2013/08/15 - 2013/08/15
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ヌールッディーンさん
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札幌市の隣の石狩市の浜益地区にある旧白鳥家番屋を訪問してみました。
白鳥家は幕末から明治期頃の北海道の大規模な網元で、小樽市にも白鳥家の番屋が残っています。複数の場所に同じ(一族の)網元の鰊番屋が残っているのは、かなり珍しいのではないでしょうか。
ちなみに、小樽の方の番屋はすでにこちら(↓)の旅行記で紹介してあります。
http://4travel.jp/traveler/nur_al_din/album/10473665/
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
-
白鳥家は江戸時代末期の蝦夷地の幕府直轄領化の翌年(安政3年(1856年))に山形県の酒田からやってました。当初は運上屋の下請負でしたが、やがて明治期に入る前には自ら漁場の経営を行うようになっていました。
この建物は明治32年(1899年)に建てられたものですが、小樽の白鳥家番屋は明治10年代の建築なので、先に小樽に来ていた白鳥家が、鰊が穫れる地域が北上していったため番屋ごと鰊の後を追って行ったのかと私は思っていたのですが、実はこちらの方に来ていた白鳥家が分れて小樽に行った、とのことでした。
建物は昭和7年に合同漁業(株)が設立され、白鳥家もその会社に加入し、白鳥漁場の経営は会社に移りましたが、昭和30年代には鰊が獲れなくなり廃屋となった後、昭和46年に補修が行われて資料館として活用されるようになったとのことです。
歴史的な建造物等の活用ということで言えば、割と早い時期に行われた事例かも知れません。
いかにも番屋らしい外観で中央の塔も幅広で安定感があります。土台の部分の石垣は、かなり存在感があります。
(IMG3038) -
屋根の軒が非常に大きいのが特徴的でした。
この辺りはかなり風が強い地方なのに(近くに風力発電用の風車がいくつかありました)、大丈夫なのか、などとも思わされます。
(IMG3043) -
下見板張りの壁は明治期の北海道の木造建築らしい感じです。
窓の外側に鉄格子らしきものが付けられているのは何故でしょうか?他の番屋や鰊御殿では見たことがない事例で興味を惹かれます。
IMG3048 -
番屋の基本的な構造は、中央の入口から入ると土間があり、そこを境にして左右に漁夫たちの部屋と親方の部屋が隔てられているところにあります。
この建物の土間は私が今まで見た番屋の中では一番広々としており、多くの人が出入りしやすそうでした。
この番屋では80名ほどの漁夫が雇われて働いていたそうです。この建物だけではそれだけの人を収容できないため、周囲に関連する建物がいくつか建てられていたとのことでした。
(IMG3053) -
土間の囲炉裏。
この真上に煙抜きの塔があります。仕事を終えた漁夫たちは、まずここで暖をとってから、自分たちの居住区に入っていったとのことです。
なお、この建物には、漁夫の居住区と親方の居間にも囲炉裏がありました。
(IMG3085) -
漁夫の居住区。
こちら側にも比較的大きな窓があるのはやや特徴的かもしれません。他の番屋でも明かり取りの窓はありますが、ここまで明るくはなかったように思います。
また、こちら側のエリアには部屋の中には柱がなく、中が広々しています。
(IMG3054) -
漁夫の居住区の小屋組み。
洋風の構造であるトラス構造が採用されている点は他の多くの明治期の番屋と共通しています。
(IMG3056) -
漁夫の寝床(寝台=ネダイ)。
建物の大きさの割にはベッドのスペースはL字型の分しかなく、建物の規模の割には寝泊まりできる人の数は多くなさそうな印象を受けました。(小樽の茨木家中出張番屋だとコの字型に張り巡らされています。)
(IMG3057) -
漁夫の居住区から親方の居住区を見渡す。
なかなか広々とした建物でした。漁夫の居住区の廊下(?)も広く、なかなか使い勝手がよさそうです。
(IMG3091) -
明治43年にこの場所で使われていた電話機です。土間から親方の居間に入るところの柱に備え付けられていました。
失礼ながら、こんな片田舎にすでに電話が来ていたことに驚きました。
ここで漁をしていた白鳥家は、通常なら漁の時期が終わると小樽などの本宅に帰って生活する網元が多い中で、この地で生活していたとのことですが、そうであるからこそ、このような生活用の設備も充実していたのでしょう。
(IMG3070) -
使用人の部屋。
漁夫の居住区と違い、親方などの居住区は天井に板が張られているのは他の番屋と共通です。
(IMG3073) -
親方の居間(手前)と座敷(奥側)。
(IMG3096) -
座敷。
床の間があるなど、格式が高い部屋になっています。
(IMG3074) -
建物のすぐ横に小さな川が流れていました。こうした水源の近さは、住むには便利だったかもしれません。
浜益地区に行くまでの間、国道231号線を通りますが、海岸線はあっても、そこからすぐに崖のようになっている場所が多いように見受けられました。積丹半島なども割と切り立った崖になっているところが多いことに思い至り、漁場として開かれる場所は船の停泊が可能であるという条件のほか、集落が作れる場所かどうか、ということも大いに関係がありそうだということに気付かされました。
なお、浜益の鰊の漁獲高についての展示資料を見ると、年によって変動はあるものの、私が今まで見てきた鰊漁場(江差や小樽)の漁獲高よりは安定的に豊漁が来ていたように見受けられました。
(明治20年前後には2万5千石くらい、30年代が恐らくはピークの時期に該当し、3万石くらい、大正年間も2〜4万石、昭和20年台でも1.8万石ほどの漁獲高があり、30年代まで獲れていたようです。)
(IMG3101)
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