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「関空の検査で赤痢反応がでました。」<br />2000年8月7日、会社へ出勤すると保健所から電話が入った。<br />午後に保健所の人が会社に事情徴収に来る。<br />詳しい旅程、日本に帰ってからの行動、消毒命令、病院への通院命令を受ける。<br />寮に住んでいると話すと、弱ったような顔をされた。<br />一昨日の朝、共同の風呂に入ったことを話すと、さらに困った顔をしてきた。<br />「今から消毒しましょう」<br />寮に帰ると、風呂に「使用禁止」、食堂に「下痢、腹痛の方申し出ること」との張り紙が..<br />あぁー、あの苦しみは赤痢だったのかと、今更ながら実感。<br /><br />この騒ぎはモンゴルのゲルに住んでいる家族を訪問したときに飲んだ馬乳酒で赤痢感染してしまった時のことです。<br />今思うと笑い話ですが、ウランバートルに戻った夜が発症日だったようで、大変苦しみました。<br />当時は隔離されずに済みましたが、この数年前まで隔離対象だった事も初めて知りました。<br />関空入国の際に自己申告したため発見に繋がりましたが、隠して入国していたとしたら大切な人に染していたのかもしれません。<br /><br />大変な目に遭ったモンゴルですが、果てなく続く草原と、この世の物とは思えない満天の星。<br />バイカル湖からシベリア鉄道で越境する時に感じたドキドキ感。<br />そして、列車内で良くしてくれた屈強のロシア人。<br />自分の精神力を強くたくましくしてくれた貴重な経験を得ることができました。<br />もし、もう一度訪れたらいったいどんなふうに感じるのでしょうか。<br />きっと、前回より成長している自分を感じるとることができると思います。

ロシアモンゴル旅行記

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2000/07/28 - 2000/08/04

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2

27

鼻毛マン

鼻毛マンさん

「関空の検査で赤痢反応がでました。」
2000年8月7日、会社へ出勤すると保健所から電話が入った。
午後に保健所の人が会社に事情徴収に来る。
詳しい旅程、日本に帰ってからの行動、消毒命令、病院への通院命令を受ける。
寮に住んでいると話すと、弱ったような顔をされた。
一昨日の朝、共同の風呂に入ったことを話すと、さらに困った顔をしてきた。
「今から消毒しましょう」
寮に帰ると、風呂に「使用禁止」、食堂に「下痢、腹痛の方申し出ること」との張り紙が..
あぁー、あの苦しみは赤痢だったのかと、今更ながら実感。

この騒ぎはモンゴルのゲルに住んでいる家族を訪問したときに飲んだ馬乳酒で赤痢感染してしまった時のことです。
今思うと笑い話ですが、ウランバートルに戻った夜が発症日だったようで、大変苦しみました。
当時は隔離されずに済みましたが、この数年前まで隔離対象だった事も初めて知りました。
関空入国の際に自己申告したため発見に繋がりましたが、隠して入国していたとしたら大切な人に染していたのかもしれません。

大変な目に遭ったモンゴルですが、果てなく続く草原と、この世の物とは思えない満天の星。
バイカル湖からシベリア鉄道で越境する時に感じたドキドキ感。
そして、列車内で良くしてくれた屈強のロシア人。
自分の精神力を強くたくましくしてくれた貴重な経験を得ることができました。
もし、もう一度訪れたらいったいどんなふうに感じるのでしょうか。
きっと、前回より成長している自分を感じるとることができると思います。

旅行の満足度
4.0
観光
4.5
ホテル
3.0
グルメ
2.0
ショッピング
2.0
交通
2.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
15万円 - 20万円
交通手段
鉄道 タクシー
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)

