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大阪へ寄ったついでに、桃谷のコリア・タウンを訪問しました。<br /><br />JR桃谷駅から歩いて20分くらいの場所です。<br />この街は、日本にいながら、韓国を感じさせる、とてもエキゾチックな所です。<br /><br />通路には、熱々のチジミ、トッポギが売られており、これを頬張りながら街を歩くのです。<br />日本人オバサンの一行も、韓流ブームにあやかって、この街でキムチやチジミを買って、楽しそうにしています。<br /><br />橋の掛かっているところが、どうもこのコリア・タウンの端っこのようです。<br />橋の上に立ちます。川が真っ直ぐなのに驚かされました。<br />橋をよく見ると、この川が平野川であることに気づきます。<br /><br />平野川は定規で引いたようにまっすぐだと聞いていましたが、まさにその通りです。<br /><br />旧平野川はかなり蛇行していて、氾濫が絶えなかったようです。そこで1923年に、新平野川が開削されたのです。<br />旧平野川の埋め立てと、新平野川の開削には、朝鮮半島の人たち、主に済州島出身の人たちが、携わったのです。<br /><br />朝鮮総督府が、植民統治の基盤を固めるために、1910年から8年間にわたり、土地調査事業を行いました。<br />この際、多く申告すると、税を高く課されるというデマが流れたとも言われています。<br />それゆえ、所有を少な目に登録した農民が多かったようです。<br />その結果、登録されていない土地は、総督府のものとなったのです。<br />土地を奪われて生活に窮した農民が日本に生活の場を求めて移住したのです。<br /><br />平野川開削工事は他より給金が良いため、朝鮮半島出身の労働者が集まって来て、集落が徐々に確立されていきます。<br />済州島出身者が多いのは、1922(大正11)年に大阪−済州島間に君が代丸が就航していたからです。<br /><br />1945年8月15日に朝鮮における日本の支配は終わりをむかえます。<br />この後、北緯38度線の北側をソ連、南側を米軍が統治します。北では抗日パルチザン出身の金日成が親ソ政権を、南では独立運動出身の李承晩が親米政権を立てます。<br /><br />1948年4月3日、南側の単独政府樹立に反対する、南朝鮮労働党の済州島民による武装蜂起が発生します。<br />これに対して、米軍施政下の韓国からやってきた軍、警察、さらには右翼団体が、鎮圧にやってきます。<br />この際、無辜の済州島民まで、殺害されていきます。<br />「済州島4・3事件」<br /><br />このときに、日本敗戦後も、朝鮮半島に戻らずに、日本にいた親類を頼って、大勢の済州島民が、命からがら日本に密航してきたのです。<br />こうして桃谷にコリア・タウンが形成されて行ったのです。<br /><br />再びコリア・タウンの街を歩いて、桃谷駅まで引き返します。<br />韓流ブームにあやかる日本人のオバチャンたち、味見をしながら、楽しそうに買い物をしていますが、こういった歴史を知っているでしょうか。<br /><br />この街の中央くらいのお店で、海苔巻を見ていました。<br />お店の女性の方が「買っていく?」と聞いてきたので、<br />「家には包丁がない」と答えると、親切にも、細かく切ってくれました。<br /><br />歩きながらこの一つをつまんでみました。<br />中国の朝鮮族の住む延吉で食べた海苔巻より、段違いに美味しいのです。<br />やはり大阪は食の町というのは、事実だなと感心したのです。<br /><br />桃谷のコリア・タウン、もう一度行きたいですね。<br />今度はもっとお腹を空かせて、たくさん食べたいですね。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

大阪・桃谷のコリア・タウン訪問

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2012/12/13 - 2012/12/13

1038位(同エリア3881件中)

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哈桑湖

哈桑湖さん

大阪へ寄ったついでに、桃谷のコリア・タウンを訪問しました。

JR桃谷駅から歩いて20分くらいの場所です。
この街は、日本にいながら、韓国を感じさせる、とてもエキゾチックな所です。

通路には、熱々のチジミ、トッポギが売られており、これを頬張りながら街を歩くのです。
日本人オバサンの一行も、韓流ブームにあやかって、この街でキムチやチジミを買って、楽しそうにしています。

橋の掛かっているところが、どうもこのコリア・タウンの端っこのようです。
橋の上に立ちます。川が真っ直ぐなのに驚かされました。
橋をよく見ると、この川が平野川であることに気づきます。

平野川は定規で引いたようにまっすぐだと聞いていましたが、まさにその通りです。

旧平野川はかなり蛇行していて、氾濫が絶えなかったようです。そこで1923年に、新平野川が開削されたのです。
旧平野川の埋め立てと、新平野川の開削には、朝鮮半島の人たち、主に済州島出身の人たちが、携わったのです。

朝鮮総督府が、植民統治の基盤を固めるために、1910年から8年間にわたり、土地調査事業を行いました。
この際、多く申告すると、税を高く課されるというデマが流れたとも言われています。
それゆえ、所有を少な目に登録した農民が多かったようです。
その結果、登録されていない土地は、総督府のものとなったのです。
土地を奪われて生活に窮した農民が日本に生活の場を求めて移住したのです。

