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たくましい国ネパール旅行記

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2012/09/06 - 2012/09/13

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大月さん

   ネパールへ

 2012年9月6日。この日は慌ただしかった。
まず朝の5時01分の電車で東京へ、仕事に。駅までは自宅から歩いて5分なので助かるが。
仕事を終えて午後5時半帰宅。シャワーを浴びて、着替えて、支度の確認をして、夕食後、夜8時22分発の電車に。2時間かけて深夜、羽田発に無事チェックイン。


   タイ航空

 今回、多少値段の高いタイ航空にした。
乗り換えがよいことと、日本との便が多いので万一キャンセルなどがあっても、何とか対応できるから。
座席は例によって後方を予約済み。ところがバンコクまでは満席に近い状態でこちらの目論見は見事破産。狭い座席で我慢することに。
もう一つバンコクで4時間ほど待ち時間があるので、一旦入国してクーポン食堂でも行って、食べたり飲んだりして過ごそうと、残っていたタイバーツを持参していた。
しかし空港職員に途中降機が出来るかと問うと、それは可能だが、但し出国税を700バーツ払うかもしれないと。
700バーツといえば2千円。これはちょっと痛い。この目論見も失敗。離陸して夜食らしきコッペパンに具材を挟んだサンドが1つ出た。そこで食べ終えて、
ヅゥ、ユー、ハブ、ア、サンドイッチ
と中学英語を告げると、すぐもう一つ持ってきた。二つ食べて満足。ワインを頂いて酔いも手伝い、朝食のためのライトアップまで夢見心地。1時間以上寝られた。
 定刻にバンコク到着。
カトマンズ行きはwestのゲートになっていた。ここからwestまで700m。遠い。ただ到着階は歩く歩道があるのでだいぶ楽だ。歩く歩道を乗り継ぎ、乗り換え検査場を通過。出発階へ。
Eゲートは分かったが、先発の飛行機があるようで、表示がされていない。
ゲートには入らず、いすを4つ占拠して仮眠する。1時間前になったが、表示がでていない。下のゲートに行く。
待ち客は一人。入り口に張り紙がしてあるので見に行くと、ゲートチェンジとある。それもよりによってCゲートだと。
勘弁してほしいよ、の心境。また700m移動。到着階に降りれば、歩く歩道があるが、下に降りられそうにない。降りる方法があったかもしれないが、乗り継ぎカウンターのところは登りのエスカレーターしかなかった。延々、歩いてCゲートに移動。しかし飛行機は定刻にカトマンズに到着したので、良しと。2時間後に国内線乗り換えを控えていたので、予定通り着いてくれれば御の字。


カトマンズ

 まず到着ビザを取得し、荷物を受け取り入国。
カトマンズ国際空港は2階フロアーが滑走路と同じ高さになっている。ところが国内線のターミナルは1階が、滑走路の高さになっている。まず300mほど歩いて国内線ターミナルに向かう。そして坂道を上
って、ようやく国内線ターミナルに。ターミナルというより小さな鉄道
駅舎といったところ。
田舎の駅風?国内線ターミナル入り口
 eチケットをカウンターに出すと、何か英語らしい言葉を言っている。まだ受付に早い、というようだ。しかしその後何か言っているが聞き取れない。お相撲さんを計量するような大きな台秤がある。ほのぼのする。
荷物はここにおいて良いのか、とジェスチャー交えて尋ねると、OKという。しかし一向に搭乗券を渡してくれない。そのうち紙片を若い少年みたいな人に渡してしまう。少年を目で追               っていると、向かいの部屋に入ってしまった。
 あれは私の搭乗券とは関係ないのかな、と思っているといつの間にか、少年がカウンターに来ていた。そして急に私が呼ばれ、搭乗券を渡され、ゲートのセキュリティを受けろと指示される。             中に入ってまだ1時間もあるな、といすに座っていると係員らしき女性が、滑走路に出るところで手招きしている。行っ           てみるとバスに乗れ、という。ようやく一本早い飛行機に空席があったから、変更してくれたことが分かった。ラッキーだが、         迎えに友人を頼んでいたので、別の心配が増えた。
定員20人程の小型機は、プロペラの音高く、低空を25分ほど飛び、ポカラへ。
空港に着いても電話のかけ方は分からない。そもそも公衆電話があるのか無いのか。携帯は普及しているようで、ほとんどの現地の人が手にしていた。
到着ロビーで一人座って、迎えが来るのを待つ。不審に思ったのか空港職員が何人もやってきた。単なる暇つぶしもあるのだろう。
 マイフレンド、ウェイティング
と一生懸命に説明する。何とか通じたようだ。電話は?、と聞くので教える。教えないと疑惑が増しそうなので。
すると携帯、しかも私のより高級なのを取り出し、電話をかけ始めた。通じて私に変わる。ようやく日本語が使えた。
友人(Dさん)といっても、ただ以前、旅行中に路を尋ねたら、日本語で教えてくれ、ムスタンに行きたいという話をしたら、9月に来るといいよ、とアドバイスいただいた方。そして電話番号も教えていただいたので、今回ネパール旅行の計画をして、何回か連絡をとり、案内役を引き受けていただいたという縁。めでたく合流できて、Dさん宅へ。
 その後、翌日の航空券を旅行会社に取りに行き、ムスタンの入域許可書を取ろうとすると、金曜日で既にクローズだという。
それは困った。何しろ飛行機は明日を手に入れたばかり。Dさんが知り合いの旅行会社に行き相談。そうしたら手に入るという。ただし正規には2000ルピーのところ、3500ルピーに跳ね上がった。
どうも担当者に再出勤してもらい、某がしかのチップを払うのだろう。そして旅行会社の手数料も当然加算。少ししかルピーを交換していなかったので、ドルで40ドル。仕方ない。

