2013/06/08 - 2013/06/08
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hidamari09さん
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前回の旅、大同から太原に向かう大運高速道路でトンネルを抜けた当たりで窓外の山頂に連なっている長城をみました。そこで、長城の関所である雁門関を訪ねてみることにしました。
以下、***** の間は、ウィキペディアからの引用です。
*****
雁門関(がんもんかん)は、別名を西陘関と言い、中国山西省の北部、代県の西北、雁門山(別名勾注山)中にある、古来からの関所である。北方の異民族の侵入に対する、中国側の防衛拠点であり、数多くの戦いが繰り広げられてきた。2001年に全国重点文物保護単位に指定された。
雁門関のある雁門山は、東西の峰が対峙している様が門のようであり、そこを渡りの途上の雁が飛び抜けていくことから、雁門の名がある。中国の歴史を通じて、雁門関は、北方の異民族の南下に対する、中国側の防衛拠点としての役割を担ってきた。戦国時代末期に、趙の武将李牧がこの地に拠って匈奴の侵入を防いだのを初め、漢代には匈奴や鮮卑、南北朝時代から隋唐にかけては突厥や回鶻(ウイグル)、沙陀、五代から宋代にかけては契丹などの民族の中原への侵入路となり、激しい攻防戦が繰り広げられてきた。統計によれば、雁門関周辺で起きた戦いは大小1,700回を数えるとされる。
雁門関は北魏の時代には東陘関と西陘関が両置されていたが、唐代より西陘関が雁門関と呼ばれるようになった。元代に至って雁門関は廃止されるが、明の洪武7年(1374年)に、吉安侯陸享の手で修復され、やや東の位置に移された。以降、明代には瓦刺(オイラト)や韃靼(タタール)の侵入に対する上での、長城上の要衝として重視されるようになり、寧武関、偏頭関と共に外三関と呼ばれるようになった。
*****
もと数百キロあった長さの内、30km程が良い状態で残っているそうです。中国四大美人の昭君は、ここから西域に旅立ったそうです。
行くための交通方法をネットで調べたところ、雁門関を訪ねた若者グループが旅行記を書いていました。それによると、交通の便が悪く、少人数での旅行はお勧めしないと書いてありました。
乗合バスもあるようです、タクシーで雁門関に行く途中ですれ違いました。代県の街中を探しましたが、今回は時間切れでタクシーを使わざるをえませんでした。まさに、若者の書いているとおりでした。
雁門関に到着したのが午後の3時、古い長城を求めて山を登ったりしたので雁門関の門に戻ったのは午後の六時過ぎでした。曇り空はいまにも雨が降りそうです。聞くと雁門関の中に宿泊設備はあるようです、それと検票(停車場)を下った料金所の下に高級ホテルがありました。
すでに辺りに人影はありません。とりあえず停車場までくだってみよう。
途中、日に焼けた農夫風のおっさんに追いつきました。どこから来たかと聞くので「太原から」と答えました。これがラッキーでした。タクシーはあるだろうかと聞くと、なんなら車に乗っていけと誘ってくれたのです。
おっさんは一人ではなく、娘と、おっさんの兄のお嫁さんとその娘さんが一緒でした。兄のお嫁さんは太原に住んでいるとのことでした。話が弾んで、おっさんはなんなら家に泊まっていけと言います。さすがに、風習がちがうのでとお嫁さんが止めます。おっさんお娘さんは、代県の市内で携帯電話の販売店を開いていました。結構立派なお店です。
その晩、皆さんと一緒に食事に誘われ、ホテルも手配され、送迎までしていただきました。
その上、明日天気がよければ「趙杲観」に一緒に行こうというのです。
うーん!なんと考えてよいものやら。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 1.5
- 交通
- 1.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 徒歩
-
人民交通出版社の「山西省公路里程地図冊」のコピーです。
雁門関への入口となる代県は、雲崗石窟で有名な大同市の南西118kmほどに位置します。50km程東には、五台山があります。
雁門関は代県の西北20kmほどの場所です。
地図で、代県の邦楽に幾本かの筋のようなものは、川の印で、代県の北は恒山脈が連なっていることを示します。 -
太原の火車站、朝7時28分発の6818次に乗車しました。硬席の切符代は11.5元です。
座席は1号車で、まさに見えている車両です。着席したあと、この手前側に機動車が連結されました。
中国の鉄道事情で、ここ1、2年で大きく変わったと感じるのは、改札の時間が早まっていることです。以前は、出発の間際まで改札を開始しませんでしたが、最近はかなり余裕を持って、出発時間の前から改札を始めます。大分旅行なれしてきた結果なのかと勝手に推測しています。 -
普通列車の社内です。
少し走ったかと思うと停車。ローカル列車の時間はのどかに過ぎてゆきます。
若い人たちは、食べかすや食品の包装を社内に捨てるのではなく、手持ちの袋にいれています。すこしづつ、マナーが改善しているように感じられます。
