2013/04/24 - 2013/04/24
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本願寺津村別院(ほんがんじつむらべついん)は、大阪市中央区本町にある浄土真宗本願寺派の寺院で通称は「北御堂」(きたみどう)
別院名の「津村」は入り江であった古代の円江(つぶらえ)から転じたと言われ東側の御堂筋は北御堂と南御堂(真宗大谷派 難波別院)を繋ぐ道であることに由来している。
真宗大谷派難波別院(しんしゅうおおたにはなんばべついん)は、大阪市中央区久太郎町の真宗大谷派の寺院で通称は「南御堂」(みなみみどう)。院名の難波は上難波村の旧地であったことに由来するとのこと。
俳聖松尾芭蕉は 南御堂の門前にあった花屋仁右衛門(はなやにえもん)の離れ座敷で1694年、 去来、基角など10名の門人に見守られ51歳で亡くなった。「此附近芭蕉翁終焉の地」という記念碑が御堂筋の緑地帯の中にある。
「 旅に病んで 夢は 枯野をかけめぐる 」の碑は南御堂の境内にある。この句碑は1843年芭蕉の150回忌に建てられたものとされる。芭蕉の句碑は全国に1380基あるといわれているが芭蕉がいかに日本人に親しまれているかがわかる。
松尾芭蕉は大阪へ2回来ており最初の滞在は1688年、2回目は1694年。長崎まで行く計画であったが大阪が芭蕉翁終焉の地となった。芭蕉は明石より西への旅がかなわず無念だったことだろう。
(写真は北御堂)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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「北御堂」(きたみどう)周辺の光景。
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「北御堂」(きたみどう)周辺の光景。
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「北御堂」(きたみどう)周辺の光景。
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「北御堂」(きたみどう)の光景。
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「北御堂」(きたみどう)の光景。
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「北御堂」(きたみどう)の光景。
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「北御堂」(きたみどう)の光景。
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「北御堂」(きたみどう)の光景。
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「北御堂」(きたみどう)の光景。
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「南御堂」(みなみみどう)周辺の光景。
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「南御堂」(みなみみどう)周辺の光景。
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「南御堂」(みなみみどう)周辺の光景。
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「南御堂」(みなみみどう)の光景。
南御堂の境内「 旅に病んで 夢は 枯野をかけめぐる 」 の碑の説明。 -
「南御堂」(みなみみどう)の光景。
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「南御堂」(みなみみどう)周辺の光景。
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「南御堂」(みなみみどう)の光景。
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「南御堂」(みなみみどう)周辺の光景。
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南御堂の境内の「 旅に病んで 夢は 枯野をかけめぐる 」 の碑の説明。
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南御堂の境内の「 旅に病んで 夢は 枯野をかけめぐる 」 の碑。
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「南御堂」(みなみみどう)周辺の光景。
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南御堂の境内の「 旅に病んで 夢は 枯野をかけめぐる 」 の碑周辺。
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南御堂の境内の「 旅に病んで 夢は 枯野をかけめぐる 」 の碑周辺。
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南御堂の境内の「 旅に病んで 夢は 枯野をかけめぐる 」 の碑の説明。
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南御堂の境内の「 旅に病んで 夢は 枯野をかけめぐる 」 の碑。
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芭蕉翁終焉の地碑の光景。
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「南御堂」(みなみみどう)周辺の光景。
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芭蕉翁終焉の地碑周辺の光景。
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芭蕉翁終焉の地碑周辺の光景。
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芭蕉翁終焉の地碑周辺の光景。
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