本命のムスタン

 翌日、7時10分、ポカラ空港を離陸。風があったり、雲が多いと欠航すると聞いていたので、まず予定通りで何より。
相変わらず小型機で、昨日より増して低空を飛ぶので、下界がよく見える。機内サービスはアメ玉。狭い機内で腰を屈めて配っていた。小さい樹木の山の斜面に、時たま民家が見え、畑らしいものも散見される。人間は、こういう場所でも生きるんだな、と感動してしまう。道はあるのだろうが、車道らしきものはない。
前方に白峰も。途中から谷の間、川の真上を飛行。植物はパラパラと見られるほど。白い山は、ダウラギリらしい。操縦席のドアは開いているので、前方も見られる。15分ほどで着陸態勢に入る。
カリ・ガンダギ川の左側に滑走路らしいものが見えたと思ったら、一気に着陸。あっけない20分弱のフライト。アスファルトでなく、土や石で固めたような滑走路。海抜800mのポカラから2700mのジョムソンに来たが、そんなに高度が上がった印象はなかった。ずっと上昇していたようなものだ。

    ジョムソンに向かう   

 ジョムソンの町は予想外に大きかった。ホテルや食堂が大部分で、地方の観光地といったところ。空港を出たとたん、早速、許可書のチェックポイントがあった。MDSAの事務所を教えて貰い、向かう。途中、再びチェックポイントがあり、許可証にサインされる。こんなにチェックばかりする人を多く雇っていては、国に金がなくなるのでは、といらぬ心配をしたくなる。この国にとって2000ルピーの許可書は、大金なはず。それをチェックポイントのために人件費を使えば、無くなってしまう。翌日、ムスタンを出るところでもチェックポイントがあった。
 事務所は大きな看板があり、すぐ見つかった。ネパールは土曜日が公休日で、本来休みだが、事務所兼住居なので、用がなければ事務所は開けているという。
 マイ ネーム シノハラ
などと自己紹介したら、ああ日本人ですか、と日本語で話しかけられた。
色が黒いので現地人と見られたのであろう。助かった。
職員は日本人の有沢さん。農場見学の目的を述べると、案内しますと。大助かり。また宿も予約したい旨話すと、
 「きれいな宿がいいですか、それとも食事のおいしいところがいいですか。」
 「値段で1000ルピー以内が」
 「値段が同じでも、内容はかなり違いますから」
 「どこか紹介してくれますか。」
ずうずうしく宿まで紹介してもらう。お勧めの一軒目は満室。二件目、たぶん20部屋くらいはある宿。12ドル。日本円で千円くらい。掃除もされていてOK。
街といっても川と山に挟まれた狭い所、長さ300mくらいの道路をはさんで家屋が並んでいるだけ。道路は石畳が多少壊れかかっているが、ほぼきれいに敷き詰められ、きれいになっている。これも近藤さんが提案して作られたとのこと。山の方に向かうインド人が多い。ムクチナートというところがヒンズー教の聖地とか。それで徒歩やジープで巡礼に向かう人が多いとのこと。
道路脇で新築中の家を発見。石とセメントで外観は出来ていた。道路脇の石だらけの所を鍬やスコップで崩して、それを大小の石、砂利、砂と金網の篩いで仕分け、それを用途別に利用していた。特にこの辺りの岩は、平らに割れる性質があるようで、きれいに形を整え、玄関前の敷石として利用していた。
背負い籠に砂利を入れ、運ぶ姿は私の幼少時を思い出す。箕に土や石を入れて手に持ち、あるいは中には前掛けを両手で持ちあげ、そこに石などを置き、袋状に包むようにして運んでいた。
 9時半。有沢さんが宿まで迎えに来てくれた。
少し南に歩いて、脇道に入り、砂利道の坂を下る。ワイヤーでしっかり出来ている吊り橋を渡り、台地のようなところに上がる。
    
