2013/01/05 - 2013/01/05
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アライグマの湯さん
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1月5日都心に出た時に、向島七福神めぐりを見つけ、
以前から行きたかった 甘味処 と
百花園の七草粥(1月5日〜7日限定:園内「さはら」) が食べたくなり、
帰りがけに立ち寄ってしまいました・・・道草でしょうね。
つい、一処と思っていた甘味処を、つい三処はしごしてしまい、
タイムアウトで、七草粥は、食べられませんでした。
気持ち的になお題は、「 欲張りすぎて、夢と消えた七草粥 」かも・・・・。
墨田公園と周辺散策 →
三囲(みめぐり)神社 <大国神・恵比寿神>−森鴎外居住跡→ 弘福寺<布袋尊> → 長命寺<弁才天>
−甘味処三処めぐり−
→ 白鬚(しらひげ)神社<寿老神> → 向島百花園 <福禄寿> → 多聞寺<毘沙門天>
の順に、巡りました。
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
長命寺桜もち
桜餅発祥のお店 -
言問団子
言問橋の名前由来のお団子 -
志満ん草餅
明治2年からの老舗
いずれも甲乙つけがたい素晴らしいお味でした。
順番は、食した順です。 -
それでは、道草を始めます。
押上駅 B−3 出口より、
道草が、始まりました。
2時過ぎ -
まっすぐ隅田川に向かい、
まずは、墨田公園に -
水戸徳川家小梅邸のお庭だったのででしょうか?
-
小梅邸跡
-
明治遷都後初の宮中花見
-
花見の際に、読まれた帝の歌
-
墨田区役所まで、足を伸ばしました。
-
勝海舟像
鳩は、自由ですね。
恐れ多くも、頭の上にとまっています -
手前が、東武線の鉄橋
奥に、言問橋 -
墨田公園に戻りました。
堀辰雄 住居跡
人生の大半を向島で過ごした辰雄は、
作品の中に墨堤や周辺の寺社の様子を記しています。
『幼年時代』には、
「神社の境内の奥まった所に、赤い涎(よだれ)かけをかけた石の牛が一ぴき臥(ね)てゐた。
私は、そのどこかメランコチックな目(まな)ざしをした牛が大へんすきだった。」
とのくだりがある。 -
この牛では、ありませんでした。
-
お撫で牛の説明
-
お撫で牛さん
腰をなでました。 -
牛嶋神社
たくさんお願いをしました。
手前の鳥居は、左右にも通り道があります
三ツ鳥居(みつとりい)<別名:三輪鳥居(みわとりい)> -
すみだ郷土資料館にも駆け足で寄りました。
入館料百円でした、但し、撮影は禁止。
中では、江戸の伝統の踊り(芸)?ちょうど舞っていました。 -
道草のまた、道草で
やっと 一つ目の
三囲(みめぐり)神社 -
大国神・恵比寿神
cf.三角石鳥居(上から見ると正三角形の三柱鳥居(みはしらとりい)石作り?)を見落としてしまいました。
有名なようなので、次の時には、ぜひ訪ねたいです。 -
大国神と恵比寿神
お願いの後
一枚だけですから、パチリ!
こちらの神様は、お写真が嫌いなようです。 -
また、道草です。
森鴎外住宅跡を探しました。
この周辺を、何度も回り、やっと見つけました。
疲れました。 -
バス停も確かに
「森鴎外住居跡」です。
だいぶ離れていたのと、なかなか見つからなかったので
時間が掛かりました。
やはり、記念碑(プレート)だけだったんですね、残念!! -
七福神めぐりにもどりました。
弘福寺 -
布袋尊
一枚だけですからと、パチリ!
こちらの神様も、お写真が嫌いなようです。
先ほどのお願いごとは、宜しくお願いします!! -
いよいよ
長命寺まで着ました。 -
弁才天
一枚だけですからと、パチリ!
こちらの神様も、やはり写真がお嫌いなようです。 -
まずは、お店を見てからと、長命寺周辺を探します。
桜餅の発祥のお店はどこですか?
また、迷って、やっと見つけました。
長命寺の裏手(隅田川側)だったんですね。 -
これだけ探せば、迷わず入ります。
見た目から、いつもの桜餅と違います。
お代は、お店で食べお茶もついて、二百五十園 です。
柏餅の皮が、塩漬けの桜の葉と思っていたのですが、
違いました。
注釈:こちらの桜餅は、長命寺桜餅(江戸風桜餅)
蒸した道明寺粉からできた桜色の桜餅は、道明寺桜餅(上方風桜餅) -
大きな三枚の桜の葉に包まれています。
中には、表面を軽く焼いた薄めの表皮の中にあんが入っています。
人により、桜の葉をとって食べたり、そのまま食べたり好みはありますが、
私は、桜の葉付きのままが好きです。
まずは、三葉ついたまま、一口。
桜の香りと塩味中の甘い餡との絶妙なハーモニーです。
次は、二葉し一口、最後は一葉で一口 美味です。
お茶を少し頂き、
最後に、一部かけた二葉も一枚づつ口の中に、最後にお茶を頂いて。
あきらめず探した甲斐は、ありました 美味でした。 -
言問団子
こちらも隅田川側です。
やはり、こちらも頂かなくては!!
