2013/06/01 - 2013/06/03
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サイドリッツさん
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この旅行は、私にとって50年来の「夢」でた、小学四年位だったと思いますが、学校から近くの映画館で「明治天皇と日露大戦争」の映画鑑賞がありました、日本軍が旅順要塞でロシアの機関銃で全滅する画面が強く印象に残り、それ以来「軍キチ」になりました、「一度は旅順要塞を見たい」の思いがありましたが、そのころは中国と日本の国交もありません、ましてや経済力もありません、日露戦役の本を図書館で借りて読む位でした、その後成人してからは約30冊の戦役の本を買いあさり事あるごとに読み返していました。以来50年近く仕事・結婚・子育てに追われ、齢60の時に「一度は旅順要塞を見たい」から「行きたい」に替わり、平成25年年明け早々春から夏にかけていよいよ旅行の段取りで動きかけました。
タイトルの画像は昭和11年頃の大連の絵葉書からスキャンしたものです
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- ANAセールス
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-
イチオシ
先ほどの映画のタイトル画像とストーリーです。
『明治天皇と日露大戦争』
明治三十七年、ロシヤの極東侵略政策に脅威を感じた日本は、日露交渉によって事態を収めようとしたが、ロシヤ側の誠意のない態度に国内は、自衛のためロシヤを討つべしとの声が高まり、それまで開戦の国民生活に与える影響を考え慎重だった明治天皇もついに開戦のご英断を下された。かくて連合艦隊に護送されたわが陸軍は仁川に上陸を敢行し、一路満洲へと進撃を開始した。一方海軍は、旅順港にある敵艦隊を封鎖し日本海の制海権を握らんとして決死隊を編成、第一次、第二次と相次ぐ閉塞決行に遂に成功したが広瀬少佐、杉野兵曹長はじめ多くの勇士が壮烈な戦死をとげた。次いで黄海大海戦での勝利。この海軍の目覚しい活躍と同様、陸軍数十万の将兵は大陸の奥深く敵を蹴散らしていたが、敵将ステッセルの守る旅順要塞は、攻撃司令官乃木将軍以下必死の攻撃にもかかわらず噂通り難攻不落を誇っていた。乃木将軍の長男もここで戦死した。第一回の総攻撃は、新兵器機関銃の出現に一万五千の犠牲者を出して失敗に終った。一方、大山元帥が率いる他の軍団は遼陽総攻撃を行い、関谷連隊長、橘少佐を失うが、これを占領した。この間旅順要塞への攻撃は休みなく続けられ、ことに十一月三日天長節を迎えて乃木第三軍は要衝二〇三高地攻撃を決行、一時は奪取したが後続部隊が続かず、遂に乃木将軍の二男保典をはじめ全員戦死した。だが激闘幾度、三八年一月遂に二〇三高地は陥落し、ステッセルは旅順を開け渡した。続く奉天の大会戦に露軍も三十万の兵を動員したが、我軍必死の猛攻に、三月十日遂に奉天入城は達成された。一方、バルチック艦隊と、東郷司令官率いる連合艦隊は対馬海峡で接触、海戦史上初の一八〇度転回作戦によって敵艦隊を全滅した。−−勝利を祝う提灯行列と万歳の声を陛下は何時までも飽かずに見守っておられた。 【キネマ旬報データベースより】
ほかにもこんなコメントもあります。
日露戦争を描いた映画というと忘れてはならない作品が二つある。ひとつは1957年に公開された「明治天皇と日露大戦争」(1957)もうひとつが1969年に公開された「日本海大海戦」(1969)である。
最初の作品は当時の天皇誕生日に封切られた作品ですが観客動員数がなんと1300万人(一説には2000万人)というもので記録映画の要素が強い作品やアニメーションを除けば
邦画劇場作品の観客動員数では未だ第一位という作品で明治天皇を中心とした日露戦争全般を描いた映画でかなり日露戦争をコンパクトにまとめたものとなっている。ただ戦後十数年でこういう映画がよく撮れたなという気もする -
とりあえず知り合いの旅行社にプランを話し、対中関係の悪化の影響で2月ごろやっと中国方面のツアーパンフレットを入手、以後同行者をつのりながら検討を重ね、同行者にパスポートを持っていない方もおられましたので、手続きのレクチャーをして、早期に全員のパスポートのコピーを旅行社に提出3月初旬に一応早期予約できました、ご存じのようにパック旅行は早期予約すれば、割引やホテルの階上の特典があります。予約時は5名でしたが、?人の方が「鳥インフルエンザ」で家族に反対され断念、結局私を含めて4名で行くことになりました、メンバーの方は、自営業2名もう一人は現役の自衛官でなかなか許可が下りずやきもきしましたが4名そろって出発する事が出来ました。
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6月1日 06:00 滋賀県を車で出発、高速を乗り継いで「関空」へ、
6月1日 07:42 関空着車をP2駐車場。入庫後関空ターミナル。
6月1日 08:29 手荷物検査。出国検査終え国際線出発ロビー。
チェックイン・手荷物検査・出国審査を経ていよいよ海外です、私以外海外旅行は初めての人で、まごつくこともありましたが、出発ロビーの免税店などでウインドショッピングを楽しみ搭乗ゲートへ。 -
この機体が関空発大連行 ANA NH0945便
Boeing737-700 ANA JA02AN です -
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受託荷物の搭載中
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09:30 頃コールがあり搭乗、定刻より少し早く動き出し、
09:57 いよいよ出発やがて離陸、天候は少し曇っていましたので「関空」を俯瞰できたていどで、明石大橋などはまったくみえず。
気流の悪い所も無く飛行そのものはまさしく順調でした、2時間半のフライトですの、間もなく飲み物や食事のサービス提供がありました、「鳥インフルエンザ」の影響で「検疫カード」の記入を要求されるのか「ヒヤヒヤ」していましたが、なにもなくこれでゆっくりとアルコール類が飲めます、ビール2缶とワインをいただき満足。
スポットを離れ誘導路へ -
イチオシ
10:11 離陸上昇中
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10:13 離陸上昇中 関空を俯瞰
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10:13 離陸上昇中 関空を俯瞰
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12:14 機内モニター 現在地
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12:26 着陸態勢へ
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12:27 着陸態勢へ、眼下に大連市内が
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12:27 着陸態勢へ、眼下に大連市内が
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12:29 着陸態勢へ、眼下に大連市内が
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イチオシ
12:29 グランドスポイラーを一杯上げていよいよ着陸へ
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12:29 大連周水子国際空港 着陸
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12:29 定刻より早く、無事大連周水子国際空港着、クチコミ「大連入国時の検疫」にも書きましたように、やはり「鳥インフルエンザ」の為の検疫体制はなし、入国審査・税関も「ゆるゆる」でした。
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12:31 大連周水子国際空港 ターミナルビルと駐機場
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12:36 大連周水子国際空港 誘導路から駐機場へ
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13:05 大連周水子国際空港
30分くらいで空港玄関へ到着、現地ツアーの「宋さん」の出迎えを受けホテルへ。 -
大連周水子国際空港玄関
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大連周水子国際空港玄関
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大連周水子国際空港玄関タクシーターミナル
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