MDSA農場に向かう

松やポプラが等間隔に植えられていた。説明では、アメリカの団体が始
めたが、3年で諦めて引き上げてしまった。
放置されていたのを近藤先生の所に話が入った。
 植林事業は本望ではなかったが、仕方なく引き受けた。
 将来、薪として地元の人に利用してもらうことと、材木として利用を。
考えているようだ。必要に応じて水路を引き、水を流せるように工夫されている。それにしても石が多い。周りを掘り出した石で1m以上に石垣を造って囲っているのは、不要物の活用もあるが、野生の動物から守る意味があるようだ。そして頭の黒い泥棒からも。
 再び歩いて今度は植林を始めた場所へ。自然のままの状態は、ただ大小の石と岩が続く荒れ地。少し歩くと石を10m四方に垣根のように囲った場所に着いた。全て鍬等で石を掘り出し、その石を積み上げている。大きい石を取り除いても土らしいものが無い砂利だけのようだが、そこに牛糞を入れて、牧草の種やコスモスの種を蒔く。そうすると土が出来てくるそうだ。翌年、リンゴの木、3年ほど育った苗木を植える。コスモス畑や牧草畑の中に、リンゴの木が植えられていた。気の長い活動だが、地道に着実に荒れ地を農地に変える取り組みをしている。
 再び荒野を少し移動すると眼下に養魚場が出現。坂道を降りて行くと、水が澄みきり、鯉が悠然と泳いで底まで見通せる。
これは、もう出荷できる。刺身でもおいしい。
こっちはまだ2年目。こっちは稚魚。
と説明が続く。これが本で紹介されていた最初に取り組んだ水田のところ。もうポカラなどから道路が開通したので、米は作っていないそうだ。換金作物ということで、水田の跡地はビニールトタンで覆われた温室になり、トマトなどを栽培していた。家屋があり、管理人が一家で住んでいた。そこで一休み。甘い紅茶をご馳走になる。
子供が3人、ボールを投げたりして遊んでいた。説明によると、あの小さい子は予定外の子供だそうだ。というのはある日、主人が、
「有沢さん、来月の給料 前借りさせてくれませんか」
と言って来た。どうしてと尋ねると、実は子供が出来てしまって、お金が足りないと。ネパールの人柄が分かる。
子供は何も知らずに無邪気に遊んでいたが。続いて少し歩いて、吊り橋を渡り対岸へ。
牛が放牧されていた。堆肥をとるのが目的で飼っているそうだ。鳥小屋。これは卵と肉。そして研修場へ。
中庭を囲むように配置され、職員の宿舎にもなっていた。ここでもう一人の日本人を紹介される。まだ若い青年。子供一人と同居。奥さんは聞きそびれた。夢を抱いて働いている日本人はどこの国にもいるものだ。休日で仕事ぶりは拝見できなかった。
最後にリンゴ畑と野菜畑を案内される。
全て石だらけの荒れ地だったとのこと。牛糞を入れ、少しずつ土を増やして畑にしていった。畑にはもろこしなどが育っていた。リンゴを木から一つもいで試食させていただいた。大きさは日本の市場に出ているモノよりやや小ぶり。しかしふじ品種で味は同じ。上出来だった。
ジョムソンは乾燥していて、高地なので虫や病気の菌がすごく少な
い。だから無農薬でできる。
地元の住民に指導しているが、摘果するということに抵抗がある。たくさん成らした方がよいという考えから抜け出せない。でもムスタンのリンゴということで有名になり、値段も高く取引されるようになってきたとのこと。有沢さんとお別れしてホテルへ。