江戸後期 向島で植木屋を営んでいた外山佐吉が、文人墨客に
手製の団子を振舞う「植佐」という団子屋を開いたのが始まりです。
明治元年に長命寺に逗留していた歌人 花城翁 より
在原業平の読んだ句
「名にしおはば いざ言問はん都鳥
我が想う人は ありやなしやと」
にち因んだ命名を勧めを受けた佐吉が「言問団子」と名づけた。 -
三色のお団子です。
お代は、お店で頂いて、お茶もついて 六百園です。
白いお団子 黄色いお団子 黒いお団子
まずは、一番好きな 白色から 黒いお団子 最後に黄色いお団子
を半分に割りながら、ゆっくり頂きました。
やはり三色団子は、良いですねえ・・・
一つ頂きお茶を頂き
白と黄色は、柔らかい御餅(求肥でしょうか)の中に、
程よい甘さの白あんが入っていますが、白と黄色で味が微妙に違います
黄色のあんにはなんとなく味噌が少し入っているような気がします
美味です。
黒い団子は、お団子の周り黒あんが、たっぷりついています
こしあんのなんともいえない味がよいです。 -
あっという間のおなかの中に納まりました。
飲み干してしまった美味しいお茶のお変わりを頂きました。
お皿と湯呑みには、逆さの文字の こととい の文字
最後に、ゆっくりお茶を頂きながら後味を楽しみました。 -
言問団子のお隣は、
墨田公園少年野球場です。 -
王貞治氏もこの野球場から育った一人です。
-
隅田川にちっと出ました。
桜橋が、夕日を背景に綺麗です。
ここで、七草粥のタイムアウトは、確定しました。 -
志満ん草餅のお店
一処のつもりが、三処になりました。
白鬚(しらひげ)神社に行く途中にあります。 -
お店に並んでいる 草餅
明治二年からの よもぎ草餅 の老舗です。
こしあんのの入った草餅
何も入っていない草餅:好みで きな粉 と 白蜜をかけます。
どのようなお味か楽しみです。
こちらは、お店では頂けないので、お持ち帰りです。
こちらには、隠れ甘味が幾つかあるはずですが、
この時間では、ありませんでした。
草餅だけでもあってよかった!! -
これは、自宅にて
本当は、四つあったのですが、
一つ(あん入り)は、向島で私のおなかに納まりました。
よもぎの香りとこしあんの甘さが美味でした。
今は、もう写真のお餅は、既に 家族のおなかにおさまりました。
家では、ほんの少しだけあんなしを頂きました。
少しだけきな粉をかけ頂きましたが、よもぎの香りと僅かなきな粉の甘み本当に美味しいです。
四つで五百園位だったと思います。 -
やっと七福神めぐりに戻りました
白鬚(しらひげ)神社周辺は、肥沃な土地の為
なすの産地だったとの事です(寺島ナス)
。 -
白鬚(しらひげ)神社
こちらは、名前からです。
寿老神 -
百花園 なんとか間に合いました。
入園料百五十園
百花園は、佐原鞠塢(さはらきくう)により文化元年(1804年)に開かれました。
百花園に多くの文人が集まるうちに、福禄寿を元に七福神ができないかということになったようです。 -
福禄寿
-
もう暗くなっています。
東白鬚公園の横の隅田川神社
公園も歩きたくなり、少しだけ遠回り -
最後の 多聞神社
照明があって助かりました。 -
毘沙門天
最後のお願いをしました。 -
六地蔵
仏教における六道のどこにいても救いの手を差し伸べてくれる地蔵尊との事です。 -
牛にちなんで、前へ進むことにしたので、
堀切駅に来ました。
甘いものもだいぶ食べたせいか、
なんとなくラーメンが食べたくなりました。 -
手もみのしょうゆラーメン
いつもは、味噌なのですが、今日はなんとなくしょうゆにしました。
コクがあり、美味しいラーメンでした。
小さなお店で、なんとなく学生時代の食事を思い出しなした。 -
堀切駅で、終わりです。
今回の道草旅で
神様は、「ゆとりを持った旅行にしたほうが良いですよ」と言われたような気がします。
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この旅行記へのコメント (8)
-
- 潮来メジロさん 2013/11/17 18:24:01
- オナガガモですね。ヾ(^o^)
- アライグマの湯さん、こんばんは! ヾ(^o^)
毎度、訪問&投票ありがとうございました。
> 水戸徳川家小梅邸のお庭だったのででしょうか?
