2012/05/14 - 2012/05/23
40位(同エリア41件中)
大月さん
1日目 初めて利用の中国東方航空
2012年5月14日。今回は、以前の同僚と一緒の二人旅。
ダッカに入るには、経由便しかないが、値段から北京経由の東方航空にした。
ネットで調べているとスペインの旅行会社が東方航空利用で安いのを出していた。上海経由北京行き。同日乗り継ぎで昆明経由ダッカまで。ダッカに同日深夜着。機内食を何度も食べられるし、心配はあったがカードで引き落とす。しかし、その後なかなかEチケットが送られて来ない。心配になって東方航空のオフィスに電話をかける。しかし東京オフィスは話し中で繋がらない。何度かけても駄目。調べてみると、広島にもオフィスがある。ここなら暇だろうと思ってかけたら、一発で繋がる。
事情を説明すると、調べてくれて無事、予約されていることが分かり、Eチケットを広島支店から送って貰えた。旅行会社からは、前日に最終確認として航空機の案内がメールで届いたが。
成田9時55分発。北京行きであるが、上海でまず降ろされて入国手続きし、少し待って再び同じ飛行機に乗り込む。北京に16時40分着。東方航空では、北京以遠は成田で一括して発券出来ない。そのため上海〜北京間は国内線で移動して、北京空港で発券してもらい、国内線から国際線ターミナルに移動する形になる。
2時間前にカウンターに着いて見ると、20時発のダッカ行きはディレイという張り紙が張られていた。予定時間は分からない、という返答。イスが少ないので、床に寝そべって待つ。出発時刻を過ぎても、何の返事もない。待っていた乗客は他の航空機に変更したのか、どんどん減っていく。そのうちイスに座っている欧米人らしい2人とカウンター前に並んでいる数人だけになった。
23時になって航空会社職員が呼びに来た。カウンターに行くと、1名が航空会社とやりとりをしていた。後で分かるが、台湾の人。英語と中国語ができるので、自然発生的に居残り組の交渉代理人になったようだ。台湾の方からは、友人が辛うじて英語が私よりできるから、通訳係として私に伝わる。
結論は、
飛行機はキャンセルになった。
昆明まで行くならば、早朝の便を用意する。
ダッカ行きは、明日の便しかない。
どうせ運命共同体なのだから、一緒にしようと合議一致する。居残り組は、イタリア人のダッカ在勤の外交官夫婦。台湾人の会社経営者のファンさん。そしてバングラデッシュ人1人、と我々の6名。
少し待って、ホテルに連れて行くという。深夜0時、ホテルに到着。部屋はツインで広いが、古そうなホテル。一人一部屋割り振られ、その点は良かったが、寝たと思ったら午前1時にドアを叩く音で起こされる。モーニングコールであった。そのまま車に乗せられ、懐かしい北京空港へ再び。2時過ぎに出発予定と連絡があったが、待たされ、出発は3時過ぎ。ともあれ昆明に向けて出発。
2日目
早朝、乾いた山に囲まれ、埃っぽい昆明空港に到着。さて次は何時かな、と思っているとリーダーの台湾人(ファンさん)がどんどん歩いていく。そのまま外に出て、航空会社の方と相談している。そのうち片言英語で分かったことは、飛行機は夜発なので、ここでまた1泊、泊ではなく1滞在するということ。ダッカ行きは1日1便だった。事前に旅行計画を作るために調べはかなりしていたと思っていたが、そんなことも調べてない。
しばらくして、マイクロバスに乗せられ、ホテルに向かう。同僚は、得意のビデオを回しながら、
昆明にやっと着きました。
只今、バスに乗ってホテルに向かっています。
この後、どうなるのか分かりません。
昆明で混迷を深めています。
などとダジャレを吹き込んでいる。
埃っぽい混雑した道路を20分程走り、ホテルに到着。雲武温泉酒店とある。温泉ホテルかと想像させたが単なるホテル。北京よりは新しくきれい。