 昼食は宿泊ホテルのレストランでダルバートを注文。有沢さんお勧めの通り、おいしい。主菜は鶏肉を注文。ニンジンとタマネギの生野菜、青野菜煮、ジャガイモなどのカレー味煮もの、豆スープが付いた。日本で言う漬け物もあった。ごはんは追加できることは知っていたが、副
菜も出来るよと、Dさんは野菜煮などを追加してもらっていた。私はご飯だけ追加。十分満腹になった。450ルピー。
午後は、リンゴで有名なマルファ村まで。5キロくらい。時間はあるので、行きは歩き、帰りはバスがあればバスで。4時と5時頃帰りのバスがあるという話。
砂利道を歩く。車は少ないが、時々通過するとすごい砂ぼこり。鼻の中まで真っ黒になる。左手にカリ・ガンダキ川を見ながら、山の斜面を削っただけの道路を行く。もちろん左右の崖は、石垣を積むとか、ましてコンクリートブロックなどは皆無。雨が道路を流れ、川底に向かって流れ落ちたためと思われる。崖が削られ、崩れた跡があちこちに見られる。時々民家も現れ、リンゴやもろこし、中にはソバが作られ、ピンクの花を咲かせていた。Dさんに尋ねると、ネパールではソバはナンのようにして昔から食べられているようだ。途中、少し水の流れる川を横切る。たぶん雨が上流で降ると人も車も通行止めになるだろう。90分で

マルファ村に到着。
 
マルファ村はチベット族の村のようで、山の中腹に旗が翻り、お寺のようなものが見受けられた。街は山際にへばり付き、まん中を整備された石畳の道路が貫通し、歴史を感じさせる。狭い平地が一面のリンゴ畑。やはり摘果が少ないようで日本の半分くらいの大きさが多かった。リンゴ園の風景ではなく、柿が密集して実を付けているような。
街を歩くと観光みやげ店ばかり。農村の雰囲気はない。リンゴを販売もしていない。もっと奥まで行けばあったのかもしれないが。
さて村人にバスはいつ来るのか、Dさんが聞いていたが、どうもはっきりしない。
 来ない。
 いつ来るか分からない。
という答えがほとんど。来ない、ということは無いのだろうが、遅れることも多いのだろう。あてにならないので、歩いて帰ることに。もしバスが来れば乗ればいい。
元来た道を歩くこと1時間。後方に砂煙が。Dさんが、あれはバスでは?、と。少し待っていたら待望のミニバスが来た。満員。でも歩くよりはよい。強引に乗り込む。天井が低いのがきつい。
上半身を折り曲げ、鉄の棒にしがみつき、それでも悪路で揺れが酷く、一度頭部を天井にぶつける。5分ほどでジョムソンに到着。30ルピーだった。

 翌日、バスとジープを利用してポカラに戻る。有沢さんからは、途中崖崩れなどがあって通行止めになっているらしいから、飛行機にしたら、とアドバイスを貰ったが。二度とも飛行機では味気ない。Dさんが聞き調べたところでは、崖崩れはあるが、10分くらい歩けば、乗り継いで行けるとのこと。できれば今日中にポカラに着きたいので、始発を狙う。座れないのでは勘弁、6時にチケット売り場前で待つ。
ようやく売り場が開いたのは出発20分前。まずガーサまで。チケット代は380ルピーと聞いていたので、1000ルピーをDさんに渡すと、不足だと。結局私は外人料金として2倍取られる。ルピーがポカラまで保つか心配になる。バスはまだ来ない。
 朝市のところに急いで行く。リンゴを買いたいが途中歩く、と言っているので躊躇しているとバスが来た。私は座席確保のためバスへ。無事、右側の前から2番目を取れた。
Dさんから「後ろは揺れるので前がいい。窓は開けっ放しだから、後ろだと埃を被ってしまう」と言われていた。
間もなくDさんが段ボール箱を持って戻ってきた。1キロ70ルピーだが、5キロ買えば箱に入れるというので5キロ買ったという。ここでもネパール人の労を惜しまない人柄を知る。
実は昨日の午前中、農園を移動中、Dさんが手に持っていたサングラスを風で崖下に落とされた。値段は分からないが、Dさんはすぐ取りに回り道しながら崖下に向かう。有沢さんが、
 こういうところがネパール人です。日本人なら、諦めるだろうと言う。しかしDさんは、近くまでたどり着いたが、今一つ、足が滑って届かない。見かねた有沢さんが、逆方向から回り道をしながら崖下に近づく。見事、サングラスをゲット、ということがあった。
その後、Dさんは自分の荷物とリンゴ5キロを持って、何回も不通の道路や山道を早足で歩いた。