この一列に並んだ鴨さんは、オナガガモ(尾長鴨)ですね。
頸に縦の白線があるものがオスで、白線が無いのがメスです。
ではまた・・・。(^o^)/~~~
(潮来メジロ)
-
- わんぱく大将さん 2013/09/29 22:15:19
- 江戸あり東京ありと
- アライグマの湯さん
竹田の旅行記みていただいたようで。今、見直したら、ろくな写真もなかったのに。。。
東京というところは、新しいんだか、古いんだかわかりませんね。
でも、貴族文化より、やはり武家文化という感じは好きです。
こちとら甘党派ではないのですが、和菓子は甘さをおさえた控えめさ、大きさ、こちらの人にはわかるめえ。(大きいことがすべていいと思ってる人が多いので) 桜餅、おしゃれでしたね。
大将
- アライグマの湯さん からの返信 2013/10/01 22:58:56
- RE: 江戸あり東京ありと
- 大将さん
こんばんは、
ご訪問頂き、また、「向島の和菓子屋さんめぐりの道草旅」に投票も頂き
ありがとうございます。
竹田城の旅行記、風情のある竹田の町並み、空にそびえ立って堅固に戦国時代?の荒波の中を
戦い抜いてきたであろう竹田城に思いをはせ、楽しませていただきありがとうございます。
どちらかというと甘党なので、昔からある名物の和菓子系甘味を見ると、
出来るだけ、お菓子の生まれた時代やいきさつなどもお店の方に尋ね、
お菓子が生まれた時代に思いをはせながら、ついつい食べたくなってしまいます。
向島に昔からのお店が3店もまとまってあると知り、七福神めぐりを口実に3店はしごして、しまいました。
カロリーバランス(摂取と消費)のバランスを取る為、いつも歩いてカロリー消費をしていますが、
向島では消費不足となってしまったような気もします。
アライグマの湯さん
-
- 墨水さん 2013/01/07 00:47:51
- この奥に・・・
- アライグマの湯さん、今晩は。
この奥に、三鳥居が有るんですが・・・。
御覧に成りましたか。
それから、スカイツリー駅の名称ですが。
「浅草雷門」・「業平橋」・「とうきょうスカイツリー」へ、変遷していきました。
「吾妻橋」と言う駅名は、都営地下鉄「本所吾妻橋」しか無いんですよ。
戦前の一時期に、現浅草駅と現とうきょうスカイツリー駅との間に「隅田公園」駅が存在しました。
数年間だけの、運用だった様です。
浅草でもないのに「浅草雷門」を名乗っていたので、批判に晒されてました。
そこで当時の東武鉄道は、亀戸線を建設して亀戸駅を起点駅にしました。
貨物駅として「吾妻橋」を名乗った様ですが、駅名称はあくまでも「浅草雷門」のままでした。
上野までの延伸認可が下りて、隅田川を渡ったのが昭和4年。
現浅草駅を建設して、上野延伸を断念しました。
墨水。
- アライグマの湯さん からの返信 2013/01/07 01:36:36
- 連絡ありがとうございます
- 墨水さん
こんばんわ。
連絡ありがとうございます。
三鳥居(三又?柱)までは、今回行きませんでした。
今度行きたいと思います。
とうきょうスカイツリー駅の名前の変遷ですが、
実際どうだったかは、判りませんが、
東武鉄道の下記のURLの記載も見ました。
これを公式見解と私は、思っています。
もし、間違いがありましたら、すいませんが再度ご指摘お願いします。
誤記入は、残したくないので、お教えいただければ助かります。
http://www.tobu.co.jp/corporation/history/fhistory01.html
より
明治
35年04月01日北千住〜吾妻橋(現業平橋)間6.3km開通.
37年04月05日曳舟〜亀戸間3.4km開通 総武鉄道の両国橋(現両国)まで直通運転開始
曳舟〜吾妻橋(現業平橋)間1.1km廃止
41年03月01日曳舟〜吾妻橋(現業平橋)間1.1km開通(再開、貨物のみ).
http://www.tobu.co.jp/corporation/history/fhistory02.html
より大正
13年10月01日浅草(現業平橋)〜西新井間10.5kmで電車運転開始.
06年05月25日浅草雷門(現浅草)〜業平橋(浅草駅を業平橋駅に改称)間1.1km開通.
