2013/10/11 - 2013/10/15
328位(同エリア2179件中)
極楽人さん
10月のプロヴァンス。
観光客で賑わう季節が終り、街にも村にも静かな秋の気配が漂っていた。それでもまだ充分に力強い陽射し、汐の香りに満ちた地中海からの海風。冬のミストラルが吹くまでの短かく穏やかな日々を、アヴィニョン、アルル、リュベロンの村へと足を伸ばした。
成田からの航空機はKLMを利用。
アムステルダム乗継でマルセイユ(MPS)空港到着は深夜になった。
その夜は空港至近のホリディ・インに投宿。到着ロビーの専用電話で呼ぶと、すぐにホテル・シャトルが迎えに来てくれた。このシャトルにはずいぶんお世話になった。 (表紙はデジカメ「HDRアート」モードで撮影)
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- KLMオランダ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
到着の翌朝、宿に荷物を預けて先ずはエクス・アン・プロヴァンスを往復する。宿⇔空港をホテルのシャトル、空港⇔エクスは公共の長距離バス(7.6e)を利用した。
エクスから次の目的地アヴィニョン行きのバスが出ているが、エクスに荷物を預ける場所がないので仕方のない選択。バスはエクスのド・ゴール広場(写真)の南300m程の停車場に着く。
“エクス"の語源は水。
大きな噴水が水しぶきを上げる、ここが街の中心だ。 -
朝9時半、妻は急ぎ足で噴水を通り過ぎて北へ進む。
一番のお目当て『セザンヌのアトリエ』は、開館が10時から12時まで。街外れの上り坂なので、徒歩ではあと15分ほどかかる。
自分は特に興味がないが、黙ってついて行く。 -
ポール・セザンヌはこの街で生まれ、この街で没した。
パリで評価を得られないまま故郷に戻り、街外れの一軒家をアトリエにした。一帯は、今では閑静な住宅街になっていた。 入場5.5e/人、内部の撮影不可。
板敷きの広いアトリエ、北側の大きな窓は自然光を取り込むためという。絵はないが、遺品類の展示が少々。
庭も自由に散策できる。 -
アトリエからさらに北へ10分ほど歩くと、
晩年のセザンヌが好んで描いた景色が広がる。
サント・ヴィクトワール山。
ちょっとした公園になっていて、地元の子供連れが何組か散歩していた。ちょっと分かりにくい場所だが、入口の石段が見つかればあとは登るだけ。 -
11時過ぎ、街の方向に戻ってサン・ソヴール大聖堂へ。
完成は17世紀だが、最も古い部分は2世紀に作られたという。“プロヴァンス”は、その名の通り古代ローマ帝国の“属州”として歴史に登場した。 -
大聖堂の回廊がすばらしい、らしい!
普段は扉が閉じて入れないが、11:30から無料のガイドツアーが始まる。妻はよく調べてきて、滑り込みセーフ。
8名ほどの参加者。老齢のムッシュがフランス語で、柱を一本ずつ丁寧に解説。延々40分間、お経に通じる心地よさ。 -
そのあとは、セザンヌの実家へ。
妻がこれほど絵画好きとは、37年間知らなかった。
でも、褐色のレンガで統一された街並みは美しい。 -
あらためて、街の真ん中へ。
市庁舎前の広場には露天のマーケット。
これは花市だ。
「ほんとは、春に来たかった」と妻。
街の景観には、特に眼を惹くものは見つからない。好きな画家を偲んだり、陽射しを楽しんだり、花畑を散策したりして、プロバンスの空気そのもの感じる。ここは、そういう場所なんだろう。 -
メインストリートのミラボー通り。
温水の湧き出ている大盆栽?
