2012/12/25 - 2012/12/25
3928位(同エリア4961件中)
あしもむさん
知り合いを訪ねてハノイと大連へ行ってきました。以前、キャセイの乗り換えが遅延でうまくいかなくて、香港にはちょっとだけ入ったことがあるのですが、中国にしっかり足を踏み入れるのは初めてです。ベトナムは7年ほど前にホーチミンへ行ったことがあるので2回目ですが、ハノイは初めて。多くの出会いと発見に恵まれた、楽しい8日間でした。
日程は以下のとおりです。
12月22日 鹿児島-上海 上海泊
12月23日 上海街歩き 上海-ハノイ ハノイ泊
12月24日 ハロン湾日帰りツアー ハノイ泊
12月25日 ハノイ街歩き ハノイ泊
12月26日 ハノイ-(広州経由)-大連 大連泊
12月27日 大連街歩き 旅順半日ツアー 大連泊
12月28日 大連-上海 上海泊
12月29日 上海-鹿児島
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日は自由に使える時間が午前中しかないということで、午前中のみの街歩きです。6時半からバーディン広場で国旗掲揚式があるとのことで、5時半過ぎにホテルを出発して見に行きます。まだ明るくなる前で女性の一人歩きは怖いものがありましたが、行き方をできるだけ頭に入れてさくさく歩きました。
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途中で踏切がちょうど閉まるところに差し掛かりました。手動で門が閉められます。
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まだまだゆっくりとしたスピードの電車が走り抜けていきました。
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途中で見えたのはレーニン公園。まだ暗くてレーニン像ははっきり見えませんでした。
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右手には国旗掲揚等も。
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ラオスの国賓か誰かが訪問しているのか、ラオスの国旗やラオス語で書かれた横断幕などをよく見かけました。ホーチミン廟見学後も、正面の広場は立ち入り禁止となっていました。
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バーディン広場が見えてきました。
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1945年9月2日にホーチミンがベトナム民主共和国の独立宣言を読み上げた場所です。
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時間が近づくと、白い服を来た衛兵が人員整備に取り掛かります。
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見物客はこの白線まで下がらなければならないようです。ベトナム語が全然わからないこともあって、動物を追い払うような感じで下がるように指示されました。
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衛兵さんの制服はこんな感じ。
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音楽が鳴り響き…
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…国旗を持った兵隊さんが入場してきました。
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国旗掲揚が始まり、警備にあたっていた兵士も敬礼。
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6時半。まだ薄暗い空に国旗が上りました。
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国旗掲揚見学が終わったところで、周辺を少し見て回ることにします。
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一柱寺。お参りすれば子宝に恵まれるそうです。
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女性が参拝中だったので、下から眺めるにとどめます。
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階段の裏側に回ってみると、ハスの花に見立てて建設されたというのがよくわかります。
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一柱寺にあった大きな菩提樹。その囲いに…
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…ハスがかたどられていてかわいかったです。
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建物の上につけられているのは龍でしょうか。細かい装飾に目が行きます。
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ホーチミン廟前の衛兵交替は頻繁にやっているようで、こちらは気軽に見に行けると思います。
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廟に飾るものでしょうか。大きな花輪も運ばれていきます。
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ホーチミン廟内部の見学コースにどこから入ればいいのか、いろんな人に聞いてもわからずやきもきさせられたのですが、やっとのことで入口がわかりました。
並んでいる間も中国人観光客に堂々と割り込まれたりして気分はよくなかったですし、カメラなどを預けるシステムもよくわかりませんでした。私の場合は、小さいデジカメだったからなのか、預けなくても内部に入れました。
中ではさらに4人ほどの衛兵に守られたホーチミンの遺体を見ることができます。荘厳な雰囲気の安置室でした。 -
ガイドブックにはホーチミン廟の見学後は半強制的にホーチミンの家も見学することになる、と書いてありましたが、そこまで強制といった感じはしませんでした。
写真はホーチミンの家の見学コースの入り口。 -
パンフももらえます。英語・中国語・フランス語・韓国語の4言語表記。
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ホーチミンが1954年から亡くなる1969年まで執務を行った大統領府。クリーム色とのことですが、朝日を受けて黄色っぽく見えます。
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なかなかに広いホーチミンの家でしたが、迷いそうなところでは看板も立っているので見て回りやすかったです。
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ベッドにしても…
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…ダイニングにしても、質素な印象を受けます。
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奥には日本人形らしきものも…!
