2013/12/29 - 2014/01/05
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urufeeさん
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四国の約半分くらいの大きさの島国キプロス共和国に初めて行ってきました。今回は成田発着のユーラシア旅行社のパックツァーで行くことにしました。日本からも直行便は有りませんので、エディハド航空を利用した、アブダビ乗換え便です。クアラルンプールからも勿論直行便は無いのですが、クアラルンプールもエディハド航空は乗り入れているので、アブダビ空港で合流です。
折角アブダビを経由するので、帰路はアブダビでパックツァーのグループと別れて、アブダビに2泊してみました。
概略日程は下記です。
12月29日 夜8時頃クアラルンプール出発。時差の関係で私は、アブダビに同日23時頃到着。成田発のパックツァーグループの到着は5時間ほど後。そしてキプロス行きは更に4時間後なので、アブダビ空港で9時間以上待機です。
12月30日 お昼頃キプロスの空の玄関ラルナカに到着。到着後、北キプロス側から観光開始。
12月31日 ニコシア市内観光して、リマソールへ。この日はホテルでガラディナー。
1月 1日 トロードス地方の壁画聖堂群をを観光。
1月 2日 愛と美の女神アフロディーテ生誕の地など観光し、世界遺産都市パフォスへ移動。
1月 3日 ラルナカに戻って、チョット観光した後、もう帰国の途へ。私はアブダビで皆さんと別れて、アブダビ市内のホテルへ。
1月 4日 アブダビでどうしても見たかった、シェイク・ザイード・グランド・モスク観光。
1月 5日 アブダビを10時15分発のエディハド航空でクアラルンプールへ戻りました。
写真は”キプロス建国の父”とも言われる、マカリオス初代大統領の銅像です。彼のお墓の在る丘に建っていました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- エティハド航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- ユーラシア旅行社
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ラルナカに到着して直ぐに、北キプロス側に在る、キレニア城へ行きました。
1974年のキプロス紛争後に、北側は”北キプロストルコ共和国”として独立宣言しました。世界中で、トルコ以外からは承認されていない国なのですが、現在でも1974年に国連により設置されたグリーンラインで分断されている、ニコシア経由です。2004年から南北間の往来は比較的自由になったのですが、今回は北側の係官がバスに乗り込んできて、全員のパスポートをチェックしていきました。
顔写真で本人確認する程度で、スタンプなどは押されません。 -
この城、9世紀にアラブの侵入に備えて海沿いに建てられました。その後、16世紀に城壁に囲まれて要塞化されました。
雨が降っていてチョット残念な景色になってしまいました。 -
ここの目玉はなんと言っても、2,300年前の難破船です。1965年に地元ダイバーにより発見され、引き上げられて展示されています。
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こちらは内部の復元模様で、ワインやオリーブオイルを輸送していたみたいです。
食器などから、4人乗りの船だったと判明しているのだとか。 -
次に行ったのは、ベラパイス修道院。1187年エルサレムから逃れてきた、フランスのプレモント教会修道院が、1206年「平和の修道院」として建築されたのが始まりだそうです。中央に大きなキプロス杉が4本立ってました。
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夕方になり雨の中、初日最後に行ったのが、セリミエ・ジャミイ。本来は14世紀にカトリック教会として建てたのですが、その後イスラムによりモスクに転用されています。この為、本来の教会の中心方向と、メッカの方角が不一致でチョット変わった構造に。
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勿論メッカの方角にミフラーブが有ります。
そして説教台の上に2カ国の国旗が飾られています。赤地白抜きのトルコの旗が左側に。右側の白地に赤抜きが、北キプロストルコ共和国の国旗です。
初日の宿泊はニコシア市内の南側ホテルなので、再度グリーンラインを超えて南側に移動しました。入る時はバス内でパスポートチェックを受けましたが、戻りは、検問所の傍にホテルが有るので、歩いて向かうことに。この時は、事前に提出されていたリストに基ずき、人数確認されただけでした。
2000年以前は、北キプロストルコ共和国のスタンプを別紙に押してくれたらしいです。パスポートに押されると、ギリシャに入国できなくなってしまったらしいのです。どんなスタンプだったのか一寸見たい気もします。 -
12月31日はニコシア市街地の観光からスタート。最初に考古学博物館に行きました。この館内にニコシアの地図が貼って有りました。このように城壁に囲まれた都市です。この地図の中央を横切っているのが、グリーンラインです。既に統一されてしまったけど、東西分裂時のベルリンみたいですね。