土産屋を覗き昼食をとり、
セザンヌゆかりのカフェでお茶をして夕方まで過ごし、
往路と逆の手順で空港のホテルに戻った。 -
荷物を受け取り、無料シャトルで今度は近くの鉄道駅まで送ってもらう。
空港に近い鉄道駅ヴィトロル(Vitrolies)は丘の上。
混雑のマルセイユ(サン・シャルル駅)を経由しないのは便利だが、殺風景で駅員も少ない。乗客はみな自動券売機に戸惑っていた。まあ、こういうのは触っているうちに何とかなるもの・・・
アヴィニョンに向かう。15.7e/人 -
アヴィニョンでは3泊する。
最初の朝は霧だった。
目抜き通りも広場も宮殿も乳白色の闇に沈んで、ほとんど何も見えない。
こういう日は、晴れる。 -
宮殿の裏からローヌ川の岸辺まで、湿気に足をとられそうになりながら長い階段で降りる。
アヴィニョンの橋。
正式には、サン・ベネゼ橋とか。
度重なる氾濫に、補修する意欲を失くしたまま現在に至る。 -
反対側。
橋の上にも出られるが、登らなかった。
輪になって踊るには狭いし、
落ちると危ないし・・・ -
少し陽が射してきた。
もう一度、法王庁宮殿の広場まで戻ろう。
霧で見えなかったものが見えるはずだ。 -
長い石の階段を登り、広場に着くとこの景色。
逆光の中に、アヴィニョンの街並み。 -
西には、
対岸のヴィルヌーヴ・レザヴィニョン要塞。 -
教皇庁宮殿の広場へ。
14世紀の一時期、ローマの混乱に際して教皇庁がアヴィニョンに移された。街を囲む要塞のような外壁も、その時代に築かれたもの。
街に残る荘厳な建造物の多くは、その時期の勢いを残している。 -
宮殿はしかし、夜はキャバレーになる。(嘘)
このライトアップは見直した方がいい。 -
ローヌ河の対岸から、旧市街一望。
-
10月になると、プロヴァンスはいっそう不便になる。
近隣の村を繋ぐ路線バスが極端に少なくなるか、途絶える。
リュベロンの村へ行くには、タクシー、レンタカー、ツアー。
アヴィニョン発着の現地ツアーに申し込んだ。
半日(7時間)で4箇所廻って、85e/人也。
目抜き通りのINFO前で待ち合わせて、さっそく出発。 -
運転手兼ガイドは若い女性。(推定33歳)
客はもうひとり、オーストラリアの中年女性。(同54歳)
総勢4名、まずは東へ。ポン・デュ・ガールへGO!
ローマ時代の水道橋が、ほぼ完全な姿で残っている。50Km離れたユゼスの水源からニームまで、ほんの僅かな高低差を利用して水を送っていた技術の高さ。
車を止めた駐車場でガイドさんは要領よく説明し、「後はどうぞ」と40分の見学時間。40分じゃあ、橋を渡って戻ったら、それでお終いになる勘定だ。
これはいそがしい。 -
観光客が多い。
日本からのツアー客も健在だ。
彼らはみな橋を渡ってゆくが、ひとり離れて水辺へ走る。橋の上に出てしまっては、橋が写らない。岩場を飛び越え、砂を蹴って・・・ -
河原を走って何とか両側から撮り終わると、
橋の上から戻って来た我がメンバーと出くわした。
ここまでで30分経過。
彼らがトイレに行っている間、ちょっとだけ橋の上に出てみた。ふたたび合流したところで、ちょうど40分が終了。 -
二つ目は60分かけて西へ走り、リュベロンへ。
石灰岩の高台にある、レ・ボー・ド・プロバンス。
勇猛を誇った武将の、難攻不落の要塞である。
村の入口で説明を聞いて、ここも40分。 -
内部は迷路、雑踏。
土産物屋とカフェが軒を連ねて、鎌倉駅前小町通りか江ノ島の風情。
入口に不完全な地図があるが、どっちに行けば撮影スポットだかわからない。
あてずっぽうに進むと、行き止まり。
ときどき城壁の穴から石灰岩の谷を見るが、それでも方向はわからない。 -
高みに要塞が見えたが、結局たどり着けなかった。
「完全に破壊された町」だそうなので、あとは想像に任せよう。 -
三つ目の訪問地は、同じリュベロンの北側にあるルシヨン。
褐色の黄土が剥き出しになった断崖。
18世紀には質の良い染料・顔料の産地として繊維産業を支え、大いに栄えたそうだ。
現在の主産業は、観光。 -
ピンク色の、ルシヨン遠景。
-
家々の多くは、土壌と同じ色の土壁で塗られている。
-
ルシヨンの古民家。
-
夕方5時過ぎ、最後の訪問地ゴルドに到着。
村の入口手前、絶景ポイントで撮影タイム5分。
少人数なので融通は利くが、スケジュールの大幅変更はできない。
仲良くなったメンバーで、カメラを渡しあって撮影会。 -
そこから村までは「ゆっくり走って」と頼んで、車窓から連写を試みる。