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マルクスとレーニンの肖像画が掛けられています。
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年代を感じさせる車が展示されているスペース。
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本当に一部ですが、固有名詞などにはロシア語で解説があることもあります。
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クジャクがいましたが、これもホーチミンにゆかりのある生き物なのでしょうか。
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ホーチミンが1969年まで住んでいたという高床式の住居。ここは2人の衛兵さんが警備しています。
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高床式住居の前の池に大きな魚がいたのでそちらを先に見に行こうとすると、係員の人にまずは住居の中を見学するように誘導されました。人が少ないのに自分のペースで見学できないのがもどかしい…。
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1958年までホーチミンはここを書斎に使っていたそうです。
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大きな金魚もいました。ホーチミンがここに住んでいた頃も金魚が飼われていたのでしょうか。
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とっても簡素なベッドが見えました。
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池をひとまわりして…
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…出口が見えてきました。
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朝ごはんはホテルの部屋にあったインスタントコーヒーだったのでさすがにお腹がすいてきました。ソーセージをがぶり。
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改めてホーチミン廟。訪れることができてよかったです。
2年かけて建てられ、1975年9月2日に完成したもの。本人は火葬と分骨を望んでいたとのことですが…。 -
ベトナム!な感じのお土産屋さん。Tシャツや頭にかぶる笠が定番なのでしょうか。
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とっても見覚えのある水の容器。馴染みのあるものが少し形を変えたものと海外で再会すると、思いがけず感激してしまいます。
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こちらは中には入らなかったホーチミン博物館。中は面白そうなので、次にハノイに行く機会があったら行ってみたいです。
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こちらがホーチミン廟内部の見学コースの入口です。ホーチミン廟の裏側(ホーチミン廟をバーディン広場から見て左裏)の通りに面したところにあります。
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道に向けてカメラを向けていると、大量に荷物を積んだバイクや、3〜4人乗りは当たり前のバイクが必ず撮影できます。
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バーディン広場周辺には大使館もたくさんあるようでした。
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とにかくよく道が閉鎖されていました。
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やっぱりラオス関連のイベントがあるからでしょうか。ふらふら歩いていて、入ってはいけないところに気付かずに入ってしまっていないか、心配になります。
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ラオス語で書かれた横断幕も。
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前日にハロン湾へ行く道でベトナムらしい笠をかぶった人をよく見ましたが、ハノイでもたまに見かけます。
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タンロン遺跡(旧ハノイ城跡)の入り口に差し掛かりました。
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瑞門が近づいてきましたが…
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…真正面で現地の団体さんが記念撮影中。アオザイ姿の女の子がかわいらしいです。
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「端門」の文字が見えます。楼閣にも登れるとのことです。
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足元の遺構も見えるように透明のパネルで覆われていますが、キズや反射でしっかり見えませんでした。
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手を挙げたポーズ。扉の向こうからたまたまカメラを向けていたら、いい感じになりました。
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瑞門の裏手です。正面から見たのとはまた違った雰囲気があります。
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いつのものか、復元したものかどうかははっきりしませんでしたが、軍の地下本部が見られました。もらえた資料によると、1964年ごろに作られたものだそうです。
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入ったときはD-67と呼ばれる作戦司令部かと思って喜んでいましたが、どうやら違ったようです。
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奥に分かれているのは通信用の部屋のようでした。一部は工事中らしく、人のよさそうなおじさまが作業をしていました。
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黒板も時代を感じさせます。とはいっても、何か国かで地方に行ったらこんな黒板に出会えてきたような気がします。
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こちらの小部屋には、訪問者がコメントを残せるノートもありました。
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地上階は発掘物の展示スペースになっています。いろいろなものが品よく並んでいたのですが、疲れも手伝ってどんな時代のどんなものがあるかまではじっくり見られませんでした。
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パネルなどはまだ新しいのか、きれいでした。外国人も楽しめるような体験型スペースもあるともっと楽しいのになあ…。
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外に出て日の光を浴びて落ち着きます。鉢植えが秩序があるんだかないんだかわからない感じで置いてありました。
