2012/08/16 - 2012/08/17
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tuviajeroさん
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昨日はルート66の歌にも出てくる♪ギャラップ・ニューメキシコ♪に一泊して本日はアリゾナ側に帰って化石の森国立公園を見学です。
何と言っても国立公園ですから数泊して見物するつもりでしたがエ〜それが至極サッパリしていて半日で見物終了、しかも公園側も泊り客など期待していなくて近くにキャンプ場もありません・・・と云う事で、予定を急遽変更して午後は北上して先プエブロ遺跡群で有名なキャニオン・デ・シェイ方面へ向かうことにしました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 1.0
- グルメ
- 1.0
- ショッピング
- 1.0
- 交通
- 1.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ペトリファイド・フォレスト国立公園です。この面積も小さい公園は観光用の道路が真ん中を横切っていて道路沿いのスポットを観て廻るだけでハイキングとかいう感じのイベントは皆無です。
この南にある同じアリゾナ州のサグワロ国立公園も公園として指定された部分は小さく、ハイキングをしたりとか観光客が活動を楽しむ面はありません。
両公園とも学術的にはユニークで重要なものなのでしょうが、観光としては“車でザット廻る”ようなもので少々食い足りません。これは渓に下らない場合のグランド・キャニオンも似た感じです。そう云えばグランド・キャニオンもアリゾナですね。私には矢張りユタの公園が良いです。 -
ペトログリフの複製です。一軒だけ比較的大きな売店がありました。車で来る所謂“観光客”が多いのでお土産屋とピクニック・テーブルは立派でした。
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この白と赤い土は何かブライス・キャニオンの色を彷彿とさせます。
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この国立公園は珍しく幹線道路に面しています。現在はフリー・ウェイI−40ですが、70年代には未だ有名なルート66でした。これはその名残の記念品として残されたものです。
私が一番最初にこの地方に来た時にはI−40は陰も形も無くルート66しかありませんでした。ユタにもフリー・ウェイが1本もなく、上下1車線ずつのハイウェイしかありませんでした。 -
これは60年代のデザインと思います。
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当時のルート66です。画面右下に書いてある文字はルート66の歌の出だしの歌詞です。
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ペトログリフは意外なほど随所に豊富にあります。
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何か宇宙人が残した絵だと言う人々が喜びそうな図柄もあります。
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ここいら辺はベントナイトの土質でキャピトル・リーフ国立公園周辺からグリーン・リバーの町周辺のサン・ラファエル・スウェル辺りに似ています。
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こう云う大木の化石が多く、この辺りが森林であったことを彷彿とさせます。
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眼下に岩のような物体がゴロゴロと転がっていますが木の化石です。この一帯は太古には湿度の高い森林地帯だったらしく、森の名残が化石として残っているわけです。
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いたるところに巨木が倒れていますが殆どがこの様に輪切り状に細かく折れています。
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輪切りです。年輪が見えます。周りに落ちている岩も木の化石です。
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これテーブル用に一つ欲しいですね。でなかったら“ダルマ落し”をしてみたいです。
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これなんか道路の縁石状態ですが綺麗に木としての姿を残しています。
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結局その日は北に向かってアナサジ・プエブロ系の遺跡で有名なキャニオン・デ・シェイを目指して行けるところまで行こうとしましたがルートは美しい田舎道を行くことにしました。
アリゾナとニュー・メキシコの州境をジグザグに行ったり来たりしながら行く道ですが段々と山道に入り、ユタ南部のボールダー周辺(特にバー・トレイル沿い)を思わせる美しい道でした。 -
昨晩はウィンドウ・ロックで過ごしまして、また12号線を北上するのですが、道路沿いの風景がユタに似ているだけでなく、ユタ南部の美しい景観で有名な州道12号と同じ12号なのも不思議な偶然です。
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大分山地に入って行くと森林地帯になり、大きな湖が在りました。こんな感じはコロラドかユタ北部の風景に良く似ています。
ナバホのオバサンが寄って来て「途中でヒッチ・ハイクをしている人は居なかったか?ここで落ち合うはずなんだけど・・・」と訊かれました。どうもお仲間と思われたらしいです。確かに先住民でヒッチ・ハイクをしている人は多く、私も何人か乗せたことがあります。
