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前々から、妻は「死ぬまでに今一度広島から山口へ、生まれて育ったところへ行ってきたい」折の触れてそんなことを口にしていた。<br /><br />何とか実現してやりたいと思っていたので、日程を何とか調整し、妻の妹を誘って,滅多に覗く事も無い鉄道時間表を購入し、首っ引きで路線と時間を調べ、旅行計画を立てた。<br /><br />先ず新幹線「のぞみ、博多行き」で新山口へ、其処で在来線に乗り換え、妻たち二人の父の実家がある小月へ、小月の駅は瀬戸内側で新幹線は停車しない。<br /><br />現在従兄夫婦が敷地内の墓地と家を守ってくれている。<br />次いつ会えるかわからない、互いに高齢と言うこともあって、お昼の歓待を受けて、タイトなスケジュールの中、維新の英雄、長州藩出身の高杉晋作の墓所、東行庵に立ち寄り、再び小月の駅へ、従兄と名残を惜しむ間なく戻って新山口駅へ、駅前で、秋芳洞への行き方は、バスにするかどうするかと、防長交通の時刻表をにらめっこしているところへ、タクシーの運転手が寄ってきて、行く先を聞いてきたので、秋芳洞へ行って戻ってくるんだと言うと、「1万円で貸し切りで周回する」との事、バスの時間とその後のスケジュールを考慮すると、その方がベターだと結論して、タクシーで秋吉台へ、駐車場にタクシーを待たせて、洞の入口までの観光地商店街を抜けて入口へ。<br /><br />私と妹は刊行した経験があるので、妹はカルスト台地を見て回ると言うので、妻と二人、穴の中へ向かった。<br />東洋一と言われる大鍾乳洞、杉木立の間を抜け、道内から流れるせせらぎを脇に見ながら、四季を通じて17度Cと言う、天候に恵まれたとは言え、未だ3月の末。昨今の猛暑の時ならいざ知らず。外気と変わる事も無いっ冷え。そう全長約10キロというが、観光コースは約1キロ。<br />天井から滴り落ちた乳石灰が、重なり合って出来た石筍の織りなす造形美に見惚れながら、奥の黒谷口へ、エレベーターで地上の秋吉台地へ、待っていた妹と再開し、タクシーでまた新山口駅へ、今度は、山陰本線の鈍行で、日本海側の海岸線に沿って「春の海 ひねもすのたり のたりかな」の心境で、空いた車内でのびのび足を投げ出して、車窓からの景色を堪能した。<br /><br />その日の宿とした萩市の温泉、近くに吉田松陰の松下村塾などがある萩本陣へ、市街のはずれの高台にあって、萩湾の景観等眺望が利く。<br />萩の街を刊行して回る気も失せて、宿で温泉につかってのんびり。<br />一応近くなので、伊藤博文宅や松下村塾など見て回る。<br /><br />翌日は、砂岩と頁岩とが地中のマグマによって、交互に黒と灰白色の縞模様を見せる、列島で最も自力の強いと言われる孝也の麓、海へ突き出た岩壁を目にすべく、のんびりと人気のない萩駅から須佐へ、須佐の駅で下車し、タクシーで須佐の海岸まで10分ほど走らせた。<br />ここでも、帰路の足のため、待っていてくれると言う運転手の言葉に甘えて、岩畳の上をたどった。<br /><br />その足で、今度は須佐から益田までのぼり、二人の母の故郷でもある益田で、時間待ちと昼食をとるために途中下車し、駅前の蕎麦屋でヒルを取った。<br />時間があったので、日本海側のローカル都市の様子をと、駅周辺をぶらぶら見て歩く。<br /><br />再び列車に揺られ、今度は内陸側の津和野の街など、通り過ぎる車窓から垣間見て一路最後の目的地広島へ。<br /><br />広島駅へは、春先の日は早暮れて、街は明かりがついていた。<br />広島へ来たら、是非「広島焼き」と言うのを食べてみたいと言う妹の希望を入れて、駅ビル内の食堂害を物色し、メニューにある店で賞味することにした。<br />多分、お好み焼きの事じゃなかろうかと思っていた通り。多少江戸前とは具が少し違ったが、ドンブリの白飯の上に乗せられたものはお好み焼きに変わりはなかった。<br /><br />市内の中心地のホテルを予約。2日かけて妻の育った広島の街を見て回る。<br /><br />爆心地に近い幼稚園に通っていたこと、その付属幼稚園のあるエリザベート音楽大の構内へ立ち寄り、折から桜が満開で、花の下で写真を撮るなど、二人は想い出に浸った。<br />爆心地近くにあった、幟町の住んでいた家は、石造りの門柱だけが残っていたという。<br />如何なる幸運か、原爆投下の前日に、郊外に移転したとの事、父親の仕事の関係で、間戦後は東京へまた移転、世田谷の経堂へ。<br />原爆ドームと原爆記念館を見学、京橋際の縮景園へ。<br /><br />縮景園は、広島藩主浅野長晟が家老の茶人でも知られる上田宗箇に命じて作らせた庭園で、中国の杭州の西湖を模した池などを配して策定された。<br /><br />私も、あちこちへ旅行しているが、この旅行の時ほど、いやと言ううほど列車に揺られたことは無い。<br /><br />日本海の海岸線、益田から広島への内陸の列車の行程。10年も若いころだったから、耐えたのかもしれない。<br />もう、同じような旅行は無理かもしれないと思いながらも、テレビの旅行番組や、書店の旅行雑誌をつい手に取ってページをめくる。