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この太鼓は書いてある年代を見ると新しいもののようです。
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龍の手すり。復元されたものでしょうが、階段に沿ったフォルムが美しいです。
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この石階段の上には皇帝の宮殿があったそうです。フツーの一般市民は上がることはおろか、近づくこともできなかったんでしょう…。
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さっきの部屋に入る前に、前庭を散策。
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部屋を掃除していたおじさんが手招きをしていたので、靴を脱いで部屋の中に入れてもらいます。宗教的な部屋らしいですが詳細はわからず…。
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遺跡の全体はこのようになっているらしいです。なんかぱっとしない、と言っては失礼でしょうか。
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大きい建物の壁が残っているのでしょうか。手元に地図を持ちながらあるいたわけでもないので、詳細がつかめません。
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青い屋根がある部分は撮影禁止ってなってましたけど…。なんで撮影禁止なのかいまいちわからなかったです。一角では女性たちが発掘作業も行っていました。
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思っていたより見所が少なかったホアンジエウ18番遺跡でした。もっと整備されて見どころとして整備されることを期待してます。
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緑豊かなまっすぐな道!
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路上で何かスポーツをするんでしょうか。バドミントンだかセパタクローだかに使えそうなコートの白いラインが引いてありました。
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見どころが少ない感じのするハノイですが、建物をひとつひとつ丹念に見ていくと時代や様式が違って面白いです。
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近づいてきた北正門はしっかり逆光でした。残念。
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南側から門を見るとこんな感じです。
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建物の中には2体の像が鎮座していました。
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すずやかな雰囲気もあるお供え物。
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地図を見ていたら「祖国決死隊像」というのが近くにあるようだったので立ち寄ってみます。
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旧ソ連圏で見たことのあるものとよく似ているように思います。
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周囲はちびっこの憩いの場となっていました。ボールが足元に来たので拾って返してあげました。
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シクロで観光客御一行様が通り過ぎて行きました。前来た時にホーチミンで乗ったのが懐かしく思い出されます。
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線香屋さん?仏具屋さん?卸店が多いのか、それともこんな感じが小売なのか、1つ1つの商品がまとまった数で置いてあるので、ユーモラスな感じすらします。
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これは荷卸し中のバイク。
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とにかく雑多な感じのする市場周辺。行き交うバイク、人…。秩序はどこ?歩いているだけで疲労が増してきます。
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くったくたになって市場を後にします。
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ここにも社会主義…な雰囲気を醸し出すモニュメント。
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梅か何かの木でしょうか。気をつけて歩かないと刺さってしまいそうです。
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ホアンキエム湖が見えてきました。歩いてきた方向は間違っていなかったようです…。一安心。
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もしかすると、ベトナム戦争から40年、という意味でしょうか。そうすると、ベトナム戦争が1975年に終わったとのことなので、少し古い看板なのかもしれません。
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ライティング関係のお店でしょうか。いろいろなものが吊り下げられていてかわいらしいです。
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警官でしょうか。道路整備をしてるんだか、してないんだか…。
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この日は12月25日。お昼のミサに訪れた人々でごった返していました。
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お昼をご一緒させていただいた方にお礼を言い、タクシーに乗り込んでハノイ郊外に向かいます。ここからはちょっとしたお仕事。タクシーの車窓から見ると、ハノイの違った顔が見えてきて面白かったです。こちらはやたら細長いと感じた家。こんな規模の家やビルがたくさんありました。
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バイクの多いところだと何度実感しても足りないぐらいです。
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用事も終わったころには日がしっかり暮れていました。知り合いにハノイのビール屋さんに連れて行ってもらいました。
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空芯菜か何かの炒め物。油っぽいですが、東南アジアに来ると必ず食べたくなります。
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お世話になった人にお別れをお伝えしつつホテルに戻ります。朝からがっつり観光したり、午後には個人的にいろいろな人に会えたり…、と濃密な1日でした。
今回も旅行記に最後までおつきあいくださり、ありがとうございます。翌日は大連へ移動です。
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