2013/12/17 - 2013/12/24
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eimeiさん
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戦後、ソ連や中国だけでなく韓国も「近くて遠い国」と言われていたが、韓国とは10年ほど前から、韓国ドラマやKポップや観光客の増加などで融和に向かっていた矢先に、突然、朴槿恵(パククネ)大統領の対日批判が始まった。いくら歴史について話し合っても、いつまでも平行線なので、「歴史のことは一旦横に置いといて、今と未来の話をしましょう」と何故ならないだろうか。また、竹島が問題なら、共同保有や爆破して沈めるなどいくらでも方法があると思うのだが。
今回の韓国の旅は、期間が短いので、観光・日本人が関わる資料館見学・街の散策ぐらいしかできないと思われる。
この旅で、歴史において、日本人と韓国人がお互いに理解し合えることが可能かどうか考えたい。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ピーチ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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12月17日〜24日(7泊8日)で、名古屋→関空→釜山→慶州→釜山→光州→ソウル→江華→ソウル→仁川→関空→名古屋の予定。飛行機は格安航空ピーチを利用し、往復で13000円ほど。韓国内の移動はバスと地下鉄を利用し、宿泊はホステルとモーテルで済ますつもり。
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12月17日、早朝に名古屋の自宅を出発し、関空へ向かった。近鉄名古屋駅から関空まで2350円のセットチケットで、関空の第1ターミナルに着いたのが13時頃。更に、第2ターミナルまで無料バスで移動した。第2ターミナルを使う航空会社はピーチのみでガランとしている。
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第2ターミナルは設備も貧弱で、アスファルト上を歩いて搭乗する。釜山まで4000円では当然か。
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釜山国際空港へ16時過ぎに到着し、カードでウォンを手に入れ、地下鉄で釜山駅近くのプサン スクバック ドット コム ゲスト ハウスに着いたのが、18時頃で真っ暗。ドミトリー1泊1500円ほどで、朝食付き。
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ゲストハウスの共同スペース。清潔で機能的。結局、3泊することにした。このホステルは、居心地が良かった。
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12月18日、天気も悪かったので、釜山市内観光へ地下鉄の1日券(450円)を使って出かけた。
路線も多く、便利。乗換の駅では、日本語のアナウンスもあり、迷うことはない。 -
最初に行ったのは、「忠烈祠」。文禄・慶長の役で、豊臣秀吉軍と戦って戦死した人達が祀られている場所です。入り口にあるモニュメント。先頭にいるのが、韓国の英雄、李舜臣。
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戦士が祀られている本殿は一番奥の建物。すぐ横に資料館もあったが、本殿へ向かった。
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階段を登って本殿に到着。
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本殿の中には位牌の様なものが並べられている。地元の人がウオーキングの途中に寄って拝んでみえた。
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そこから振り返ると、すごいアパート群。
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記帳が置いてあり、私も名前を書いた。日本人の名前も数人見つけることができた。
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次に、海沿いの南浦にある光復路へ地下鉄で行った。「光復」とは、「日本からの解放」意味している。南浦のエリアには昔から倭館があり、日本人街として発展してきた場所なので、このような名前が付けられている。ちなみに、8月15日は韓国では「光復節」と言って、独立記念日となっている。
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光復路を歩いていると、「朝鮮通信使」の銅像がある。
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更に、歩いていくと国際市場となり、小さな店が多くなり、露店も多い。
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露店で揚げパンのようなもの(ホットック)を買って食べた。100円ほど。また、マックも近くにあったので、ビックマックセットを420円ほどで食べた。レシートを見たら消費税が10%かかっていて、この値段なら安い!