私称代理人が手続きし、6名はロビーに集まる。ここで初めてこれからの予定が知らされる。本当は他の英語が分かる人たちは、もっと早くから知っていたのかもしれないが。
飛行機は深夜発。22時までホテルに滞在。
昼食と夕食は、ホテル外で一緒に食べる。12時と18時。
それ以外自由。
部屋は一人一部屋。
部屋はツインできれい。まずは寝不足のため、睡眠を確保。
10時、街中に出かける。何か口に入れたいが、元は持っていない。1日しか時間がないし、昼食は用意されているので、両替しても使い切れない。軍隊の施設の前を通ると、門衛が厳しい目で、早く通過しろ、と合図を送ってくる。
12時、皆と近くの食堂へ。よく分からないが、予算は決まっていないのか、ファンさんが次ぎ次ぎとおかずを注文。5〜6品は注文したか。飲み物もビールやら好き放題に注文。ファンさんが、コップは汚いから使わない方がよい、と皆に言う。見た目、汚れているようにも見えないが。そのため、ビールは大瓶を、コーラも1リットルボトルを皆、ラッパ飲み。
十分満喫してまた昼寝。それでも時間があるので、再び街中へ散策。コンビニ店に入り、値段を確認。夕食後、シャワーを浴びて、22時、バスで空港に向かう。
昆明空港では、ゲート前に十数人が2列に並んでいたので、30分前になったので我々6人も列の後ろに並ぶ。5分ほどして放送が入った。たぶん搭乗を開始します、というアナウンスと思う。すると今までイスに座っていた中国人と思われる人たちが2列の横にもう1列を、正式には1列らしき列を作って押し掛けてきた。あ然、である。
空いた口が塞がらない。そういえば中国でチケットを購入するのは大変という話をどこかで読んだ。並ぶ、とか整然と、という言葉は皆無の国なのだろう。一辺に嫌いな国、自分の性格に合わない国の仲間入り。
深夜1時30分、無事、離陸。2時30分、ダッカ空港に到着。東方航空には大変世話?になった。
3日目 列車でRAJSHAHIへ
少し明るくなるまで、到着ロビーで仮眠。イスは平らで、沢山あり、大いばりで占有できた。
4時40分。少し明るくなったので、10分ほど歩いて空港駅へ。計画では9時頃、ラジシャヒに向かう列車があるはず。薄暗い駅に着く。さっそく私は、並んでいる列の後ろに続く。すると同僚が、外国人はあっちらしい、と呼ぶ。駅員らしき人に誘導され、反対側の通路を通り、駅員室のようなところに連れて行かれる。座って、とか、どこから来たのか、などと雑談していて発券しようとしない。
2枚、ラジシャヒ 頼む
と訴えると、分かった。ノープロブラム、と言う。どうも今は忙しいから1時間くらい待て、と言っているようだ。
同僚は外に散策に行き、乞食に付きまとわれて戻ってくる。私は、何用で入ってくるのか不明な、多種多様な人の出入りを眺めている。駅員らしい人もいるが、ただの暇人かお客なのか分からない。互いに握手したり、私に質問してきたり、そのうち出ていく。
駅員は2本の電話を次々とかけ、パソコンの画面を見ていじっている。画面はどうも列車のダイヤのようなものが映っている。1時間過ぎても、発券しようとしない。ダイヤに遅れなどが出て、調整しているのかもしれない。
7時半過ぎ、駅員が部屋から出ていく。数分で戻ってきて、切符を私に渡す。パソコンで印字されたきれいな切符が2枚。ただし9時発は満席なのか理由は分からないが14時発になっていた。1等で335タカ。
なぜすぐ発券できるのにしなかったのか。9時発というのは元々なかったのか。いろいろ分からないことばかり。
ようやく乞食に追われながら、食事場所を探す。混雑しているところに入る。空いている席で待っていても、注文を取りに来る様子がない。仕方ないので、混雑している席の中に空席を探し、そこで店員を捕まえて注文する。私はナンのような物を4枚。24タカ。24円、安い。特に味が付いている訳ではない。カレーなどと一緒に食べるのだろう。
これから街中まで行ってみようかと、同僚と相談してタクシーと交渉していたが、結局、空港に戻って時間を潰そう、となった。冷房は利いているし、イスは沢山あるし。