悪路13時間

 バスは定刻に出発。停留所というのは無いらしく、手を挙げれば止まる。ジョムソンを出発してすぐ満員になる。しかも大きな荷物を持ち込む人が多く、通路も埋まってしまった。麻袋を持ち込んだ人に、
ワット イズ ディス 
などとずうずうしく聞いてしまった。嫌な顔を一瞬されたが、覗くとリンゴだった。これからどこかの街に行き、路上か市場で売るのだろうか。時々、小さな土砂崩れがあり、それを避けながらバスは進む。時速は20キロから40キロ程度。
 2時間半ほど進むと停車した。
ここから歩くよ、とDさん。さっと荷物を持ち、通路の荷物をまたいで降りた。慌てて私も続いた。前方に崖崩れが道を塞ぎ、バスが通行できないのが見て取れた。Dさんはいい席をとろうと早足。私も人生久しぶりに急ぎ足で追う。200mほど先で迎えのバスが待機していた。一番で乗り込む。10分ほど走ったら、停車。ここがガーサで終点のようだ。
今度は乗り継ぎのバスに乗り換え。50ルピー集金に来た。以後、外国人料金の適用は無し。助かった。これ以降、3回バスを乗り換え、その度に息を切らして早足で歩くことになる。その甲斐あってよい席に座れた。
 もうベニに着くかな、と期待していた時、バスが停車。今度は10分くらい歩くよ、とDさん。
今度は山道。登山道のように人が歩いた跡はあるが、石や木の根を足場にした道が続いている。地元の人に数人追い抜かれる。彼らも先着してよい席をとろうと必死。よく麻袋を担いで、しかもサンダルで山を登るものだ。
5分ほど登ると、少し平らになった。再び、下り坂になり、下方にバスやジープらしい車が見えた。下り坂が急になった。勾配60度といったところ。少し下ると、下から馬が3頭上ってきた。しかも荷物を積んで。
通り過ぎるまで脇で退避。汗びっしょりで道路に出た。ジープの手続きはDさんにお願いして、少し人気の少ない所に移動し放尿。
 先発のジープに乗ることが出来た。650ルピー。バスよりは高い。助手席に2人、中席に4人。たぶん定員は3人のようだが。後席は向かい合いに長いすのようになっていて、4人。先発に乗れなかった人は次発のジープが満席になるまで出発できない。汗をかき、息をきらした労が報いられた。とにかくベニまで着けば、ポカラ行きの乗り物は数多い。このジープでベニまで行くと聞き、安心。
 出発して、すぐ崖崩れがあったばかりの現場を通過。大きい石が道路の左右に片づけられ、土砂の上を乗り越えてジープは進む。道路が臨時に川になったというより、常時、川になっているところを車が横切っている。川なので地盤は固い。しかし水かさが増えればジープも通れないだろう。途中2人降りて、順調に走る。2時間ほど走る予定。ところが1時間ほど過ぎた時、プシューと嫌な音がした。案の定、パンク。時間は午後2時ちょうど。仕方ない、交換するまで待つしかないと思っていると、運転手は携帯電話をかけていて、一向に修理しようとしない。Dさんの説明だと、往路でパンクしてスペアを使ってしまった。次発のジープが来るまで待つという。
ずっと朝から一緒ゆえ乗客は顔見知り。一人が荷物からリンゴを取りだし、乗客に配り始めた。小さなリンゴだが、気持ちがうれしい。喜んで囓らせていただいた。1時間過ぎた時、対向方向からバスが来た。少しジープを移動させたがパンクしているためか、大きく動かそうとしない。バスは仕方ないと静かに止まっている。国民性なのか、よくあることなのか。
すると続けてすぐ後続車が来た。今度はジープ。運転手が交渉に行き、スペアを頂けることになった。有り難い。後続のジープの運転手や乗客と思われる人が、数人で石を運んだり、ジャッキーを設置したり、タイヤ交換が素早く終了。3時15分出発できた。
大きい街が見えて来たと思ったら、そこがベニだった。4時20分到着。早速、ポカラ行きのバスを探し予約。4時30分発とのこと。気が付けば朝食、昼食抜きのままで、腹ぺこ。何か食べたいが時間が無い。食堂で聞くと、モモ(ネパールの餃子)ならすぐ食べられるというので注文。10個60ルピー。熱くて味わう余裕が無かったが、食べやすい。不味くはない。バスは途中休憩を挟みながら、夜8時半、ポカラ到着。13時間を超える長旅だった。


