2008/01/23 - 2008/01/25
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「旅の記録」(33)南紀熊野古道探訪
羽田空港を30分遅れで離陸したJAL1381便は10時15分南紀白浜空港に到着しました。
初めての南紀旅行です。
「南紀熊野古道探訪」は次の順で
・ 南紀勝浦・白浜
・南紀熊野古道初詣
・南紀勝浦白浜食歩記
注) このブログ記事中「橋杭岩」と「熊野那智大社」「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」に関する記述はフリー百科ウィキペディアなどから抜粋し一部加筆したものです。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス JALグループ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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南紀白浜空港から最初の訪問地である潮岬に向かいました。
北緯33度25分58秒,東経135度45分45秒。
本州最南端(クレ崎)に位置する潮岬(しおのみさき)です。
紀伊半島には「白浜」「勝浦」「串本」「銚子」といった房総半島でもおなじみの地名がやたら多いのです。しかも房総・千葉県には268箇所に熊野大社が存在します。これは何故? -
南紀白浜空港到着早々この地のベテランバス・ガイドの豊田さんがいわく「紀伊が親・房総が子です。 紀州の人たちが黒潮にのって北上し東の房総に白浜や勝浦を作っていったのです。」とのご託宣。訪れて知る歴史の背景です。
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本州最南端(クレ崎)に位置する潮岬(しおのみさき)は、和歌山県東牟婁郡串本町に属し、太平洋に面する岬です。
潮岬にある本州最南端の碑 -
長寿の心得
=還暦=60歳でお迎えの来た時は、只今留守と云え
=古稀=70歳でお迎えの来た時は、まだまだ早いと云え
=喜寿=77歳でお迎えが来た時は、せくな老楽これからよと云え
=傘寿=80歳でお迎えが来た時は、なんのまだまだ役に立と云え
=米寿=88歳でお迎えが来た時は、もう少しお米を食べてからと云え
=卒寿=90歳でお迎えが来た時は、そう急がずともよいと云え
=白寿=99歳でお迎えが来た時は、頃を見てボツボツ行くと云え
潮岬にて -
本州最南端の碑 紀伊大島と並び、和歌山県南端部を代表する観光地です。
吉野熊野国立地理から足摺岬と並び、台風の位置を表す指標にされることが多い場所なのです。 -
南西端に潮岬灯台が立ち 周辺には潮岬タワーや、「望楼の芝」として知られる芝生があります。
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橋杭岩(はしぐいいわ)は和歌山県東牟婁郡串本町の観光名所で吉野熊野国立公園に属しています。同町の大字鬮野川(くじのかわ)の小字橋杭の、紀伊大島に対向する海岸から紀伊大島方面へ南西一列におよそ850メートルもの長きにわたって大小約40の岩が連続してそそり立っており橋杭岩とはその岩の総称なのです。
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直線上に岩が立ち並ぶその姿が橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれています。また干潮時には岩の列中ほどに附属する弁天島まで歩いて渡ることが出来ます。
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伝承によると昔弘法大師があまのじゃくと串本から沖合いの島まで橋をかけることが出来るか否かの賭けを行い弘法大師が橋の杭をほとんど作り終えたところであまのじゃくがこのままでは賭けに負けてしまうとニワトリの鳴きまねで弘法大師にもう朝が来たと勘違いさせ、弘法大師は作りかけでその場を去ったために橋の杭のみが残ったということになっています。
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昼食後、橋杭岩をあとに 熊野三山詣でへ向かいました。
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今回の旅は熊野三山初詣です。
熊野三山とは、「熊野那智大社」、「熊野本宮大社」、「熊野速玉大社」をいいます。 -
古くから熊野詣に利用された熊野古道の一部である大門坂Walk開始。
大門坂(だいもんざか)は、和歌山県那智勝浦町にある坂道で、熊野那智大社への参道です。熊野古道・中辺路の一部になります。 -
■熊野那智大社と青岸渡寺
熊野三山の一つです。熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある神社です。熊野夫須美大神を主祭神とします。 -
かつては那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社などと名乗っていました。 -
また、熊野十二所権現や十三所権現、那智山権現ともいうようです。
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いかにも熊野古道 この杉の大木に 歴史と場所を感じます。
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まずは巨大な杉の木々に包まれて苔むした参道である石段を157段上ります。
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ゼイゼイ言いながら登ったものの、これは序の口、ついで何と467段を登り熊野那智大社を目指します。(ここまでの石段の合計624段)
