2013/11/16 - 2013/11/16
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kenichi291さん
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2013年11月16日、そろそろ紅葉が見られるようになって来たらしいので、神奈川県大山を訪ねる事にしました。大山阿夫利神社と大山寺はちょうど見頃。山全体は二十日過ぎぐらいからが見頃の様です。写真は大山寺を見下ろす展望台(道端ですがアマチュアカメラマンで一杯の場所)からの景色。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2013年11月16日、東京からわずか2時間。手軽なハイキングコースとして親しまれている丹沢大山国定公園の大山は丹沢山塊の東端、神奈川県伊勢原市にあり標高1252mのピラミッド型の美しい山容を見せています。紅葉がこの所の冷え込みで進んできたらしいので今日は大山阿夫利神社にお参りする為やって来ました。
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小田急線伊勢原駅を降りたら、改札出口で大山ケーブル駅バスお待ちの方の最後尾はここの看板にいきなり歓迎される。バスは5分間隔で臨時便を増発。大山ケーブル駅も行列。
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ケーブルカーも折り返しでのフル稼働。満員すし詰め状態で阿夫利神社(山上駅)に。車窓からの紅葉はちらほら。
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山上駅を降りるとそこそこ紅葉が。
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第10代崇神天皇の頃(紀元前97年頃)の創建と伝えられ、山頂に本社、標高700メートルの中腹に下社があります。
「大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)」「大雷神(おおいかずちのかみ)」「高おかみ神(たかおかみのかみ)」を主祭神とし、大山山頂に立つ本社に祀られています。
源頼朝をはじめ、多くの武将に厚い崇敬を受け、江戸時代には庶民の信仰を集め大山参りが盛んになったのだそうです。 -
標高700メートル中腹の下社に登る石段は両側に紅葉が見られます。
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石段の途中からもみじを見下ろす。
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大山ケーブル駅を見下ろす。ケーブルカーが停車中。
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大山阿夫利神社下社の鳥居。
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大山阿夫利神社 第10代崇神天皇の頃(紀元前97年頃)の創建と伝えられ、山頂に本社、標高700メートルの中腹に下社があります。「大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)」「大雷神(おおいかずちのかみ)」「高おかみ神(たかおかみのかみ)」を主祭神とし、大山山頂に立つ本社に祀られております。源頼朝をはじめ、多くの武将に厚い崇敬を受け、江戸時代には庶民の信仰を集め大山参りが盛んになったのだそうです。
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遠くに相模湾を望む。
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江ノ島が見えるんだけど、このカメラではうまく撮れませんでした。
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馴染みの無い方ですが Yahoo百科事典によれば
「幕末・明治初期の国学者、医者。名越廼舍(なごしのや)と号する。武蔵(むさし)国入間(いるま)郡毛呂(もろ)本郷(埼玉県入間(いるま)郡毛呂山(もろやま)町)の医家に生まれ、医学を修めて開業したが、23歳のとき平田篤胤(あつたね)に入門して、神道(しんとう)、国学を研究した。1862年(文久2)に上京して尊攘(そんじょう)運動に参加。維新後は新政府の大学中博士、皇漢医道御用掛などに任じられたが、71年(明治4)国事犯の嫌疑を受け、免官のうえ1年余り幽閉される。赦免後、相州(神奈川県)阿夫利(あふり)神社の宮司、皇典講究所教授、神道事務局顧問を歴任し、明治20年6月8日没。著書は『みたまのふゆ』『心の柱』など多数ある。その神道説は篤胤の学を継承するもので、とくに造化三神の神徳を強調する。」 とあります。
この神社の宮司さんなんですね。 -
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下社参拝も行列。
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下社前の左手には町火消しの「め組」と「み組」の寄進した石碑と言うんでしょうか、塔が建っています。こちらの神社は鳶の神様なんですね。これは「め組」のもの。
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2009年8月、訪れた時にちょうど「め組企業」の皆さんが大山詣されている所に遭遇。その時の一枚です。寄進した碑を掃除している所でした。揃いの法被でご祈願に来ていました。芝神明の町火消し、「め組」の喧嘩で知られる方達です。当時の頭領は新門辰五郎。今は浅草、浅草寺の寺内に?新門をかまえ浅草で見掛けます。今の頭領は清宮さんという方。先代の組頭にはひょんなご縁で一度お宅に伺った事があります。現在はご子息が組頭だそうです。
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「れ組」の碑。以前散歩に行った谷中の諏訪神社にも「れ組」の寄進した鳥居がありました。
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「み組」さんは左右一対の金灯篭でした。
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「豆腐の碑」。大山豆腐で知られるだけに、豆腐屋さんの神様でもあるようです。
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山頂登山前の人達が休息を取るらしく、ベンチは満席。
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本社参拝の為のお祓い所。この辺りのもみじが紅葉真っ盛り。
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菅原道真を祀る菅原社。
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登山口。山頂本社への参道。急な石段です。
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神泉。
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山腹の紅葉はもう一息。
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お茶屋さんの下の道は色付きがもう一息です。
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お茶屋さんの下の道を歩けば二重の滝を見る事が出来ます。2009年8月、訪れた時の写真をどうぞ。
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これが二重の滝。
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鹿の親子が居ました。勿論飼われている鹿です。
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山上駅に戻る途中は黄葉が綺麗です。
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山上駅からケーブルカーで大山寺まで下ります。
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大山寺駅から歩いて大山寺に向かいます。
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十一面観音。
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お茶屋さんの下の道、女坂を下って大山寺に行く事も出来ます。
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結構年配者にはきつかった。
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芭蕉翁の句碑の辺りに出ます。
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上の道にカメラの砲列を発見。
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大山寺 天平勝宝7年(755年)、奈良東大寺の別当良弁僧正が開基し、聖武天皇の勅願寺となった古刹。真言宗大覚寺派に属し、京都大覚寺の別院でもあります。通称「大山のお不動さん」と親しまれ、関東三大不動のひとつに数えられています。文永年間(1264〜1274年)願行上人によって鋳造された本尊鉄鋳不動明王および二童子像は国の重要文化財に指定されています。
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木遣塚。
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左手に倶利伽羅龍、右手に八大童子。
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先導師の宿 大山が全国的に有名になったのは江戸時代。庶民の間に大山信仰が広まった。大山信仰を広めたのは御師(おし)と呼ばれる「先導師」。今でも大山の旅館街を歩くと看板に先導師と書かれている。この先導師という人々は、もともと大山で修行をしていた修験者だった人たちだ。けれど、戦国時代に小田原北条氏と結び付いて僧兵の性格を持つようになっていったので、 それを危ぶんだ徳川家康に下山させられた。先導師たちは、全国各地を歩き、大山講というグループを作って、盛んに大山詣でを勧めた。今で言うなら、旅行会社の添乗員のような人々だ。
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参道を下って帰途に。
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