ローカル列車は各駅に止まります。
人民交通出版社の「山西省公路里程地図冊」はロードマップです。一応、鉄道の路線と駅らしきマークがありますが、停車駅と数があいません。
参考にした時刻表が古かったのか、見間違えたか。代県の到着予定時刻、10時54分になってもまだ、大分手前です。
席の向かいの女の子に聞くと、あと1時間程かかると言います。
ということで、代県の駅に到着したのは12時(正午)になってしまいました。
これほど時間がかかるとは、おおきな誤算でした。 -
代県の火車站に到着しました。站前広場です。
列車の到着を待って、白タクが広場を埋めて待っています。降りた乗客は、三々五々白タクを捕まえて散っていきます。
朝から、何も食べていなかったので、右手の商店に入り、水とパンを買って外に出てみると、白タクは1台もいなくなり、閑散としてしまいました。
人ごみのあるところに出て見ようと、表通りに向かうと向かいから来た白タクが声を掛けてきました。
雁門関まで80元といいます。
相場が解らないので、とりあえずいらないというと、要求はいくらかと聞きます。
聞かれても、知らないので答えようがありません。 -
表通りに出て左折し100m程の店に入って情報収集することにしました。
雁門関に行くバスはあるかと聞くと、知らないといいます。そばから、公共のバスはないので、タクシーで行けとアドバイスが飛んできます。
値段は、知らないようです。
デイパックを背負った見慣れない客に興味深々のようです。中国では、一人旅はおかしな奴と見られがちです。
結局、結論は市内のほうに行ってみろということに落ち着きました。
店内は結構賑やかで、大方昼間からビールを飲んでの食事です。 -
なんだかわかりませんが、メニューにある「炒莜面」(6元)を頼んでみました。
「莜」の字を調べると、裸燕麦を意味するようです。
塩味で脂っこい。
食べ慣れない味でした。 -
市内があると教えられた方向に向かいます。どうも、火車站は大分ハズレにあるようです。
目の前には、閑散とした道路が広がり、周りは空き地です。市内までは結構ありそうです。 -
道端にKTVの看板を掲げた店が点在します。
このあたり、結構金回りが良さそうです。
後で、タクシーの運転手に聞いたところ、ここは鉄鉱石が採掘できるようなことを言っていました。 -
道路清掃のおばさんに教えられた、最初の交通信号のあるT字路につきました。
門を潜り、雁門関に行くバスを探します。
汽車站に行ってみたらどうかと言います。
しかし、その汽車站の場所がわかりません。あっちの方向と言われて、方向はわかったものの距離が曖昧です。
この通りを行き来して、うろうろしている間に時間はすぎるばかりです。 -
午後の2時半、ようやくタクシーを捕まえました。
雁門関まで70元といいます。
しかたがない。
たかだか20km、高いじゃないかというと、30kmから40kmはあるといいます。どの位の時間かと聞くと15分位といいます。
時速30kmなら、30kmで1時間はかかるだろうと指摘すると、あそこは路が悪いからと適当な答えをしてきます。 -
市内を抜けて郊外に入りました。そとは、荒地といっても良いような風景が続きます。これでは、雁門関に行っても、帰りの客は拾えない。70元は請求したくなるだろうなと変に納得です。
途中、代県-雁門関の看板を掲げた中型バスとすれ違いました。市内のどこからかは、バスが出ているようです。 -
雁門関景観地への入口です。この先に、景観地の料金所があります。
入門料は90元ですが、60歳以上は無料でした。
若い運転手は、この事をしりませんでした。
払わなくても良い金を使わないために、運転手の言うまま支払うのではなく、降りて自分の目で、料金の表示を確認することが大切です。 -
検票所のある門にようやく到着しました。最初の景観地の入口から料金所、料金所から検票所の間は結構距離があります。
検票所に至る途中に、豪華なホテルが1軒立っていました。
代県の食堂で、かなり値段が高いと聞かされました。ただし、高さの基準がわかりませんでした。 -
検票所の門を潜ると、道の両側に建物が並びます。
建物のなかは、閑散としています。
まだ、本格的に営業していない感じです。 -
登りの路は途中で二股に分かれています。左の道を選択しました。こちらのほうが、古そうだったからです。大きな石で舗装されています。
両側の山は、土肌が露出して、荒涼とした風景です。 -
登りの途中で振り返ってみます。
石畳の路が、蛇のようにくねっています。
下に見えるのは、途中の仏像を祀った展望だいです。
撮影場所は、石碑を真ん中に建てた展望台です。
もう一息で、雁門関の東門に到着します。 -
岩に雁門関と刻まれた場所に到着しました。この岩の先が門ですが、路がくねっているので、直接見通せません。
敵が油断して登ると、いきなり目の前から矢の嵐が襲ってくるという仕掛けです。 -
先ほどの文字の書かれた角を曲がると、いきなり目の前にこんな風景が立ちはだかります。
門の両側に城壁がつらなります。 -
雁門関の東門になります。この門は「天険門」と武則天が名づけたそうです。アーチ型の上に名を刻んだ石が埋め込まれています。
門の右側に、「李牧建」を祀った廟があります。