やっとの思いで熊野信仰の中心地熊野那智大社・青岸渡寺に到着。 -
2004年7月1日、ユネスコの世界文化遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されました。
総数624段にもなる参道の長い石段の上は、右に青岸渡寺があり、左は朱の大鳥居と大社の境内が続いています。 -
明治時代に神仏習合が廃されたとき、熊野三山の他の2つ、熊野本宮大社、熊野速玉大社では仏堂は全て廃されたが、熊野那智大社では如意輪堂が破却を免れ、のちに信者の手で青岸渡寺として復興しました
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那智山青岸渡寺(せいがんとじ)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺院です。
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西国三十三箇所第一番札所。本尊は如意輪観世音菩薩。 「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産にも登録されています。
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西国三十三箇所第一番札所。本尊は如意輪観世音菩薩。 「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産にも登録されています。
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明治期の神仏分離以前においては、その三重の塔が属する青岸渡寺と熊野那智大社は一体のものであったが、今日においては三重塔は青岸渡寺に属するため「青岸渡寺の三重塔と那智滝」と表記するのが正しいそうです。
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石段のアップダウンはこれでは終わらないのです。
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ここから13段石段を登り、133段下って小雨と霧の中を那智大滝・一の滝に達します。
さすがに自然信仰の聖地だけあって厳粛な雰囲気が漂っています。 -
落差が133メートルもあるので滝の落口はかろうじて見える程度に、かすんでいました。那智滝・一の滝(なちのたき)は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の那智川にかかる滝。華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられています。
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那智山中には、いくつかの渓流があり、その渓流には60余に達する多くの滝が架かっています。「那智滝」とは、本来は、那智山の多くの滝のうち、瀧篭修行の行場として扱われた48の滝(那智四十八滝)の総称です。
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しかし、現在、一般に那智滝として知られている滝はこれらのうち、一の滝を指しています。那智山一帯は、滝に対する自然信仰の聖地であり、一の滝は現在でも飛瀧神社の御神体であって、飛瀧神社の境内に設けられた滝見台からその姿を見ることが出来ます。
滝の落口の岩盤に切れ目があり三筋に分かれて流れ落ちるため三筋の滝ともいい、また那智の滝の代表するということから那智の大滝とも呼ばれています。 -
伝承では仁徳天皇の時代(4世紀)、天竺(インド)から渡来した裸形上人による開基とされ、同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として安置したといいます。後に推古天皇の時代(6世紀末 - 7世紀初)に生仏聖(しょうぶつひじり)が伽藍を建立し、丈六の本尊を安置して、その胎内に裸形上人感得の如意輪観音を納めたといいます。
以上はあくまでも伝承ですが、那智滝を中心とする自然信仰の場として早くから開けていたと思われます。 -
2004年7月1日、紀伊山地の霊場と参詣道の構成物件としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。
歴史:熊野三山の信仰が都の皇族・貴族に広まったのは平安時代中期以降であり、青岸渡寺および隣接する熊野那智大社についても創建の時期等については判然としていません。 -
都の皇族・貴族の中でも後白河上皇は熊野詣を33度行っています。
他にも鳥羽上皇が23度、後鳥羽上皇は29度 詣でたと碑文に残されています。都から熊野の往復に半月は要した時代のことです。 -
熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は、和歌山県新宮市新宮1にある神社です。熊野三山の一つです。
熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とします。 -
境内地は国の史跡「熊野三山」の一部です。
2002年(平成14年)12月19日、熊野三山が史跡「熊野参詣道」から分離・名称変更された際に、御船島を含む熊野速玉大社境内が追加指定されました。2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産・大峯奥駈道の一部です。 -
梛の大樹 - 国指定名は「熊野速玉神社のナギ」(1940年〈昭和15年〉2月10日指定)。高さ20m、幹周り6m、推定樹齢1,000年、ナギとしては国内最大であるとされます。ナギはマキ科の常緑高木であり、よく神木として植樹されました。本樹は雄株です、幹に分岐が見られることからもとは数株であったともされ、平治元年(1159年)社殿の落成において熊野三山造営奉行であった平重盛の手植と伝えられています。