山口、岡山、広島へ、妻の生まれ故郷へ。

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2003/03/30 - 2003/04/03

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horseriderさん

前々から、妻は「死ぬまでに今一度広島から山口へ、生まれて育ったところへ行ってきたい」折の触れてそんなことを口にしていた。

何とか実現してやりたいと思っていたので、日程を何とか調整し、妻の妹を誘って,滅多に覗く事も無い鉄道時間表を購入し、首っ引きで路線と時間を調べ、旅行計画を立てた。

先ず新幹線「のぞみ、博多行き」で新山口へ、其処で在来線に乗り換え、妻たち二人の父の実家がある小月へ、小月の駅は瀬戸内側で新幹線は停車しない。

現在従兄夫婦が敷地内の墓地と家を守ってくれている。
次いつ会えるかわからない、互いに高齢と言うこともあって、お昼の歓待を受けて、タイトなスケジュールの中、維新の英雄、長州藩出身の高杉晋作の墓所、東行庵に立ち寄り、再び小月の駅へ、従兄と名残を惜しむ間なく戻って新山口駅へ、駅前で、秋芳洞への行き方は、バスにするかどうするかと、防長交通の時刻表をにらめっこしているところへ、タクシーの運転手が寄ってきて、行く先を聞いてきたので、秋芳洞へ行って戻ってくるんだと言うと、「1万円で貸し切りで周回する」との事、バスの時間とその後のスケジュールを考慮すると、その方がベターだと結論して、タクシーで秋吉台へ、駐車場にタクシーを待たせて、洞の入口までの観光地商店街を抜けて入口へ。

私と妹は刊行した経験があるので、妹はカルスト台地を見て回ると言うので、妻と二人、穴の中へ向かった。
東洋一と言われる大鍾乳洞、杉木立の間を抜け、道内から流れるせせらぎを脇に見ながら、四季を通じて17度Cと言う、天候に恵まれたとは言え、未だ3月の末。昨今の猛暑の時ならいざ知らず。外気と変わる事も無いっ冷え。そう全長約10キロというが、観光コースは約1キロ。
天井から滴り落ちた乳石灰が、重なり合って出来た石筍の織りなす造形美に見惚れながら、奥の黒谷口へ、エレベーターで地上の秋吉台地へ、待っていた妹と再開し、タクシーでまた新山口駅へ、今度は、山陰本線の鈍行で、日本海側の海岸線に沿って「春の海 ひねもすのたり のたりかな」の心境で、空いた車内でのびのび足を投げ出して、車窓からの景色を堪能した。

その日の宿とした萩市の温泉、近くに吉田松陰の松下村塾などがある萩本陣へ、市街のはずれの高台にあって、萩湾の景観等眺望が利く。
萩の街を刊行して回る気も失せて、宿で温泉につかってのんびり。
一応近くなので、伊藤博文宅や松下村塾など見て回る。

