2012/11/07 - 2012/11/09
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ペコちゃんさん
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お琴の発表会も11月3日に無事終わり、お琴のお仲間8名で恒例の旅行に出かけました。
今回は、紅葉を楽しむ秋の山陽・山陰路を、二泊三日で訪れました。
広島育ちの私でも、結構行っていない所があるので、楽しみです。
気心の知れた仲間と一緒の旅は、夫婦旅行と違った良さがあります。
実は、この旅行の一週間前、広島の実家で兄妹三人が集まる機会があり、私は二週続いての広島空港着陸でした。
広島 ⇒ 島根 ⇒ 山口 と廻りましたが、3日間とも天気に恵まれ、楽しい旅行になりました。
広島では、宮島・原爆ドーム・呉の観光です・・・勿論、名物の広島お好み焼きも、ビールと一緒に美味しく頂きました。
写真は、安芸の宮島に浮かぶ厳島神社の大鳥居です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス JALグループ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
-
今回のツアー名は、「萩・津和野 城下町散策と安芸の宮島 歴史紀行3日間」です。
早朝のフライトで羽田から広島空港に飛び、11時には、もう宮島に着きました。 -
早速、シカがお出迎えです。
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参加した8名は、美女揃い(?)
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カメラマンのお姉さんが、シカ達に号令をかけると・・・
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ご覧の通り、シカ達が整列します。
そして、ちゃんとカメラ目線です・・・ご褒美は「紙」。
奥に見える山は、標高535mの宮島の主峰・弥山(みせん)。 -
シカと別れて、紅葉が始まっている紅葉谷公園に行きました。
弥山の麓、紅葉谷川に沿って広がる公園で、江戸時代に開拓されモミジの苗木が植えられたのが始まりです。
春は桜、夏は新緑、秋は紅葉と楽しめますが、とりわけ約200本のモミジが一斉に色づく秋の彩りは圧巻です。 -
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次は、豊臣秀吉を祀る「豊国神社」です。
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1587年に、豊臣秀吉が戦で亡くなった者への供養として、毎月一度、千部経を読誦するために建立した大経堂・・・秀吉の急死によって工事が中止されたため、御神座の上以外は天井が張られておらず、板壁もない未完成のままの状態で現在に至っています。
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島内では最も大きな建物で、畳857枚分の広さがあることから「千畳閣」と呼ばれています。
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千畳閣の隣に建つ五重塔は、和様と唐様を巧みに調和させた建築様式で、桧皮葺の屋根と朱塗りの柱や垂木のコントラストが美しい塔です。
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1407年に建立され、高さは27.6m。
内部は完全な唐様で、見学はできませんが、内陣天井に龍、外陣天井には葡萄唐草、来迎壁の表には蓮池、裏には白衣観音像などが極彩色で描かれています。
塔内にあった仏像は、明治元年の神仏分離令により、大願寺に遷されました。 -
平成8年12月に世界文化遺産として登録された「嚴島神社」・・・創建は593年と伝えられます。
嚴島神社の境内は、弓状に広がる遠浅の浜・御笠浜にあり、干潮時には大鳥居まで歩いていけますが、潮が満ちると社殿や廻廊はあたかも海に浮かんでいるよう。
本社より88間の海面にそびえる朱塗りの大鳥居は、奈良の大仏とほぼ同じ高さの16m、重量は約60tで、主柱の周囲は10mもあります。
主柱は樹齢500?600年のクスノキの自然木で作られており、現在の鳥居は8代目です。
海の中に建つ大鳥居の根元は、埋められているのではなく、自分の重みだけで建っていますが、柱を6本にしたり鳥居の上部に石を詰めるなどして、台風や地震がきても、ビクともしません。 -
嚴島神社は平安時代の寝殿造りの粋を極めた名社で、廻廊で結ばれた朱塗りの社殿は、背後の弥山の緑や瀬戸の海の青とのコントラストで、竜宮城を思わせる美しさです。
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平安時代後期の1168年に、佐伯景弘が嚴島神社を崇敬した平清盛の援助を得て、今日のような廻廊で結ばれた海上社殿を造営し、本殿以下、37棟の本宮(内宮)と、対岸の地御前に19棟の外宮が設けられました。
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本殿には、市杵島姫(いちきしまひめ)・湍津姫(たぎつひめ)・田心姫(たごりひめ)の宗像三女神が祭られています。
現在の本殿は、1571年に毛利元就によって改築されたものです。 -
平舞台は、寝殿造りの庭にあたる部分で、広さは167.6坪。
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嚴島神社の社殿は、108間(約275m)の廻廊が結ぶ、寝殿造りの影響を強く受けた平安様式で、敷地の中央に寝殿(正殿)と呼ばれる中心的な建物、その東西に対屋(たいのや)と呼ばれる付属的な建物を配し、それらを通路で結ぶ対称形の配置になっています。
寝殿の前面には舞や儀式の場となる庭、その先には瀬戸内海を池にみたてた壮大な発想です。 -
天気も良く、潮風が爽やか。
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能舞台は、国内でも唯一の海に浮かぶ能舞台。
厳島での演能は、1568年の観世太夫の来演がその始まりとされ、1605年には福島正則が常設の能舞台を寄進。
現在の舞台と橋掛及び楽屋が建立されたのは1680年です。