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路地から抜け、次に向かったのは、釜山近代歴史館。日本統治時代に「東洋拓殖株式会社」の釜山支店だった建物を使っている。東洋拓殖株式会社は、南満州鉄道株式会社に次ぐ日本の国策会社で、主に植民地政策を担当していた会社。
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建物内の展示物は、「日本の侵略により……」から始まる物がほとんどです。ただ、面白かったのは、3Fのその当時の物が複製して展示してある場所。それもミニチュアサイズ。
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次に歩いて向かったのは、丘の上に立つ釜山タワー。
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釜山タワーの前にも英雄、李舜臣の銅像がある。
登るのに400円ほどかかるが、展望台までエレベータで上がった。 -
釜山の湾には、影島という大きな島があり、西側がこの写真。
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島の東側がこの写真。共に影島とは大きな橋で結ばれている。
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北側はビルが山の麓まで密集している。平野が少ないので、住宅も高層化が進んでいる。
話は変わりますが、私は韓国語が全くダメにもかかわらず、今日だけで3回も韓国人に間違われた。他の国でも「韓国人ですか?」とよく言われる。
明日は、天気も良いので、慶州へ日帰り旅行に行く予定。 -
12月19日、釜山から片道1時間半ほどで行ける慶州へ行ってきた。雪が舞う中、徒歩での観光はきつかった。慶州は新羅の都があった場所で、日本の京都や奈良の感じです。ただ、古い建物はモンゴル軍によってほとんど焼かれて残っていないのが残念。
まずは、バスターミナルから近い「大陵苑」(入場料150円)へ向かった。観光バスが何台も駐まっており、典型的な観光地。 -
中には新羅時代の円墳が27個もあるので、遊歩道の回りは円墳だらけ。
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遠足(?) の幼稚園も来ており、先生が園児をジャンプさせて写真を撮っていた。男の先生(保父)も大変。
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唯一内部が公開されている天馬塚。
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中は暖房もあり、出土品が展示してある。特に有名なのが、純金製の王冠。
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大陵苑の南は原っぱになっているが、ここに王宮があった所。
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この辺一体が世界遺産になっているので、世界遺産マークがある。
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原っぱの中に残っているのは、天文観測施設。
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更に歩いて、「雁鴨池」(入場料150円)へ行った。建物は復元された物で、建物の裏側に池がある。
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鴨や雁が飛来してきたので雁鴨池と呼ばれるようになったらしい。池には、確かに鴨か雁がいた。
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更に歩いて、国立慶州博物館へ向かった。入場無料がうれしい。
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慶州に都があった頃の模型だが、原っぱのところにこれだけ建物があった。1238年にモンゴル軍によって焼け野原にされてしまった。
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その中でも模型の右側にある皇龍寺の焼失が一番悔やまれる。皇龍寺にあった九重塔(木造)が残っていたら日本人もどんどんやって来るのになあ。
もし、元寇で日本が占領されていたら、京都・奈良の建物は全て焼かれていたかもしれないが。 -
韓国ドラマ「善徳女王」?の宣伝看板もあった。
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帰りにガソリンスタンドがあったので、ガソリン価格を見たら、上からレギュラー185円、軽油166円、灯油130円もする。
明日は、バスで光州へ移動する予定。 -
12月20日朝、釜山総合バスターミナルから光州へ向かった。光州近くになったら雪が降っていた。光州総合バスターミナル(U・square)の屋根にも雪が積もっていて、寒い。コインロッカーへ荷物を入れ、地下鉄の駅へ歩いて向かった。
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地下鉄を使って着いた先は、「5.18記念公園」の登り口。(1980年に起きた光州事件の記念公園)
※光州事件は、1980年5月18日から27日にかけて大韓民国(韓国)の全羅南道の道庁所在地であった光州市で発生した、民主化を求める活動家とそれを支持する学生や市民が韓国軍と衝突し、多数の死傷者を出した事件。【ウッキペディアより】 -
階段を登って行くと光州事件の追慕昇華空間の銅像がある。
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銅像の後ろ側からの眺め。公園は住宅地の真ん中にあり、住民の散歩コースになっている。
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銅像の後ろの入口から地下へ降りていくと、目に飛び込んでくるのは、子供を抱いた母親の像。その後ろには、亡くなった人の氏名が刻まれている。
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銅像の正面にあるレリーフ。
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次に、登り口横にある5.18記念文化館へ行ってみた。
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事件の写真や模型などが展示してある。日本語の解説書もある。
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この事件で光州の多くの若者が亡くなった。光州を含む全羅道の人々は「5.18民主化運動」と呼んでいるが、他の地域では「5.18光州暴動」と呼んでいる人もいる。百済、新羅から始まる韓国の複雑な地域の歴史が隠されているらしい。
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次に地下鉄で繁華街に移動し、雪が降る中、旧道庁前広場へ行った。5万人もの住民が集まり、光州事件の契機となった「民族民主化聖会」が開かれた場所。現在は、ロータリーになっている。
その後、U・squareへ戻り、近くにあるE-martでショッピング。宿を探し、近くのモーテルをあたったが、予算オーバーなので、夜行バスでソウルへ向かった。 -
12月21日、早朝3時頃、ソウル高速バスターミナルに着いてしまった。仕方ないので、バスターミナルで朝まで待機し、1泊分予約してある「Hongdae Family Housetel」(朝食付きで1500円弱 周りは住宅ばかりで駅から遠い) へ地下鉄で移動し、荷物を預け、ソウル散策へ出発。睡眠不足で眠たいこと!
