2014/01/07 - 2014/01/07
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ペコちゃんさん
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○○会恒例の七福神めぐり・・・今年は都心の「日本橋七福神めぐり」に行きました。
日本橋七福神めぐりは、どの神社からスタートしても構いませんが、人形町の店に昼食を予約していた関係で、水天宮からスタートです。
これまで、あちこちの七福神めぐりをしてきましたが、さすが日本橋は都心の中の都心、ビルに囲まれた小さな神社ばかりです。
しかし、それぞれに歴史があり、地元の人達には大切な神社であることが感じられました。
久し振りの都心なので、恒例の夜の反省会(?)は神楽坂で新年会をすることとし、夕方までの時間は、東銀座(歌舞伎座)~銀座~丸の内と散策して時間調整です。
天気にも恵まれ、1年の良いスタートが切れました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今回の七福神めぐりの参加者は15名。
9時過ぎの電車に乗り、10時半前に半蔵門線・水天宮前駅に到着。 -
改札口を出ると、誰かが ” 今回のコースは、トイレがあまり無いよ ” ・・・ということで、トイレを探したけど、改札内にしかないので、ここは我慢・・・
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日本橋七福神めぐりの特徴は、人形町を中心に短時間で参拝できることと、全てが神社であること・・・しかも寶田恵比壽神社を含めると8社もあり、沢山回った方がご利益も多い(?)ということで、追加して回ることにしました。
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最初の水天宮に行ったら、社殿建て替えのため、去年の3月に明治座前の仮社殿に移転していました。(新社殿の完成は平成28年の予定)
水天宮には、初孫が生まれる前に、息子夫婦と一緒に安産祈願のお祓いを受けに来たことがあります。
いまや、その孫も小学2年生・・・月日が経つのは、早いですね・・・ -
① 松島神社(大国神)
昔、この辺りは入り江の小島で、鎌倉時代に柴田家の祖先が下総の国からこの小島に移り住み、邸内に諸神を勧請したと言われています。
島内が松樹鬱蒼としていたことから松島稲荷大明神と称されました。
境内はビルになっており、その一角に社殿があります。 -
松島神社は日本橋七福神のひとつ「大国神」が祀られているので、今でも沢山の七福神めぐりの方々が参拝に訪れます。
11月の酉の市には熊手市も出るので、店の繁栄を願う商店主の人達で大変賑わいます。
松島神社のご利益は何と言っても商売繁盛で、大国さまは富と財力を与える福の神、しっかりとお詣りして行きましょう。 -
願い事を書いて枕の下に入れて眠ると良夢が見られ、正夢になる!?
昔から年の初めの甲子(きのえね)の日に、枕の下に大国主神(おおくにぬしのみこと)を入れて眠ると、良い夢を見たことが正夢になると言われています。
現代では、受験・就職・お見合いなどの前日、また病気回復など、人生の節目の願い事にご利益があるそうです。
そこで、大切な事の前日などに、この神社で授かった「良夢札」(600円)の中にある用紙に願い事を書き込み、記入済みの用紙を良夢札の中に戻して、枕の下に置いて眠ります。
めでたく願いが叶った夢を見たら、松島神社に持参すると正夢になるよう祈願して貰います・・・後は、ひたすら信じて待つこと!! -
松島神社から甘酒横丁を通り、次の水天宮仮宮に向かう途中、明治座近くの浜町緑道にトイレがありました!