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ナギは凪に通じることから、ナギの実を束ねたものやナギの枝を護符にします。
ナギの木は、熊野杉や天台烏薬とともに新宮市の「市の木」に指定されています。 -
熊野三山の一つ熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は、和歌山県新宮市新宮1にある神社です。
創建年代は不詳です。
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熊野速玉大神は伊邪那岐神とされ、熊野夫須美大神は伊邪那美神とされますが、もともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれています。神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼ばれています。
2004年(平成16年)7月1日 - 「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。 -
熊野本宮大社(社殿は国の重要文化財)
熊野三山の一つ。家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)を主祭神とします。別名を熊野坐大神(くまぬにますおおかみ)、熊野加武呂乃命(くまぬかむろのみこと)というのだとか。
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現在、社殿は138段石段を登った山の上にありますが、1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで、熊野川の中洲にありました。
創建以来その中州にあったと思われ、明治の洪水が起こるまでは社殿が流される事態などにはならなかったのですが、明治以後、山林の伐採が急激に行なわれたため、山林の保水力が無くなり大規模な洪水を引き起こしたのだと考えられています。 -
旧社地の中州は「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれ、現在でも大鳥居が建っています。なお、その時の大洪水で被災した上流十津川村の一部集落の人々が、村を捨てて移住した先が北海道の新十津川村です。
伝説によると、熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされています。熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、実際は正体ははっきりしないそうです。 -
太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがあるらしいのです。
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熊野三山の一社、熊野速玉大社(新宮市)のそばに、平成の「川原家横丁」(同市船町(ふなまち)1丁目2番1号)が出現しました。
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それぞれの店舗では、海産物、土産品、果物、それに地元の銘菓などが販売されています。
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■三段壁と千畳敷
南紀白浜では 景勝海岸を訪れました。 三段壁(さんだんべき)は和歌山県西牟婁郡白浜町の景勝海岸です。 -
紺碧の海に直立する長さ2km、高さ50〜60mの大岩壁で、断崖絶壁の名勝として名高いところです。
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断崖の先端には展望台が設けられており、雄大な南紀の海景を楽しむことができます。
その昔、漁師たちが通りゆく船や魚の群れを見張った場所「見壇」に由来するといわれるこの大岩壁は、南北2kmにわたって展開され、岩肌に打ち寄せる黒潮が激しくぶつかり合うダイナミックな光景には、自然の迫力を感じますが、この日は海岸に立っていられないほどの強風と寒気が襲ってきました。もはや見学どころではありません。 -
■三段壁洞窟
この地下36mには海蝕洞窟が形成されており、平安時代に力を誇った熊野水軍の隠し洞窟だったと伝えられる白浜の古跡があります。地上から地下36mの洞窟へは高速エレベーターで約14秒。弁才天が祀られている、神秘的な洞窟の世界を体験できます。 -
さすが和歌山 梅ソフトがあります。
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ついでに 黒飴ソフトも。
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■千畳敷
瀬戸崎の先端で白い岩が重なり合ってなだらかに太平洋に突き出ている千畳敷です。 -
広い岩畳は第3期層の砂岩が荒波に浸食されてできたものです。
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天気がよければ広大な石畳の上を散策できたのですがこの日は立ち入り禁止でした。
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夜になる前に次の訪問地「とれとれ市場」にて
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少しだけおみやげの買い物と 海鮮丼やうな丼での夕食を済ませました。
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南紀白浜空港から帰京しました。
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