発車30前にホームに入る。待っている乗客(らしき人たち)に、このホームでよいか、車両はここでよいか、問いかけると、周りを取り囲まれる。集団スリに囲まれたような気分。同僚は怖い、と言って離れてしまった。ガイドブックにも、現地の人は興味があって集まってくると書いてある。そして私が質問した相手の発言を聞いて、そうだそうだと相槌を軽く打ち、出しゃばる訳ではない。奥ゆかしい。
ガイドブックにはラジシャヒと書いてあるが、現地の人にこの地名を言っても通じないことが分かった。地図と英語を見せると初めて分かる。
現地の人は、rajshahiをラシャイと発音する。だから何度こちらが発音して説明しても通じないはずだ。(以下、ラシャイとする)
列車はほぼ定刻に発車。乗り心地はよかった。座席間は広いし、片側対面6人掛けで車内全体が広々。対面の人の足がじゃまにならない。車内販売があった。食堂車で作っているのかもしれない。同僚は注文して食べていた。私は値段が気になり、まずは様子見に。食べ終わった辺りを見量り、集金に来た。それほど高くはなかった。その後も、他の乗客はいろいろ注文していたが、その後、集金に来た様子はなく、降車した人もいた。どうなっているのか。また指定席であるが、どんどん席を替わる。対面の席は他の席から移ってきたり、仲間でもなさそうだが、お互いに交換したり。だから途中で集金に来た人も戸惑っていた。配食した際に集金すればよいのに。よく分からない。
バングラデシュの鉄道は、東西でレール幅が異なる。植民地だったことによるらしい。ガイドブックによれば、ラシャイまでは初め狭軌で、途中に川があり、その後広軌になる。川で寸断されているし、レール幅も違う。川の手前で一旦降りて、フェリーに乗り換えるのか、興味津々。じっと窓外を注視していた。乗客に尋ねても、フェリーの話は出てこない。3時間ほど経過した時、大きな川を渡り始めた。前席の客に、今この川を渡っているのか、と問うと、そうだと言う。ということは、線路が繋がっている。レール幅はどうなっているのか。山形新幹線のように自動調節しているのか。聞きそびれて疑問を抱えたまま、列車は進む。
夜9時10分、ラシャイ駅に到着。宿は予約していないので多少心配。歩いてもいくつかあるが、本命の宿までリキシャと交渉する。べらぼうな金額を言っているのを無視し、離れたところのリキシャと交渉。市内の相場は10から15タカの情報を元に、15タカで交渉。乗り心地は必ずしもよくない。地面のデコボコが直接揺れと振動になって体に響いてくる。宿に着き、チップを含めて20タカ渡すと、20ドルだ、などと言い出す。無視して宿に入ると同僚は、怒ってどなり込んでこないか、と心配する。そんなことはない、と2階のフロントへ。実際、後日、リキシャを利用した際、15タカで十分だった。宿WAY HOMEは、空いていて予約できた。1部屋1200タカ。
4日目 マンゴを求めて幾千里
翌日、世界遺産のバハルプール寺院遺跡群を見にいくことを計画していた。たぶんバスがあるだろうと安易に考えていたが、フロントで尋ねると、路線バスだと1泊が必要のようだ。ツアーバスは無いらしい。急遽予定変更。ラシャイの近くの町はマンゴの産地と以前調べた情報にあった。バスとリキシャなどで行けるとあった。
フロントで確認し、駅近くのバスターミナルへ。ノバブゴンジまで170タカ。9:30発。すると同僚が、
9時半発と言って、もう9時半過ぎているじゃないか。インチキのチケットでは、と心配そうに叫ぶ。
ここはバングラデシュだから
と言っているうちに、バスは到着。しかし予想通り、このバスはすごい。
