2012/12/14 - 2012/12/14
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12/14、今や師走の風物詩となった 「義士祭」 を見に 「泉岳寺」 に行ってきました・・・
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47人の赤穂義士の眠る 「泉岳寺」 は・・・
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都営地下鉄浅草線の 「泉岳寺駅」 から徒歩2分ほどのところにあります・・・
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陣太鼓が・・・
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忠臣蔵の世界に誘います・・・
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私は今回が初めて泉岳寺・・・
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本堂にお参りして・・・
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47義士の眠る・・・
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墓地へ向かいます・・・
正面に見えるのが墓所への入口、「47士墓所の門」・・・ -
「47士墓所の門」 に通じる道沿いに植えられたこの梅は、堀部妙海尼が浅野長矩公の奥方、瑶泉院から授かったものをこの地に植えたものだとか・・・
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そして、これは、浅野長矩公の自刃の場 (田村邸内) にあって、切腹の際に血をおびた梅と石で・・・
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この井戸は、吉良上野介の首を洗ったとされる 「首洗いの井戸」 であるといいます・・・
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また、武器や武具を調達して義士を陰で支えたといわれる商人、「天野屋利平衛」 の碑もありました・・・
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墓所に入ります・・・
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奥に見えるのが浅野長矩公 (浅野内匠頭) の墓所・・・
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ここで墓前供養が行われるので係の方がその準備におわれています・・・
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線香の火が今日は絶えることがありません・・・
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長矩公の奥方、瑶泉院 (阿くり) の墓所は長矩公の墓所から、7〜8m離れたところにあります・・・
何故、長矩公の隣に並べてあげられなかったのでしょうか・・・ -
ここには、討入りをした47士の他に、討入りを熱望しながらも父の反対にあい、その狭間で、同志との約束を守れなかった事を詫び、討入り前に切腹した萱野三平を加えた48人の墓所があります (但し、討入り後に姿を消した寺坂右衛門と、参加できずに自刃した萱野三平の2人のものは供養墓) ・・・
写真は、字が小さくて見え難いですが墓所の配置図です・・・ -
午前中は午後に比べてまだ少ないとは言われていますが、線香を持った参拝客の列が徐々に長くなって行くのがわかります・・・
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墓所には線香の香りと・・・
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煙に包まれます・・・
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一番左が寺坂右衛門 (討入り後に姿を隠したとされる人物・・・足軽身分であった寺坂右衛門に害の及ぶ事を恐れた大石内蔵助が密命を与えたという説がある)の供養墓・・・
左から二番目が間十次郎 (吉良上野介の首級を挙げた人物) の墓所・・・ -
大石内蔵助の墓所・・・
辞世は、「あら楽や 思ひは晴るゝ 身は捨つる 浮世の月に かゝる雲なし」・・・ -
吉田忠左衛門 (47士の中では大石内蔵助に次ぐ存在) の墓所・・・
辞世は、「かねてより 君と母とに しらせんと 人よりいそぐ 死出の山道」・・・
片岡源五右衛門 (浅野長矩公が田村家で切腹する直前に対面した人物)の墓所・・・ -
堀部安兵衛 (高田の馬場の決闘でも知られる) の墓所・・・
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大石主税の墓所・・・
辞世は、「あふ時は かたりつくすと おもへども 別れとなれば のこる言の葉」・・・
まだ16歳の若さでした・・・ -
浅野長矩公の墓前では、曹洞宗の十数名の僧侶による供養がはじまりました・・・
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泉岳寺山門横の大石内蔵助像・・・
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義士祭のハイライトである 「義士引上げの行列」 は、東銀座から出発して泉岳寺まで歩いてくるという・・・以前は、吉良邸のあった本所松坂町(現在の両国)から泉岳寺まで歩いたのだそうですが、かなりの距離があるので、今年は、東銀座の中央区の区役所からになったとか・・・
行列は、途中、増上寺で休憩して昼食をとるらしいので、そこで義士達を迎えるべく、これから散歩をかねて増上寺に向かおうと思います・・・ -
増上寺の少し手前の芝公園内にある 「芝東照宮」 にお参りして・・・
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大銀杏にも挨拶をしてもう少し歩きます・・・
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東京タワーが見えて来ました・・・
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着きました・・・
増上寺です・・・
写真は、東日本最大級の三門 (三解脱門)・・・ -
まだ義士の一団は到着していないようなので境内を散策します・・・
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この日は境内で絵を描いている人達を沢山みかけました・・・
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増上寺の大殿と東京タワー・・・
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江戸三大名鐘の一つ・・・
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千躰地蔵尊・・・
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義士達はまだかなぁ・・・
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といってたら・・・
仇討を終えた義士達が、大石内蔵助を先頭に晴れ晴れとした表情でこちらに向かって歩いてきます・・・ -
この資料によれば、大石内蔵助は本当は行列の真ん中からやや後ろ辺りを歩いていたようです・・・
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三門前で記念撮影・・・
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境内に入って昼食をとります・・・
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その前に、鐘楼前でもう一度記念撮影・・・
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赤穂の義士から近所のおじさんに戻ります・・・
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もう午後1時30分を過ぎていたので、さぞお腹も空いていたのではないでしょうか・・・
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吉良上野介に対する仇討があったのは元禄15年(1703年)・・・
東京タワーが竣工したのは昭和33年(1958年)・・・
年齢差255年の義士と東京タワーが平成24年(2012年)の今日、時空を超えて出合いました・・・ -
もうすぐ出発するぞ〜
集合〜
陣太鼓が響きます・・・ -
整列〜
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エイ・エイ・オー・・・
気勢をあげて・・・ -
泉岳寺へ向けて・・・
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出発です・・・
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三門をくぐって表通りに・・・
私は、泉岳寺でもう一度義士を迎えようと、地下鉄で先周りします・・・ -
泉岳寺の参道は大勢の大勢の見物客が・・・
そして、義士達が現れると沿道の見物客から大きな拍手が湧き起こりました・・・ -
義士達は浅野長矩公の墓前に仇討の報告の為、「泉岳寺」 に入って行きました・・・
おわり
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