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  • 2000年7月28日(金曜日) 関空からウランバートルへ<br />目的地であるモンゴルへは成田便が無く、新幹線で大阪へ、そして外環、阪和を用いて関空へ。<br />関空からウランバートルへの機は予定通り午後9時頃モンゴルの首都ウランバートルに降り立つ。<br /><br />2000年7月29日(土曜日) ウランバートルからイルクーツクへ<br />夕べ降り立ったウランバートル空港へ行き、今度はチェックインとモンゴル出国手続き。<br />イルクーツクへの機内に乗り込むと、内装が木だった。<br />羽にプロペラが付いてるし、こんなんで大丈夫なのだろうか。<br />機内で昼食のサンドイッチが出るが、テーブルが無い。<br />そうのこうとしているうちに、イルクーツクに着いてしまうから不思議だ。<br />空港で入国審査を済ませると、ガイドの案内でリストヴァンカへ移動。<br />暑い。<br />Tシャツでも汗が出るほどの暑さだ。<br />恐るべしロシア。<br />リストヴァンカ(バイカル湖辺の町)のホテルに着き、チェックイン。<br />ロシアでの旅行では「バウチャー」という制度に則って動く。<br />海外の旅行者は、自分の国から旅程が記されたバウチャーを受け取りそれを元に移動する。<br />ロシアではバウチャー無しでは、ホテルにも泊まれないのだ。<br />ロシアでの旅行はほとんどが「インツーリスト」という旅行会社が一手に取りしきる独占状態。<br />バウチャー制度と、独占旅行会社。<br />この2つを取って見ても、ロシアという国が、日本とはまだ遠い国であることを実感させられる。<br />ホテルで休憩の後、バイカル湖ミニクルーズへ。<br />船に乗りこむと、キャプテンがビールをご馳走してくれつつ出港。

    2000年7月28日(金曜日) 関空からウランバートルへ
    目的地であるモンゴルへは成田便が無く、新幹線で大阪へ、そして外環、阪和を用いて関空へ。
    関空からウランバートルへの機は予定通り午後9時頃モンゴルの首都ウランバートルに降り立つ。

    2000年7月29日(土曜日) ウランバートルからイルクーツクへ
    夕べ降り立ったウランバートル空港へ行き、今度はチェックインとモンゴル出国手続き。
    イルクーツクへの機内に乗り込むと、内装が木だった。
    羽にプロペラが付いてるし、こんなんで大丈夫なのだろうか。
    機内で昼食のサンドイッチが出るが、テーブルが無い。
    そうのこうとしているうちに、イルクーツクに着いてしまうから不思議だ。
    空港で入国審査を済ませると、ガイドの案内でリストヴァンカへ移動。
    暑い。
    Tシャツでも汗が出るほどの暑さだ。
    恐るべしロシア。
    リストヴァンカ(バイカル湖辺の町)のホテルに着き、チェックイン。
    ロシアでの旅行では「バウチャー」という制度に則って動く。
    海外の旅行者は、自分の国から旅程が記されたバウチャーを受け取りそれを元に移動する。
    ロシアではバウチャー無しでは、ホテルにも泊まれないのだ。
    ロシアでの旅行はほとんどが「インツーリスト」という旅行会社が一手に取りしきる独占状態。
    バウチャー制度と、独占旅行会社。
    この2つを取って見ても、ロシアという国が、日本とはまだ遠い国であることを実感させられる。
    ホテルで休憩の後、バイカル湖ミニクルーズへ。
    船に乗りこむと、キャプテンがビールをご馳走してくれつつ出港。

  • 風が冷たい。<br />さっきまであんなに暑かったのが嘘のようだ。<br />やはり、恐るべしロシア。

    風が冷たい。
    さっきまであんなに暑かったのが嘘のようだ。
    やはり、恐るべしロシア。

  • 船は岸沿いに線路跡となる場所まで透明度世界一のバイカル湖を進む。<br />究極にきれいな淡水は、黒く見えることにここで気づく。<br />心なしか、水の動きもゆっくりしているように見える。<br />岸に到着する間際、水深5m程度の地点でため息が出た。<br />鮮やかな緑色に透けた水が、底の石を照らす姿が美しい。

    船は岸沿いに線路跡となる場所まで透明度世界一のバイカル湖を進む。
    究極にきれいな淡水は、黒く見えることにここで気づく。
    心なしか、水の動きもゆっくりしているように見える。
    岸に到着する間際、水深5m程度の地点でため息が出た。
    鮮やかな緑色に透けた水が、底の石を照らす姿が美しい。

  • ホテルへ戻り、夕食後ホテルのテラスへ出てバイカル湖を見下ろす。<br />午後9時近いというのに、まだまだ明るい。<br />9時半頃にようやく日が落ち始めると、夕日がバイカル湖を照らす。<br />霞みかがった神秘的な湖面。<br />恐るべしロシア。来て良かった..

    ホテルへ戻り、夕食後ホテルのテラスへ出てバイカル湖を見下ろす。
    午後9時近いというのに、まだまだ明るい。
    9時半頃にようやく日が落ち始めると、夕日がバイカル湖を照らす。
    霞みかがった神秘的な湖面。
    恐るべしロシア。来て良かった..