彼らの多くは乗せて貰ったついでにビール代などおねだりするケースが多いのですが、これは決して特に賎しい行動と云うよりも“仲間には親切にして貰うのが普通”と言う助け合いの文化があるようです。逆に後日私も望外に寛大な援助を申し出て貰ったことがあります。 -
美しい山地が続きます。前方の山は映画“未知との遭遇”で一躍有名になったワイオミング(サウス・ダコタだったっけ)のデビルズ・ピークに良く似ています。
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北上する12号線を左折して西のキャニオン・デ・シェイへ向かうとまた乾燥地帯に戻ります。
この風景はとても不思議で、よく見ると直径20mぐらいのスープ皿のような地形です。円形の堤が明らかに人工の物だと思われます。これだけでなく何箇所か在りました。
ビジター・センターでこの写真を見せて説明をして貰おうと考えていましたが綺麗サッパリ忘れてしまいました。
多分何かの畑か貯水池でしょうね。先住民のものか、後日開拓者が造った溜池か分りかねます。 -
キャニオン・デ・シェイに着きました。画面左の崖に人の顔のような窪み、両目と鼻のような窪みが分るでしょうか?遺跡です。
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こちらがその大写しです。
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これが“鼻”の部分です。
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こちらが“左目”、向かって右側の目です。
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こちらが“右目”、向かって左側の目です。キャニオン・デ・シェイにはこんな遺跡が沢山在ります。
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キャニオンを上から見下ろしたとこです。
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一寸撮影箇所を間違ってしまったのですが、画面右下の方にチョコットだけ写っているのですが、丸い岩に覆われた庇の様な出っ張りが見えると思います。その下は谷底まで一気に落ちる断崖です。
スペイン人がこの地方に乗り込み、当時住んでいたナバホを攻撃しました。この庇に逃げ込んだナバホに迫った時にナバホの女性がスペイン兵に抱きついて身投げの道連れにしたそうです。太平洋戦争敗戦直前の日本の特攻攻撃のような壮絶な話です。 -
これがその説明書きです。
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渓はずーっと長く続いています。谷底には1本の川が流れていますが現在は干上がっています。
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画面の右端に大きな窪みがあり、その左にやや小さめの窪みが、更に左側画面中央近くに極小の穴が見えるでしょうか。
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これが極小の穴の中に造り込んだ極小の家です。まるで犬小屋みたいです。もしかすると倉庫かもしれません。多分崖の上から真ん中の窪みの向かって右ぐらいに下りてアクセスしたのでしょう。
今でも充分に住居として使用できそうですね。 -
こっちが右端の大きな窪みの中の家です。真ん中の窪みには何も無いようです。奥行きがないからでしょう。
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道路脇の牧場です。見渡す限りです。牧場と言えどこんなところで迷えば確実に死にます。後日それを思い知りました。
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ナバホの砦です。1860年代まで100年以上続いたスペイン人入植者との争いの中で手前の岩を避難所として立て篭もったらしいです。向こう側の尾根の先端のように見えますが実は別の独立した岩だそうです。アクセスは梯子などを使ったようです。
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これがその能書きです。
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この谷にナバホが来た時にはアナサジ・プエブロ系の先住民の廃墟だけがあったそうです。1600年ぐらいまでにナバホは半遊牧農民となり、100年後には羊と精巧な羊毛織物とトウモロコシ畑を持つようになったそうです。
ナバホと言う名称はTewa-Pueblo語で「大いなる耕作地」と云う意味だそうで、これは初耳でした。実際ナバホ自身は自らをディネェ「人々」と呼んでいます。これはエスキモー(アルゴンキン語)をアラスカ・エスキモーは自らをイヌイット(これも人々)と呼んだり、アナサジは実はナバホ語で(古の見知らぬ者、敵)で現在ではアンセストラル・プエブロアン(先プエブロ人)と呼ばれるのと同じです。
因みに先プエブロ人達が当時自らをどのように呼んでいたかを私は知りません。多分、グループごとの独立性が高くてアナサジとかプエブロ系とか云う纏まった意識を彼ら自身が持たなかったのではないかと思います。
それら(廃墟だけを残した謎の人々)をナバホが勝手にアナサジと総称したのではないでしょうか。そして学問的にもその文化を総称してアナサジ文化と呼び、現在ではそれを先プエブロ文化と纏めて呼ぶようになったのではないかと思います。謂わば、アパッチとかコマンチとかズニとかスーとかを西欧入植者が一括りにインディアンと呼んだように。 -
“大いなる耕作地”ナバホの名に恥じず、谷底にはクリークに沿って畑が広がっています。そしてその横には“古のよそ者”が残した廃墟が在ります。
何故に先住民がこんなに肥沃な土地と立派な住居を捨てて姿を消してしまったのか謎です。これは他の先プエブロ文化も同様で、メサ・ベルデもホブン・ウィープもチャコも彼らが忽然と姿を消した本当の理由は解っていません。
