2013/09/28 - 2013/09/28
417位(同エリア575件中)
カブト虫さん
2013年9月 友人と滋賀県米原までドライブ。
番場宿で蓮華寺を訪ね、醒井宿で湧水巡り。
蓮華寺では台風18号の爪痕が残っていた。
途中、霊仙山登山を試みたが、ここも台風の爪痕があり途中で断念した。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 自家用車
-
蓮華寺
案内板より
「蓮華寺
寺伝によれば聖徳太子の建立でもと法隆寺と
称したが鎌倉時代一向上人が土地の豪族土肥元頼
の帰依を受けて再興し時宗一向派の本山となり
幾多の変遷を経て現在では浄土宗となっている。
北条仲時以下430余命自刃にまつわる過去帳や
墳墓に悲哀を物語り、あるいわ(原文のまま)
長谷川伸の「瞼の母」で有名な番場の忠太郎や
斉藤茂吉ゆかりの寺としてその歴史にふさわしい
数々の逸話を秘めている。」 -
300円の寸志で文化財を保管してある部屋を見させてくれる
-
正式名称は 八葉山蓮華寺
山号の額も保管室にあった -
本殿から境内を見る
-
本尊の阿弥陀如来立像と釈迦如来立像
鎌倉時代のもので市指定文化財 -
一向上人座像
-
本殿 寺号額
後水尾天皇ご宸筆(元禄11年) -
2013年9月の台風18号による爪痕が残っていた
-
寺のパンフより
「南北朝の古戦場
元弘3年(1333年)5月7日の京都合戦に敗れた
六波羅探題北条仲時公は北朝の天子光厳天皇
・後伏見華園二上皇を奉じて中山道を下り
番場の宿場に着いた時、南朝軍の重囲に陥り
止むなく蓮華寺に玉輩を移し、大いに戦い
たるも、再び戦に敗れ遂に本堂前庭に於て
仲時以下430余名悉く自刃した。…以下略」
その墓です -
番場の忠太郎地蔵尊
案内書きより
「忠太郎地蔵尊の由来
昭和33年8月3日 文壇の雄長谷川伸先生が
南無帰命頂禮 親をたずねる子には親を
子をたずねる親には子を めぐり合わせ給えと
悲願をこめて建立された地蔵尊である。云々」 -
蓮華寺裏庭のもみじ
-
蓮華寺を出て番場宿を散策
長谷川伸の戯曲「瞼の母」で番場の忠太郎
が一躍脚光を浴びたが、蓮華寺以外特に
見るものはなかった -
中山道番場宿 問屋場跡
-
この後 霊仙登山を試みるも
台風の爪痕が残っており途中で断念 -
醒井宿に移動
醒井水の宿駅 -
地元特産品を売っている
-
米原市醒井宿資料館
旧醒井郵便局局舎(国登録文化財) -
中山道醒井宿
地蔵川湧水巡りの始点 -
地蔵川 水きれい
-
了徳寺 御葉附銀杏(国指定天然記念物)
通常銀杏はサクランボのように成るが
この寺の銀杏の一部は葉に直接付いているという -
平安時代の僧浄蔵が開いた湧水
-
地蔵川 バイカモも有名
-
醒井宿資料館 問屋場(市指定文化財)
-
湧水の始点
-
日本武尊の像
案内板より
「居醒の清水
景行天皇の時代に伊吹山に大蛇が住み着いて
旅する人々を困らせておりました。そこで
天皇は日本武尊にこの大蛇を退治するように
命ぜられました。尊は剣を抜いて大蛇を切り
伏せ多くの人々の心配を除かれましたがこの時
大蛇の猛毒が尊を苦しめました。やっとのこと
で醒井の地にたどり着かれ体や足をこの清水で
冷やされますと不思議にも高熱の苦しみもとれ、
体の調子もさわやかになられました。そこでこ
の水を名付けて『居醒の清水』と呼ぶようにな
りました」 -
加茂神社
名神高速からも見えます -
水清き 人の心を さめが井や
底のさざれも 玉とみるまで by雨森芳州 -
醒井地蔵尊
-
醒井木彫美術館
-
宿場町の雰囲気を残す町並み
-
西行水の湧水には水琴窟がある
泡児塚と書かれた案内板より
「 略 西行法師東遊のときこの泉の畔で休憩
されたところ、茶店の娘が西行に恋をし、西行
の立った後に飲み残しの茶の泡を飲むと不思議
にも懐妊し、男の子を出産しました。その後、
西行が関東からの帰途またこの茶店で休憩した
とき娘よりことの一部始終を聞いた西行は児を
熟視して「今一滴の泡変じて児となる。もし我
が子ならば元の泡に帰れ」と祈り
水上は 清き流れの醒井に
浮世の垢をすすぎてやまん
と詠むと児は忽ち消えて元の泡になりました
以下略 」
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