  • 2000年7月30日(日曜日) イルクーツク市内観光とフリータイム<br />リストヴァンカから約40Km離れたイルクーツクへ移動。<br />昼食後、市内を散策する。<br />写真はレーニン像。<br />この交差点で車に轢かれそうになった。<br />

    2000年7月30日(日曜日) イルクーツク市内観光とフリータイム
    リストヴァンカから約40Km離れたイルクーツクへ移動。
    昼食後、市内を散策する。
    写真はレーニン像。
    この交差点で車に轢かれそうになった。

  • 店とは見えないお店達。<br />露店に、バイオリン弾きの少年

    店とは見えないお店達。
    露店に、バイオリン弾きの少年

  • 噴水の花屋など、ロシアの異文化をふんだんに感じる事ができた。

    噴水の花屋など、ロシアの異文化をふんだんに感じる事ができた。

  • 中央市場に立ち寄ると、一昔前の食料不足報道からは信じられないほど豊かな、肉、乳製品、野菜、果物が満ち溢れている。<br />こんなところにも、今のロシアを実感できた。

    中央市場に立ち寄ると、一昔前の食料不足報道からは信じられないほど豊かな、肉、乳製品、野菜、果物が満ち溢れている。
    こんなところにも、今のロシアを実感できた。

  • 2000年7月31日(月曜日) イルクーツクからウランバートルへ<br />今日はシベリア鉄道に乗ってモンゴルへ越境する日。<br />午前8時にホテルを出て駅へ向かう。<br />街は朝の通勤ラッシュ時間。<br />8時20分に駅に着くと、列車を待つ。<br />駅は独特の雰囲気を醸し出しており、右も左もわからない。<br />ガイドのサポート無しでは、正直苦しいだろう。<br />列車ボードの前で、列車到着のアナウンスを待つこと20分。<br />ガイドが動いた。<br />どうやら来たらしい。遅れず歩く。

    2000年7月31日(月曜日) イルクーツクからウランバートルへ
    今日はシベリア鉄道に乗ってモンゴルへ越境する日。
    午前8時にホテルを出て駅へ向かう。
    街は朝の通勤ラッシュ時間。
    8時20分に駅に着くと、列車を待つ。
    駅は独特の雰囲気を醸し出しており、右も左もわからない。
    ガイドのサポート無しでは、正直苦しいだろう。
    列車ボードの前で、列車到着のアナウンスを待つこと20分。
    ガイドが動いた。
    どうやら来たらしい。遅れず歩く。

  • 列車のチケットには号車番号しか印刷されておらず、コンパーメントと寝台番号は実際に乗り込んだ後、車掌が指定する。<br />コンパーメント7の左上だった。<br />モスクワからウランバートルまでの列車であり、イルクーツクに着くまで4日。<br />コンパーメントに入り、先客に対してロシア語で笑顔で挨拶する。<br />「はじめまして」<br />果たして通じたのだろうか?<br />しばらくすると列車が動き初めた。<br />初めてのシベリア鉄道。少しだけ感動を覚える。<br />コンパーメントは4人寝台、2人がいい感じの年老いたロシア人。

    列車のチケットには号車番号しか印刷されておらず、コンパーメントと寝台番号は実際に乗り込んだ後、車掌が指定する。
    コンパーメント7の左上だった。
    モスクワからウランバートルまでの列車であり、イルクーツクに着くまで4日。
    コンパーメントに入り、先客に対してロシア語で笑顔で挨拶する。
    「はじめまして」
    果たして通じたのだろうか?
    しばらくすると列車が動き初めた。
    初めてのシベリア鉄道。少しだけ感動を覚える。
    コンパーメントは4人寝台、2人がいい感じの年老いたロシア人。