新世界の諸文化に共通で、メキシコ・グワテマラのマヤ、ペルーの諸文化(最後のインカはスペイン人に滅ぼされた)の多くも消えた原因が謎です。土壌や花粉の調査から、急激な気候変動に伴う環境変化などある程度解っている場合もありますが不明なものも多いです。 -
これがその畑脇の遺跡ですが写真がピンボケです。最初は手振れかと思ったのですが、どうもそうでもなさそうです。計3台のカメラを使い分けたのですが、この一番新型のキャノンSX40HSだけがピンボケ写真がやたらと多いのです。特に花などの写真を撮ろうとすると被写体の前後にピンが合って、半分方ピンボケになりました。
多分デフォルトの平均的にフォーカスする方式に問題がありそうです。今はセンターの狭い部分だけに合わせるように設定しています。 -
こちらもその横の建物です。
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一寸引いた遺跡の全景ですが右端の畑横の窪みの中にも何やら残骸が見えます。
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崖の中腹に沢山穴が開いています。人工的な加工の痕は見えませんが現場に行けば何かあるのではないかと思います。あまりにも彼らが好みそうな穴です。特に正面のなどは“そのまんま”です。
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写真真ん中ぐらいにある小さな穴・・・
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この中にも残骸らしき物が見えます。それに穴の左側に小道らしき物が壁面に刻まれています。
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谷全体に畑が広がっています。それに沿って遺跡も在るのですが、ここは先住民の土地なので勝手に入って行けません。崖の上から遠望するのみですのでハイキングも出来ません。谷底に下りることができるのは1箇所のみです。明日はそこに降りて行くつもりです。
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こんなところにも“村”があります。
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近影です。
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先ほどの“砦”もそうですが谷の中にはあたかも孤島のように独立した岩が所々に立っています。
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これも、そのむこうの岩もそうです。
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ホワイト・ハウスです。本当にそう呼ばれているのです。この様に色が生々しく残されている建物は珍しいです。
建物の下の崖の壁面に人の形のような壁画(ピクトグラフ)が見えるでしょうか。
明日この遺跡を見物に行くつもりです。 -
これがホワイト・ハウスの崖下の村です。こちらも壁面所々に色が残っています。
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これがコンプレックス全景です。
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谷は結構入り組んでいます。これらの林立する岩の“島”の様子は一種“谷の中のモニュメント・バレー”みたいです。
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これも遺跡ですが、ここにもある程度色が残っています。
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こちらはその並びの建物ですがホンの少々ですがここにも色が残っています。土と保護色ですが良く見ると下の方にまで遺跡が広がっています。何か執念を感じさせるような凄い光景です。
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こちらがその全景です。
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このタワーも凄いです。この上に登る酔狂なクライマーも居るのでしょうね。それとかパラグライダーで上に降りた人もいたのではないかと思います。彼らもどんな無理でも、無理であればあるほど“やめられない”のですよね。
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こちらは出入り口が上に開いているのですが貯蔵庫かもしれません。
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こんな断崖の中腹に寂しそうに建っているのは何でしょうね。世捨て人みたいな・・・シャーマンとか特別な人の家でしょうか。
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画面向かって右端、断崖の中腹に細い皺が刻まれていますが、その中にも遺跡が在ります。上の“襞”の中にもあるみたいです。
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これがさっきの“断崖中腹の皺”の中に入っている村です。一体何なのでしょうね・・・サッパリ解らん!
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このタワーのテッペンの“カツラみたいに載った岩”が何か可笑しいです。
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キャンプで撮影した写真ですが、今考えるとこの1枚だけなんですよね。ここいら辺から慣れすぎて感動が薄まったせいか写真の数がぐっと減り始めました。
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