まずフロントガラスには、上半分に大きなコーティングされたような紙が貼り付けられている。よく見るとガラスにヒビが入っている。東方航空で一緒だったバングラデシュのお兄さんも、バスはデンジャラス、と言っていた。しかもひっきりなしにクラクションを鳴らし、追い越しをかける。対向車とどっちが先に道を占有するか競争の有様。同僚は嘆く。この国の車は、まず一番に消耗するのはクラクションだ、と。しかし30分も過ぎると、慣れてくるから不思議。これは楽勝で追い越せる、これはギリギリどうかな、やっぱりブレーキを踏んで諦めたな、と。ブレーキの消耗も激しいだろう。
1時間でノバブゴンジに着く。マンゴを探すがほとんど無い。市場らしい所に行っても無し。カンシャトというところが特に産地とあった。そこに行くしかない。
紅茶を飲んでいるおじさんに、乗り物を尋ねると、タクシーしかないと言う。そのうち、200タカで自分が行ってやる、らしいことを言い出す。バスと同額では承服できない。断る。断ったにも関わらず、紅茶をご馳走してくれた。4タカらしい。お金を払おうとするが、受け取らない。気のいい人たちだ。
いろいろ交渉してCNGを予約。2人で100タカ。ただし他の客を乗せていいか、と言うのでOKする。
途中、女子高生らしい3人が乗ってきた。少しして順次降りたが、渡しているお金は10か20タカ。庶民的な乗り物なのだろう。左右にはマンゴの大木が続き、マンゴが成っていたが、まだ青い。マンゴがあるか、と私が尋ねて、皆、同様にあると答えていたが、私の尋ね方が悪かった。食べられるマンゴがあるか、と聞かなければ。反省、反省。
1時間でカンシャトに着く。やはりマンゴは少ししか売っていない。スイカを食べようかと同僚と相談。1個150タカ。交渉している時から、我々の周りに人集り。きれいに切ってくれ、イスに座って食べる。2人で半分、実際は私が3/8、同僚が1/8食べたが、もう食べられない。人集りの人たちにプレゼント。店の人も気前よく、周りの人に配っていた。バングラデシュ人の優しい人柄が分かる。結局、1日使って、マンゴを腹一杯食べる夢は実現できず、帰路もひび割れのバスに乗る。
帰路のバスで驚いたこと。それは途中でのこと。前を走っていたバスが停車するため左側に止めた。しかし対向車があり、後続の我々のバスがなかなか進めない。前のバスの停車場所が悪かったのかもしれない。すると車掌が乗降口を開けて、体を乗り出し、前のバスの車体を手や紙包みのようなもので叩く。運転手はクラクションを鳴らし続けるので、前のバスは少し移動し止まる。その横を追い越す際、車掌はバスの横を叩き続け、罵声でないかもしれないが、喚き続ける。
険悪なムード、というのではなく、彼らにとって挨拶代わりなのかもしれない。しかし私にはびっくりさせられた出来事。
さて明日はKHURNAに移動。バスを探すがどうもバス会社のオフィスは離れた所にあるらしい。探したがもっと先だと言う。諦めて列車に変更。窓口を探すが分からない。そのうち同僚が警察官か軍人なのか分からないが、制服を着た人に聞き、現地の人と同じ窓口と分かる。列に並んでいると、その制服官が来て、窓口の人に何やら告げ、私を割り込ませてくれた。国の施策、方針なのか。有り難いことではあるが、あまり特別扱いされるのも気がひける。
5日目 KHURNAにクルナ
翌日、6:50発。席は個室のようになっていて、長いす様が対面に。対面に4人家族。私の隣は現地青年。乞食が空いているドアから入ろうとすると、対面の旦那さんが追い払ってくれた。こういう1等車に乗るのだから、現地の金持ちだろうと想像していると、高価な日本製のカメラを持っていた。どこの国にも金持ちはいるものだ。同僚が子供さんをカメラで撮ってやると喜んでポーズをとる。写真は好きなようだ。途中、停車駅のホームを見ていると、ホームにジャックフルーツの木が植えられていて、あの大きな実がぶら下がっている。紙芝居にでもありそうなユーモラスな風景。14:00クルナ着。
