2013/05/27 - 2013/05/27
4位(同エリア27件中)
ベームさん
5日目、5/27(月)。
アイスレーベンから戻りハレを歩きます。でもこの空模様、ハレバレとした気分にはなりません。
ハレの後ヴィッテンベルクに行き今日はそこに泊まります。
ハレ:人口24万人は州都マグデブルクより多く州最大。806年文献に登場。岩塩の産地でその交易で栄えた。ハレは塩の意。1280年ハンザ同盟にも加盟している。
先の大戦の被害は少なかったが戦後は東独に属した。
ヘンデルの生地。1685年、ヨハン・セバスチャン・バッハと同年生まれ。
写真はマルクト広場とマルクト教会とロータートゥルム/赤の塔。向かいの百貨店の上から写したものです。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ハレ~アイスレーベン~ハレ~ヴィッテンベルク。
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ハレ駅。
アイスレーベンから10:51着で戻ってきました。 -
タクシーで一番遠いモーリッツブルク城まで。8ユーロ。
時間と体力の節約。 -
モーリッツブルク城。
アルブレヒト・マインツ・マグデブルク大司教の居城の一つ。15世紀後半の建築。 -
現在ザクセン・アンハルト州郷土芸術博物館になっています。
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モーリッツブルク城の前に建つマティアス・グリューネヴァルト像。
あのイーゼンハイムの祭壇画の作者です。1470~1475年頃ヴュルツブルクの生まれとされています。そういえばヴュルツブルクのレジデンツ広場のフランコニアの噴水の台座に彼の像が彫られていました。
ハレとの関係を調べてみると、1522年マインツ大司教アルブレヒト(マルチン・ルターの敵、あの免罪符の販売者)の推戴によりハレの居城の美術建築顧問となる。農民戦争で農民側に立ち晩年は不遇。1528年ハレでペストにより死亡。それでここに像があるのでしょう。 -
少し下って大聖堂。
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大聖堂。
元ドミニコ修道院教会。宗教改革以降は時の宮廷教会となる。
17本の柱彫刻が有名らしいが入れませんでした。 -
大聖堂。
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大聖堂横の古い建物。
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手前モーリッツブルク城、左マルクト広場、ヘンデルハウス、右塩博物館。
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ヘンデルハウス。
休館日だった。不覚。
ヘンデル:1695~1759年。ハレで生まれイギリスで死去。74歳。
父の希望でハレ大学で法律を学ぶ傍ら音楽の道を志す。父の死後1712年ロンドンに移住。1727年イギリスに帰化。生涯独身。
主要作品の多くがイギリスで作られたため英国ではイギリスの作曲家とみなす考えもある。 -
「グローセニコライ通り5。ヘンデルハウス。作曲家ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685~1759)が生まれ住んだ家。中略。1666~1782までヘンデル一家の所有。1948年6月13日より博物館。」
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ヘンデルハウスからオーレリアウス通りを下ると左にマルクト教会の後部が見えました。ここには後で行きます。
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さらに下って聖モーリッツ教会だと思います。1388年。
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アルターマルクトの手前にあるビートルズ博物館。
2004年にケルンにあった博物館本拠ををここに移したそうです。 -
ビートルズ博物館。
なぜビートルズ博物館がハレにあるのか分かりません。彼らが活躍したハンブルクならまだ分かりますが。ヘンデルをイギリスに取られた仕返しでしょうか。 -
アルターマルクト。旧市場。
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広場の中央にロバを連れた少年、エゼルス/ロバの泉。
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トラム。パンタグラフを付けています。
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マルクト広場に来ました。町の中心です。
ローター塔とマルクト教会。
広場はマルクト教会、シュタットハウス、市庁舎、ガレリア・カオフホーフ/百貨店に囲まれ真ん中にヘンデル像、ローター塔が建っています。トラムが走り、屋台が並び賑やかな所です。 -
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マルクト広場のロータートゥルム/赤の塔。
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ローター塔/赤の塔。
赤くもありませんが。 -
塔の前に建つローラントの像。
市民の自由のシンボル、この親玉がブレーメンにあります。 -
4本の塔を持つマルクト教会(聖マリエン教会)。
ハレの市電はパンタグラフを使っているので架線が縦横に走っています。 -
シュタットハウス。
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ハレ市庁舎。
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市庁舎と左ガレリア・カオフホーフ/百貨店。
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ヘンデル像。
1859年、没後100年記念に建てられました。ヘンデルに見限られた(?)ハレですが大切にしているのですね。 -
マルクト教会に行きます。
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マルクト教会。