   再びカトマンズへ

 翌日、7時半のバスでカトマンズに向かう。500ルピー。安い。たぶんDさんが地元料金に交渉してくれたのだろう。感謝。12時に2度目の休憩があり、ここで昼食。バイキングレストランが2か所あり、私は安い方に。170ルピーで6種類の料理とライス、自家製ヨーグルト。このヨーグルト、酸味があり、いかにも自家製。しかし口の中がさっぱりして3回もお代わり。
 14時30分、カトマンズ着。どこに到着したのか場所が分からない。出発はラーニポカリの近くと知っていたので、そこに着くとばかり思い込んでいたので狼狽える。
タクシーの呼び込みも、「タメル? タクシー?」と叫んでいるので、タメルまで遠いのかと不安感がよぎる。しかし呼び込みを無視して少し離れ、店員に尋ねると、すぐだった。危うく100ルピーとか払って、1分くらい乗せられるところだった。
 宿は、ガイドブックに載っていたホーリーランド。クチコミも良かったので、まず向かう。シングルは無く、ダブルだったが、広く、温水も出て、満足。600ルピー。ただ3時間ずつ一日2回、停電があるのがネック。この宿が悪いのではないが。これでは冷蔵庫があってもビールが冷えないはずだ。
 一日目、夕食を終えて宿に戻ると、停電。フロントは自家発電に切り替えているが、部屋は、真っ暗で鍵穴も分からない。懐中電灯を持ってきてもらい、鍵を開けてもらう。部屋に入っても、暗くて着替えもできない。暗い階段を下りて、フロントの兄さんに、ロウソクをむしんする。すぐサービスで持ってきてくれた。


   モモセンター

 ガイドブックをもとに、モモ専門店に行く。なかなかユニーク、(というより私が世事に疎いだけかも)、直径1mはありそうな蒸し鍋が2つ、2段になっている。
テーブルは4人がけらしいものが7つほど。蒸し担当1名、会計1名、配食及び片付け2名という布陣。この配食係を興味深く、じっと眺めさせていただいた。
モモしかないから、客がいすに座れば1皿持って、黙って置いて歩く。それがディズニーランドの掃除のスタッフよろしく、サッサッサと歩いてきて、何も言わずにサッと去っていく。風とともに去りぬである。
2人が競争のように置いて歩く。置いた数によって今日の給料が決まるのかも。置き終わると、ポットのようなものを持ち、食べている傍から、タレを皿に注ぎ足していく。これも無言。そして食べ終えた客を見つけては、すぐ寄って行き、片づける。小柄であどけない顔を2人ともしていたので、中学生くらいのアルバイトかも。
私は1皿では満腹にならないので、もう一つ、と手で合図をしたらすぐ持ってきた。しかし会計係の人は、誰が何皿食べたかチェックしているように見えない。自己申告に頼っているのか。テーブルの後ろの壁に番号は書いてあるが、皿をどんどん片づけてしまうので、証拠は消滅している。それにいくら全体を見やすい場所に座っているとはいえ、お金の受け渡しもしているので、チェックは難しいのでは。などと人ごとながら心配。2皿とコーラを頼み、105ルピー。モモが安いが、コーラも冷えて、食堂で25ルピーは安い。ほとんどの店で冷えてなくて20ルピーだった。
 会計に向かうと、特に紙切れを渡してくれるのでもないので、ツープレート、ワンコーラと自己申告し、支払いを済ませた。