  • もう一人が一緒にイルクーツクから乗った、木こりのような屈強のロシア人。色々と気をつかってくれた。

    もう一人が一緒にイルクーツクから乗った、木こりのような屈強のロシア人。色々と気をつかってくれた。

  • 列車は、バイカル湖を見ながら走る。<br />昼時に名も知らない駅に停車。<br />木苺やバイカル湖名産の「オムニ(魚)の燻製」を売る人々が列車の前に並ぶ。<br />思えば、ここで昼食をゲットするのがセオリーだったようだ。<br />お腹が空いてなかったことと、次の駅で買えばいいやという気持ちが物見見物で終わらせ、後に後悔することとなる。<br />列車が出ると、景色が再度バイカル湖に変わる。<br />行けども行けども湖面しか見えない。<br />さすがに世界中の淡水の25%が集まっているだけのことはある。<br />単調な景色に飽き始めた午後3時頃、ウランウデ駅に着く。<br />この駅でシベリア鉄道に別れを告げ、北京へ分岐する路線を取る。<br />そろそろお腹も空いた頃だったため、列車を降りるが唖然とする。<br />何も売っていない。<br />そう言えばイルクーツクから乗りこむ際も、何も売っていなかった。<br />大きな駅では物売りが居ないことに今更ながらに気づくが遅い。<br />腹へった..<br />ここで、屈強のロシア人が手持ちのトマトときゅうりを持ち出し昼食タイム。<br />恨めしそうな目で「じっ」と見てると分けてくれた。<br />おいしかった..

    列車は、バイカル湖を見ながら走る。
    昼時に名も知らない駅に停車。
    木苺やバイカル湖名産の「オムニ(魚)の燻製」を売る人々が列車の前に並ぶ。
    思えば、ここで昼食をゲットするのがセオリーだったようだ。
    お腹が空いてなかったことと、次の駅で買えばいいやという気持ちが物見見物で終わらせ、後に後悔することとなる。
    列車が出ると、景色が再度バイカル湖に変わる。
    行けども行けども湖面しか見えない。
    さすがに世界中の淡水の25%が集まっているだけのことはある。
    単調な景色に飽き始めた午後3時頃、ウランウデ駅に着く。
    この駅でシベリア鉄道に別れを告げ、北京へ分岐する路線を取る。
    そろそろお腹も空いた頃だったため、列車を降りるが唖然とする。
    何も売っていない。
    そう言えばイルクーツクから乗りこむ際も、何も売っていなかった。
    大きな駅では物売りが居ないことに今更ながらに気づくが遅い。
    腹へった..
    ここで、屈強のロシア人が手持ちのトマトときゅうりを持ち出し昼食タイム。
    恨めしそうな目で「じっ」と見てると分けてくれた。
    おいしかった..

  • 列車が走り出してしばらくすると、バイカル湖一辺倒だった景色が一変する。<br />草原と丘陵地帯が窓の外に広がる。<br />いよいよモンゴルに近づいてきたのだ。<br />午後8時にロシア国境の町ナウシキに到着。<br />軍人らしき2人が各コンパーメントを回り、ビザとパスポートを回収。<br />出国審査が始まった。<br />審査が終わるまで、この駅で停車するようであったため、外に出てシシカバブ風の焼いた串肉とパンで夕食を取る。<br />贅沢なことに、デザートにリンゴまで付けることができた。<br />状況が状況だけに、満足な食事と言えよう。<br />午後11時近くになっただろうか、ようやく出国審査が終わりパスポートが手元に戻る。<br />ほっとしていると、列車が動く。<br />いよいよ越境だ。<br /><br />2000年7月1日(火曜日) ウランバートル到着そしてブルトへ<br />列車は静かに越境する。<br />途中、明らかにそれと解る地点を通過。<br />見晴らし台とどこまでも続きそうな金網の柵。<br />初めての体験に心が躍った。<br />午前1時頃、モンゴル国境の町スフバートルに着く。<br />再度軍人らしき2人がパスポートチェックに来る。<br />今度は入国審査だ。<br />夜も遅いので、配られた入国カードと税関申告書に記入しておとなしく審査を待つ。<br />悪いことをしていないのにドキドキするのは何故だろう?<br />結局、列車が出発したのは午前3時頃となった。

    列車が走り出してしばらくすると、バイカル湖一辺倒だった景色が一変する。
    草原と丘陵地帯が窓の外に広がる。
    いよいよモンゴルに近づいてきたのだ。
    午後8時にロシア国境の町ナウシキに到着。
    軍人らしき2人が各コンパーメントを回り、ビザとパスポートを回収。
    出国審査が始まった。
    審査が終わるまで、この駅で停車するようであったため、外に出てシシカバブ風の焼いた串肉とパンで夕食を取る。
    贅沢なことに、デザートにリンゴまで付けることができた。
    状況が状況だけに、満足な食事と言えよう。
    午後11時近くになっただろうか、ようやく出国審査が終わりパスポートが手元に戻る。
    ほっとしていると、列車が動く。
    いよいよ越境だ。