確認とご指摘宜しくお願いいたします。
アライグマの湯
- 墨水さん からの返信 2013/01/09 23:35:55
- RE: 連絡ありがとうございます
- アライグマの湯さん、今晩は。
ご指摘の、東武鉄道HP社史を拝見しました。
都合の悪い事は削除されている、社史ですね。
(何処の社史でも同じですけどね。)
東武鉄道が業平橋駅を開業したときの駅名は「浅草」でした。
江戸っ子の発想では「隅田川の対岸は江戸ではない。」為に、批判に晒されてしまいます。
これを回避する目的も含め、亀戸線を建設し亀戸経由で都心を結ぶルートを開拓します。
この時、業平橋駅は廃止されたのではなく、貨物駅として機能していました。
其処に付けられた駅名が「吾妻橋」駅です。
しかし、営業路線は亀戸線(伊勢崎線)であり、業平橋線(便宜上そう呼びます。)は、業務用線区に成ってしまいます。
貨物駅の場合は、これを主幹する駅が営業路線上に必要となり、曳舟駅(当時)が主幹駅となります。
正式には、曳舟駅の一部と言う扱いに成ります。
現実には、曳舟駅と離れていますから区別する必要性から「吾妻橋駅」を名乗る事に成ります。
当時の東武鉄道は、上野駅までの延伸を希望していました。
ところが、当時の京成電鉄も同様に押上駅からの上野駅までの延伸希望していた。
東武鉄道と京成電鉄は、免許申請合戦が始まります。
当時の東武鉄道は、曳舟駅からの延伸申請では分が悪いと判断して、業平橋駅を再開させます。
この時の駅名も「浅草」でした。
どの様な申請合戦だったか、今では窺い知る事が出来ませんが、東武鉄道に敷設免許が下りました。
当初は、隅田川を渡り上野を目指そうと計画しますが、用地買収困難で諦めます。
(浅草寺が、一部敷地内を通過する事に難色をしました事が原因、と言われています。)
その代わり、現浅草駅を建設には店子に松屋デパートを入れて、日本初の百貨店駅となり、当時東洋初の地下鉄(現銀座線)で、上野駅を繋ぐ形式に変更されました。
現浅草駅は、当時としては最もモダンな駅として開業しています。
そして、旧浅草駅は業平橋駅へ改称されました。
東武鉄道が、駅名称で混乱した原因は地域名称を駅名称にする事に、地元の賛同が得られなかった、と言われています。
(今では、考えられない原因ですね。)
明治の中頃まで、鉄道に対する嫌悪感が残っていた時代ですから、致し方がなかった。
昨日、お返事を送ろうとしたら、送信時にログアウト状態に成ってしまい送信できず、一日遅れと成りました。
大変、申し訳有りませんでした。
墨水。
- アライグマの湯さん からの返信 2013/01/10 20:11:58
- RE: RE: 連絡ありがとうございます
- 墨水さん
こんばんわ。
詳しいご教授ありがとうございます。
考えたのですが、1〜3の理由で
クチコミには、
「また、曳舟〜旧吾妻橋間が一時廃線→貨物専用線として再開
→旧浅草(改称)〜西新井間電車運転開始
→浅草雷門(現浅草)〜旧業平橋(再改称)間開通
と名称と同様多くの変遷があったようである。
(TOBU history:2013.01.06参照)」
を先ほど付加しました。
1.本クチコミを見ている人は、皆無
(墨水さん、フリーでチェックした私を考えると、5日間で1人もしかしたら、0人)
2.クチコミは、歴史辞典ではないので、一般論の方が良いと考えられる。
3.誤記との誤解は受けたくない。
→確認元(書き換えもあり得るので、確認日も記載)
お手数をおかけしました。
アライグマの湯
- 墨水さん からの返信 2013/01/10 23:11:42
- RE: RE: RE: 連絡ありがとうございます
- アライグマの湯さん、今晩は。
> 1.本クチコミを見ている人は、皆無
> (墨水さん、フリーでチェックした私を考えると、5日間で1人もしかしたら、0人)
マイページから閲覧者履歴を見ると、大まかな閲覧者と人数を確認できます。
> 2.クチコミは、歴史辞典ではないので、一般論の方が良いと考えられる。
そうですね。
この店へいくなら「スカイツリー駅の方が便利」みたいな口コミの方が喜ばれます。
最近は、口コミ書くとマイルが貰えるので、マイル欲しさにどうでも良い口コミばかりが氾濫してますけどね。(笑)
> 3.誤記との誤解は受けたくない。
> →確認元(書き換えもあり得るので、確認日も記載)
一度書いたら、意地でも変更しない会員様が多いです。
間違いを指摘すると、喧嘩に発展する場合も有るみたいです。
(聞いた話ですけど。)
墨水。
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