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緑道の入口には、歌舞伎『勧進帳』の弁慶像が建っています。
江戸時代の頃、この界隈に芝居小屋が集まり、歌舞伎や人形浄瑠璃を上演していた名残を留めています。 -
明治座のビルが見えてきました。
歌舞伎や新派の殿堂だった本劇場は明治6年に創建され、東京大空襲で焼失した後も再建されましたが、1993年に再開発で高層ビルに建て替えられました。
昔、この劇場で大川橋蔵の「銭形平次」を観たことを思い出しました。
また、2002年には村上弘明の「佐々木小次郎」を観たこともあります。 -
明治座の向かいの緑道入口にある「明治観音堂」・・・昭和20年3月、東京大空襲で隅田川に向かって火から逃れようとした人々の上に爆弾が落とされ、惨劇が広がりました。
この観音堂は、犠牲者の冥福を祈って昭和25年に建てられました。
緑道の先に水天宮の仮宮があります。 -
② 水天宮・仮宮(弁財天)
弁財天を祀る水天宮は、久留米市にある久留米水天宮の分社・・・1818年に久留米藩主・有馬頼徳が、三田の久留米藩江戸上屋敷に分霊を勧請したのが江戸の水天宮の始まりで、明治5年に現在の蛎殻町に移転しました。 -
水天宮は江戸の時代より、安産・子授けの神として人々から厚い信仰を集めました。
現在も、安産や子授かりの願掛けや無事出産のお礼参りなどで、人並みが途絶えることがありません。 -
手水舍の横に鎮座する「安産子育て河童像」・・・足下と胸・肩に、赤ちゃん河童がしがみついています。
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③ 笠間稲荷神社(寿老神)
日本三大稲荷のひとつ、茨城県・笠間稲荷神社の東京別社で、江戸時代末期に笠間藩主・牧野貞直が建立しました。
東京大空襲の後、昭和33年に再建されています。 -
ここには、寿老神が祀られています。
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④ 末廣神社(毘沙門天)
末廣の名は、延宝3年(1675)に社殿を修復した際、本殿から中啓(末廣扇)が出たことに因んでつけられました。 -
この末廣神社は、元・吉原の氏神様です。
現在の吉原は浅草の北側にありますが、江戸時代の初めは、現在の人形町辺りにありました。
1617年に沼地だった人形町近辺を埋め立て、遊女街を開いたのが葭原(吉原)の起こり・・・葭(よし)が生い茂っていたため葭原と名づけましたが、「葭」の字を、縁起の良い「吉」に替えて「吉原」としたそうです。 -
ここに祀られているのは毘沙門様。
多聞天の異名を持つ毘沙門天は、世界の守護神であり、また福徳を授ける神ともされています。
また、日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、特に勝負事に利益ありとして崇められています。 -
末廣神社の境内には、江戸町火消「は組」の碑があります。
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人形町の交差点で見かけた、「は組」の法被を着た、いなせな人達。
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⑤ 椙森(すぎのもり)神社(恵比寿神)
ここには、商売繁盛の恵比寿神が祀られています。
社伝によれば平安時代に平将門の乱を鎮定するために、藤原秀郷が戦勝祈願をした所といわれています。 -
室町中期には、江戸城を築いた太田道灌(1432~1486)が雨乞い祈願のために、山城国伏見稲荷の伍社の神を勧請して厚く信仰しました。
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関東大震災で全焼し、現在の社殿は昭和6年に耐震構造の鉄筋入りで再建されたことで、東京大空襲の難を逃れることが出来ました。
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江戸時代には江戸城下の三森(烏森神社、柳森神社、椙森神社)の一つに数えられ、椙森稲荷と呼ばれて江戸庶民の信仰を集め、富くじの興行も行われていました。
境内にある「富塚の碑」は、当時を偲んで大正8年に建てられ、関東大震災で焼失後、昭和28年に再建されました。 -
寶田恵比壽神社に向かう途中、ビルの谷間からスカイツリーが・・・
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⑥ 寶田恵比壽神社(恵比寿神)
ここは七福神めぐりの対象外なので、参拝者もまばら。 -
この神社は、徳川家康が江戸に入府する以前、今の東京駅付近にあった宝田村の鎮守でしたが、徳川家康の江戸城拡張により、日本橋・本町に移転しました。
関東大震災の時に、本殿以外は焼失しましたが、昭和の初めに拝殿を再建しました。 -
徳川家康から下賜された恵比寿様は、鎌倉時代の運慶の作と伝えられます。
宝田恵比寿神は、商売繁盛・家族繁栄の守護神で、毎年10月19日に「べったら市」、20日は恵比寿神祭が両日に亘り盛大に執り行われます。 -
べったら市は、江戸中期に、10月20日の恵比寿講にお供えするため、前日の19日に宝田恵比寿神社の門前で市が立ち、魚や野菜、神棚などが売られるようになったのがその起源です。
浅漬け大根の「べったら漬け」がよく売れたことから「べったら市」と呼ばれました。
べったら漬けは、アメと麹で大根を漬け込んでいるため、衣服にべったりとついてしまうことから、べったら漬けという名になったと言われています。(写真はHPより) -
小網神社に向かう途中の「堀留児童公園」でトイレストップ。
ここはビルと緑に囲まれた公園で、正面には「日本橋保健センター」があります。 -
中央区の公園には、多くの災害対策用給水槽が設置されています。
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⑦ 小網神社(福禄寿・弁財天)