    2000年7月1日(火曜日) ウランバートル到着そしてブルトへ
    列車は静かに越境する。
    途中、明らかにそれと解る地点を通過。
    見晴らし台とどこまでも続きそうな金網の柵。
    初めての体験に心が躍った。
    午前1時頃、モンゴル国境の町スフバートルに着く。
    再度軍人らしき2人がパスポートチェックに来る。
    今度は入国審査だ。
    夜も遅いので、配られた入国カードと税関申告書に記入しておとなしく審査を待つ。
    悪いことをしていないのにドキドキするのは何故だろう?
    結局、列車が出発したのは午前3時頃となった。

  • 午前8時起床。<br />窓の外は一面草原の国、モンゴルだった。<br />ウランバートル到着予定8時40分だが、9時になっても停まる気配がない。<br />9時20分になり、ようやく車掌が切符を返しにくる。<br />そろそろ着くらしい。<br />通路に出て窓の外を見ると、ウランバートルの街並が見えてきた。<br />9時40分、列車はウランバートルに着く。<br />同室の人に別れを告げ、いざ街並へ..<br />勢いを付けて列車を降りたが、迎えに来ている筈のガイドが見あたらない。<br />待つこと10時半。<br />しかし、ガイドは現れない。<br />しかたがないので現地の旅行会社に行こうとタクシーを拾う。<br />旅程表の旅行会社名を指さしたが、運転手はこの旅行会社を知らないらしい。<br />別のタクシーにしようとすると、大丈夫だと手招きする。<br />ちょっと心配だが乗り込む。<br />着いたところは、別の旅行会社。<br />運転手はここで、例の旅行会社の聞き込みを始めた。<br />なるほどと思ったが空振りに終わる。<br />どうやら小さな旅行会社のようだ。<br />旅程表に電話番号が明記されていたため、次はホテルに向かい電話することに。<br />ボーイに頼み、電話してもらうと相手は日本語OK。<br />状況を話したところ、このホテルまで迎えに来てくれることとなった。

    午前8時起床。
    窓の外は一面草原の国、モンゴルだった。
    ウランバートル到着予定8時40分だが、9時になっても停まる気配がない。
    9時20分になり、ようやく車掌が切符を返しにくる。
    そろそろ着くらしい。
    通路に出て窓の外を見ると、ウランバートルの街並が見えてきた。
    9時40分、列車はウランバートルに着く。
    同室の人に別れを告げ、いざ街並へ..
    勢いを付けて列車を降りたが、迎えに来ている筈のガイドが見あたらない。
    待つこと10時半。
    しかし、ガイドは現れない。
    しかたがないので現地の旅行会社に行こうとタクシーを拾う。
    旅程表の旅行会社名を指さしたが、運転手はこの旅行会社を知らないらしい。
    別のタクシーにしようとすると、大丈夫だと手招きする。
    ちょっと心配だが乗り込む。
    着いたところは、別の旅行会社。
    運転手はここで、例の旅行会社の聞き込みを始めた。
    なるほどと思ったが空振りに終わる。
    どうやら小さな旅行会社のようだ。
    旅程表に電話番号が明記されていたため、次はホテルに向かい電話することに。
    ボーイに頼み、電話してもらうと相手は日本語OK。
    状況を話したところ、このホテルまで迎えに来てくれることとなった。

  • 午前11時半、ようやくガイドが迎えに来てくれた。<br />話を聞くと、駅に迎えに行ったが何処にいるかわからずあちこち探してまわっていたそうだ。

    午前11時半、ようやくガイドが迎えに来てくれた。
    話を聞くと、駅に迎えに行ったが何処にいるかわからずあちこち探してまわっていたそうだ。

  • 気を取り直して、市内観光しつつブルトへ出発。<br />ウランバートルからブルトまで、約400Kの道のりを4WDで移動。<br />6時間近くかかると聞くが、初めて見る草原に飽きることはなかった。

    気を取り直して、市内観光しつつブルトへ出発。
    ウランバートルからブルトまで、約400Kの道のりを4WDで移動。
    6時間近くかかると聞くが、初めて見る草原に飽きることはなかった。