ただ、グリーンライン周辺は撮影禁止との事で、一枚も撮れません。 -
考古学博物館で、現地ガイドが盛んに紹介していたのが、この十字の首飾り。紀元前8000年頃の物らしいのですが、その頃から既に十字信仰が有ったと盛んに宣伝してました。
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土器のデザインも日本とは大分変わっています。
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そしてスェーデンの学者が2000体ほど発見したらしい土偶。健康を願って作られたらしいのですが、日本の土偶よりも人間的。
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古今東西変わらないのは貯金箱かも。
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こんな状態で発見されたみたいです。
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ニコシアの城壁には3箇所の門が有ったらしいのですが、これはその内の一つファマグスタ門。
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この門の近くの歩道上にこんなマークが有りました。
徒歩観光者の為の道案内なのだそうです。
確かに他の場所でも見掛けました。
このマークを辿って歩けば、ニコシアの主だった観光場所を訪ねられるそうです。 -
次に訪れたのは、1662年に建てられた、聖ヨハネ大聖堂。
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これが内部。
ギリシャ正教は偶像禁止なので、イコンだけですが結構豪華絢爛。 -
ニコシアの観光が終わってリマソールへ移動する途中に寄った、世界遺産のキロキティア遺跡。
紀元前8200年頃の、定住型円形住宅跡。約100軒が発掘されているみたいです。 -
こちらがその復元住居。
本来は泥と藁を混ぜた壁だったらしいのですが、コンクリートで復元しちゃったので、最初見た時は、「第二次世界大戦時のトーチカ跡」と思ってしまった。
そして夕方リマソールのホテルへ到着しました。 -
1月1日元旦は、トロードス山地に在る壁画聖堂群の観光で山道を上って行きます。この地方に在る、12の聖堂群が世界遺産に登録されており、今回は3箇所を訪問しました。
これは途中のオリンポス山(1951m)。山頂に現在も使われている、イギリス軍のレーダーサイトが小さく見えます。 -
最初の協会はこれ、パナギア・トウ・アラカ教会。
一見すると、普通の農家にしか見えません。
色々な国から侵略を受けたキプロスでは、海から離れ山の中に生活の場を移動したらしいのですが、教会も異教徒から直ぐにそれと分からないように、このような建て方になったと言われています。
十字架も見えませんが、立派な教会です。 -
裏手のこの鐘を見れば確かに教会です。
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外観を教会らしくしてないのは、このように内部が二重構造になっているせいでもあります。
教会内部は写真禁止なので、ここまでしか撮影できませんでした。 -
これが二つ目の教会。畑の中に有る農家にしか見えませんが、パナギア・トウ・ポディトウ聖堂です。
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こちらは入口横に有る鐘が証明。
写真暗くなってしまいましたが、右側の門の様な場所です。 -
3つ目に訪れた、アルハンゲロス・ミハイル教会。
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建物裏手に鐘が付いてます。
鐘を付ける方法も色々です。 -
内部はやはりこのような二重構造になっています。
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ここだけはガイドから、”フラッシュを焚かない条件で、撮影ok”の許可が出ました。
キリストの生涯を描いた12枚の絵などのフレスコ画が壁一面に。 -
次に向かったのは、11世紀にビザンティン帝国皇帝アレシオス・コムネノスにより建立された、キコス修道院。
でも、過去4回も火災にあい、現在の物は1979年に修復されたもの。 -
中に入るとこんな中庭が有ります。周囲は2階建て回廊になっていて、この回廊にフレスコ壁画やモザイク壁画が描かれています。
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これはマリア永眠の絵ですが、こいう感じで壁が埋め尽くされています。
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最後に寄ったのが、マカリオス初代大統領のお墓です。
奥に衛兵が歩哨に立っています。
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