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まずは、地下鉄の路線図を見ながら、ソウル駅へ。現ソウル駅横に保存してある旧ソウル駅。日本統治時代に建てられた駅で、終戦後もずっと使われてきた。今は文化館として利用されている。
右下に、軍服姿の若者が2名写っているが、徴兵制があるので、街中で軍服姿の若者をよく見かける。 -
ソウル駅から歩いて5分くらの所にある有名な「南大門」。数年前に消失し、再建されたもの。
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南大門近くの市場でホットックに行列ができていたので、私も並び、野菜ホットックを100円でゲット。熱くて美味しい。
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ソウル市庁舎の向かい側にある徳寿宮の大漢門で行われているパレード(観光用)に遭遇。
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なかなか見応えがあった。この後、景福宮の方面へ行進して行ってしまった。
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残った衣装をまとった人と記念撮影タイム。当然、私も列に並び、記念撮影。無料。
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景福宮の方向へ向かうと、ソウル市庁舎がある。手前の茶色い建物が旧ソウル市庁舎で、後ろのガラス張りの建物が新ソウル市庁舎。旧庁舎も日本統治時代に建てられ、近年まで使われていた。今は図書館や多目的ホールとして利用されている。
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市庁舎の前にスケートリンクがある。最高気温が2〜3度なので、氷は溶けない。入場無料?
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更に歩くと、遠くに「景福宮」が見えてくる。景福宮の前にそびえ立つのは、釜山でも紹介した豊臣秀吉軍と戦って戦死した韓国の英雄 李舜臣。
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そして李舜臣の後ろには世宗大王が鎮座する。世宗大王は李氏朝鮮の国王で、ハングルを作った人としても有名である。銅像の前では、朝鮮戦争(1950年6月25日〜1953年7月27日休戦)の写真展がおこなわれていた。
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朝鮮戦争の写真①
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朝鮮戦争の写真②
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朝鮮戦争の写真③ 中央の人物が、マッカーサー。
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更に歩くと、景福宮への入り口となる光化門がある。門番と記念撮影ができるので、すごい観光客。
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光化門をくぐった風景。ここまでは無料。
景福宮の敷地内に、日本統治の朝鮮総督府が建てられていたが、現在は解体されて残っていない。それにしても、王宮内に総督府をつくる日本の神経も理解できない。立場を逆にすると、日本の皇居内に他国の総督府がつくられるようなもの。 -
景福宮から少し東へ行き、そこからソウル駅に戻るように南へ歩いて行くと、小さなタプコル公園がある。ここは1919年に日本からの独立を求め、三・一独立運動が起こった場所。公園内にある独立宣言文。今は、高齢者の憩いの場となっている。
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公園内には、12枚のレリーフがあり、日本憲兵が朝鮮半島の人々を取り押さえたり、銃剣を突きつけたりしている絵が描かれている。
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日本は、この運動を武力で鎮圧し、多くの犠牲者を出した。
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更に南に進んで、坂を登ると、ソウルタワー行きのロープウェー乗り場がある。
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更に登っていくと、南山図書館があり、その隣に、「安重根義士記念館」がある。
記念館の前にある安重根の像。 -
台座の裏側に彫られたレリーフ。拳銃で撃っているのが安重根で、撃たれているのが伊藤博文。
日本では、「初代韓国統監であった伊藤博文は1909年にハルビンで朝鮮独立運動家の安重根によって暗殺された。」ことになっているが、韓国では、伊藤博文が悪代官で、安重根が正義の味方。 -
「安重根義士記念館」は、2010年にできたばかりなので新しい。
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中に入るといきなり安重根。国旗には「大韓独立」の文字。自らの指を切り落とし、その血で書いたそうだ。
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この記念館では、安重根がどのような人物だったのかを、彼の人生を追う形で紹介されている。
さすがに日本人は1人もいなかったが、記帳には日本人の名前もちらほら。一方、幼稚園児から高校生まで多くの韓国人の団体が訪れていた。
日本は、偶然、他国に植民地にされたことがないが、韓国に来て、韓国の歴史に触れる事で、韓国の人の気持ちを少しでも理解したい。 -
丘の上にある安重根義士記念館を出たところから見たソウルの街。
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丘の下にあるヒルトンホテルのカジノ。その後、夕食をとり、地下鉄でゲストハウスへ戻った。
睡眠不足の上、歩き回って疲労困憊。シャワーを浴び、明日のゲストハウスの予約をし、バタンキュー。 -
12月22日、起きたら午前9時を回っていた。ゲストハウスで朝食を取り、梨泰院にあるSP@Itaewon Guesthouse(朝食なしで1500円弱)へ地下鉄で移動。ヨーロッパ人が経営しているので、宿泊客は欧米人が多い。
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大通りから一本奥にある道。なかなか洒落た店が多い。大通りにも洒落た店が軒を連ねている。
大通り沿いのマックでピックマックセット(430円)の昼食を取り、歩いて「戦争記念館」(入場無料)へ向かった。 -
最初に目に入ってきたのが、B52戦略爆撃機。他にも戦闘機、戦車などが屋外に展示してある。
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戦争記念館の門のモニュメント。記念撮影場所になっている。
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記念館の建物で、地下1階、地上3階。
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石器時代から展示してあるが、古い順に日本と関わるのは、日本征伐。1274年と1281年に高麗(朝鮮)は蒙古(元)の日本征伐(元寇)に動員させられたことになっている。2回目の日本征伐は、台風ため全滅した。これが日本の「神風」の始まりとなる。
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高麗によって造られた元寇船。2年ほど前、九州の伊万里湾の海底から元寇船が発見されたが、東北の津波で大きなニュースにならなかった。
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次に、豊臣秀吉が指示した文禄慶長の役。「1592年4月14日、日本軍15万名余りが朝鮮を侵略することで始まった。………特に朝鮮は多大な被害を受けた。」と日本語で解説してある。
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次は、昨日の安重根。1909年の伊藤博文の殺害。
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次は、1920年頃の南北朝鮮の日本からの独立軍。日本統治時代は2ブースしかない。
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大きくスペースを割いているのが、まだ現在も進行形の朝鮮戦争。朝鮮戦争の善玉3人衆?