  • 午後5時頃、ブルトのツーリストゲルに着く。

    午後5時頃、ブルトのツーリストゲルに着く。

  • ゲルとは、モンゴルの遊牧人が住む家のことで、簡単な骨組みに布を被せた構造をしている。思ってたよりしっかりした作りだ。

    ゲルとは、モンゴルの遊牧人が住む家のことで、簡単な骨組みに布を被せた構造をしている。思ってたよりしっかりした作りだ。

  • 夕食を取りベットに入ると、気温が低くなっていることに気付く。<br />昼はTシャツでも厚いのに夜になると冷える。<br />同じ大陸だけあり、ロシアの気候と似ている。<br />寒さをこらえながら寝ていると、ふと目を覚ます。<br />そうだ、星を見なきゃ..<br />午前2時、懐中電灯を持ちゲルの外に出ると立ちつくす。<br />隅々まで広がる満天の星。<br />星が瞬き、天の川が見える。<br />あまりの星の多さに鳥肌が立つ。<br />しばらく見ていると流れ星が..<br />ここでは5分に一度は流れ星を見ることができる。<br />流れ星が多い訳ではない。<br />日本では見えないだけなのだ。<br />その昔、星を頼りに航海したことも、これを見て頷くことができた。

    夕食を取りベットに入ると、気温が低くなっていることに気付く。
    昼はTシャツでも厚いのに夜になると冷える。
    同じ大陸だけあり、ロシアの気候と似ている。
    寒さをこらえながら寝ていると、ふと目を覚ます。
    そうだ、星を見なきゃ..
    午前2時、懐中電灯を持ちゲルの外に出ると立ちつくす。
    隅々まで広がる満天の星。
    星が瞬き、天の川が見える。
    あまりの星の多さに鳥肌が立つ。
    しばらく見ていると流れ星が..
    ここでは5分に一度は流れ星を見ることができる。
    流れ星が多い訳ではない。
    日本では見えないだけなのだ。
    その昔、星を頼りに航海したことも、これを見て頷くことができた。

  • 2000年8月2日(水曜日) ブルトからカラコルム遺跡観光<br />朝食を取り、午前10時半、車でカラコルムへ。<br />遠くから眺めると、遺跡が草原に浮いているようにも見える。<br />ガイドブック通りのカラコルム遺跡がそこにあった。

    2000年8月2日(水曜日) ブルトからカラコルム遺跡観光
    朝食を取り、午前10時半、車でカラコルムへ。
    遠くから眺めると、遺跡が草原に浮いているようにも見える。
    ガイドブック通りのカラコルム遺跡がそこにあった。

  • 帰りに近くの市場に立ち寄る。<br />ゴツゴツとした肉が、無造作に並べてあった。

    帰りに近くの市場に立ち寄る。
    ゴツゴツとした肉が、無造作に並べてあった。

  • ブルトへの途中、広い草原のあちこちでスコールになっているが物珍しい。

    ブルトへの途中、広い草原のあちこちでスコールになっているが物珍しい。

  • ブルトでは遊牧生活を行っている民家のゲルにおじゃまする。<br />遊牧民の民家に入ると、出てきたのがどんぶりいっぱいに張られた馬乳酒。<br />馬の皮袋に馬乳を入れて、一晩かき回すと発酵して酒になるようだ。<br />さて、馬乳酒だが、飲むと少し酸っぱく、アルコール度数はビールより低い。<br />飲んでいる最中、皆こちらを「じっ」と見ている。<br />周りの雰囲気に押されて出されたどんぶりを飲み干した。<br />これが後に重大なトラブルを引き起こす結果となる。<br />

    ブルトでは遊牧生活を行っている民家のゲルにおじゃまする。
    遊牧民の民家に入ると、出てきたのがどんぶりいっぱいに張られた馬乳酒。
    馬の皮袋に馬乳を入れて、一晩かき回すと発酵して酒になるようだ。
    さて、馬乳酒だが、飲むと少し酸っぱく、アルコール度数はビールより低い。
    飲んでいる最中、皆こちらを「じっ」と見ている。
    周りの雰囲気に押されて出されたどんぶりを飲み干した。
    これが後に重大なトラブルを引き起こす結果となる。

  • ブルトに帰ると、初めての乗馬体験が待っていた。<br />乗り降りは大丈夫、止まれは手綱を引く。<br />曲がれは手綱を左右に振る。<br />走れは「チョー!」といった言葉を馬に投げかけながら、右足で少し蹴る。<br />走る、曲がる、止まるを会得し、さぁ出発。<br />初めはインストラクターに手綱を引いてもらいながら進む。

    ブルトに帰ると、初めての乗馬体験が待っていた。
    乗り降りは大丈夫、止まれは手綱を引く。
    曲がれは手綱を左右に振る。
    走れは「チョー!」といった言葉を馬に投げかけながら、右足で少し蹴る。
    走る、曲がる、止まるを会得し、さぁ出発。
    初めはインストラクターに手綱を引いてもらいながら進む。