この能舞台は海上にあるため、通常は能舞台の床下に置かれる共鳴用の甕(かめ)がなく、足拍子の響きをよくするため舞台の床が一枚の板のようになっているのが特徴。 -
反橋(そりばし)は重要な祭事の際、勅使がこの橋を渡って本社内に入ったことから別名・勅使橋(ちょくしばし)とも呼ばれました。
現在の橋は、1557年に毛利元就・隆元父子によって再建されたもので、擬宝珠の一つに刻銘が残っています。 -
ツアーの最初の集合写真です。
原本は私が1枚注文し、お仲間には、夫がカメラで撮ったこの写真を印刷して渡しました。 -
宮島の次は「原爆ドーム」です。
昭和20年8月6日、一発の原子爆弾により広島市街の建物は一瞬にして倒壊し、灰燼に帰しました。
産業奨励館は、爆心地から北西約160mの至近距離で被爆し、爆風と熱線を浴びて大破し、天井から火を吹いて全焼しましたが、爆風が上方からほとんど垂直に働いたため、本屋の中心部は奇跡的に倒壊を免れました。
当時、この建物の中にいた人達は、全員即死です。 -
戦後、旧産業奨励館の残骸は、頂上の円蓋鉄骨の形から、いつしか市民から原爆ドームと呼ばれるようになりました。
当時、原爆ドームについては、記念物として残すという考え方と、危険建造物であり被爆の悲惨な思い出につながるということで取り壊すという二つの考え方がありました。 -
原爆ドームは、昭和28年に広島県から広島市に譲与され、ほぼ被爆後の原形のまま保存されていましたが、年月とともに傷みが進行し、昭和42年に最初の保存工事が行われました。
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広島平和記念公園にある「原爆の子の像」・・・この像のモデルになった佐々木 禎子(さだこ)さんは、広島市に住んでいた原爆の被爆者です。(1943年1月7日 ~1955年10月25日)
白血病になり、入院した広島赤十字病院で折り紙で千羽鶴を折れば元気になると信じて、ツルを折り続けましたが、1000羽を超えた折り紙も空しく、僅か12歳で亡くなりました。 -
後ろの木は、被爆したアオギリ。
広島平和記念資料館東館の北側に2本あり、6月から7月にかけて黄色い花を咲かせます。 -
ホテルにチェックインした後は、広島「お好み村」に行きました。
ここは、広島風お好み焼きのフードテーマパーク、というよりも、お好み焼き屋の集合体です。 -
戦後まもなくの1950年頃、中央通りに屋台が建ち並び、現在のお好み村のルーツになりました。
当時は、お好み焼きだけではなく、ラーメンなどの屋台も有った様ですが、お好み焼きの屋台が林立する状態を見て、作家・きだみのるが「まるで、お好み村みたいだね」と言った事が名前の由来になりました。 -
戦後の栄養不足を補うために、キャベツや卵、魚介類の他に、そば、うどんを入れるなど工夫を重ね、今の広島風お好み焼が誕生しました・・・でも、広島出身の私が家で作るのは、関東風。
お琴の発表会も上手に弾けて、皆で ”カンパーイ!”。 -
今日のホテルは、23階建ての「グランドプリンスホテル広島」・・・平成6年の開業で、広島湾や宮島など、それぞれ趣向に富む瀬戸内海の景観を楽しむことが出来ます。
海に近いため、潮の香りも楽しめ、日頃の疲れが癒されました。 -
3階にある天然温泉の展望露天風呂「瀬戸の湯」から臨む瀬戸内海は最高です。
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2日目は、広島市の南にある呉からスタートです。
呉市は、瀬戸内海に面した気候穏和で自然に恵まれた臨海都市で、人口は私が育った福山市に次ぎ3位(23万人)。
古くは村上水軍の一派が根城にしており、明治時代以降は帝国海軍や海上自衛隊の拠点となっています。 -
呉の海は、随分久しぶりです。
遠方には、潜水艦と造船所が見えます。 -
停泊中の海上自衛隊の潜水艦「そうりゅう」。
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呉海軍工廠は、呉にあった日本海軍の工廠・・・戦前は、「大和」など5隻の戦艦や多くの艦艇を建造し、日本海軍艦艇建造の中心地でした。
1945年6月22日9時より290機のB29が飛来し、施設は破壊され、約1900名の死者を出しました。
終戦により工廠は解散し、現在は、ジャパン マリン ユナイテッド・呉工場として大型民間船舶の建造を行っています。 -
呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」を見学・・・後ろに見えるのは、ミュージアムのシンボル、1/10の「戦艦大和」です。
戦艦「大和」は、昭和16年12月に建造された、世界最大の戦艦でした。
しかし昭和20年4月7日、沖縄特攻作戦に向かう途上、薩摩半島の突端にある坊ノ岬沖の海戦で、米艦載機の攻撃を受けて沈没し、乗員3,332名のうち3,056名が大和と運命を共にしました。 -
これは、特殊潜航艇「海龍」・・・水中を飛行機のように自由に運動できることを目指して開発され、操縦装置も飛行機用のものが使わています。
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砕氷艦「ふじ」が、南極から採取した石も展示しています。
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大和ミュージアムのそばには、「てつのくじら館」があり、ここには、昭和60年に進水した潜水艦「あきしお」が展示されています。
三菱重工業神戸造船所で製造され、長さは76.2m、幅は9.9m、高さは10.2m・・・1985年に進水し、2004年に除籍となって呉にやって来ました。 -
「あきしお」の中を見学・・・ここは寝室。
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レーダーや操作盤。
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潜望鏡は2つあります。
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操縦室も触れます。
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貴重な体験が出来ました。
この後は、津和野に向かいます。
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