相変わらず、同僚は乞食に付きまとわれ、狼狽えて逃げ回っていた。今度の人は片足を引きずっていたが、同僚を追いかける時は、別人になり、人並み以上の早足。生きるために、必死さが伝わってくる。同僚はいかにも優しい眼差しをしているから目をつけられる。私のように無表情人間にはしつこく寄ってこない。
クルナはボリシャルに行くための中継点のようなもの。特に何かを見たいとか食べたいということではない。
宿JALICOは、ホテル仕様。少し贅沢だった。1部屋2600円。ロブスターが名物とあったので、どうせなら食べようと衆議一致。このホテルならば有るだろう、と勘ぐって入ったホテルのレストラン。しかし生憎無かった。残念。
明日のバスチケットを手に入れるために、リキシャに乗ってマーケットに向かう。降りた際、バスチケットオフィスの場所を乗ってきたリキシャ夫に尋ねると裏側だという。裏側に回り、分からないので繁華街方面に歩き、迷って店主に尋ねるとマーケットの方を指さす。再び裏側に近づき、ある店主に尋ねていると同席していた小学生らしい子供、3年生くらいか、自分が知っているという。するとどんどん歩き始め、我々を先導する。結局、グルッと廻ってリキシャで降りた地点に。よく見ると道路に机を出して、チケットらしいものを扱っている。その子供は、我々が分かった様子を感じ取ると、走って自分のお目当ての方向に走り出した。チケットを購入して注意していると、先ほどの少年が遠くに散見された。慌てて少年を手招きし、持っていたアメ玉を少しお礼にあげる。純粋な少年の心に出会えて満足の一日は終わった。
6日目 散歩好き?
翌朝、まだ暗い中を散歩する。すると住宅街の道路を私と同じように歩いている人がいる。初めは仕事に行くのか、と見ていたがそうではない。わき目も振らずに黙々と歩いている。朝は涼しいからよいのか。そのうち、ますます歩いている人が増えてきた。
住宅街から港へ。日本の昔にあったような大八車。まだまだ現役のようだ。
港近くで大型トラックからバナナを下し、港に運んでいる人たちがいた。写真を撮ってよいか、尋ねるとよいと言う。運んでいる姿を写したいのだが、なぜかカメラを構えると、ポーズをとってしまう。有り難迷惑という言葉は存在するのだろうか。写真とは人間がポーズを決めるものだけなのだろう。
7日目 ボリシャルへ
このボリシャルも英語的には、BARISALのつづりだから、バリシャルと書いてあるガイドブックもあった。イギリスに植民地的支配され、英語が通用したが現地語と混ざったのだろう。
7:45発。ホテルの人が勧めたバス会社。お勧めの意図は不明だが、フロントガラスは割れていなかった。しかし追い越し狂であることは同じ。クラクションを鳴らし、狭い道をどんどん追い抜いていく。加速のよい車だ、ということを自慢したいのだろうか。でも、たまにボルボ製のバスに抜かれる。これは仕方ないと諦めているようで、深追いしない。
2時間ほど走って、休憩タイムになった。トイレで待っていたが一杯でなかなか空かない。離れたところで利用。他の人も同様で私の横で処理していた。紅茶を飲み、待っていたがなかなか出発しない。1時間ほど経ち、バスのエンジンがかかり、乗客がバスに乗り込んだ。しかしそれでもなかなか出発しない。見ていると対向車線を車が沸くようにでてくる。ようやく分かった。ここからフェリーに乗るのだ。それでフェリー到着まで時間調整していたということ。川のほとりでトイレ休憩だけかと思っていた。立派な桟橋がある訳でなく、土の道路からフェリーに乗り移る。対岸は見えるが、フェリーはゆっくりで20分ほどで対岸に。
再び、クラクションを鳴らし続け、追い越し続けて走っていると、突然、バーンという音。車はゆっくり停車。車掌が見に行く。左の後輪のうち1本がバーストを起こした。他の後輪が支障ないと判断したか、そのまま出発。ボリシャルのバスターミナルへ14時到着。後輪を見ると見事に剥がれていた。
宿はHOTEL ALIという安宿。古いが掃除はされていた。600タカ。