  • 少し慣れたら自分で進む。<br />うん。コントロールできる。<br />しかし、足が疲れ、お尻にもダメージが多い。

    少し慣れたら自分で進む。
    うん。コントロールできる。
    しかし、足が疲れ、お尻にもダメージが多い。

  • 疲れないこつがあるのだろうと思うが、2時間の体験はこつを会得しないまま終わることとなる。<br />社交辞令もあるのだろうが、初めて乗ったにしては上手と誉められた。<br />モンゴル人のようだ。日本人にしておくのは勿体ないとも。<br />はたして喜んで良いのか悪いのか..<br />その日は筋肉痛のうちに寝入る。

    疲れないこつがあるのだろうと思うが、2時間の体験はこつを会得しないまま終わることとなる。
    社交辞令もあるのだろうが、初めて乗ったにしては上手と誉められた。
    モンゴル人のようだ。日本人にしておくのは勿体ないとも。
    はたして喜んで良いのか悪いのか..
    その日は筋肉痛のうちに寝入る。

  • 2000年8月3日(木曜日) ブルトからウランバートルへ<br />朝起きたら筋肉痛だった。<br />ゲルの堅いベッドも、体に悪い方向に傾く。<br />筋肉痛の中、朝食を取り、一路ウランバートルへ戻る。<br />ブルトからウランバートルへは、ツーリストゲルで一緒に泊まった女性3人づれと共に移動することとなった。<br />4WD、2台連れだっての移動。<br />遊牧民のゲルで朝食後、あろう事かこちらの車のエンジンが止まってしまった。<br />ドライバも必至で直そうとするが、当然ながら治らない。<br />しかたがないので、もう一台の車に牽引してもらうこととなった。<br />このときウランバートルまで、約150Km。<br />現在、午後4時。<br />ずっと牽引すると本日中にウランバートルにたどり着くのが微妙な線。<br />これでは共倒れだ。<br />途中の小さな町で、旅行会社に電話し迎えに来てもらうこととなった。<br />女性3人のグループはとても優しく<br />「迎えがくるまで引っ張ってってあげる」<br />と、言ってくれた。<br />午後6時半頃に迎えが来たので、乗り込む。<br />運転手も乗るかと思いきや、車に残ると言う。<br />さながら戦艦の船長を思わせる一面だった。<br />無事、ウランバートルに着き、ホテルに入ると、また一難がやってきた。<br />下痢と高熱だ。<br />水便が幾度も出て、水で冷やしても落ちない熱。<br />高熱を発してるためか、高級ホテルだというのに体が異常に寒い。<br />夕食時にビールを飲むが、体の寒さは抜けない。<br />変わって頭痛までもが襲ってきた。<br />まったく食欲がなかったが、食べないと回復しないと思い、歯を食いしばって食べる。<br />その夜は、頭痛、吐き気、下痢、寒気に襲われつつ寝ることとなった。<br /><br />2000年8月4日(金曜日) ウランバートルから関空へ<br />朝起きると、少しだけ調子が戻ったように感じた。<br />少しでも食べたのが良かったのだろうか。<br />頭痛と寒気は収まった。<br />ただ、下痢と慢性的な気持ち悪さは修まりきれていないようだ。<br />食欲の無いまま、朝食を食べる。<br />気持ち悪くて食べられないが、少しでも口に入れた。<br />ガイドが迎えに来ると、状態が悪いのが目に見えてわかるようで、気遣ってくれた。<br />関空への機内では機内食も少ししか食べられなかったが、これで体が甦る。<br />関空に着き、機内から外に出ると、日本の恒温多湿の夏が下痢で弱った体に心地よく感じられた。<br />検疫チェックで下痢を申告すると、検査を強要され嫌々ながら検便を行う。<br />帰りはのぞみを駆使し午後10時半の帰宅となった。