創建年代は不詳ですが、開基は恵心僧都(942~1017)。
現社殿は昭和4年に建立された建物・・・東京大空襲を免れ、日本橋地区では唯一の木造檜造りの神社です。
社殿手前の右の建物は、五角形の面をもつ神楽殿。 -
社殿向拝の上部には「鳳凰」、神社扁額の左右には「昇り龍」「降り龍」の彫刻・・・見事な彫刻です。
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天に昇る「昇り龍」と天から降りる「降り龍」・・・「昇り龍」は参拝者の祈りや願いを受けて神様に伝え、「降り龍」は神様からの徳(神徳)を参拝者に授けると伝えられています。
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社殿の右側にある「養老の滝」の彫刻も見事です。
これは、孝行息子の思いが、滝の水を父親に饗する酒に変えたという、古来から伝わる話に由来します。 -
小網神社は、パワースポットとしてメディアで紹介された関係で、多くの人が参拝に訪れます。
「強運厄除の神様」になったのは、戦時中、周りが空襲で焼けたのに小網神社だけは無傷だったことや、ここのお札を頂いて戦地へ行った人が全員無事に戻ってきたこと等から、強運のパワースポットと言われています。 -
社務所では珍しい " まゆ玉 " のおみくじが売られています。
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小網神社の弁財天は万福舟乗弁財天と称し、舟の上に乗った立像です。
もとは万福寿寺に安置されていましたが、神仏分離令後に万福寿寺が廃絶となったため小網神社側に遷座されました。 -
境内にある「銭洗いの井」・・・小さなカゴがあるので、カゴに金銭(紙幣もOK)を入れて清めることが出来ます。
金銭を清めて財布に入れておくことで財運を授かるそうで、「東京銭洗い弁天」と呼ばれています。 -
境内に祀られた可愛らしい福禄寿。
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境内は広くありませんが、立派な神社でした。
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最後の茶ノ木神社を目指して歩いて行くと「日本橋小学校」があります。
この学校は、平成2年に十思小学校(明治10年創立)と東華小学校(明治34年創立)を統合し、東華小学校校舎に中央区立日本橋小学校として発足しました。 -
⑧ 茶ノ木神社(布袋尊)
昭和60年に布袋尊を合祀して「日本橋七福神」に加わりました。 -
かつて、この地は下総佐倉の城主大老・掘田家の中屋敷で、この神社は守護神として祀られたものです。
社の周囲に茶の木が植えられていたことから「お茶ノ木様」と呼ばれ、茶ノ木神社の由来になったそうです。 -
これで「七プラス一」福神めぐりは無事終了し、人形町に戻りました。
1760年創業の軍鶏専門店「玉ひで」は、相変わらずお客さんが並んでいます。
10年程前に、この近くに勤めていたことがあるので、行列に並んで親子丼を食べたことを思い出しました。 -
人形町通を歩くと、2009年に設置された「からくり時計」があります。
これは、落語を題材にしたもので、道路の反対側には火消しを題材にしたものがあり、中央区らしい粋な仕掛けが施されています。
正午から夜7時まで、1時間ごとに仕掛けが動いて人形が現れ、それぞれのパフォーマンスで楽しませてくれます。 -
人形町の新春の雰囲気を感じながら、甘酒横丁に行って昼食です。
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今回は、甘酒横丁の一角にある、明治40年創業の老舗『豆腐の双葉』でランチです。
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店の裏に回って2階に上がります。
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メニューは「ゆば御膳」(1500円)。
ご飯も味噌汁も、お替り自由。 -
ビールを飲みながら、ヘルシーな豆腐料理を美味しく頂きました。
甘酒横丁界隈には、豆腐の双葉だけでなく、卵焼きの店や人形焼の重盛永信堂など、お土産に丁度良いお店が沢山あり、仲間の皆さんも適当に買っていました。 -
夜の新年会まで時間はタップリあるので、久し振りの銀座散策へ。
人形町から地下鉄・日比谷線に乗って東銀座で降りると、何と、地下道と新歌舞伎座が繋がっています! -
いろんな店が、いろんな物を売っていました。
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テーブルのデザインも、いかにも歌舞伎座風。
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明治22年に開設された歌舞伎座は、大正時代から松竹の直営で経営され、2013年4月に開館したこの建物は、5代目になります。
旧歌舞伎座のイメージを残しながら、こんな高層ビルに生まれ変わるとは・・・ -
また、歌舞伎を観に来たくなりました。
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昨年は、外国からの観光客が1千万人を突破したことで、銀座のあちこちに外国人の姿が見えます。
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久し振りの銀座4丁目交差点。
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交番にも道を尋ねる外国人がよく行っていました。
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女性に人気の「銀座ユニクロ」・・・わが街のユニクロと、価格はあまり変わりませんが、商品の種類は圧倒的に多い!