まず、できれば翌日、外輪船でダッカに戻りたい。遅い昼食後、船会社のオフィスに向かう。1軒目、閉まっていた。通りがかりの人に尋ねると夕方6時頃開くだろう、という話。もう1軒、雑居ビルの様な建物に向かったが、ここも閉まっていた。近くの商店主に聞くと、ここでも夕方来て見なさい、という話。一旦、同僚と別れ、私は夕食にと目星を付けていた中国料理店を探す。夕方再びオフィスを尋ねたが、やはり閉まっていた。仕方ないので船着き場まで行く。すると職員が親切にゲートの中に入れてくれ、乗船中のごった返す船の中まで案内してくれる。船の中に机があり、職員がチェック事務などを行っている。チケットを手に入れる方法を問うと、明日、オフィスに行くようにと言う。今日の分は売り切れらしい。川を行き来する船だが、大きな船である。海も航海出来るだろう。乗客が慌ただしく乗船し、荷物人夫が沢山の荷物を担いで運んでいる。活気がある。
夕食に向かう道すがり、頭を悩ます。明日、チケットオフィスに行っても手に入るとは限らない。もう1日ここで待っていても、帰国はできる。どうしようか迷う。2日後、チケットが手に入っても荒天で欠航したら帰国に間に合わない。結論は、外輪船は楽しみにしていたが、諦めることに。そうと決まれば早めにダッカに。
8日目 ダッカに戻る
バスターミナルに到着し、ダッカ行きバス会社の窓口に寄る。1時間後発のチケットを予約。その後、なぜか別の窓口に案内される。チケットを渡される。時間があるので、荷物の番を同僚に頼み、一人外に出て紅茶を飲んでいると慌てて同僚が荷物を二人分持ち、探しに来る。
分かったことは、最初1時間後発のバス会社で予約した。しかし1時間待たせるのは忍びないと考えたのか、他のバス会社を案内し、チケットがあるか確認し、あるというのでそちらに予約を換えた。自分の会社の利益より、お客の便利を優先したということ。有り難い配慮。
急いで発車寸前のバスに乗り込む。
途中、左側の乗客が立ち上がり、窓外を見る。私も立ち上がって見たがバスが止まっていた。隣の乗客に、トラフィックアクシデント? と聞くと、そうだと頷く。バス単独か車同士か不明だが、あれだけスピードを出し、追い越しをかけていれば事故は起きて当然。乗客の反応は、野次馬の雰囲気。
だんだん道路にバスの列が出来はじめ、混雑してきたな、と思っていると、渋滞になった。ダッカの街が近くなったのかと思っていると、車列は完全に動かなくなった。周りは小さな商店街。対向車線ものろのろ渋滞。乗客は適当に、バスから降りて放尿したり、買い食いしたり。どうもまた先日の様に、フェリーに乗るようだ。
30分も経過したか、対向車線が少しずつ動き始めたな、と思っていたら、突然車列が動き始めた。道がだんだん狭くなり、2車線が1車線になった。舗装道路が切れ、ほこりの舞う低い坂を登ったら、目の先に大きな川があった。フェリーも見えてきた。今度は3階の船。バスもぎっしり、10台以上乗り込んだ。大きな船だ。フェリーは波のない川を揺れることなく、ゆっくり進む。3階で5タカの紅茶を飲み、30分ほどで対岸へ。14時ダッカ着。
終点と聞いて降りたが、どのバスターミナルに着いたのか分からない。地図の見方は現地の人は苦手のようだ。地図を見せてもチンプンカンプン。市内に3か所ほどターミナルがある。仕方ないので、CNGと交渉。相変わらず400とか法外なことを言う。同僚を引きたてて、タクシー群から離れる。離れたところのCNGと交渉。300と言うところを200とねばる。歩きだしたら、250でOKと声がかかる。了解。50タカと言えば、50円くらいの差。言い値でも良かったが、一例でも前例を作るとよくないので、ここは後に引けない。
このCNGは、運転席と乗客席は金網で隔てられていて、何か檻の中に入っている受刑者の心境。動物園の熊も同じ思いかもしれない。車体の前には頑丈なバンパーが。小回りが利くこともあり、割り込みの連続。時々、車同士で軽くぶつかる。ぶつかっても丈夫なバンパーなら平気。