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朝鮮戦争の悪玉3人衆?
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アメリカ軍の援助風景①。
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アメリカ軍の援助風景②。
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海外派兵のコーナーのベトナム戦争。1ブースのみ。いろいろ問題があったらしいが不問。
国連の平和維持軍のコーナーもあった。 -
竹島コーナー。韓国旗を持って記念撮影する場所になっている。
当然だが、戦争記念館は、自国が「善」という前提で展示してある施設。 -
ゲストハウス近くのハミルトンホテルのクリスマスイルミネーション。
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12月23日、早起きし、ゲストハウス横の食堂でキムパプ(韓国式海苔巻き)を二食分作ってもらい、江華島への日帰り旅行に出かけた。
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最初に、江華歴史博物館へ行ったが、月曜日でお休み。「地球の歩き方」で確認したら、月曜休みと書いてあった。そう言えば、昨日行った戦争記念館も月曜休みだった。
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仕方ないので、博物館横の江華支石墓を見学し、江華山城へ向かった。
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江華山城の西門。城壁も復元されている。
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城壁内にある江華聖堂。
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バスターミナルへ戻り、江華海峡に沿って走るバスに乗り、草芝鎮という要塞へ向かった。ここは、1875年に日本軍艦雲揚号が草芝鎮から発砲を受け、熾烈な戦いがあった場所。後に江華島事件と呼ばれるようになった。右側の松には、大砲の傷跡が今でも残っている。
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要塞の中。ほとんど何もない。
1876年、江華島事件を口実に、李氏朝鮮は日本から江華島条約(不平等条約)による開国を迫られ、渋々承諾した。その条約により、釜山・仁川などを開港し、主権が日本に移った。
日本が下田で黒船により開国を迫られたのと同じことをしたに過ぎない。 -
建物の中に、当時の砲撃に使われた大砲が一つだけ保存されている。
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要塞から海峡の方を望むと新しい草芝大橋がかかり、昔の面影はない。向こう岸は金浦空港のある金浦市。
その後、バスターミナルへ戻り、ソウルのゲストハウスへ帰った。 -
12月24日、今日はクリスマスイブだが、午前中の便で帰国するので、早朝にゲストハウスをチェックアウトし、リムジンバスで仁川国際空港へ向かった。ピーチ航空で昼頃に関空へ着き、近鉄で名古屋まで行き、19時頃帰宅。今回の旅の費用は、全て含め5万円ほどで済んだ。
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今回の韓国の旅は、日本との歴史的に関わりのある場所を中心に回ったが、歴史に関して、日本人と韓国人がお互いに理解し合える日は、永遠に来ないと感じた。「歴史は一旦横に置いといて、………」と話を進めない限り、先へ進めないように思う。今の日韓、日中の関係を見ると、20世紀へ逆戻りしているように感じる。一方、ヨーロッパは20世紀の反省を踏まえ、現在も、困難に立ち向かいながら、EUを拡大し、強固なものにしている。このアジア地区も障害や妨害があろうとも、AU(Asian Union)に向け準備をしていかなければならないと思う。ただし、今のところ、中国と北朝鮮は除外せざるおえないが。
【追伸】「12月26日に阿倍首相が靖国神社参拝」というニュースが入ってきた。再び、不毛な歴史議論に戻ってしまい、先へ進めないどころか、時代が逆戻りしてしまう。一体、阿倍首相は日本を何処へ持って行くつもりなのだろうか。
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