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中国人に人気の「LAOX」・・・今日は、中国人の人影はありませんでした。
今日もよく歩いたので、一息入れようと「風月堂」に行ったら、コーヒーが600円、さすが銀座・・・なので、スマホで安い所を探したら、ありました・・・数寄屋橋交差点の不二家ビルの地下にある「ロッテリア」。
180円のカフェラテでリフレッシュ!・・・銀座でも安い店があるもんですね・・・ -
有楽町から丸の内まで歩いて、新装オープンの「KITTE」に行ってみました。
旧東京中央郵便局敷地に建設された「JPタワー」の低層部分(地下1階から地上6階)の商業フロアに、98店舗が入っています。
「KITTE」というネーミングは、2つの言葉(「切手」と「来て」)に由来します。 -
中に入ると、広々とした吹き抜けのアトリウムが豪華さを盛り上げます。
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中高年の我々は、ショッピングやグルメとは無関係なので、6階の屋上庭園「KITTEガーデン」に行きました。
ここは、復原された東京駅・丸の内駅舎を一望できる屋上庭園です。 -
庭園には板張りの歩道やベンチが整備され・・・
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新幹線や・・・
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東京駅が眼下に望める、素晴らしい場所です。
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1889年に新橋 - 神戸間が全通し、1914年(大正3年)には辰野金吾らが設計し大林組が施工した赤レンガ造りの丸の内口駅舎が開業しました。
その後、順次拡大を続けた東京駅の建て替え計画は、創建当初の形態に復原する方針になり、平成24年10月にリニューアルが完成しました。
プラットホームの数は日本一で、在来線が地上5面10線と地下4面8線の合計9面18線、新幹線が地上5面10線もあります。 -
新しい丸ビルも、目の前に・・・
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一見の価値がある屋上庭園でした。
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次は、新装なった東京駅を見学。
これは、南口のドーム天井・・・八角形のドームのそれぞれに干支のレリーフが飾られ、天井には鷲のレリーフ。
北口のドームにも、全く同じレリーフがあります。 -
東京ステーションホテルにも、正月らしく門松が飾られています。
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中央口から見た丸ビル(左)と新丸ビル(右)。
その先が東京海上ビルと皇居。 -
東京駅で、一般人が立ち入ることが出来ない皇室専用貴賓出入口と、その前にある丸の内口の駅名板・・・前には松の木が多数植えられており、風格が感じられます。
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今回の復原工事に合わせて、この入口や車止め・スロープなども新たに造り直されました。
日本に着任する外国の大使は、皇居・宮殿で本国からの信任状を天皇陛下に手渡す「信任状捧呈式」に臨むことになっており、ここから車か馬車に乗りますが、東京駅改修工事着工に伴い、2007年から明治生命館に変更されています。
昨年秋のケネディ大使も、そこから2頭立て儀装馬車に乗りました。 -
丁度良い時間になったので、JR飯田橋に行き、黄昏の神楽坂を登って行きます。
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新年会の店に行くまで、少し時間があったので、善國寺(神楽坂 毘沙門天)に行ってみました。
善國寺が創設されたのは1595年で、今から四百年以上も前です。
最初は、日本橋馬喰町の近くにありましたが、1792年の火事により、神楽坂へ移転して来ました。
東京大空襲で焼失しましたが、昭和26年に毘沙門堂を再建し、46年には本堂・毘沙門堂が完成し、復興を果たしました。
毘沙門天を祀り、新宿山ノ手七福神の1つになっています。 -
本堂の左右には、神社の狛犬のように阿吽一対の狛虎像が置かれています。
案内板には「石虎」と表記され、制作は江戸時代後期のもので、右側が阿形です。 -
ジャニーズの人気グループ「嵐」の二宮和也が、神楽坂を舞台としたテレビドラマに出た関係で、「嵐の聖地」として訪れるファンも多いそうです。
本堂左に祀られた「浄行菩薩」・・・身代わり菩薩として知られ、柄杓で水をかけてお願い事をします。 -
今年、最初の反省会(新年会)は、神楽坂の細い路地にある隠れ家っぽいお店「花かぐら」・・・古き良き料亭の雰囲気を残すお店です。
私は、昨年はこの店に2回来ましたが、仲間の皆さんは神楽坂自体が初めて。 -
個室で落ち着いて話が出来て、どのお料理も美味しくて、皆さん大満足!
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飯田橋から西武新宿駅に行くと、発車間際の特急・小江戸号に乗れて、ラクチンして帰りました。
今年も元気で楽しく、仲間の皆さんと過ごしたいものです。
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