    2000年8月3日(木曜日) ブルトからウランバートルへ
    朝起きたら筋肉痛だった。
    ゲルの堅いベッドも、体に悪い方向に傾く。
    筋肉痛の中、朝食を取り、一路ウランバートルへ戻る。
    ブルトからウランバートルへは、ツーリストゲルで一緒に泊まった女性3人づれと共に移動することとなった。
    4WD、2台連れだっての移動。
    遊牧民のゲルで朝食後、あろう事かこちらの車のエンジンが止まってしまった。
    ドライバも必至で直そうとするが、当然ながら治らない。
    しかたがないので、もう一台の車に牽引してもらうこととなった。
    このときウランバートルまで、約150Km。
    現在、午後4時。
    ずっと牽引すると本日中にウランバートルにたどり着くのが微妙な線。
    これでは共倒れだ。
    途中の小さな町で、旅行会社に電話し迎えに来てもらうこととなった。
    女性3人のグループはとても優しく
    「迎えがくるまで引っ張ってってあげる」
    と、言ってくれた。
    午後6時半頃に迎えが来たので、乗り込む。
    運転手も乗るかと思いきや、車に残ると言う。
    さながら戦艦の船長を思わせる一面だった。
    無事、ウランバートルに着き、ホテルに入ると、また一難がやってきた。
    下痢と高熱だ。
    水便が幾度も出て、水で冷やしても落ちない熱。
    高熱を発してるためか、高級ホテルだというのに体が異常に寒い。
    夕食時にビールを飲むが、体の寒さは抜けない。
    変わって頭痛までもが襲ってきた。
    まったく食欲がなかったが、食べないと回復しないと思い、歯を食いしばって食べる。
    その夜は、頭痛、吐き気、下痢、寒気に襲われつつ寝ることとなった。

    2000年8月4日(金曜日) ウランバートルから関空へ
    朝起きると、少しだけ調子が戻ったように感じた。
    少しでも食べたのが良かったのだろうか。
    頭痛と寒気は収まった。
    ただ、下痢と慢性的な気持ち悪さは修まりきれていないようだ。
    食欲の無いまま、朝食を食べる。
    気持ち悪くて食べられないが、少しでも口に入れた。
    ガイドが迎えに来ると、状態が悪いのが目に見えてわかるようで、気遣ってくれた。
    関空への機内では機内食も少ししか食べられなかったが、これで体が甦る。
    関空に着き、機内から外に出ると、日本の恒温多湿の夏が下痢で弱った体に心地よく感じられた。
    検疫チェックで下痢を申告すると、検査を強要され嫌々ながら検便を行う。
    帰りはのぞみを駆使し午後10時半の帰宅となった。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • 子連れ旅人さん 2014/08/30 12:02:43
    赤痢感染大変でしたね。
    赤痢感染、大変でしたね。
    旅先での病気ほど嫌なものはありません。
    とはいえ、鼻毛さんの場合はふつうの観光に終わらずに
    地元の人たちとしっかり交流した上での感染だったので
    勲章みたいなものでしょうか?
    私もNZで馬に乗ったことがあります。
    へっぴりで馬を怒らせました。

    ロシア系の航空機は軍からの払下げの航空機とかが多いので
    時々びっくりするような機体にあたる・・・と友達にききました。
    きっと奥さまが乗られたら卒倒ものです。

    シベリア鉄道は冬がいいよ・・・と
    私のドイツ語の先生は言っていました。
    シベリアまでいかずとも冬の信州飯田線に乗ると
    時々雪のひどい時だと閉じ込められるよ・・・って言ったんですが
    原野と日本の山間の雪景色は違う!一度乗ってみろ!!と
    更にプッシュされました。
    その昔、娘がぎゃんなきだったので、日本への飛行機に乗れない・・
    といったら、母に「シベリア鉄道に乗って帰ってきたら?」
    って言われたのを思い出しました。
    日本に帰ることが決まったらシベリア鉄道で帰ってみようかな?

    鼻毛マン

    鼻毛マンさん からの返信 2014/08/31 07:21:24
    シベリア鉄道
    おはようございます!!
    朝、すっごい早いですね! ドイツ時間5時ってすごい。

    そしてシベリア鉄道で日本に帰国する旅。
    子連れさんのお母さんもきっと旅好きなのだと思います。
    ミュンヘンから日本にシベリア鉄道使って帰ると、どうなるのでしょう?

    ミュンヘン→ベルリン CNL
    ベルリン→ワルシャワ 鉄路
    ワルシャワ→ミンクス 鉄路
    ミンクス→モスクワ 鉄路
    モスクワ→ウラジオストック(または北京) シベリア鉄道
    ウラジオストック(または北京)→日本 空路

    最後がどうしても空路になってしまって残念ですが、壮大な鉄旅になりそう。
    実行する際は僕も参加しますのでぜひ声を掛けてくださいね。
    あ、季節は極寒の冬でお願いします。

    赤痢はたいへんでした。
    夜、20回はトイレに行って、水のような便が出て。
    寒くてガタガタ震えて、歩くのも精いっぱい。
    他の人に遷さなくてほんとうによかったです。
    子連れさんも気付けて!!

    それでわ〜!

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