2013/05/30 - 2013/05/30
825位(同エリア1213件中)
ひま人さん
100名城巡りが人気を呼んでいます。日本100名城は平成18年日本城郭協会から発表されたもので、全国各地の名城探訪の手がかりとして選定し、多彩な時代・地域から選ばれた魅力あふれる100の城が名を連ねます。100名城が選定される前から城巡りをしてきましたが、100名城に指定されてはいませんが、石田三成の夢の跡といわれる佐和山城祉を訪れました。そして、佐和山城の目の先にある彦根城を訪れました。こちらは100名城に選定されており国宝にも指定されています。この二つの城と関連する寺院を訪れ、その時代の背景、歴史を考えるぶらり旅でした。
写真は彦根城天守閣です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 観光バス 私鉄 徒歩
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龍潭寺(りょうたんじ)石碑、臨済宗妙心寺派。
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龍潭寺山門。当寺は天平5年(734年)、行基菩薩により遠江国浜名湖北井伊谷郷に開基。慶長5年(1600年)井伊直政が佐和山城主となられたのを機に、昊天禅師により佐和山麓に移築開山した井伊家菩提寺です。
この山門から奥へと佐和山城跡(標高232.9m)への登城口となります。 -
方丈襖絵五十六画の一部。彦根藩に仕える武家であり、俳人であり、画人でもあった森川許六(きょりく)の筆になるものです。狩野探幽の弟の安信に学び、芭蕉門下では許六が絵の師とされていました。襖絵の特色は、山水、人物、花鳥、走獣など十種にも及ぶ画材の多様さです。
許六の名は、六芸に通じた多芸の才人だということで松尾芭蕉がつけたとされ、後に芭蕉の門人を代表する蕉門十哲に数えられています。 -
方丈南庭「ふだらくの庭」。白砂を敷き、大小48石を配して観音菩薩の浄土である補陀落山(ふだらくさん)の一帯をかたちどった江戸初期の枯山水の名庭です。
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龍潭寺は元禄年間から達磨様にあやかる「だるま寺」として人々の信仰を集めています。大小さまざまな達磨が祀られいます。
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龍潭寺前の駐車場に掲げられている佐和山城跡案内図板です。
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佐和山城は鎌倉時代初期、佐々木定綱の6男時綱が、佐和山の麓に館を構えたのが始まりと伝えられています。戦国時代に入り、織田信長が周辺に勢力を伸ばし、安土城築城までの間、近江支配の核とし京都と岐阜の中継拠点、西国への最前線を維持、秀吉の時代にも堀秀正、堀尾吉晴、石田三成と佐和山城に重きを置きました。
石田三成の時代には、山上に本丸以下、二の丸、三の丸、太鼓丸、法華丸などが連なり、山下には東山道に面して大手門が開き2重に巡らせた堀の内には侍屋敷、足軽屋敷、町屋などの城下町が建設されていました。
徳川家康は、関ケ原の合戦の論功行賞として、井伊直政に佐和山城を与えられましたが、翌年、直政死去。家老の木俣守勝は家康に相談し、彦根山への移築を決定しました。 -
佐和山城二の丸跡。
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佐和山城本丸跡。佐和山の山頂、標高232.9mの位置に本丸が設けられていました。現在も山頂は平坦ですが、かつて本丸に存在したであろう天守台や桝形(入口)などの遺構は、ほとんど確認することができません。本丸は大規模な「破城」(城の破壊)があったと考えられています。
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佐和山城跡、隅石垣。岩盤上にわずかに残る石垣の一部、2個の石のみ見ることができます。城であったと思われる面影は残念ながら見ることができません。
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清凉寺山門。「鳴り門」とあだ名され、江戸期に消失するまで左近邸の屋敷門を移築しており、毎年大晦日になると風もないのに山門から不思議に唸る音がしたという不気味な伝説が残っています。
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清凉寺、井伊家歴代の菩提寺で、龍潭寺の南隣にあります。初代藩主井伊直政の墓所として、二代藩主直孝が建立しました。三成の重臣島左近の屋敷跡で、石田三成の供養も兼ねています。
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清凉寺、巨大な切妻屋根と立派な唐破風による見事な造りに圧倒されます。
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埋木舎(うもれぎのや)、井伊直弼・青春時代の館。創建は宝暦9年(1759年)頃、井伊家の十四男として生まれた井伊直弼が13代彦根藩主となるまでの不遇の時期、天保2年(1831年)以降15年過ごした屋敷として有名で、「埋木舎」は直弼の命名です。
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埋木舎、奥座敷と居間に関連資料が展示されています。
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玄宮園、江戸時代に「槻御殿(けやき)」と呼ばれた彦根藩の下屋敷です。延宝5年(1677年)4代藩主井伊直興により造営が始まり、同7年に完成しました。槻御殿の庭園部分を玄宮園、建物部分を楽々園と称しています。
玄宮園とは中国唐時代の玄宗皇帝の離宮をなぞえられて命名されたと考えられ、中国の蕭湘(しょうしょう)八景あるいは近江八景を模して作庭されたといわれる回遊式庭園です。 -
玄宮園。
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玄宮園。
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玄宮園、臨池閣と彦根城天守閣。
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玄宮園。
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彦根城天守閣。徳川四天王の一人初代藩主井伊直政は関ヶ原の戦いと佐和山攻撃の戦功で、佐和山城主18万石に封され、石田三成時代を抹消すべく磯山に移築しようと試みましたが、戦傷がもとで他界しました。亡き父の遺志を継いだ二代直孝は、大坂夏の陣などの武勲により一躍約35万石に昇進し、20年の時をかけ彦根城を完成させました。
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彦根城。日本の数ある天守閣の中で、彦根城天守閣ほど技巧を尽くした建造物は、類を見ないと言われています。濠の内外に武家屋敷、城外に町屋と足軽屋敷を設けるという独自の多重防衛構造を施しました。柔軟な攻守の備えを持ちながらも、風雅の意趣を凝らしたその美しい風姿は威容と気品に満ち、見る者の心を奪います。
昭和27年に国宝に指定され、姫路城、松本城、犬山城とともに現存する国宝四城の一つです。 -
西の丸三重櫓(重要文化財)。伏見城から移築されたともいわれています。
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天秤櫓(重要文化財)。廊下橋(非常時には落とし橋)を中央に、天秤のように左右対称の建物。長浜城大手門を移築したものと伝えています。石垣は右側が築城当時の牛蒡積み、左側が江戸後期の改修による落し積となっています。
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太鼓門櫓(重要文化財)。天守がある本丸表口をかためる櫓門で、城内合図の太鼓をおいたところから名付けられました。建物背面が解放され、高欄付きの廊下となっており、櫓には大変稀有な構造となっている。
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