地図を見ながら、なんとか現在地を把握した。北西のバスターミナルに着いたことが分かった。30分ほどでホテルの近くまで来た。しかし運転手がよく分からない。私が地図を見せて、今この辺りだから、こっちへ、と手話で示す。ようやく理解したと思ったら、何とそのまま向きを変えて、左車線を逆走する。よく見ると、他にも数台、逆走している。右隅を自転車、リキシャなどを掻い潜り、200mほど逆走し、ようやく交差点で左走行に。ホテルに無事到着。
9日目 調子のよいバングラの人
1日予定より早くダッカに着いた。折角だから、東方航空で一緒だったバングラ青年に電話をしてみようとなった。もし暇ならば、市内を案内してもらおうと。
英語が多少できる同僚がフロントで電話を借りる。すると無料でフロントマンが電話してくれた。繋がる。
同僚の話では、大変喜んでいた。明日、ホテルに来るという。
これはラッキー。安くてうまいところとか、穴場の観光地でも案内して貰おうと翌日を待つ。
翌日、ロビーで青年を待つ。1時間待つが、現れない。やはり心配していたことが当たった。東方航空残留組の中で、調子者のような印象だった。拾った宝くじが、偶々、翌日が当選発表日で暇だから、発表を待っていたようなもの。外れてがっかりもしない。
同僚は、
あんなに喜んでいたのに
と、まだすっきりしていないようだったが。
嘘を吐くつもりでなく、自分を頼ってくれる人には喜びを表現するのが、こちらの人の文化なのかもしれない。それにしても、ホテルに、仕事が入って行けなくなったくらいの言い訳をしてくれてもよいような気がするが。
調子がいい、と関連があるかどうか。気楽にはったりを張る、文化のようだ。
例によって、私はラシャイで床屋を探し、地元料金の30タカで切ってもらった。しかしこれを聞いた同僚も、ダッカに着いて、床屋に入った。そして終えていざ料金を尋ねると、1000タカと言われる。聞き間違いかと思い、紙に書いて貰うと確かに1000と記す。憤慨してテーブルを叩いて日本語で抗議。何度か抗議の意志を示して、500、100とダウンし、最後100からなかなか下がらなかったが、50でいいか、と同僚が言い切り、置いて床屋を出たが、追いかけて来なかったという。宿に帰って、酷い目にあった、とこぼしていた。
たぶん気楽にふっかけたのだろう。リキシャなども、いくら、と尋ねれば、2〜3倍の値を言う。こちらが相場を知らないことを想定して。だからOOタカで出来るか、と最初に切り出すしかない。
悪質ではなく、単なる文化なのだろう。そもそもイスラム文化は、富める人からお金や物を頂くことは当然なのだから。
フルーツディナー
マンゴを腹一杯、食べ損なったことが心残り。近くのミニマーケットに行き、手当たり次第果物を買う。ジャックフルーツ176タカ、ウッドアップル69タカ、ソベダ1kg90タカ、パイナップル43タカ、バナナ24タカ。以前食べたジャックフルーツは美味しかったが、今回はまだ完熟でなかったのか今一つ。ウッドアップルもジュースは美味しかったが、生食は今一つ。元々、ジュースで飲むものかもしれない。同僚に少し手伝ってもらいながら、夕食代わりに平らげる。
日本語あちこち
ホテル近くを散歩していて、道を尋ねていたら、突然、流暢な日本語が横から割り込んできた。聞くところ、日本で働いていて、今はこちらで旅行会社のようなことをやっているようだ。それにしても日本人だとよく分かりましたね、と尋ねると、
仕草で分かります
日本人は上品です
と返答。全てが上品ではないが、全体的に大声を出したり、わめいたりしない人が多いことは事実かも。
またショトルガットの港を散策していて、時計店があった。こちらの値段を調べたいと思って入ったら、日本語が返ってきた。この方も日本で働き、お金を貯めて時計店を始めたようだ。歓迎され、店員に紅茶を注文させ、ご馳走してくれた。現地の日本人は少ないようだが、日本語は以外に知っている人が多いような。また好印象なのか、好んで使ってくれる。