ピント合わせが間に合わない。(泣) -
ゴルド中心部はいちばん高い広場。
ここも40分では、ちょっと厳しい。
円錐形の頂点から離れるほど、帰りの登りに時間をとられてしまう。下りの道を選ばないよう、用心して散策する。 -
旅行の前に、『プロバンスの贈り物』を観た。
ゴルドが舞台の恋愛映画だ。
リドリー・スコット監督とは思えない駄作だが、
・プロバンスにはサソリがいる、
・サソリはラベンダーを嫌う
などは参考になった。
近くに、監督の別荘があるはずだ。
映画に出てきたレストランなど見たかったが、結局どこだか分からなかった。
観光そのものは、ちょっと不完全燃焼。圧倒的に時間が足りない。移動に要する時間が長く、見学時間を短くしている。訪問箇所を2つくらいに絞れば良さそうだが、それでは商品としてのアピール力が弱くなるらしい。 -
ただ、ツアー自体は面白かった。
何が、というと、移動時間の雑談。
もともとガイドさんは説明時に質問を交える人で、サンデル教授よろしく「ということは?」などと名指しで振ってくるので気が抜けない。
話題はあらぬ方向に発展し、生活のこと、夫婦のこと、仕事や学校のことなどなど。それぞれの国の事情にも及んで、つたない英語だが妻も積極参加。同級生のように語り合っていた。
ガイドさんは、フランスに多い事実婚。しかし世間の理解はパリなど大都会のようには進んでおらず、「外では“パートナー"と言えずに“夫”と紹介してしまう。」 ここにオーストラリア婦人が突っ込みを入れた。そして「日本はどう?」 う〜ん、ようやく社会が問題を意識し始めたところかな・・・
メンバーに恵まれた。
ガイドさんは、この日が今シーズン最後の仕事だったとか。 -
そんなこんなで、
ゴルドに西日が当たる頃に、観光は終了。
19:00、アヴィニョンの集合地点に戻って無事解散の運びとなった。 -
次の日は、アルルへ。
中央駅から鉄道で30分、片道7.3e。
便は30分に一本程度と、頻繁にある。
中央駅で、日本で予約した分をチケットに交換した。アヴィニョン→カルカソンヌ、カルカソンヌ→コリウール、コリウール→バルセロナ。予約時の印刷書類を窓口で渡して、チケットを受け取る。
割引があたりまえのパリ発着TGVとは比べ物にならないが、地方路線でも長距離だと予約で多少安くなる。 -
アルル鉄道駅から10分ほど南に歩くと、
最初に目に入るのがローマ時代の円形闘技場。
この町も、『古代ローマ』と『近代芸術家』で成り立っているようだ。 -
入場料7.3e/人。
フランス最大の闘技場遺跡だが、
野球やサッカーができるほど広くはない。 -
一時は要塞として使われたという、堅牢な構造。
壁や階段に海砂が使われたらしく、よく見ると貝殻の化石がたくさん埋まっていた。 -
保存状態がよく、
この日も一部がメンテナンス中だった。 -
闘技場の最上部から、アルルの街並みが見渡せた。
家並みの向こうに、ローヌ川。 -
雑然としているが、色の調和が取れていて美しい。
生活を覗かれ、写真まで撮られる方は迷惑だろうが・・・ -
闘技場の先に、古代劇場。
入場せず、鉄柵の間から失礼した。 -
右手に折れると、レピュブリック広場に出る。
壮麗な市庁舎やロマネスク教会が四方を囲む、
ここがアルルの中心。 -
広場に繋がる路地の先に、エスパス・ヴァン・ゴッホ。
情熱の画家ゴッホが入院していた病院の跡地。(無料)
彼が愛した庭はそのままに、現在は総合文化施設になっている。 -
絵葉書の棚は、ゴッホばかり。
お布施のつもりか、妻は10枚購入。
昼食をとり、店を覗き、さらに何箇所かの旧跡を訪ねて、夕方のバスでアヴィニョンに戻った。鉄道バスなので、料金は往路と同じ。
ただし、タラスコン経由なので1時間半ほどかかった。 -
アヴィニョンでは、4人用のアパートを借りた。
広い居間と寝室、ソファベッドもある。
キッチンには食器・調理器具・洗剤や調味料などすべて完備していた。
最初に鍵をもらった以外は、管理人と会うこともなかった。自宅のように寛げて、洗濯なども便利だった。 -
食事にこだわるような贅沢旅ではないが、
名物といわれる鴨肉、フォアグラ、トリュフ、地ワインなど、ひと通りは味わった。中央市場で買ったアーティチョークの調理にもチャレンジした。
プロバンスはこれで終わり。
夫婦旅はこのあと、カルカソンヌへと続く。
(完)
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