2012/05/25 - 2012/06/03
80位(同エリア121件中)
ちゃおさん
寧波は古い町で、昔から日本人にも馴染みのある名前だ、「寧波」と書いて「ニンポー」と読む。中国語では「P」と「B」が似たような発音であり、中国表記だと「Ningbo」と書く。最近の若い日本人はこの「ニンポー」という読み方を知らず、「ネイハ」と読んでいるが、正しくは「ニンポー」である。
随分古くから開けている地で、ここと隣に隣接する紹興は、一緒に並び称せられて、春秋戦国時代の「越」の国。会稽山の地だ。唐代から「明州」とも呼ばれるようになり、元の時代の2度目の元寇の役の際は、ここの港から、江南軍約10万人が送られた。元がモンゴルに去り、明の時代になって再び明州と呼ばれるようになったが、清の時代になって「寧波」と呼ばれるようになった。ちなみにこの町の近くに温州があるが、これは温州ミカンの原産地で、2年前中国新幹線和諧号がスピードの出し過ぎで、高架線路から落下した場所の近くでもある。
こうした長い歴史のある町で、今目の前にある「鼓楼」も相当古い時代に出来たと思われるが、建設年月日は分からない。鼓楼の脇に中国語で書かれた碑文が置かれているので、それを詳しく読めば創建年月日は分かるだろうが、それを知った処でそれ程意味はないだろう。古い創建で、当時この町が城壁で囲まれていた頃の時代、その城壁の上に3層の建物が建ち、その下の城壁はくり抜かれて城門となっている。大太鼓で時を知らせ、午後6時となると、下の城門が閉ざされ、午前6時の合図の太鼓と共に、城門が開けられた。この構造を見ていると、何百年と続いたそうした城門と時の関係が想像できた。
城門の外側には、先刻見てきた月湖公園、高麗領事部等の周辺部があり、内側は市の中心部となっていた。城門を潜り抜け、旧市街に入ると、ここでも又他の中国の都市同様、大規模な復元工事が行われている。1−2年もしたら、ここも又見事な明の時代の街並みが復元されているかも知れない。城壁と塔屋を入れたら5層になっている巨大な鼓楼を見上げ、この城門を数回往復し、500年前の住民を想像し、又、10年先のこの付近の賑わいを想像し、ホテルに戻ることにした。
- 旅行の満足度
- 5.0
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