他人に親切精神
イスラムの教えか、文化なのか。
クルナの少年しかり。
ショトルガットで帰りのリキシャを探していた。ところが皆断られる。タクシーで行けと。しかしタクシーは高い。もったいない。距離が遠いということもあるかもしれない。交渉しているところに、例によって人が集まってくる。そして何と交渉してくれるのである。若いリキシャを捕まえて、ホテルまで行ってやれと。若者が渋っていると、尚も行くように説得している。ついにいいですよ、となった。100タカ。CNGの半分以下。市中心部は、リキシャ通行禁止ゾーンもあるらしく、また混むので嫌うこともありそうだ。
外国人が道を尋ねたりして立ち止まっているのを見ると、困っているのだな、俺が手助けしてやろう、と思うのだろう。それですぐ人だかりになって囲まれてしまう。
ホテルをチェックアウトし、空港に向かうときも、ホテルマンから400タカあれば行ける、と確認した。CNGを捕まえてくれるというので玄関で待つと、1台捕まえてきた。400タカを確認して、我々を乗せ、再び運転手に 400タカ と何度も言い含める。空港に着いてから500タカだ、とかごねることを予想していてのことだろう。お客に迷惑をかけない、ということもあるだろうが、親切心もあるだろう。
最終日 最後のトラブル
ダッカ空港発は深夜。トラブルを恐れて5時間前に到着。まず出発ロビーに行き、カウンターを確認。見渡すところ出発ロビーにはイスが余り無い。到着ロビーに移動。エスカレーターやエレベータが見つからない。車両用スロープを通って5分ほど歩いて、到着ロビーへ。
入口で空港職員がチェックしている。パスポートをポケットから出して、見せて入る。私はすんなり入った。同僚は大事にウェストバックの奥に仕舞っていて時間がかかる。私は荷物を引いてイスのところに来たが、同僚は差し止められている。問題はないはずとイスで待っていると、ようやく同僚が来た。事情を聴くとこうだ。
パスポートを大きい財布の中に入れていた。
出すときに、財布のお金が職員の目に着いた。
それでお金を要求された。
その後、空港職員の一人が我々のところに来た。
何時までいるのだ。
2時間。
と応えると、戻って行った。
寝ていると、時々、誰かが体に触る。薄眼を開けて見ると、他のお客が近くの柵のところに立っている。通る時に触れたのだろうと思って寝ていた。2時間前になったので、起きると、例の職員が近くにいた。後で同僚に聞くところ、何度も同僚を起こしに来たようだ。
出発ロビーに向かおうとすると、後を着いて来い、と合図する。別に悪いことをしている訳でなく、こちらはお客。お金は絶対脅されてもあげない、と決意する。同僚は別のルートを誘導されたので、別室に連れて行かれるのか、と不安だったようだ。
端から中に入り、エレベータ前に来た。ここにエレベータがあったのだ。どこかにあるとは思っていたが、分からなかった。乗るとすぐに、10ドルとか言い、手を出した。彼らにすれば、もし他の職員に訴えられても、エレベータを教えてやったチップだ、くらいに言い訳するのだろう。2階の出発ロビーへ着いた。イスに向かう途中、再び金を要求したので、強い口調で、
ホワイ?
と言い、断る。
それ以降、近くに来なくなった。
チンピラみたいな空港職員がいるものだ。折角、今まで良い印象を抱いたバングラデシュであったが、汚点が付いてしまった。残念。英語ができれば、空港公団(というのが有るかどうか不明だが)にメールで通報したいくらいだ。
帰路の飛行機は、何のトラブルもなく成田へ
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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