2013/10/30 - 2013/10/30
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massyさん
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交通網の発達した今だからこそ旧道を踏みしめ、一昔難儀な生活をされてきた人々の想いを探り寄せ、贅沢三昧で愚痴だらけの今を反省したい。
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絹の道説明
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絹の道道碑
大塚山公園入り口。1957年、故橋本義夫らにより、この埋もれていく街道を惜しみ絹の道の碑が建てられた。幕末から50年間、八王子から横浜に生糸を運び繁栄、日本のシルクロード。この後方石段を登ると大塚公園と道了堂跡がある。 -
鑓水峠(やりみず)頂上付近
八王子から横浜までの浜街道で最高地点であった。「絹の道」と言う名称は昭和20年代に付けられた。 -
鑓水峠頂上からの八王子市中心部の眺め
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大塚山公園と道了堂
この奥に道了堂が建っていたが今は基礎が残っている。
往来の安全、災難厄除けを祈願して建立された。 -
道了堂跡
1875年鑓水の生糸商人たちによって浅草の花川戸から移され近くの永泉寺の別院として建立された。 -
絹の道資料館 八王子市鑓水986−2
鑓水の生糸商、八木下要右衛門家屋敷跡に建てられた。復元ではない -
絹の道資料館利用案内、付近散策マップ。
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絹の道資料館遠景
1884年、、この場所に建っていた八木下家母屋を鑓水の永泉寺(本堂焼失の為)に移設。 -
資料館敷地内水路の跡、発掘した時の柱跡が見える。
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資料館裏。水の豊富な場所でした。
鑓水(やりみず)とは
山の中腹に鑓状の物を突きさすと水脈に当たり、節を切り抜いた竹で導き出し瓶に溜め(筧)この水を飲料水に利用、更にこの水を流れる様にしたものを鑓水と言う。 -
資料館内::撮影は許可を得てから。
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展示品から昔の村の風景
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生糸生産工程
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永泉寺説明
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永泉寺
今の本堂は1884年、鑓水の生糸商人の八木下要右衛門邸を移築した。
茅葺屋根が銅版葺きに変わってい。 -
永泉寺移築当時の写真
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小泉家屋敷説明
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小泉家
1878年に再建された。
現在も御家族がお住まいです。見学は外観だけにしましょう。
三層造り、昔は養蚕をされていた。 -
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丁度ご主人が帰宅されたのでお話しすることが出来ました。
新鮮野菜が有りましたので譲ってもらいました。 -
鑓水板木の杜説明
鑓水とは、地名の由来、昔はアイヌ民族が住んでいた、旧街道の説明など。 -
板木の杜緑地入り口
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緑地に入ると大塚家屋敷跡に続き階段道が尾根道(旧鎌倉街道)に続く
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尾根道(旧鎌倉街道)
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鑓水板木緑地案内図
大塚五郎吉屋敷跡 (鑓水商人)
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この旅行記へのコメント (2)
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- ateruiさん 2019/01/27 15:26:07
- すばらしい
- 八王子の絹の道
いいですね
自分も旅行記にと思ってたんですが
いいところですね
このあたりに
南津鐡道の
「鑓水駅」ができる予定だんたんですよねぇ
絹の暴落で南進鐡道がだめになっっちゃったらしいんですが
残念です
実は絹の道に近いところに
学校がありましたんで
道了堂がまだありましたんで
何回かみてます
当時は心霊スポットらしいですね
知らなかったんですが
確かに壊れたお堂でした
aterui
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- 久太郎さん 2013/11/03 14:33:05
- 投票有難うございました。
- 歴史をたどる旅も楽しいですね。
八王子に絹の道があるとはしりませんでした。これからも、旅行記を拝読させていただきます。
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