翌日は、砂岩と頁岩とが地中のマグマによって、交互に黒と灰白色の縞模様を見せる、列島で最も自力の強いと言われる孝也の麓、海へ突き出た岩壁を目にすべく、のんびりと人気のない萩駅から須佐へ、須佐の駅で下車し、タクシーで須佐の海岸まで10分ほど走らせた。
ここでも、帰路の足のため、待っていてくれると言う運転手の言葉に甘えて、岩畳の上をたどった。

その足で、今度は須佐から益田までのぼり、二人の母の故郷でもある益田で、時間待ちと昼食をとるために途中下車し、駅前の蕎麦屋でヒルを取った。
時間があったので、日本海側のローカル都市の様子をと、駅周辺をぶらぶら見て歩く。

再び列車に揺られ、今度は内陸側の津和野の街など、通り過ぎる車窓から垣間見て一路最後の目的地広島へ。

広島駅へは、春先の日は早暮れて、街は明かりがついていた。
広島へ来たら、是非「広島焼き」と言うのを食べてみたいと言う妹の希望を入れて、駅ビル内の食堂害を物色し、メニューにある店で賞味することにした。
多分、お好み焼きの事じゃなかろうかと思っていた通り。多少江戸前とは具が少し違ったが、ドンブリの白飯の上に乗せられたものはお好み焼きに変わりはなかった。

市内の中心地のホテルを予約。2日かけて妻の育った広島の街を見て回る。

爆心地に近い幼稚園に通っていたこと、その付属幼稚園のあるエリザベート音楽大の構内へ立ち寄り、折から桜が満開で、花の下で写真を撮るなど、二人は想い出に浸った。
爆心地近くにあった、幟町の住んでいた家は、石造りの門柱だけが残っていたという。
如何なる幸運か、原爆投下の前日に、郊外に移転したとの事、父親の仕事の関係で、間戦後は東京へまた移転、世田谷の経堂へ。
原爆ドームと原爆記念館を見学、京橋際の縮景園へ。

縮景園は、広島藩主浅野長晟が家老の茶人でも知られる上田宗箇に命じて作らせた庭園で、中国の杭州の西湖を模した池などを配して策定された。

私も、あちこちへ旅行しているが、この旅行の時ほど、いやと言ううほど列車に揺られたことは無い。

日本海の海岸線、益田から広島への内陸の列車の行程。10年も若いころだったから、耐えたのかもしれない。
もう、同じような旅行は無理かもしれないと思いながらも、テレビの旅行番組や、書店の旅行雑誌をつい手に取ってページをめくる。

旅行の満足度
4.5
観光
4.0
ホテル
4.5
グルメ
4.0
交通
4.0
同行者
家族旅行
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
タクシー 新幹線 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 秋吉台のカルスト台地<br />見渡す限り、岩石をばらまいたように、広がりを見せ、岩石の陰には地底の洞窟に通ずる穴が穿たれている。

    秋吉台のカルスト台地
    見渡す限り、岩石をばらまいたように、広がりを見せ、岩石の陰には地底の洞窟に通ずる穴が穿たれている。

  • 秋芳洞入口からの流れ。

    秋芳洞入口からの流れ。

  • 妻たちの父親の実家、従兄夫婦が先祖の墓と田畑を守ってくれている。

    妻たちの父親の実家、従兄夫婦が先祖の墓と田畑を守ってくれている。

  • 広島幟町のエリザベート音楽院の建物、<br />この幼稚園に妻は通った。<br /><br />直ぐ近くに住んでいたが、原爆投下の前日、どのような幸運からか、山の手に新築した家に映って、被爆を免れた。

    広島幟町のエリザベート音楽院の建物、
    この幼稚園に妻は通った。

    直ぐ近くに住んでいたが、原爆投下の前日、どのような幸運からか、山の手に新築した家に映って、被爆を免れた。

  • 近くの縮景園の庭園。

    近くの縮景園の庭園。

  • 萩湾の景観

    萩湾の景観

  • 須佐のホルンフェルス。

    須佐のホルンフェルス。

  • 波しぶきに現れる岩肌。

    波しぶきに現れる岩肌。

  • 秋吉台地

    秋吉台地

  • 萩駅

    萩駅

  • 何時列車が来るのか、人影も見えない。

    何時列車が来るのか、人影も見えない。

  • 萩の松下村塾。

    萩の松下村塾。

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