   パタン散策

 翌日は予備日。万一、ジョムソンからポカラに一日で帰れない場合を想定していたので。カトマンズで一日空いた。市内は以前訪れた時、見ていたのでパス。近郊をガイドブックで調べると、ほとんど入域料がかかるところが紹介されている。名所旧跡が見たいのではない。ただ知らない街を歩きたいだけ。いろいろ調べて、パタンに決定。 
観光広場に入るには入域料を払わなければならないが、その手前で降りればよいようだ。
 一日あるので、のんびり歩いてバス乗り場へ。途中の歩道でコーヒー牛乳の屋台、というよりガス台と鍋、少しのいすを置いただけの店?に遭遇。大勢の人が出来上がるのを待っているので、飲みたくなる。
牛乳はビニールの袋に入って売っているようで、ナイフで端を切り、鍋に投入。コーヒーを同じく鍋に。砂糖少々。十分に沸かして、茶こし器を使って、ガラスのコップへ。甘すぎず牛乳が濃厚でうまい。15ルピー。のんびりバス発着所に着く。
テンプーというのに乗りたくて、止まっているテンプーに手当たり次第、パタン?と声をかけた。全て空振り。仕方ないので14番という番号を探す。ガイドブックで14というネパール語を探し、98に似た形をしていることが分かる。早速探していると、それらしい記号が書かれた車が来た。一発で正解。タイのソンテウを小型にしたような車。入域料を収集される手前の、ヒマラヤホテルと運転手に告げ、降ろしてもらう。10分ほどで大きな橋を渡り、到着。
日本同様暑いが、乾燥している分、歩きやすい。まず日本で修行したパン屋というところを目指す。
 すぐ見つかり、入店。夫婦二人、日本で修行しただけあり、おいしいパンが並んでいた。ただ停電が先ほどまで続いていたので、あんパンはもう少し出来上がるまで時間がかかるとのことで、試食できなかった。くるみのバウンドケーキ、アップルパイ、コーヒーを朝食代わりにした。
 続いてチベット難民キャンプというのが4キロほどのところにあるので、歩いて向かう。

難民キャンプというのでテントとかブルーシートでも張ってあるのか、と思っていたらレンガで作られた頑丈な建物。例の旗が翻っていた。難民と言っても、臨時施設というより年月が経て、固定施設になったのだろう。
機織り工場を見学。まさに手織り。糸を通す指の素早さはプロ。帰路、床屋を探すが一斉休業日で駄目。屋台(ここは屋根がある)でチョーメンを食べ、果物売りと値段交渉を楽しみながら同じ道を歩く。
 どこのリンゴ屋も1キロ150ルピーとか言い張る。こちらは産地の値段を知っているから、簡単に話に乗らない。ある売り手に値段を聞くと、例によって150と言う。
 「ジョムソン イズ ワンキロ セブンティルピー」 
と言い返したら、120ルピーに下がった。
 「ナインティルピー?」
はノーと首を振られる。
歩き出すと、後ろからオッケーと叫んで、手招きしている。戻るとやはり100ルピーだと。ノーと言ったら、90になった。小さいが、味はフジだ。糖度は日本産の半分くらいか。


空港まで荷物を引いて

 最終日。雨天ならば空港までタクシーで。タクシー代400ルピーを残しておいた。しかし飛行機は午後、午前中が暇になる。天気がよければ歩くことにする。
空港まで4キロ。荷物があるとは言え、引っ張っていけば2時間で行けるだろう。途中で食事をしたり、床屋があれば床屋に寄ってもいい。
 8時半、宿を出発。フロントの兄さんも本当に歩くのか、疑心暗鬼の様子。
 まず昨日のコーヒー牛乳屋で足が止まる。一杯飲む。今日は子連れのようだ。一人遊びを静かにしている。鞄のリンゴを思い出し、別れ際に1つあげる。かわいい笑顔が返ってきた。母親がバイバイしなさい、と子供に要求。いつまでもバイバイして見送ってくれていた。
 一時間ほど歩いたところで、橋に出た。地図で見るとドビ・コーラ川のようだ。道行く人に確認すると、もっと先だ、という。そういえば水かさが多くなく、地図に載るほどの川ではないと納得する。少し歩くと街に出た。左を見ると床屋があった。入り口にたどり着くと、先客がいた。Dさんの話によると現地の人は60ルピーくらいでカットしてもらっているようだ。ハウマッチと聞かずに、お金を示して、出来るかどうかで決めることにする。
 ワンハンドレット カット オッケー?
という問いかけに、店主はちらっと見て、軽く頷く。表情を変えないので不満なのかな。もう一度OKか、と問いかけると、頷く。