実は、この廟は日中戦争の際に焼け落ちてしまったそうです。
現在の建物は、したがって最近建てた、修復したものということになります。 -
Googleの写真集から、修築前の東門の写真を探してみました。この写真によると、門以外の手前の廟、門の左右の城壁、建物は新築されたものだということが分かります。
中国、歴史は長いですが、度重なる戦乱で多くの建物は焼け落ちています。日本や、西欧に見られるような、その昔から続く建物は期待できません。まあ、こんなかんじだったろうと見ることにしています。古代の絵などがのこっているので、主要な建物の概略は違っていないでしょう。建物に比べて、自然の大地の変化は比較的すくないので、歴史のあった場所の風景を楽しむことにしています。 -
焼け落ちた廟は立派に復元されていました。
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廟の右手に、お姫様や帝王が宿泊する場所が復元されていました。
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東門に登り、西をみると尾根伝いに城壁がつらなります。この右側の尾根に、別の城壁がつらなります。両側の城壁に囲まれた部分が、駐屯地だったのでしょうか。
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この城壁の山頂を超えた部分に、明時代の城壁の跡が少し残っています。反対側の山の尾根から望みます。真ん中に三角系で残っているのが明時代の長城の跡です。
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近くで見た、明時代の城壁です。これが、左手の山頂まで続いていたことになります。山頂の近くまで登ってみましたが、これ以外は、崩れ去り、雨で流れ、跡形を残していません。
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東門から東側を望むと、塔が建てられています。
城壁の上は、結構な広さです。登っている人間と比較すると広さが感じられると思います。5、6人が横に並んで登れる広さです。 -
塔を回り込んで、こちら側の城壁をくだっている途中です。左下に、なにかの廟があります。中ので女性が歌うカラオケの大音響が、この窪地に響き渡っています。なんとも風景とマッチしない、典型的中国的観光地です。
城壁の間は、観光地化に向けて、施設の大工事が行われています。真ん中の門の右側に商店街がならびます。 -
関羽廟を過ぎると、西の門を出ます。この門から50mほどの処の左てに登山道の入口があります。
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Googleで見つけた、西門の修復前の姿です。
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昔の城壁は残っていないかと、山を登ってみました。写真では傾斜感が薄れますがかなり急峻です。そして、崩れやすい砂地をところどころ草が覆います。ラバーソールのくつだったので、かなり苦労しました。雨が降ったら、身動きできなくなるでしょう。
高速道路で見た城壁は、高速道路を挟んで雁門関とは反対側の方向になります。その方向は、さらに交通が不便で、本格的な登山装備をしないと行けそうになさそうです。 -
山登りに時間が掛かり、東門に戻ったのは午後の6時を回った時です。さて、どうしたものか。今にも雨が降りだしそうです。辺りに人影はありません。場内に宿泊場所はありそうですが。とりあえず停車場(検票所)に向かって歩き出しました。道の二股分岐点でおっさんを追い越します。
「どこから来た?」と声をかけられます。
「太原から」嘘ではありません。しかし、これが後で幸いを呼びます。
停車場には、自家用車が2台停車しているだけで閑散としています。
おっさんが、車に乗って行けと誘ってくれました。
そこには、おっさんの娘(運転手)とおっさんの兄さんの嫁さんとその娘が一緒でした。嫁さんは太原に住んでいるとのことでした。
雨が降り始めました。
娘さんは代県で携帯電話ショップを経営しています。とりあえず店に案内され、一休み。夕飯を一緒に食べて行けといいます。また、ホテルの手配も(勝手に)進めます。
明日、天気がよければ「趙杲観」に一緒に行こうと誘ってくれます。
うーん!なんと言ってよいものやら。 -
帰りの途中から雨が降りだしました。
おっさんの娘さんの携帯電話ショップで一休みしたのち、娘さんの男友達が経営する火鍋店で夕食をご馳走になりました。
お酒はことわったのですが、男友達が白酒を用意。中国風の乾杯にお付き合いでしこたま酔わされてしまいました。
代県で一番というホテルを手配してくれましたが、浴室は共用の大浴槽。設備は典型的は中国様式でした。トイレ周りの掃除が行き届いていませんでした。
文句を行っては失礼になります。男友達のカード割引で149元,酒の酔もあり、バタンキューで朝を迎え雁門関の探索は終を告げました。
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