2013/03/16 - 2013/03/17
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キリさんですさん
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韓国の古都の城壁を巡る一人旅の第二弾です。 今回は忠清南道の地方都市でかつて百済王朝の古都であった公州の公山城に行ってきました。
西暦475年に高句麗に追われた百済は当時熊津と呼ばれていたこの地に遷都し、公山城を築いて文周王、三斤王、東城王、武寧王、聖王の5代に渡り、華やかな百済文化を開花させたそうです。 538年に扶余に遷都するまでの64年間を守り続けた公山城の城壁を一周してきました。 公山城は錦江に面した標高110mの小さな丘に築かれた城で城壁全長2660m程度と水原華城に比べるとかなり小規模ですが道幅が狭く、急坂も多く、結構大変でした。 しかし日本とも縁が深い百済文化を感じる楼閣と景色の良い錦江を観ながらのウオーキングは楽しく印象に残るものでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
大田西部市外バスターミナルです。
バスのチケットも、バスの車体も、全てハングル文字なので、このバスが公州行きだと分かるまでが大変でした。
女子高校生に聞いて、やっと、この公州行きバスを見つけました。
観光客は一人もいなく、地元の方達に混じってバスに乗り込み、公州へ向います。
-
1時間弱で公州市外バスターミナルに到着し,ターミナル内で休憩の後、バスターミナルの出口に停車していたタクシーで公山城に来ました。
入場券(1500ウオン)を購入して城の入り口に向います。
観光客が少なく、ひっそりとしています。 -
公山城の正門の錦西楼(クムソル)です。
公山城も水原華城と同様に東西南北の4つの城門を核に構築されています。
水原華城は南の南大門が正門ですが、公山城は西の錦西楼が城への入り口でした。
城壁の廻り方も水原華城とは逆で、西から南、東、北の順で反時計廻りが正式な順路のようです。 -
韓国の古都の城壁を歩いて廻ることが今回の旅の目的なので、城壁一周(2660m)を真面目に廻ることにします。
道幅も広く、整備されているので歩きやすく、「幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだよ」と定番の鼻歌を歌って、初春の陽射しを浴びて、機嫌良く歩き始めました。 -
城壁の南側の方面の景色が見えてきました。
思ったよりも高い処に登ってきていることに気づきます。 -
双樹亭が見えてきました。
-
地元の小学生の課外講習のようです。
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双樹亭は朝鮮時代に仁祖が李括の乱を逃れて避難していた場所だそうです。
天井が立派なのはその名残なのかなと気になり、写真に撮っておきました。 -
石段で生徒に座らせて公山城の歴史について先生が一生懸命に講義をしていました。
暇でしたので、一緒に聞いていましたが、サッパリ分かりませんでした。
左の女の子と寝そべっている男の子が時々、こちらを見て「この日本人は誰なの」と云いたそうにチラチラと見ていました。 可愛らしい笑顔でした。
あまり長居をするのは悪いので、そっと後にしました。 -
この辺りから、いよいよ本格的な城壁巡りとなります。
道幅も狭く、右側はかなりの急斜面なので注意が必要です。 -
先の方に門楼が見えてきました。
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近くに寄って、石碑を確認したところ鎮南楼でした。
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鎮南門(ジンナムル)は公山城の南門で朝鮮時代には三南の関門と呼ばれていたそうです。
公山城を石城に立て直す時に造られた門なので、比較的新しい門です。 -
ここから、急な登り坂となりました。
息切れがしてきました。
鼻歌を歌っている余裕が無くなりました。
ゼーゼー。 -
今度は急な下り坂が続きます。
この辺りは道が整備されてないので、登山道を歩いている雰囲気です。
ここまで来られる方は靴に注意が必要ですよ。 -
やっと、迎東楼の石碑がありました。
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迎東楼(ヨンドンル)です。
公山城の東側に設置された門です。
しかし、当時の門は崩壊しており、現在の門は「公山誌」の記録に基づいて復元したものだそうです。 -
更に城壁を歩いていくと光復楼(クワンボクル)に到着します。
公山城の北門の拱北楼の近くにあった楼閣をこの場所に移し、日本からの独立を記念するために光復楼と改名したそうです。
バランスの良い綺麗な門です。 -
臨流閣(イムリュカク)です。
光復楼の近くに建てられています。
百済の東城王の時代に王宮の東側に建てられ宴会場として使用されたそうです。
重厚な趣のある建物で気に入ったので、この前で持参したお菓子を食べて休憩しました。 -
臨流閣の裏手に石碑と建物が見えたので行ってみました。
明国三将軍の石碑でした。 -
明国三将碑(ミョンクッサンジャンビ)です。
慶長の役の時に公州に駐在し外敵から住民を守った明の将軍の李公、林済、藍芳威の偉業を讃えて建てられた碑だそうです。 -
この辺りから公山城の北側の城壁を廻るルートに入ります。
錦江が見え、素晴らしい景色となります。 -
路も整備されており平坦なので、気持ちの良いウオーキング・コースです。
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錦江と公州大橋です。
対岸の左側の方が公州市外バスターミナルです。
日本の地方都市と一緒で都会では味わえない自然と景色と空気です。
思い切り深呼吸をしてから、再び歩き始めました。 -
霊隠寺(ヨウウンサ)です。
文禄・慶長の役の時に傭兵の合宿所として使用された場所だそうです。
近辺に幾つかの建物がありました。
その後、全国の寺を管理する処としても使われたそうです。 -
最後の拱北楼に向かうために、再び城壁に戻り歩き続けました。
景色は良いのですが、この辺りから道幅が急に狭く急坂が多くなります
この道は避けて、下の道を歩いた方が良かったようです。 -
本日の最終ゴール地点の拱北楼です。
拱北楼(コンブクル)は公山城の北門で1603年に新築されたそうです。
元々は江南と江北を往来する南北通路の関門だったようで、場所も錦江の辺に位置していたそうです。 -
錦西楼へ戻る途中に天下大将軍と地下女将軍の魔除けが見送ってくれました。
西川きよし似の突き出た目とさんま、久本似の出っ歯の愛嬌のある顔です。
(このようなタレントがいずれテレビに出てくるのでは)
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最後の休憩所で親しくなった父子です。
天安から車で来たそうで、今日は二人でドライブで奥さんは家で寝ているそうです。
日本の城にも興味があるようで、姫路城を始め日本の有名な城の歴史について教えてあげました。 逆にハングル文字の覚え方について教えてもらい楽しい対話会でした。 -
最後にお父さんの要望で撮った、お子さんとのツーショットの写真です。
この写真を送付したメールの返信内容によると、子供の将来のために「日本人は怖い」とのイメージを払拭するためだったそうです。
このようなお父さんがいるので、こじれた日韓関係が元に戻るのもそれ程時間はかからないような気がします。 政治の怠慢は民間で解決しましょう。
この後、タクシーで武寧王陵と国立公州博物館に寄ってからバスで大田に戻りました。
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