでジュース、果物、パン、コーヒーだけ。私たちの部屋のメードはきちんと並べて行ってくれたけど他の部屋はお盆のままおいて言っただけでした。 -
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17:50発のオリエンタルEXPに乗るために16:00頃バンコクHualampong駅へ到着。ここで一汗、列車内では二晩共にドレスコードがフォーマルだからみんな特大の荷物を持っているのにスーツケースを室内に持って入ると自分の居場所がなくなるからあらかじめ用意した折りたためる袋状のかばんに詰め替えてスーツケースは荷物車へ運ばれました。
専用のラウンジで少し待っていました私たちのほかに日本人は見当たらずほとんどヨーロッパ系の人ばかり、一組香港人がいて45歳くらいの婦人とその執事という感じの組み合わせでした。その方のアクセサリーがとても高級なものばかりだしチェックインも私たちみたいに並ばずに係りの人のところへやってきて特別待遇でした。3クラスある部屋の二部屋しかない最上級の部屋のようです。私たちは中間の部屋を選びました。今回のたびはとても素晴らしい列車と美味しい食事、心のこもったサービスで払ったお金に見合うものでよかった。バンコクを発って東へ向かうこと15時間ほど、有名な木製の鉄道橋を渡ってカンチゃナブリ到着。ここで3時間の観光がついているのだけれどクワイ河といえば映画「戦場にかける橋」、その主題歌のボギー大佐マーチ、そして太平洋戦争の激戦地で日本軍が作ったタイービルマ鉄道(タイメンテツドウは変換できず)のことは知っていた。
列車を降りて乗客全員がクルーズボートに乗りクワイガワクルーズで鉄橋を下から見物するとガイドに書いてあったけど船上30分、写真のように日本が北太平洋から中部太平洋、中国東南アジアを侵攻したチャートを示して日本の悪口を聞かされた。そんな予感があったので一番後ろに座ったけれど写真を撮ろうと勇気を振り絞って前進して撮影しました。欧米人100人ほどの真ん中を「I am japanees」と自分としては精一杯の大声を出して行きました。
更にその後クワイ河博物館(death railway museum)と表記された博物館に入る勇気はなくイギリス、オランダ、オーストラリアの戦没者の墓参りだけして来ました。「私たちの国は確かに悪いことをしましたがそれなりの報いを受けました。いつまでも苛めないでください」とお墓につぶやきました。
カンチャナブリから機関車を付け替えてスイッチバック、バンコク近くまで戻ってマレーシア、バターワース目指して南下しますがとにかくタイの線路はひどかった。通路を歩くときなはあざが出来るほど両肩をぶつけました。一転、マレーシアへ入ったとたんJR中央線くらいの振動になり楽になりました。
クワイ河から列車へ戻って豪華ランチ、暑かったのでビールを二本のみ部屋で爆睡、after noon teeをいただき損ねました。 -
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13日マレーシア入り、この頃から大幅に列車が遅れ始めました。14:00に着く筈のペナン島の入り口バターワース駅え着いたのは16:00過ぎ、それでも下車してバスに乗りペナン島へ。リキシャは以前来たときに乗ったことがあるからイースタン&オリエンタルホテルへ行きアーケードで少し買い物をしました。なぜか英語と日本語が併記された日本昔話を売っていました。3000円位です。
ディナーは遅れて20:00から着替える時間がないからカジュアルでよいとの案内があるもマダムたちはこの日の為に作った洋服だから時間が遅れようとしっかりドレスアップ、とてもお綺麗でしたが承認をいただいていないので写真が掲載できません。
なんと二回目のディナーは10:30から、欧米人はそれでも平気なようです。大幅に遅れて終点ウッドランドチェックポイントでシンガポール入国。
以前は町の中心部まで行ったそうだけどここに変わりました。
そんなことでシンガポール観光はマリーナ・ベイ・サンズへ行っただけで慌しく空港へ、ここでボストンバッグからスーツケースへ荷物の総入れ替えで大変でした。シンガポール、バンコク乗り継ぎセントレア着15日朝7:30、ちょっと疲れたかな
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この旅行記へのコメント (2)
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- trat baldさん 2016/03/13 18:56:18
- そうでなくても駆け足気味なのにお疲れ様。
- 出だしから待ちぼうけになりましたか、、、、、'13年ですからまだスルーゲートはスワンナプームに無かったよね。
チャオプラヤを眺めての朝食が唯一のマッタリ時間だったのかな?
カンチャナブリ(戦場に架ける橋)でのレクチャーや施設保全については僕も日本政府の判断を疑います、現在の慰安婦問題に繋がりますが、、、、、正しい歴史認識と墓地の整備無しにかの地で亡くなった多くの将兵は成仏できません。
小原庄助さんも日本兵の墓地には参拝されなかった様ですが複数回訪れないと見過ごしますよね、唯一の救いはタイ人が日本に好感を持って接してくれる事です、日本軍の侵攻がなければ今頃は英国かフランスの植民地ですから、、、、アフリカ大陸の悲劇は現在も続いてます。
まっ、お堅い話はよしとして泰緬鉄道は日本で言えばトロッコ鉄道です、2時間は遅れとは言いません(^o^)Expressと云えども同一線路上ですから、、、、
- 小原庄助さん からの返信 2016/03/14 14:47:23
- RE: そうでなくても駆け足気味なのにお疲れ様。
- こんにちは、trat baldさん
コメントありがとうございました。まだ少しだけですがtrat baldさんの旅行記を拝見しました。タイにお住いのようですね。楽しそうです。
この列車旅行はとてもバタバタしましたが思い出深いよい旅でした。
60歳以上ばかり8人の旅行でしたがこのとき一緒に行った80代の男性二人が昨年亡くなられて寂しくなりました。
又旅行記を読ませていただきます。
小原庄助
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