10分経過。ちょっと時間が心配になり、店主に腕時計を指さし、急いでいる様子を示す。相変わらず無言で頷くだけ。ここまで待ったのだから待つことを決意。外で待っていると先客がやっと終わり、私がいすに促される。不安なので、まず100ルピーを渡す。黙って受け取る。
 バリカンを使わず、ハサミだけでシャキシャキと気持ちの良い音をさせる。カットが終わったので終わりかと思っていると、カミソリで周りを剃り始めた。最後にもう一度頭部に白粉を付けて、髪を整えて終了。そして日本でも行われているマッサージ付き。肩、首、頭部に、指圧のようなマッサージのような。少し圧が強いようだが、これでいいのかも。丁寧だ。
 サンキュ、と私の言葉にも無言で頷くだけ。空港まで一時間?と尋ねると、初めて、30分と言葉を発する。30分?。本当にそんなに近くに来ているのか。だってまだドビ・コーラ川に着いていないはず。
 しばらくガタガタ道を進むと橋に到着。今度は少し水かさが多い。橋の長さも50mほどある。今度は間違いなく、ドビ・コーラ川だろう。欄干に寄りかかっている青年に尋ねる。
 「イズ ディス リバー ドビコーラ」
黙って頷く。ということはようやく半分少し過ぎたくらい。少し急ぐ。
 緩やかな坂を上るときれいな舗装道路になった。左手にゴルフ場なのか、植樹された中に適度に刈られた緑の草原が広がる。右手は商店街のように賑やかになった。左に分かれ道があったが、まっすぐ進む。すると目の前に大きなゲートが現れ、WELL COME NEPAL と書かれている。空港に行く道ならば、「さよなら」とか「またネパールへ」とか書かれていそうなものだ。不安になって道を尋ねると、左手を指さす。そこにはあの赤煉瓦の空港ビルが樹木の間から見えていた。
 なんだ、もう空港に着いていた。床屋の言う通り30分。ということは最初に渡った川がドビ・コーラ川で合っていたのだ。地元の人も川の名前など関心がない人もいるのかもしれない。11時到着。ゆっくり歩いて、実質2時間。まだ時間とルピーがあるので、腹ごしらえをして、空港に向かう。

 
   空港運営に物申す 

 予定通り、飛行機に乗れたのでよいのだが、非効率な運営に少々、腹がたった。
 まず出発ロビーに入るのに、パスポートとチケットを確認させられる。これはよい。ただ係員がイスに座ってチェック。飛行機に乗せてあげる発想。空港を利用していただきありがとう、という発想が無い。
 チケットを手に入れ、2階でパスポートチェック。終わって右手に曲がった途端、なぜか長蛇の列。百人以上が並んでいる。先を見ると手荷物検査のようだ。検査場が3か所あり、男女別になっている。ここまでは仕方ない。
 真ん中は女性専用。右端が男性用。女性は旅行者が少ないようで、4〜5人が並ぶか、皆無の状態もしばしば。皆無であれば一時、男性をそちらに誘導して10人でも通せばいいものを。係員も暇そうにしている。
列は益々延びて200人くらいになった。蛇行の列がパスポートチェックの方まで延びた。これでは支障があると判断したのか、左端の検査場を開いた。そして何と、最後尾の50人ほどの列をそちらに誘導。それはないだろう。
最初から待って、並んでいる人がいるのに。前から10人はそのままで、その後ろ20人とかを左端に誘導するとか工夫はないのだろうか。
手荷物検査で40分もかかったため、タイ航空の搭乗開始が始まってしまい、急いで搭乗。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
観光バス 徒歩 飛行機
航空会社
タイ国際航空
旅行の手配内容
個別手配

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