平野川開削工事は他より給金が良いため、朝鮮半島出身の労働者が集まって来て、集落が徐々に確立されていきます。
済州島出身者が多いのは、1922(大正11)年に大阪−済州島間に君が代丸が就航していたからです。

1945年8月15日に朝鮮における日本の支配は終わりをむかえます。
この後、北緯38度線の北側をソ連、南側を米軍が統治します。北では抗日パルチザン出身の金日成が親ソ政権を、南では独立運動出身の李承晩が親米政権を立てます。

1948年4月3日、南側の単独政府樹立に反対する、南朝鮮労働党の済州島民による武装蜂起が発生します。
これに対して、米軍施政下の韓国からやってきた軍、警察、さらには右翼団体が、鎮圧にやってきます。
この際、無辜の済州島民まで、殺害されていきます。
「済州島4・3事件」

このときに、日本敗戦後も、朝鮮半島に戻らずに、日本にいた親類を頼って、大勢の済州島民が、命からがら日本に密航してきたのです。
こうして桃谷にコリア・タウンが形成されて行ったのです。

再びコリア・タウンの街を歩いて、桃谷駅まで引き返します。
韓流ブームにあやかる日本人のオバチャンたち、味見をしながら、楽しそうに買い物をしていますが、こういった歴史を知っているでしょうか。

この街の中央くらいのお店で、海苔巻を見ていました。
お店の女性の方が「買っていく?」と聞いてきたので、
「家には包丁がない」と答えると、親切にも、細かく切ってくれました。

歩きながらこの一つをつまんでみました。
中国の朝鮮族の住む延吉で食べた海苔巻より、段違いに美味しいのです。
やはり大阪は食の町というのは、事実だなと感心したのです。

桃谷のコリア・タウン、もう一度行きたいですね。
今度はもっとお腹を空かせて、たくさん食べたいですね。






同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
新幹線 私鉄 徒歩
  • JR環状線桃谷駅

    JR環状線桃谷駅

  • 桃谷のコリア・タウン

    桃谷のコリア・タウン

  • 青空のもと、街を散策します。

    青空のもと、街を散策します。

  • エスニックな町です

    エスニックな町です

  • ブライダル衣装。<br />私には無縁ですけどね。<br /><br />でもチョンガーだから気軽に大阪に来れるんです。<br /><br />私みたいな出来の悪い子供なんて、要りませんしね。<br /><br />将来はどうせ孤独死です。<br />老後の思い出作りのための、旅なんです。<br /><br />

    ブライダル衣装。
    私には無縁ですけどね。

    でもチョンガーだから気軽に大阪に来れるんです。

    私みたいな出来の悪い子供なんて、要りませんしね。

    将来はどうせ孤独死です。
    老後の思い出作りのための、旅なんです。

  • 韓国の宮廷お菓子<br /><br />残念、次回必ず食べます。

    韓国の宮廷お菓子

    残念、次回必ず食べます。

  • 橋が。<br />ここがコリア・タウンの終点です。

    橋が。
    ここがコリア・タウンの終点です。

  • 定規で引いたような真っ直ぐの川。<br /><br />橋をみると、平野川と書かれています。<br /><br />ああそうかと、それでここにコリア・タウンが出来たんだと。

    定規で引いたような真っ直ぐの川。

    橋をみると、平野川と書かれています。

    ああそうかと、それでここにコリア・タウンが出来たんだと。

  • ここで帰りに海苔巻を。<br /><br />買いたいけど、包丁が家にないし、どうしようと。<br />(この歳になって、包丁を使ったことがないんです)<br /><br />女性の店員が「切りますよ」と。<br />一つほおばりましたが、日本の助六とは、似て非なるもの。<br />美味しいです。<br /><br />美味しいものを食べると、幸せになれるんです。

    ここで帰りに海苔巻を。

    買いたいけど、包丁が家にないし、どうしようと。
    (この歳になって、包丁を使ったことがないんです)

    女性の店員が「切りますよ」と。
    一つほおばりましたが、日本の助六とは、似て非なるもの。
    美味しいです。

    美味しいものを食べると、幸せになれるんです。

  • このいお店は休日には、順番待ちぐらい混みます。<br /><br />でも私は、歩きながら頬張るのが、好きです。

    このいお店は休日には、順番待ちぐらい混みます。

    でも私は、歩きながら頬張るのが、好きです。

  • こちらは鶴橋<br />桃谷とは、また違います<br /><br />

    こちらは鶴橋
    桃谷とは、また違います

  • ここでいつも、熱々のチジミを食べて、鶴橋から近鉄特急に乗って帰ります。

    ここでいつも、熱々のチジミを食べて、鶴橋から近鉄特急に乗って帰ります。

  • こちらはアーケードなので、雨天でも楽しめます。

    こちらはアーケードなので、雨天でも楽しめます。

  • 帰りは近鉄がいいです。<br />ぐっすり眠って。<br /><br />新幹線だと、目覚まし時計が要りますもんね。

    帰りは近鉄がいいです。
    ぐっすり眠って。

    新幹線だと、目覚まし時計が要りますもんね。

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