マインツ大司教アルブレヒトの建築。ヘンデルが洗礼を受けオルガンを弾いていた。ルターもここで説教をしたこともあります。ルターがアイスレーベンで死去した後ヴィッテンベルクに葬られる前に一時この教会に安置されたそうです。
ここまで来るとあの免罪符を売り出したマインツ大司教アルブレヒトというのはものすごい権力者、大金持ちだったことが分かりますね。ルターが当初一人でこの強大な支配者に立ち向かってひるまなかったとはすごいことです。
アルブレヒトがあれだけ金をつぎ込んでも結局はハレはプロテスタントの町になったのですね。 -
マルクト教会。
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教会の前のドラゴンのような泉。
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教会の前のルター像。
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マルクト教会。
ハレ1の教会らしく豪壮なものです。今はプロテスタントの教会ですが元はカトリックだったからでしょう。 -
祭壇。
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祭壇画。
クラーナハ一門によるものです。 -
上部。
左よりマグダラのマリア、ヨハネ、アウグスティヌス、聖カタリーナ。 -
下部。
キリストを抱く聖母マリアと14人の救護聖人。 -
身廊。入口方面。
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等身大のキリスト磔刑像。
1500年頃の作。 -
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教会の横の通り。
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昼食にガレリア・カオフホーフの食堂に行きました。
食堂からの眺め。 -
高い所から見る景観はいいものです。
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左下にヘンデル像。
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赤の塔とマルクト教会。
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マルクト教会。
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市庁舎。
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下に降りてきました。
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有りました。ここにもレーヴェンアポテーケが。
どうも私は薬局を見つける才能があるようです。 -
駅の方に戻ります。
マルクト広場からライプチガー通りへ。 -
目抜きのライプチガー通り。
まっすぐ行くと駅に突き当たります。 -
途中聖ウルリヒ教会。
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目抜き通りと云うのにこんな廃屋も。
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面白いモニュメント、子供の恰好な遊び場所です。右の小さな人は本を読んでいます。
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ライプチガー通り。
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ライプチガー通りとハンゼリングが交差するところ。
ライプチガー塔。 -
ライプチガー塔。
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まだライプチガー通りが続きます。
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立派な出窓。ライプチガー通りの出口辺りです。
駅まで結構な距離でした。 -
ハレ14:11のRBでビターフェルト乗換えヴィッテンベルクに向かいました。
ヴィッテンベルクの町が見えます。 -
ヴィッテンベルク15:16着。
ここにきてようやく晴れました。 -
ヴィッテンベルク駅。
壁が剥がれたままです。旧東独の疲弊の現れです。 -
本屋の壁の剥がれをそのままに横に綺麗なテント状の駅舎/屋根があります。
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歴史的旧市街地/見どころはすべて同じ方向。
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少し離れてヴィッテンベルク駅方向。
晴れると全く景観が変わります。 -
ホテルアクロン。
バーンホフ通りを約500mまっすぐ歩くと最初に目につくホテルです。ここに宿泊します。 -
簡素で綺麗な部屋。
街歩きは次回で。
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この旅行記へのコメント (2)
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- さんしぇさん 2014/06/27 20:20:10
- 芸術家縁の街
- べームさん、ご無沙汰しております。
グリューネヴァルトにクラナハの名前を嬉しく拝見しました。
ヘンデルは勿論、フリーデマン・バッハなど多くの芸術家の
縁の街なのですね。
ドイツはなかな、か足が向かない方面ですが、こうして綿密な
紀行を拝見していつの日かの予習をさせて頂ければと思います。
ありがとうございました。
さんしぇ
- ベームさん からの返信 2014/06/28 20:47:14
- RE: 芸術家縁の街
- さんしぇさん、
こちらこそご無沙汰してます。
ハレの旅行記に投票いただき有難うございます。ハレはそれほど日本人に人気のある町ではありませんが時間を掛ければ見る所の多い町です。
さんしぇさんもこの5月フランスに行っておられたのですか。私と少しずれていたようですが幸いでしたよ。6月10日頃から連日鉄道SNCFのストライキが行われ観光客は大迷惑でした。
始まったばかりのフランス旅行記ですが覗いていただければ嬉しいです。
ベーム
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